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青山学院大学のイメージでチャラい人、可愛い子が多いか?という質問をする人と回答する人の思考の問題点

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たまたまあるネット掲示板を見ていたら、「青山学院大学ってチャラい学生多いですか?」といった質問が投稿されていて、回答が何件か着ていた。在学生っぽい人の回答もあったのだが、私は「日本人にこのパターン多いよね・・・」と正直、思ってしまったのですよ。青山学院大学の雰囲気とか、学生のイメージを知っておきたいという質問者の気持ちは理解できるとして、なぜそれをこういう場で質問すれば把握できると思ったのだろうか?そこが全く理解できない。この質問は穴だらけなんですよ。まず「チャラい」の定義ってなんだ?と。イメージとして典型的なチャラい学生像のようなものはあるにせよ、その程度は人によって異なるはずなんですよね。だから、質問者と回答者のチャラいという言葉の定義がずれていたら、はっきり言って意味がない。普通に考えたら多少なりともずれているでしょうね。あと、もう1つ重要なのは、仮にチャラいの定義が完全に一致していたとしても、そういう人が多いと言えるか?は比較対象によります。

 

恐らくこの質問をしている人と回答している人は、ともに「多い」、「少ない」という言葉が比較対象によって使い分けられるべきという発想がないんだと思う。これは「強い」、「弱い」とかも同様である。というか、世の中のほとんどの言葉は厳密に言えば、比較対象が存在して意味を成すものばかりだけどね。例えば「バカ」という言葉だってそうだ。バカの定義なんかないので、要するに頭が良い人と比べたときに、バカと言えるわけで、そのバカと言える人をまた違う人と比べたら、そのバカと言った人は今度は頭いいと表現できる可能性はある。非常に不安定な言葉なんですよね。多くの場合は「多い」という比較対象は、世の中の平均と比較したときなのだろうが、この場合のチャラい人の平均って、判断できるんですか?っていうのが問題なんです。何割が平均なのか?が確定しないのです。結局、チャラい人が多いか?って問題は比較対象により、平均と比べるとしてもその平均が分からなければどうしようもない。特定の大学との比較という可能性もあるかもしれないが、そっちも結局分からないとどうしようもない。

 

「多い」って言葉は絶対的な言葉じゃないんですよ。相対的な言葉なのです。私も過去に絶対的な意味合いで、いろいろな言葉を使ってきたことがある可能性が普通にあるだろうから、仮にそうだとしたら当時の私もバカであったと認めざるを得ないが。ただ、今の私からすると、やっぱり違和感しかないのですよ。質問者もそうだし、回答者も「多い」、「少ない」と回答しているときに、比較対象は出していません。つまり、絶対的な見地から多いか?少ないか?を判断していることになるが、その判断に何の意味があるのでしょうか?さっきと同じだけど、どこからが多いって言えるの?少ないって言えるの?という基準がないでしょう?基準がない以上、相対的な比較しか本来はできないんですよ。つまり、例えば中央大学青山学院大学はどっちがチャラい人が多いですか?みたいな質問ならばまだ答えられる余地はあります(両大学のチャラさ具合について知っておく必要があるけど)が、青山学院大学はチャラい人が多いですか?ってのは、普通は答えられないと思います。

 

もはや在学生とかであるということもあまり関係ないわけです。青山学院大学のイメージとか雰囲気について知りたい人は実際にキャンパスに行けば良いんですよ。オープンキャンパスではなく、普通の平日とかに行ってみれば、青山学院大学の雰囲気というものを自分の基準で確かめられるので、ネットで素性も分からない人間に聞くよりも100倍参考になりますよ。実際、その質問者はいくつか着ていた回答に対して、参考になった!とか返していたが、どこに参考になる余地があったのだろう?と思いますよ。100歩譲って、チャラいという言葉の定義を説明したうえで聞いているならばまだ良かったかもしれない。しかし、その場合でもチャラい人が多いか?どうかの明確な回答は出ないわけだが。だって、在学生であっても、青山学院大学の中にその人の基準でチャラい人がどれくらいいるか?は分かりますけど、それが多いのか?どうかの判断は、何度も言っていますけど比較対象によります。で、当然ながら青山学院大学の在学生は青学の雰囲気とかには詳しいかもしれないが、他大学ことまでそんなに詳しいとは思えない。詳しいところがあったとしても、1つや2つじゃ足りないでしょう。質問者の意図は、恐らく世間一般の大学(つまり平均)と比較して、だと思うのです。そうなると、世の中の数多くの大学の雰囲気について詳しくならないといけないわけですから、普通に考えたら、青山学院大学にチャラい学生が多くいるか?なんてのは判断できません。

 

青山学院大学の学生のイメージとしてはチャラいみたいなのがあるのかもしれないが、それも所詮はイメージですからね。それにチャラいことが何か問題なのか?とも思いますが。青山学院大学の雰囲気は青山キャンパスと相模原キャンパスでも違うでしょうし、やっぱり見学に行ってみるのが良いんじゃないですか?こういう場で質問しても、お互いの感覚に一致する部分がある保証がない中でも質問なので、私は時間の無駄にしか思えません。あと、似たような質問で「青山学院大学は可愛い子が多いか?」みたいなのもありますね。これも同じです。可愛い子の定義もなければ、多い、少ないの基準もありません。比較対象によります。こちらも実際に大学のキャンパスに行ってみれば分かるんじゃないですか?青山学院大学は可愛い子が多いか?どうかが気になるならば、事前に見学をして確かめておくのが良いと思います。可愛い子の定義なんて、チャラい以上にブレがある気がしますからね。そういうところを気にする人は後悔しない大学選びをしたいならば、実際に見学しておくのが良いと思います。普段の授業があるような日に行ってみると良いと思います。実際、可愛い子が多いというイメージ自体はあるんだろうから、ルックスに自信がない子は避けるかもしれないね。そういう意味では、他大学と比べたときの青山学院大学は可愛い子が多いというイメージについては、理屈から言えば当たっている可能性もなくはないと思うが。

 

こういう部分って、実は結構いろいろなところで見られるんですよ。思い返してみれば、こういうことを言っている人ってよくいるなーと感じられます。例えば、スポーツとかで、特定のチームに関して、「〇〇が強いんじゃなくて、他が弱いだけ」とか言っている人を何度も見たことがあるのだが、これもおかしいですよね。強いっていう概念はやはり相対的なんですよ。他が弱いって言ってる時点で、その他よりも強いってことが自動的に決まるわけです。草野球をやっている一般人とプロ野球選手を比べたら、前者は劣るだろうが、小学生相手だったら普通は勝るだろう。草野球と小学生の比較というのは次元の低い比較かもしれないが、この中で草野球の大人の方が小学生よりも野球が上手いというのは間違いではない。だから、他がどれだけ弱体化していようとも、その弱体化したチームよりも順位が上のチームは強いと言えるわけだ。だから、他が弱いと認めている中で、その他じゃないチームが強くないって言えるなんて状況は基本的にありえないってこと。相対的な概念である言葉を、まるで絶対的な概念を持ちうる言葉として使う人はよくいるもんだなと、過去に見てきたが、多分今後もいなくならないんでしょう。日本の気質とも言うべきか?自分の主観が事実として正しいと思ってしまうからこそ、相対的なものの見方ができずに、こういう絶対的なものの見方をしてしまうのでしょうからね。私もそういうものの見方はできるだけしないようにしたいと思っていますが。

 

青山学院大の英語[第6版] (難関校過去問シリーズ)

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