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政治家に必要な資質や能力は揚げ足取りに屈しない、媚びを売らないリーダーシップの有無

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日本の政治家、いや世界の政治家もそうだけど、なんか頼りないな・・・と思うことが多い。結局、リーダーシップをとれる政治家がほぼいない。結局は国民に媚びへつらうことしかしない人が目立つせいか、個人的にはすごいイライラする。政治家に必要な資質というと、私は1つは論理的に物事を考えられる人で、もう1つはそれを国民の顔色を窺わず実行できる人だと思っているんだけど、この2つを満たした政治家はほとんどいない、過去にもほぼいなかったのではないか?と思う。政治家のこういう資質を満たす状況というのは、選挙がある以上は実現しないだろうとも思っているが。何で私がこんなことを考えたのか?というと、政治家のスキャンダルのニュースを見るたびに、こんな揚げ足取りみたいなことしてどうするの?と半ば呆れることが多くあるからなのです。政治家の暴言や失言で最近もまたにぎわっているみたいだが、相変わらず表面的な部分で判断する人が多いんだなーと感じずにはいられない。以前も記事で書いたけど、政治家の失言や暴言とされているものは多くは、単なるイメージでそう判断しているだけであって、ちゃんと本質的な部分を見ていない。と国民を批判していたのが西村博之氏だ。彼はある政治家が発した「東北でよかった」という言葉への国民の反発に対して、字面だけを見て批判している人は本質的な部分を考えていない、これは筋の通ったことしか言っていない。と国民の側を批判したのだ。

 

その後も同じようなことがあって、天理市の市長が東京への出張中にあるサービスを利用したことが明らかになり、それが波紋を呼んだ。それは出張期間中ではあるものの、もちろん仕事中に利用したわけではなく、仕事をしている時間外で利用したものだろう。ホテルにいたときみたいだから自動的にそうなると思う。しかし、この行為は実際に国民に批判されたわけだ。なぜか?一言で言えば「(彼らに言わせれば)イメージが悪いから」だろう。自腹かつ、違法行為は一切なかったという前提であるにもかかわらず、それを批判する国民がいたのだ。信頼が低下するとか、とってつけたような言い方をしていたけど、要は俺の、私の気に障る行為をするな!という言い方なんだろう。ちなみに不貞行為に当たるか?どうかに関しては、違法行為がなかったという前提ならば、絶対に当たらないとは言えないものの、判例上は当たらない可能性も十分ありそう。というか、正確に言うと不貞行為の範囲をどこまで捉えるべきなのか?は人によって違うため、市長の奥さんとかが訴えて裁判にならない限りは、結論は出なさそう。違法行為はなかったという言い方が、じゃあどこまであったの?という部分を全く明らかにさせないため、この状況では不貞行為に当たる可能性は何とも言えない。仮に不貞行為があったとして、その部分を責めるならばまだ納得できなくはないかな?という感じでしょうか。ただ、多くの批判の理由は当然不貞行為ではない。まあ、不貞行為があったから即市長を辞めろとか、そういう結論は支持できないが。

 

この一件に関しては、市長を擁護する声も多数あったが、市長は謝罪会見まで行った。こういう市長は個人的には政治家に向いていないと、私は思っている。こういう国民に媚びへつらう姿勢が丸出しの人は、私の感覚だと政治家に向いていない。単なる揚げ足取りというか、揚げ足取りにもなっていない。揚げ足取りはちょっとした失敗を責め立てるという定義みたいだが、市長のやったことは失敗ですらないですから。客観的に見て、何1つ問題点を挙げることができないのだ。にもかかわらず、何で市長は謝るの???こういう政治家がいると、どういうことが起きるか?というと、国民のレベルに合わせないといけなくなるのだ。別に国民の全員がそのレベルというわけではないが、多数派という意味ではそのレベルに合わせないといけないと感じるだろう。当然、国民が怒ることに対していちいち謝っている政治家というのは、国民のご機嫌を窺う形で、政治を行わないといけなくなる。つまり、国民の思考レベルの許容範囲を常に考えて行動しないといけない。別の言い方をすると、国民の思考レベルを超えた政策などはできない、やりづらくなるのだ。

 

したがって、有能な政治家がいたとしても、国民に媚びへつらう姿勢が続く限り、そういう政治家は必要な資質を満たしていないと、私は感じる。その有能さは発揮されづらい。宝の持ち腐れとなる。もはや有能であることの意味がないということ。昔は政治はエリート集団だけが担っていた。だから、一般市民は選挙に参加できなかった。それは政治はエリートに任せていればいいという考えがあったからであって、国民は政治家から下に見られていたのだ。そういう見方は当時も、現代でも反発の対象になるだろうけど、当時のそういう考えが、あながち間違いじゃないかもしれないと思えてきてしまうのです。今回の天理市の市長が有能か?は分からないけど、少なくともとあるサービスを利用することによって、それ以降の仕事に身が入る、集中できるとか、メリットを挙げようと思えば普通に挙げられるわけで、結局市長の行為を批判する理由ってほぼないと思うんですよ。違法性が特になく、かつそのサービスを利用することで、その後の仕事に何の支障も出ないという時点で、批判できる余地なんかほぼないと思うんですよね。出張期間中でも、期間外の違いによる影響もほぼないと思うので、結局、咎める理由がないのに、咎めている国民がいるっていうのは、私は全く理解ができないです。なんの合理性があるのか?イメージが悪くなるとか、信用が落ちるとか、言う人いるわけだけど、何で市長が利用するとイメージが悪くなるのか?さっぱりなんですけど。

 

イメージが悪くなるとか、信用が落ちると言っている時点で、そのサービスに従事している人たちを完全に侮辱しているけど、そういう他人を平気で侮辱する国民がいる方が、その自治体のイメージが悪くなると思うんですけどね。おまけに違法性もないことをした人を、悪く言っている時点でかなり偏見を持っているとも判断できると思う。そういうブーメランに気付かないで発言しているのが国民であって、そのレベルに合わせようとしているのが政治家なんですよ。これで自治体や国が良くなるのでしょうかね?国民のレベルに合わせていたら、いつまで経っても変わらないと思うのですが。だから、そういう政治家じゃなくて、きちんと国民を黙らせるマジレスができる人、国民を教育できる人が政治家をまずやるべきだと思います。政治家に必要な能力という面で、きちんと論理的に考えられる人、つまり道筋を示して、こうこうこういうことになるから、こういう結果になるということが言える人。そして、もう1つ正しい信念を貫ける人が必要だと思います。そういう人が必ずしも良い結果を生むとは思わないが、媚びを売るだけの政治家よりは大分マシだと個人的には思っている。現実的にそんな人いるのか?と言えば、ほとんどいないかもしれない。ホリエモン西村博之氏は間違いなく媚びは売らないだろうから、彼らくらいかな?

 

これも以前別の記事で書いたけど、会社の事業とかにクレームを入れる人が増えると、斬新なアイデアにあふれた事業が生まれづらくなり、他社の後追いしかできなくなる。その結果、同じような事業しかできないから、利益を出す余地が長時間労働やコストの切り詰めに向かい、日本はどんどんブラック企業が増えるという仕組みを説明したのだが、これと同じだと思う。その批判は、一体何の意味があるのか?何をどう良くすることにつながるのか?を考えて批判している人が一体どれだけいるのか?と思うのです。プロセスや結果の部分まで考えずに、衝動的に感情の赴くままに文句を言う人たちがいて、それに合わせるように非合理的な判断を下すのが今の企業や政治家になっている。この状況が続く限り、日本はどんどんブラック社会になっていくと思います。政治家に必要な資質というのは人によっていろいろな意見があるだろうが、私はすでに挙げた部分がまず必要だと思う。それ以外にも必要な資質というのはあるかもしれないが、最低限を挙げるならばまずここだと思う。イメージで判断しないで、本質的な部分をちゃんと考えられるか?どうかリーダーシップを発揮して、国民のレベルではなく、自分のレベルで政治を行える人、それが政治家に必要な能力だと、私は考えています。マスコミもこんな揚げ足取りみたいな報道いなければいいのにと思うけど、マスコミもこの報道をすれば、こういう反応が返ってくるに違いないと思ってやっているんだろうし、国民のレベルを理解してのことなんでしょうね。マスコミがやってるのもたいては政治家の揚げ足取りだけどね。そうならば、ある意味マスコミは頭が良いと思いますよ。人のプライベートをいちいち晒すのは個人的には好きではないが。

 

 

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