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反出生主義は正しい?頭おかしい?正直言って私は反論できないのが現状である

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「反出生主義」という言葉がありますね。人類の歴史や今の状況を見ると、反出生主義に共感する人は少ないだろうが、結構的を射たこと言ってるなという気がするんですよね。私は反出生主義に反論できないのです。反出生主義の意見としては、だいたい共通しているんだろうけど、親の意思で子供を産むと子供が不幸になったときの状況が理不尽すぎる、取り返しがつかないということなのでしょう。それに対して、不幸になるか?どうかは産んでみないと分からないという意見もあります。それに対して、不幸になる人間が1人でも生まれて良いのか?という反論もあります。実際、1人くらいなら殺される人間が出ても良いのか?(それによって得する人間がいる)というと、そりゃ世間は容認しないわけですよ。自分が不幸になったら、それが少数か?どうかは関係ないわけですから。ここに反出生主義に反論できない余地が生まれてしまいます。自分が不幸になることを肯定できる人間はまずいない。その数が少数だと社会は相手をしないというだけの話であって。つまり、多数にとってはそういう不幸なケースが出てしまったとしても、少数であればスルーしたっていいだろ!って気持ちかもしれないが、少数ならいい理由は存在しません。じゃあ、あなただけの全財産をみんなで分けましょう!ってなっても、同意する人間はほぼいないわけですから。これはまさに特定の人間が不幸になって、それによって多くが得をするケースですが。

 

つまり、産んでみないと分からないって理由は、簡単に論破できそうです。あなたが不幸になることを許容できないのに、子供を不幸にするかもしれない状況を許容するわけですからね。自己中な人間にありがちな思想とも言えますがね。実際、私は反出生主義に反論できないのです。むしろ正しいとすら思えてきます。ネット上を見ると、反出生主義を正しいと考えている人は思いのほかいるのかな?という感じです。反出生主義は頭おかしいと罵る声もあるのだが、たいていは感情論です。反出生主義の意見の方が論理性が感じられるという気がしてきます。例えば、「反出生主義に反論ができない。正しい考えとしか思えない件 - 山田ユウキの頭の中」のページには以下のことが書かれているのです。

 

>仮にAさんという人がいたとしましょう。

Aさんが目隠しをされて、ジェットコースターに乗せられたとします。

ジェットコースターといえば好き嫌いがハッキリ分かれるアトラクション。

遊園地に行ったら必ず乗るという人もいれば、死んでも乗りたくないという人もいる。

Aさんがジェットコースター好きだったら「楽しい思いができて良かったー」と思えますが、嫌いな人だったら「なんてことしやがる」って思いますよね。

 

ミスマッチを防ぐためには単純に「目隠しをせずにこれからジェットコースターに乗せるけどいい?」と聞けばいいわけです。

しかし、出生に関しては子供に選択権がない。

選択権がない人に対して無理矢理どちらかの選択を強制するのはどうなの?

 

ドラマなんかでは「産んでくれなんて頼んだ覚えはない!」というセリフをよく聞きますが、冷静に考えたらこれ、反論できなくないですか?

少なくとも自分が親だったとしたら反論できない。

 

反出生主義という考えが生まれる理由、反出生主義に賛成する人が生まれる理由の根本はここなんでしょうね。人をマイナスに導くかもしれないことを、本人の許可なく勝手に行う。それによって、実際に不幸になる人が出てくる。ジェットコースターのケースでは事前に許可をとることは可能だが、子供を産む場合にはそれができない。つまり、産むという選択肢は無許可で行うしかないというのが現実である。このケースでは慰謝料を払うとかで解決できるかもしれないが、出産に関しては、じゃあ子供が生まれてくることを望まなかったことが後で明らかになったときに、解決方法がありません。親に責任とれと言っても、とりようがないですし、親はどうせとらないでしょう?自分のとんでもないミスを認めることができないと思いますよ。仮に残りの人生を全て子供の言うとおりに生きろなんて言われても、絶対に許容しない。1人の人間の人生を苦痛に満たしておきながら、親は結局何もしないのよ。不幸になるか?どうかは産んでみないと分からないと言うならば、産んでみて不幸になったらちゃんと責任をとるべきなんですよ。子どもの苦痛を少しでも和らげるために親が一生かけて償うべきなんですよ。例えば親が働いてお金を稼いで、そのお金は親の娯楽には1円たりとも使えず、全て子供にいくような状況が実現するならばまだ許容する余地はある。親が残りの人生全て子供のわがままに付き合うことを許容すると言うならば、産んでみないと分からないって意見も多少は肯定できるかもしれない。

 

実際、親もわがままなので、そんなことは絶対にやらない。つまり、自分が犯したとんでもないミスの責任は絶対にとらない。したがって、そういう親がいる以上、反出生主義はより正しい状況になります。だって、まともな親ってほとんどいないでしょうから。子供が自分の意思で生まれていない以上、子供が結果的に不幸になるのは自己責任ではないんですよ。どれだけ子供が無能で、わがままで、怠け者であっても。「無能で、わがままで、怠け者の自分が苦労しないといけないと事前にわかっていたら、自分は生まれてきたくなかった」と言われてしまえば、それまでです。その意思表示は現実的にはできないわけだが、意志表示ができない中で産んでしまうからこそ、こういうことを言われてしまうのだ。親のミスですよね。実際、子供が自分の意思で生まれてくる、こないの選択ができる中で、勝手に生まれてきて、無能で、わがままで、怠け者で苦労したならばあなたが悪いでおしまい。自己責任なんですよ。

 

ただ、子供の意思が尊重されない場合には、子供にとっては運の問題がかかわってくる。もちろん、産んでくれてありがとうと思えるケースもあるはずなのだが、何で産んだんだ!というケースも間違いなく確率的に存在してしまう。前者の場合には、とりあえず問題は起きなくてよかったとなるが、後者は大問題なんですよね。例えば、飲酒運転を取り締まる理由としては、事故を越さないためなのだが、飲酒運転をしても事故が起こる可能性は100パーじゃない。でも、規制をするわけですよね。それって1件でも起きたら一応問題って考えが根底にあると思うんですよ。でも、子供の産む、産まないの話になると、産んでみないと分からないじゃない?とか、都合のいいこといってくるんだなwって印象しかないですね。産んでみないと分からないってのは、個別のケースであって、全体で言えば、不幸になる子供はほぼ確実に生まれます。飲酒運転も同じだろうけどね。「僕が飲酒運転をしたって、事故を起こすとは限らないでしょ?」と言えてしまうわけですな。でも、全体で見たら事故は起きますよね。飲酒運転と子供を産む、産まないは違うだろ!って反論がありそうですけど、どこがどう違うのか?なぜごっちゃにしてはいけないのか?に関して、論理的に反論できそうな人が浮かびませんね。彼らは違いは説明するんだけど、その違いが結論を変える違いになる理由を説明できないのよ。違いがあっても、結論が同じで良いケースもあるわけだからね。万引きと殺人は明らかに違いがあるが、犯罪という結論は同じにしても問題ないわけよ。どっちも犯罪ですよね?は正しいわけです。

 

そういう感じで、反出生主義は頭おかしいと思っている人もいるようだけど、頭おかしいしか言えないんだったら、やっぱりこれが限界なんだなって感じがします。私は反出生主義の人間ではないが、少なくとも反出生主義の意見に反論できない。正しいと認めざるを得ん。少なくとも反出生主義が間違っていると思ったことは1度もないね。人間は生まれたら絶対に確実に不幸になりますからね。幸福な状況もあるのだろうが、その両面を体感して、生まれてきてよかったと思えるのか?は人によって違う。そして、生まれてきた子供の中で、生まれてきたくなかったと思われた場合、冒頭でも書いたけど、100パー親の責任である。でも、親は責任をとれないし、とろうともしない。そこを詰められてしまうんだろうなと思うのです。あとは反出生主義を突き詰めると、人類が最終的に滅亡するわけだが、不幸を感じる人がいなくなるというのも反出生主義の根拠になっているみたい。確かに子供を産み続ければ、不幸になる人は一定割合が生まれ続け、それが未来永劫続くことになる。でも、人類が滅亡すれば、不幸は消える。今親をしている人で、子供を産めない人が苦しむという発想もあるようだが、彼らが苦しんでも、それ以降苦しむ人が消えるのだから、結果的に苦しむ人の総数は減るから問題ないという意見もあるようだ。そもそも特定の誰かを不幸にするかもしれない望みが許容されるべきなのか?って観点もあるが。泥棒とかが完全に性質としては同じであると。その分幸福になれたはずの人間も減るが、飲酒運転を規制すると、飲酒運転をしたい人間の総数も減ってしまうので同じですよね。

 

私は一応中立のつもりでいたのだが、いろいろな意見を聞いても、反出生主義の人の方が納得感が生まれやすいのです。逆に反出生主義を批判する人、頭おかしいとする意見はぐっとくるものがない。要するに、彼らは頭おかしいしか言えない。なぜ反出生主義は頭おかしいのか?理由を説明する能力、つまり論理的思考能力が欠如しているように見える。そら子供を自由に産んでも良いというのが世間の常識だから、その常識こそが正しいと思って疑わない人間が多くいて、いきなりその常識がおかしいと言われても、今更価値観を変えられないから、とりあえず罵詈雑言を言っているという人が多い感じがするのだ。私は反論ができないので、反出生主義を正しいと認めざるを得ないというのが現状です。私は反出生主義の人間が増えることで、困ることは想像できないので、この話題ははっきり言って無関心です。反出生主義に賛成の人はあまりいないようなので、仮に反出生主義の人たちが完全に論破した状態があっても、子供を産み育てる人はいなくならないでしょう。ある意味議論するだけ無駄なのかもしれないが、自分が子供を不幸にするかもしれないと事前に予測し、子供を産み育てる人は減る可能性はある。反出生主義の意見が増えれば増えるだけ社会は変わる可能性がある。それが良い方向か?悪い方向か?というのは、人によって感じ方が違うだろう。反出生主義に賛成の人がどれだけ多くいても、不幸な人が生まれる社会構造は変わらないというのは、多分正しいんだと思います。

 

人類滅亡小説

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