就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

アフリカ等の貧しい国より日本に生まれる方が不幸になる確率は各段に上がる

【スポンサードリンク】

日本に生まれたらめちゃくちゃ不幸だと、私は思っています。アフリカとかにはさ、現代でも戦時中と同じような暮らし、それ以下の暮らしを強いられている人がいると思うのです。でも、そっちの方が不幸とは私は思えない。そして、たまたまネットサーフィンをしていたら、気になるツイートを見つけたので取り上げたい。

 

申し訳ないけど、この人は本当に短絡的な考え方しかできないんだなと思う。ある人が幸せか?不幸か?ってことが、何をもって決まるのか?を全く理解していない。日本を基準にして、貧しい国を語ることほど馬鹿な行為はないですよ。かつてあの林修氏も同じことやってたけどね。このブログでも取り上げましたが。日本で暮らしている人の生活水準を基準にするから、超貧しい国が不幸に見えるってだけなのよ。日本での暮らしを知らない人が、いきなり超絶貧乏な国に生まれた状況を想像できないの?って思うがね。逆に言えば、日本に生まれた人は、超貧乏な国で生まれて、そこでずっと生活をするという状況を想像できないから、日本の方が幸せなんて思っちゃうのよ。超貧乏な国で生まれてそこで生活をしていくという想像力が欠如している。例えば、ツイートで言われているような、身体を売らないと生きていけないってのは、それが当たり前ではない日本人から見たら酷い状況に見えるってだけなの。それが当たり前か?どうかは分からないが、割と頻繁に行われているような国の場合、日本人が感じる苦痛よりも間違いなく小さいです。それにそもそも労働って超苦痛じゃないですか?でも、日本人って大人になるとみんなやるじゃないですか?死ぬかもしれないのに。これって働くことが当然の社会だからですよね?みんなやってるからですよね?労働なんて私からすれば正気の沙汰には思えないけど、みんなやってるからそれが当たり前という風潮になってしまっている。

 

何で働かないといけないの?と、私は子供の頃からずっと思っていたし、働かないといけない社会はマジでゴミだと思っている。働かないと社会が成立しないという理由を説明するだけで、働かないといけない理由をまともに説明している人を見たことがない。当然、憲法に書いてあるからは理由にならない。憲法は国民に義務は課さないから。でも、みんな奴隷のように世間の風潮に従っているわけですよ。私から見れば、身体を売ることよりも悲惨な状況に見えますけどね。それに肉体労働だって、身体を売っているに近いと思うけど。どっちも苦痛でしょ。私は基本的に労働はできる限りしないように努めているが。そして、本題に入るけど、人が不幸を感じる場面っていうのは、多くの場合、周りと比べて自分が劣っていると感じているときなんですよ。日本みたいな格差社会は、この原因がかなり生まれやすい。逆に国民の多くが貧しいような国は、自分も貧しいけど、みんな貧しいから、周りと比べて自分が劣っているという実感が生まれづらい。つまり、劣等感を感じる瞬間が、日本より間違いなく少ない。実際、日本の自殺率って、こういう貧しい国よりも普通に高いらしいですね。この状況で、日本に生まれるのが幸せ???

 

日本を基準にすれば、確かにアフリカなどの一部の国に生まれたら悲惨だよねとか、思う人はいるかもしれないが、それは日本に生まれて、そこで生きてきたという経験をすでにしてしまったからだ。明らかに利便性が高い、経済的に豊かである国での生活を経験したケースにおいて、日本と超貧しい国での生活を比較することは何の意味があるんですか?比較をするならば、最初から超貧しい国に生まれた状況で比較をしないといけないが、それは日本人にはできない。日本にすでに住んでしまっているから。日本の利便性を知らないような人が超貧しい国で生まれたら、いま私たちが抱いているような気持ちにはなりません。日本人は日本の当たり前を知ってしまっているから。超貧しい国にはその国の当たり前でがあり、そこでの比較が中心になるのだから、日本のような利便性の部分は発想としては乏しいだろう。年収300万円の人が比較をするのはせいぜい1000万円くらいまでの人であって、年収何億とかの人と比較なんかほとんどしないでしょ。人は身近な人と比べるのであって、雲の上の存在のような人とは比べないのよ。で、社会の底辺と思われるような人を基準にした場合、生活水準が自分よりも上の人の数というのは、日本と超貧しい国のうち、どっちが多いですか?と言えば、日本になるわけだよ。格差社会だから。超貧しい国ってのは言ってしまえば、日本人から見ればみんな底辺みたいな状態だから。自分よりも良い暮らしをしている人間はごく少数に限られる。でも、日本の場合、底辺の人からすれば自分よりも良い暮らしをしている人は大量にいる。貧乏な国の方が、他人との比較が劣等感につながらず、不幸な気持ちを抱えづらいのよ。

 

そもそも貧乏ってなんで不幸だと思うの?って疑問があります。貧乏は不幸である。金持ちと比べてって考える人が多いと思うけど、何でか?って理由は説明できます?欲しいものをたくさん買えるから?それは貧乏人との差ではないよね。買えるもの自体が変わるだけで、貧乏人も好きなものは買えますよ。貧乏人は欲しいものをガマンしないといけないときがあるかもしれないが、金持ちが我慢しない瞬間はないの?例えば、高級ブランドの財布が欲しいけど買えない貧乏人がいる一方で、豪華客船が買えない金持ちもいるわけ。どっちが不幸ですか?と言えば、一緒でしょ。自分の所得水準に応じて、欲しいものって変わるわけですよ。年収300万円の人が豪華客船を買おうなんて発想になると思います?ありえないですよね。豪華客船じゃなくてもいいよ。もっと値段を下げて豪邸とかでも良い。普通のリーマンやっている人はたいていそんなものを欲しがりません。欲しいという発想になりません。せいぜい買えるなら越したことはないかもしれない程度でしょう。最初から無理ってあきらめてるから、それを買えないことに不幸を感じません。自分がファンである芸能人と結婚できないことにものすごい不幸を感じる人って、ほとんどいないでしょ?それと同じです。だから、それぞれの所得水準に応じて、自分の頭の中で欲しいものは変化し、当然我慢をしないといけないもの、お金を貯めないと買えないものが生まれるわけです。その構造は全く一緒なの。だから、この場合、どっちが不幸か?と言えば、基本的に一緒です。金持ちが幸せで、貧乏人が不幸っていうのは、社会のステレオタイプに従うだけで、何も考えられない人が勝手に思ってしまうことです。

 

実際は貧乏だと劣等感を感じやすいから、自分を不幸だと思う人が多くいるという現実があるだけ。でも、それは本質を見ていないだけだと思う。貧乏を不幸だと思う人って、貧乏であることのデメリットと金持ちであることのメリットしか見てないんじゃ?って思うのです。貧乏のメリットとか、金持ちのデメリットも考えたら?って思いますけど。金持ちって、努力家で向上心があるから金持ちになれたと思うんだけど、私は以前「「向上心のないやつはばかだ」は人を、社会をマイナスに導く思想 - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事で書いたように、向上心は悪だと思っているのです。つまり、向上心がある時点で不幸だと思っています。西村博之氏が過去に同じような話をしていて、上を見ることは不幸につながりやすいという話題を出したときに、「オリンピックの銀メダリストって、悔しくて泣いてるのよwww世界2位なのにwww」って、笑いながら以前話してたことがあるけど、この言葉って上を見ることがいかに不幸か?ってのがよく分かるよね。悔しくて泣くってのは、成績に不満があるからだよね。不満を感じている状態は精神的には不幸なわけで、向上心がある人は永遠に上を見続けるのだろうから、一生不満を持って上を目指さないといけないってことよ。これ一生不幸な状況なわけでしょう。金持ちが貧乏人よりも幸せだと断定している人って、うわべだけ、外見しか見られない人なんだなって思いますね。

 

例えば、日本陸上の短距離界をけん引してきた末續慎吾氏は、現役時代には大会で1位を獲ることが何度もあったみたいだが、それが当たり前になると、日本記録を出さないといけないプレッシャーにずっと悩まされていたらしいね。1位を獲っても、記録がイマイチだと会場からため息ばっかり聴こえて、それでかなり病んだということをテレビで言っていた。向上心っていうのは、周りも他人に害悪を与えるものということ。記録を出そうと奔走したのは、自分自身にも向上心があったからだろうが。ただ、自分が向上心を持つと、自分が不幸になるが、他人に向上心を強要すると、単純に迷惑行為になりますよね。向上心がいかに悪か?が分かるでしょう。トップレベルの選手ですらこれなのよ。つまり、金持ちだろうが、トップレベルのアスリートだろうが、向上心を持っている人間は不幸になりやすい体質ってわけ。

 

私は学生時代、そこそこ足が速い方だったけど、それは学校の中での話であり、末續氏と比べたら大人と子供以上のレベルの差があったに違いないと思う。でも、私は体育祭のリレーで活躍したりして楽しかった記憶しかない。しかし、私は陸上をその後も続けるということはしなかった(野球が1番好きなスポーツだったから)し、高校以降は何の部活にすら入っていない。つまり、足をさらに速くしたいとか、もっと活躍したいという向上心を私は持っていなかった。でも、彼はオリンピックや世界陸上に出られるほどの努力をし、実際に活躍をしたのに、最終的に病んでしまった。明らかに向上心が彼の方が強かったし、結果的により高いレベルまでいくことができたが、彼の方がどう見ても不幸になってしまってるのよ。一方で私はいい思い出だけが残った。

 

さらに私は通っていたスイミングスクールの大会で1位を獲り、金メダルを子供の頃に貰って満足したことがあるが、オリンピックの水泳で銀メダルを獲った人はめちゃくちゃ悔しいはずですよね。そういう人はスイミングスクールとかのレベルだったら、ダントツで1位をとれるはずなのよ。そこでやめておけば良かったのに、オリンピックを目指すという向上心を持ってしまったがゆえに、悔しくて泣いてしまうという、不満たらたらの状況を生んでしまうわけだよね。こんな例はいくらでも見出せると思う。向上心が相対的に少ないだろう(偏見かもしれないが)と思われる貧乏人はその点においてメリットはちゃんとある。つまり、不満を感じづらい体質なのだから、メリットをあるという理解すれば、貧乏であることを不幸と思う必要はないってこと。実際、私はこの真理に気付いて以降、向上心をガチで捨てた。そのおかげで、不満やストレスを感じづらい体質になれたと言えるだろう。お金を稼ぐことにも今ではほぼ興味がない。

 

人が幸せ、不幸を感じるのは主観だけれども、その主観は相対的な比較で決まる傾向にある。冒頭のツイートをした人は、恐らく相対的な見方ができない人なんだと思われる。絶対的な見方しかできないのだろう。「100点満点のテストでの80点は高いか?低いか?」という質問をして、「高い」または「低い」と答える人がいたら、その人はまさに絶対的なものの見方が完全に癖としてついてしまっている人だと言えるだろう。この場合の正解は「比較対象による」だ。70点と比べたら高いけど、90点と比べたら低いわけ。相対的なモノの見方ができる人はこう答えるはずだ。そして、相対的なモノの見方ができない人が、経済的に豊かで格差が激しい日本のような国の方が、アフリカのような格差が小さい貧乏な国よりも生まれて幸せであると答えてしまうのだろう。

 

続・ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ―16歳から始める思考者になるための社会学―

続・ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ―16歳から始める思考者になるための社会学―

 
ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ

ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ

 

 

あわせて読みたい記事