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「数学できない人は頭悪い」←この考えを持つ人が頭が悪いのだと思う

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「数学ができない人は頭が悪い」という記述を、ネットで見ることは多い。そういう風に考えている人は多分結構いるんだと思う。しかし、彼らに「頭が悪いって、どういう状態?」、「頭が悪い、悪くないの基準はどうやって決まるの?」と聞いたら、まともな返答は期待できないだろう。数学への信仰心というか、執着心が厚い人ほど、私は頭が悪いんじゃないか?と、最近感じ始めているのです。かといって数学ができない人が頭いいとも思えないけど。そういう部分は前から感じ始めていたのだが、最近それを確信に導く出来事がいくつかあったのです。1つは有名国立大学卒を名乗る人と話をする機会があったのだが、その人は有名国立大学を受験しているので、数学をちゃんと勉強したのだろうし、かなり高いレベルの大学に受かるほどなのだからしっかりとものにしたんだと思うのだ。で、その人は数学ができない文系の人を否定する発言をしていたので、その人にコメントをしてみたのだ。その人は数学ができない人を否定する際に「文系の受験生は数学から逃げている」という表現を使ったのだけど、この表現を聞いた瞬間、私は「多分、この人すげー頭悪そうだなw」と直感的に思ったのです。ちなみに私の頭が悪いという基準は、論理的思考ができているか?どうかという点です。

 

私はなぜこの人が「数学」だけを持ち出したのか?が気になったのだ。文系の受験生は数学が苦手な人が多いだろうから、数学から逃げているというのは、私自身は否定しない。しかし、「逃げているのはあなたも同じですよね?(笑)」と返したのだ。相手はそれを聞いて戸惑っていたようだが、「文系の受験生は社会科とかの方が得意だから、相対的に苦手な数学から逃げているだけです。例えば東大や京大の受験生だって、選択できる科目が一部あるのだから、その選択科目は当然得意な科目を選びますよね?じゃあ、相対的に苦手な科目から逃げたのはあなたも同じですよね?」と返したのですが、残念ながら相手は論破されてしまったようだ。学歴と論理的思考力が比例しない良いサンプルだったと思う。数学に異常なこだわりを見せている人が一部いるようだけど、たいていはこんな感じ。文系の人を否定するために「数学から逃げている」という表現を使う人は非常に多いと感じるけど、そういうことを言っている人にはこのように返せばいいということです。彼らは頭が悪いからすぐに論破できると思いますよ。そもそも「数学から逃げることの何がいけないんですか?」と返すことも可能だが。数学ができることを自負している人に頭がいいと思える人を私は見たことがない。頭がいい人がいないとは言わないけど、私はほとんど見たことがないということです。あと、もう1つ面白い事例があったのです。

 

大手企業の入社試験で出た問題で「ある国では男の子だけを欲しがっており、女の子が生まれた場合には男のが生まれるまで子供を産み続ける。そして、男女が生まれる確率は50%ずつであるとする。このときこの国の男の子と女の子の比率はいくつになるか?」という問題に関して、模範解答は1:1らしいのだが、これに納得いっていない人がいて、その人がネット上で質問をしていたのだ。その納得いっていない人の言い分は、男女が生まれる確率がそれぞれ50%ならば、1人目に男の子が生まれた場合はそこで終了し、1人目が女の子の場合には2人目は絶対に男の子になるはず。だから、答えは1:1にはなるはずがない。というものなのです。当然ながら、「1人目が女の子なら2人目が男になるはずだ」という部分には、いろいろなツッコミが来ていたのですが、そのツッコミの内容が正直言って、頭悪いなと思うツッコミばかりだったのです。「確率が2分の1だからといって、1人目が女の子ならば、2人目が男の子だとは限らないだろ」という内容がほとんどでした。これは「現実的な話」のうえで、妥当な意見だと思うんだけど、これが一応解答が存在するという前提の上で言えば、明らかに間違った指摘なんですよね。

 

確率が2分の1だからといって、2人の子供が生まれた場合に、男の次は女、女の次は男といった、そんな都合よく男女で常に分かれるわけがない!という意見は、現実の話をすればその通りなのだが、それじゃ答えが出ませんよね???答えがない、答えは無数にあるという意見ならばわかるのだが、彼らはいずれも1:1という模範解答を支持しているのです。ってことは、答えが1つに決まると言っているのだが、明らかに矛盾です。1人目が女の子の場合、2人目が男の子とは限らないということを言ってしまうと、極端な話で言えば10人、20人、それ以上産み続けた場合に全員女の子しか生まれないという可能性も存在します。つまり、男の子が生まれるタイミングが2人目なのか?3人目なのか?4人目なのか?はたまた10人目なのか?100人目なのか?決まらないってことです。男の子がどのタイミングで生まれるか?決まらないと、男女比の正解を出せません。つまり、この入社試験の問題が1つの解答があることを支持しているのに、現実的な話をするような人はものすごく頭が悪いってことになります。この問題で正解を出すには、確率2分の1を機械的に捉えないといけないということです。

 

そういう意味では、1人目が女の子の場合には2人目は男の子が絶対に生まれるはずだという考えは、答えを1つに決めるためには必要な前提条件とも言えるわけです。この入社試験を出した会社がどういうプロセスで正解に導くのを正しいとしているのか?が分からないものの、数学的に解くと恐らく1:1が答えになるんだと思う。私は数学が苦手なので、その辺の話は正直言ってよく分からないものの、現実的な話を持ち出してしまうと、当然現実的な話と数学における理論上の話は別なので、答えは食い違ってしまう可能性もあります。数学的な解答で言えば、例えば2人の子供が生まれた場合には男男、女女、男女、女男の4パターンしかなく、この4パターンを全体から見ると、男女は1:1になるというのが解答に至るための根拠らしい。この入社試験で出た問題においては、男の子が生まれたら2人目は生まれないので、正確に言えば、男、女女、男、女男のパターンが考えられ、総数で言えば男女共に3人なので、1:1というのが、数学的な模範解答なんだろうね。

 

ただ、数学ができる人は数学のルールに則って考えるが、数学ができない人からすると、そもそも数学的にそのように考えることが正しいとなぜ言えるのか?って疑問があるんじゃないか?別の言い方をすると、数学的に解かない別の方法で出した答えがなぜ間違いなのか?という部分です。こういう疑問は現代文という科目でもよく噴出するらしい。ただ、これは数学を使っては説明のしようがないのです。なぜこのルールで解かなければならないのか?それ以外の解き方が間違っていると言える理由は?という疑問は、はっきり言って多くの人はいちいち考えないでしょうからね。数学ができる人ほど恐らくそうなんじゃないか?と思うのです。確率の問題だけに限らないけど、なんで三角形の面積は底辺×高さ÷2で求められるの?という疑問を仮に教師らにぶつけた場合、「そのように決まっているから」以外に真っ当な説明がくるとは、あまり想像ができないんですよね。

 

説明できる人もいると思うけど、それってそのように考えることが正しいという説明であって、他の考え方が間違っているという説明にはならない場合もある。つまり、「こういう問題は数学的に既に決まっているルールに沿って解くのが正解である」という常識は存在するが、その常識がなぜ正しいと言えるのか?を説明している人は見たことがないし、説明できる人は多分ほぼいないと思う。なぜならば、数学は現実に存在する事象を数式で導くものであるが、現実の事象を対象にしてはいるものの、現実的な考え方ではなく、それは理論的な考え方だから。現実的な事象に関して、現実的な考え方ではなく、機械的に論理的に考えることが、正解を導くためのプロセスとして正しい(この問題を数学的に解くことが正しい)となぜ言えるのか?の説明がないといけないってことだが、その正当性はないですよ。経済学と行動経済学の違いと同じようなもんだと思う。人々が合理的に動くはずだと考えるのが経済学全般なのだが、行動経済学は人々の感情を考慮し、非合理的な意思決定などを含めて考えるのです。つまり、行動経済学は現実的な話を含めて考えるわけだ。

 

つまり、さっき出たような女の子と男の子が生まれる確率が2分の1だとしても、都合よく1:1ずつには分かれないという現実的な話を、無理やり論理的に、機械的に導こうとするのが数学なのです。だから、どっちが正しいか?っていうと、数学の世界の中での話をすれば、数学的に決まっているルールに沿って解くのが正解なのだが、じゃあ現実的な話で解いてはいけないのか?というと、この問題文を読む限りでは間違いとは言えない。だって、「答えはありません」とか、「国によって男女比は変わる」みたいな解答が正解である可能性もありますからね。答えが1つに決まるという前提ならば、現実的な話をするのは間違っているというだけなのですから。だから、国語的な要素を持ってくると、この問題において、数学が得意な人がやっている数学で解くという考え方自体が間違っている(模範解答とされている解き方以外の解き方が正解である)可能性が残るのです。

 

実際、入社試験で行われるこういう問題って、答えが1つにならない問題が割とあるらしく、なぜそういう解答になったのか?という理由がしっかりとしていれば正解とする。というケースが結構あるという話も聞いたことがあります。そもそも1つの正解が存在しないと思われる面接試験を就活では多くの会社が重視しているのだから、そういう考え方は割と自然だと思うけど。つまり、1つの模範解答を出そうとしている時点で、実は数学に長けている人は論理的思考力に問題があるのではないか?とも思えてきます。数学的に解くという出発点が正しいという保証がなくなるのです。数学的に解いている人は、数学的に解くのが正解であるということを疑っていないと思うのだが、数学的に解かないで、現実的に考えて「答えは時と場合によって異なる」と解答する人が間違っていると言える根拠は、この問題文から、または入社試験という性質を加味すると、存在しないのではないか?ということです。私に言わせれば、数学的な論法で答えを出してどや顔をしている人は、何とも言えない感じに映ります。実際、1:1を正解だと思っていない人というのは、少数派だがそこそこいるみたいね。その多くは機械的ではなく、現実的に考えている人たちですが。

 

でも、現実的な話を持ち出す人間が間違いとは言えない。むしろ、これは学校の試験ではなく、入社試験であることを鑑みると、彼らの考え方が正しいと言える余地も大いにあるだろうと。出された問題を数学的に解く力は彼らにはあるのだろうが、数学的に解くことがこの場合正解なのか?入社試験であるという事情を鑑みるような、広い視野を持つ力に関しては、乏しいのだろうというのが、私の判断です。この問題はYoutubeで検索をすると、東大生とかも解いていて、彼らも1:1と答えを出しているが、恐らく答えが1つに本当に決まる問題なの?という想定はないでしょうね。つまり、頭が良いんだか、悪いんだか、分からないのですよ。数学的に解くということに関しては彼らは非常に優れているのだが、この問題は数学的に解く方法のみが採用されるのか?という前提条件が揃っていないので、そこへの配慮が足りない彼らの頭脳は・・・なんとも評価が難しいですな。数学ができることと頭がいいか?どうかははっきり言って比例しないと思います。数学ができないことでバカであるとも言えないということです。バカな人は数学ができる、できないかかわらず、状況を正しく認識して、そこから論理的に考えられない人なのですから。だから、「数学ができない人は頭悪い」と、考えてしまうような人は、そういう理由で頭が悪いんだと思いますよ。

 

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