就職しないで、ブロガーになった人のBlog

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心の底から平和を願っている人間って、世の中に1人もいないと思うんだよ

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一応、平和を望んでいる人間というのは、世界の中で言えば多数派だと思われる。ただ、それって平和を望んでいるというのが本音ではないような気がする。正確に言えば、今のところは彼らは平和を望んでいるが、状況が変われば彼らは平和を望まなくなるだろうと私は確信しているからだ。結論を先に言うと、世界中で平和を望んでいる人の多くは、平和な社会を実現すること自体が目的ではないと思う。それは平和な社会を手段として使い、自己にとって都合のいい社会を作るのが目的だと思います。逆に言えば、都合が悪いときには平和な状況とは真逆の行動を多くがするだろうし、実際にしていると思います。私の考えでは、平和を望む人間の心の底にあるのは「自己にとって都合のいい社会の実現」であり、それを「平和な社会」と言い換えているだけなんだと思う。「自分たちにとって有利な社会こそが理想」なんてストレートに言うと、単なる自己中に映る(別に自己中が悪いとは私は思わないが、一般的には悪いイメージがあるため)からだろう。

 

現実に起きたこととして、日本の話題になるけど、日本が中国と戦争をしていたとき、日本人の多くは満州を侵略することを肯定していたと言われている。満州には希望があるとか、満州を侵略することで、貧しい生活から抜け出せるという思いがあったんだろうね。ただ、もちろん現代的な価値観から言えば、当時の日本がやっていたことは強盗とも言える行為である。その強盗を日本人の多くが肯定していた、容認していたとされているのだ。多くといっても割合はもちろん分からないけど。ただ、貧しさからの脱却というメリットがあるからそういう強盗を容認していたわけで、当然ながら他国に強盗に押し入るというのは平和を乱す行為だろう。そんな行為でも、自分たちに都合がいいからこそ賛成していたわけです。現代の日本人も、それ以外の国の人たちも状況によっては、多数が平和を乱す側に回ると思いますよ。彼らは混沌と平和、どっちが自己にとって有利か?という損得で判断をしているのであって、別に絶対的に平和な社会を望んでいるとは思えない。彼らにとって平和な社会は目的ではなく、手段なのだから。

 

それに平和な社会を望んでいる人たちが、平和を乱す行為を一切していないとは思えないのよね。平和を乱す行為というのは、たいていの場合、犯罪とかが挙げられる。しかし、犯罪って概念は社会の多数派や国にとって都合のいい線引きによって決まっているので、その行為の中身が犯罪と同様に悪質だと思われても、犯罪にならないケースは多々ある。例えばタバコというのは世界中で容認されている存在だが、タバコが世界から消えれば火災も大分消えるだろうねと思うわけですよ。火災の発生は当然ながら平和な状態ではないだろうし、でもタバコを吸う人は多くいて、国もそれを容認する場合が多い。つまり、タバコが火災の発生の増加に貢献しているならば、タバコを吸う人たちとそれを容認する人たちは、まさに平和を乱す要素をこの世に生んでいる。他にも例はあるけど、結局タバコは明らかに平和を乱す存在となっているが、タバコを吸うという行為は平和を乱しているとは一般的には見なされないと思う。となると、平和という概念なんて、ほとんど意味がないですよね。特定の層にとって有利な概念として存在しているので、多分私が考えている平和と世界で願われている平和は違うのだろうな(笑)と思っています。

 

私は真の意味での平和という概念を、「平和」という言葉から連想するが、世界の人たちは何度も言っているように、「自己に都合のいい社会」という意味で「平和」という言葉をとらえているのだろうと思う。前にもこのブログで書いたけど、「自立」って言葉も、都合のいいように解釈されやすい。辞書で自立の意味を調べると、自立をしている人間というのは1人たりともいないのだが、ニートは親に頼っているから自立していないが、自分でお金を稼いで生きている人は自立しているみたいな雰囲気が実際あるわけです。会社で働かせてもらえないとお金を稼げない=生きられない時点で、辞書で引くときの自立の意味には該当していないのだが、そういう人間はニートや実家暮らしの人間らにマウントをとるために自立していると言い張る。世間は「自立」という言葉を都合のいいように使っている。「平和」って言葉も多分同じだと思う。文字通りの意味ではなく、自分たちにとって有利な解釈をしているのだろう。彼らが願っているのは、真の意味で言うところの平和ではなく、自己に都合のいい社会って結論になりますわな。

 

だから、私は「平和」という考えに何の興味もないですね。平和が訪れることは人類が存在する限りはありえないとも思っているし、平和はむしろ異常だと思っているので、争いが少なからずある状態がやはり自然だと思う。それに争いから平和が実現するということもなくはないよね。と思うのだ。さっきの例で言えば、日本が中国に強盗をすることによって、国内の不満が鎮まれば、日本国内はより平和な状態になった可能性はあります。それは現代でも同じでしょう。例は何でもいいけど、子供が親に金をせびって、親が渡さない、それに切れて子供が親を殺すなんて事件はあると思うのだが、この場合、親は子供にお金を渡した方がまだ平和だったわけです。金をせびるというのが平和を乱す行為か?は微妙かもしれないけど、この場合平和を乱すということにしておこう。それを容認した方が結果的に平和に近づくかもしれない。この先何度も金をせびられるかもしれないが、殺人事件が起きるよりはマシと言えると思うのだ。で、この場合は金をせびるという行為が平和を乱す行為だと認定する、つまり世間が悪だと考えるならば、平和に近づくのは100パー無理だってことだと思います。

 

東京喰種の考察をして、この世に正義と悪が共存する状況はありえないと悟った - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事でも書いたけど、私は平和を実現する方法があるならば、平和を望む側が既得権益を手放す、譲歩するしかないと思っている。金を子供に渡すというのも、既得権益の放棄に違いない。でも、これは基本的にみんなやりたがらないわけです。平和を乱す側に譲歩して、「あなたたちが望むことはなんですか?」とたずねて、法制度などを改良し、それを少しでも実現してあげる。誘拐犯に身代金を渡すような状況に近いかもしれないけど、それしかないと思います。平和を願うならば、それこそテロに屈することを良しとした方が合理的なわけです。テロに屈することを絶対的な悪だと思っているバカな首相がいる限りは絶対に無理だろうけどね。現実は平和を望む側がそれをほとんどやらないので、平和を乱さすことしか選択肢がない、他に自分たちが得をする選択肢がないと思っている人たちが数多く発生することになる。だから、平和はやってきません。

 

ただ、すでに話したように、世の中が考えている平和というのは、真の平和の概念では恐らくないので、私にとってそれが得か?どうかは分からない。だから、私は平和な社会に問答無用で賛成することができない。世間の考える都合のいい社会という意味での平和な社会でも、そっちの方が今のところ、私にとってはまだ得なのかな?とは思わないでもないが。でも、今後日本の社会状況がどんどん悪化すると、平和とは真逆の行動をとる人は絶対に増えるはずだ。そのときになれば、多くが願っているのは平和な社会というよりは、自己にとって都合のいい社会であることが白日の下にさらされるのではないか?と思います。心の底から、本当に平和な社会の実現を願っていると言える人は、私の頭では1人も想像ができない。実際はいるかもしれないけど、誤差の範囲内くらいの人数かな?と思っています。

 

「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム

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