「常識」という言葉を何か勘違いしている人たちがいる。私は「常識」という言葉がとても嫌いだが、この常識という言葉を使っている人のうち、よく分からない解釈をしている人がいるのです。それは「常識で考えれば分かる」といったことを言う人たちで、彼らは、常識で考えればおかしなことに気付くだろうということを言うのだが、明らかのこの人の指示ミスだろうとしか思えない。具体的な例を挙げた方が良いだろう。私が見た例で1番顕著だったのは、就職活動中にリクルーターと会う機会を設けてもらった、ある就活生が今度社外でそのリクルーターと会うことになり、私服で来てください。と言われたらしい。この時点で嫌な予感しかしないかもしれないが、その就活生はなんとジャージでそのリクルーターに会いに来た!ということが、あるメディアで取り上げられていて、それに対する多くの反応は「常識で考えれば、ジャージが相応しくないことは分かるだろう」というものでした。そうじゃない反応、就活生を擁護するコメント、指示を出したリクルーターを責める声もあったものの、私服といえども、ジャージはマズイと判断すべきだという就活生の落ち度を指摘する声も多かったのです。
常識で考えたら、ジャージがこういう場の服装として相応しくないというのは、私でもなんとなく分かる。分かるというか、別にジャージが相応しくないとは思っていないが、ジャージを着て行ったらこういう反応されるんだろうくらいの予測は立つ。でも、変な話ですよね。ジャージがいけない理由が常識で考えたら分かるって。そもそも、この就活生がジャージを着てきたのは何が原因か?そりゃ、このリクルーターが私服を指定してきたからです。でも、ジャージというチョイスはないだろう!という声もあるのだが、そういうことを言う人の多くは、このリクルーターもそうだと思うが、常識に照らせばまさかジャージなんか着てこないだろうという勝手な予測のもとに行われた批判だと思う。ここで凄い根本的な話をしたいのだが、常識とは何か?といったときに、非常識という言葉があるのだから分かると思うけど、常識っていう概念は世の中の多数派に位置する人が持っている共通認識に分類されるはず。つまり、「多数派」であって、「全員」じゃないという話になる。100人中97人くらいは、こういう場でジャージが相応しくないという判断をするかもしれないが、3人くらいはジャージだって構わないでしょうという非常識な判断をする。これが常識というものになるでしょう。
つまりだ、確率は物凄い低いかもしれないが、個人の常識に任せた結果、非常識な格好をするかもしれないくらいの予測は立てるべきだろう。このリクルーターも怒っていたみたいだけど、どう考えてもこの人の指示の出し方が悪いだろう。常識に頼った指示の出し方をした結果、訪れる可能性が普通にある事態がただ訪れたに過ぎないわけ。だって、非常識な人間が悪いか?どうかは別として、非常識って言葉があるということは、そりゃ非常識な人間がいるからですよね。つまり、このリクルーターはそういう人間を考慮していない。いるわけないとたかをくくっているか、いてはおかしいという判断なのかもしれないが、はっきり言って現実社会に全く適合していない解釈としか思えない。いろいろな考えを持った人間がいて、それは個人の努力とかで操作できるものでもないわけだから、そりゃジャージ着てくる人間もいるでしょう。仮に100人に同じことを言って、97人がオフィスカジュアル的な格好をしてきたが、3人はジャージを着てきた。この状況でこのリクルーターはこの3人に怒るのだろうか?
私服で来て。なんて、無茶苦茶曖昧な指示を出しておきながら、全員が自分の脳内で思い描いている格好をしてきてくれる。そんな考えの人間の方が、どう考えても落ち度があるといわざるを得ないだろう。どんな人間を想定しているのか?自分のクローンを相手にしているわけでもないのに。100人中97人が、このリクルーターが脳内で思い描いた格好をしてきて、3人がジャージで来たならば、それは想定内の範囲でしかない。世の中の多数派がちゃんとした格好をしてきて、少数派がそうじゃない格好をしてきた。常識と非常識をめぐる問題の中で、起きるべくして起きた結果だということになる。つまり、個人の常識に頼って曖昧な指示を100人に出したら、3人くらいは非常識な格好をしてきて当然なのです。逆に3人程度で済んだならば、どう考えてもリクルーターはその状況を受け入れるべきだ。指示の出し方から言って、普通に考えたら起きることが容易に想像できる結果なのだから。常識は多数派が持っている共通の認識に過ぎないのですから、3人くらいは非常識な格好をする人間がいて当然なのです。それがおかしいというならば、そもそも最初からそういう事態が起きることが十分想定できるような指示の出し方をしたリクルーターが悪いと、自分の非を認めることになるでしょう。
常識を世の中の全員が持っているものだと勘違いしている人間がいるのは事実で、それってどう考えてもおかしなことだろうと気付くと思います。だって、全員が持ち合わせている認識ならば、それって「常識」ではないしょう。そもそも常識なんて言葉はいらないんですよ。対になる非常識な人間がいるからこそ、常識人がいるわけで、そう考えれば、常識を全員が持っているわけないと容易に想像つくと思うし、そりゃ中には相応しくない格好をしてくる人もいるでしょう。と想像がつくと思うのだが。だいたい、ジャージがダメなのに、客観的にジャージを含むような服装のカテゴリーをあえて指示しないといけない理由は何なんでしょうか?そうしないといけない理由が何かあるのか?入社してからも、そういう風にあえて曖昧な指示を出さないといけないときがあるのか?そもそもの出発点が謎なだけに、本当に謎が深まる話なのです。常識で考えれば分かるとか言うならば、そんな曖昧な指示を出した時点で、常識に違う人間がいることを想定すべきだし、一定割合でそういう人間にぶち当たってしまうことだって、常識で考えれば分かると思うのだが。そっくりそのまま返したいですよ。
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