天然パーマに悩んでいる人は多いという。天然パーマというのは本人の意思とは関係ない要素によって生まれたというのは事実だろう。しかし、学校の校則などではパーマが禁止されていることから、そういった髪型は禁止の対象になり、改善を要求されるという。「天然パーマに悩む人への人権侵害? 「髪型にまつわる校則」怒りと不満〈読者の声〉 | ORICON NEWS」では最近話題になったこの出来事について書かれているが、天然パーマはしょうがないだろう!という生徒側の言い分とそれを禁止しようとする学校側の考えはどっちも説得力を含んでいるものに感じないため、どっちもどっちって感じがするのだが、個人的には髪型を強制する校則の存在は不必要だと思っているし、必要性を感じない。そこを生徒側も突けば良いと思うのだが、生徒側は「人権侵害」とか、かなり曖昧な根拠を持ち出してしまっているから、う~ん・・・という感じが否めない。
いま現在ではなく、過去の出来事であっても、学校から受けた理不尽な仕打ちに対する怒りは、そう簡単に忘れることはできないものなのでしょう。自分自身や子どもが遭遇した似たようなトラブルを書く方もいました。その一部をご紹介します。
●「これは人権の侵害です」天パに悩む人からコメント続々
自身も天然パーマだという「はれ」さん(女性10代)は、天然パーマの生徒に「前髪を作れ」と強制するのは「人権の侵害です」と指摘します。「どうして生まれながらに持っているものを否定されなければいけないのでしょうか」。
「かなり癖の強い天パ」の「Liliana」さん(女性10代)は、 「前髪は作れないです。作ってもミニリーゼントみたいになっちゃうし、アイロンかけたところで半日で戻っちゃいます。その人の努力とかの問題ではないのです」とコメント。
「ボンバヘッド」さん(女性40代)も、 「天然パーマで前髪を作って、さらに眉にかからないようになんて言われたら、おもてを歩けない頭になってしまう。たわしがのってるみたいになっちゃうんだよ」。
●「そのような指導があってもいいと思う」という意見に反論相次ぐ
いっぽう、「高校でそのような指導があってもいいと思う」という意見もありました。 「不毛な投稿」さん(男性30代)は、「会社に入れば、社内規定で髪の長さや色まで細かく指導されることもある。そんなに『前髪を作る』ことに抵抗があって、高校に居たくないのであれば辞めればいいだけの話」「その高校のルールに文句があるなら、ルールを変えるか辞めるしかない」と指摘します。
この意見には「天パが酷い子に前髪を作れなんてイジメでしかない」(きちおさん、女性30代)、「人の気持ちを考えない規定はおかしい。この世の中には本当に色んな人がいてこの世の中だ。学校側は人の気持ちを考えた校則を作るべきだ」(やよいちゃん、女性30代)と反論が相次ぎました。
私が生徒側の立場ならば、パーマの何が問題なのか?を追及しますよ。パーマの生徒がいることで、何かしら致命的な問題が発生するのか?どうかがポイントです。それを説明できないならば、校則自体が不要となるし、学校側が説明できるならば、パーマ自体がアウトになるから、人工だろうが、天然だろうがアウトになる。つまり、仮に客観的にパーマが及ぼす具体的な悪影響を学校側が説明できるならば、天然パーマを禁止する学校側の指導は必ずしも間違っていない。現実的には物理的にパーマを矯正できないならば、ウイッグをかぶるなどの手段もあるわけだから。ただ、これもまた現実的な話をすると、パーマの何が問題なのか?悪影響があるのか?を学校側が説得力を持たせて説明できるとは思えない。だから、普通に考えたら天然だろうが、人工だろうがパーマを禁止する必要はないと思っている。別に良いんじゃね?と思っている。
しかし、批判をするときに人権侵害とかいう曖昧な根拠を持ってこられると大人には勝てないでしょう。私が仮に学校側の人間ならね、人権侵害って何?人権侵害の定義を教えてくれる?パーマを禁止することで人権を侵害しているって何で言えるの?といった、嫌味ったらしい言い方になるかもしれないが、そういう反論をするだろう。根拠が曖昧というのは、反論される余地をそれだけ残すことになる。実際、人権侵害や人権蹂躙という言葉を辞書で調べてみると、これもまた曖昧な書き方しかされておらず、どういうケースが人権を侵害していることになるのか?の判断は我々にはできない。つまり、人権侵害にあたるか?どうかの判断ができるのは、またはその資格があるのは究極的には裁判官くらいだろうか。人権侵害にあたると言われても、本当にそうなのか?の判断はこの場ではできないという意味では、反論の根拠としては弱い。基本的に、討論のような場で有効なのは、対比を使って相手の矛盾をつくことだ。ここで出てきている例だと「いじめ」って言葉がありますね。
いじめという言葉も同様に曖昧だ。どこからいじめなのか?の線引きははっきりしない。しかし、いじめは学校側が肯定することは当然できない。そして、具体的にないじめのシーンというのは世間も学校もある程度共有しているため、学校の中にも定義づけられているような部分があると思う。例えば、テストで100点取った子にむかついて悪口を言ったりしたら、その行為がいじめであるというのは学校も否定しないと思う。つまり、特定の行為をいじめに該当すると学校側に認めさせたうえで、いじめと言えるその特定の行為とパーマを禁止する行為は何が違うのか?を問うわけだ。明確な違いを説明できなければ、学校側がやっているパーマを禁止する行為はいじめと同じとなり、学校側がいじめを肯定するわけにもいかないので、学校側を論破できる可能性が高まる。実際、テストで100点を取る行為と同様に、パーマをする行為は客観的に悪ではない。大人は普通にやっているし、パーマが悪であるという風潮もない。おまけに具体的な悪影響も存在しないですね。それを否定しているわけだから、学校側がやっているのはいじめと同じだ!という反論の仕方ならば、大分効果があるのではないか?と思います。
人権侵害の例も、実際に起きている人権侵害とされている例(世間一般がまずそれを人権侵害だと認めて、学校側も否定できないような例が望ましい)を挙げて、それとパーマを禁止する行為はどう違うんですか?説明してください!と問う方法ならば、人権侵害が根拠でも良い気がする。良いというか、少なくとも相手からの反論がくる可能性が低くなる。結局、物事の正当性を説明するとき、または説明させるときに有効なのは整合性(矛盾がないこと)だと思います。これを有効活用しているのが、ひろゆき氏ですよ。あの人は自分と敵対する意見を持っている人を論破しにかかるときには、ここを責めます。相手の言っていることの根拠の矛盾点を突くことが多い。そして、だいたい相手はしどろもどろになると。何回もその光景を見てきたわけだが、そういった責め方ができる人は限られるだろう。ひろゆき氏はその責め方がすごいスピードでくるわけだから、すごい頭の回転が速いのかな?と思って、頭の性能の良さが滲み出ているように見えてくる。あんな人は滅多にいないけど、彼に代弁させたら、天然パーマを禁止にしているのはおかしい!と主張する生徒もまず勝てるんじゃないですか?それか彼みたいな便術や考え方を身に付けるとか。

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