ニートやひきこもりというのは、私は人よっては天職の生き方だと思うのです。ニートやひきこもりって、世間的にはすごい悪いイメージかもしれないけど、一部の人たちは批判どころか、賞賛をしている面もあると思うのです。私もニートやひきこもりは非常に魅力的だなと感じている。私はニートではないが、ひきこもり気味ではあると思う。私は週に2回くらいしか外出しない。週に2回くらいしか外出する必要性がないからなんだけど、私は必要性があろうが、なかろうが、外出はあまりしたくないし、これからもしないだろう。でも、ひきこもっている限りは、交通事故に遭う心配もないし、通り魔に遭う危険もないし、いろいろな面で非常に安全な生き方になると思うのです。それでいて紫外線にあたる頻度も少ないから、ひきこもりやニートは老けないと言われている。つまり、歳をとっても若い顔でいられやすいのだ。老けないという意外なメリットもあるわけだ。私も週に2回しか外出しないせいか、10年くらい前とあまり顔変わってなくね?と思えるくらいに老けてない気がする。私は30歳手前だけど、大学生と間違えられたこともあるくらいだから、やっぱり紫外線に当たらない効果は大きいのだろうか?
ニートやひきこもりとして生きる意味の1番大きなところはストレスフリーだということだと思うのです。これは全員に当てはまるわけじゃない。不本意ながらそういう生活をしている人やニートやひきこもりにうしろめたさや不安などを感じている人はむしろ、ストレスが溜まる。しかし、働いている人は間違いなく全員がストレスが溜まるだろう。そうなると、ニートやひきこもりは相対的にストレスを感じづらい人たちだと思うのです。労働をしていないというのはストレスを軽減させる効果としては大きいと思います。働いていると上司や取引先との人間関係で悩んだり、長時間労働や給料の少なさで悩んだり、会社がつぶれないか?リストラをされるのではないか?と悩んだりすることがあるのではないでしょうか?労働1つをとってみても、ものすごいストレスが溜まる機会があると思うのです。でも、好きでニートやひきこもりをやっている人は、その点に関してはストレスが発生しづらい。彼らはニートやひきこもりであることはマイナスには思っていないから、彼らがその身分であることについてまずストレスがないし、働いていなければ当然ながら仕事上で多くが感じているストレスもない。引きこもりの人は働いていないとは限らないから、必ずしもこの考察に当てはまるわけではないが、全体の傾向としてはあるのではないか?と思います。彼らの生きてる価値はとても大きいと私は思う。
なぜならば、私が考える「幸せの定義」というのが、「不安やストレスを感じていない状態」だからだ。だから、私の定義によると、ニートやひきこもりは不安やストレスをこの世で2番目に感じていない人たちじゃないか?と思うのです。だから、ニートやひきこもりの生きてる価値はものすごい高いと思う。不本意ながらそういう生活をしている人は除くけど、そうじゃない人たちならばかなり幸せな人生を送れているわけですからね。ちなみに2番目という言い方をしたのは、もっと上がいるから。1番は誰か?というと、「死ぬことへの悩みがない人」になると思います。そんな人間はいるのか?と言えば、滅多にはいないかもしれないです。「死への恐怖は死そのものよりも人を悩ます」という言葉がありますが、これは私は結構的を射ている名言だと思うんですけど、人は死ぬことそのものよりも、死ぬかもしれないことに対して恐怖心などを感じるのであって、死ぬことが不幸なのではなく、死ぬことに対してマイナスの感情を抱えている状態そのものが不幸なのです。だから、富と名声を手に入れたが、それを失う恐怖を持っている人というのは、それを何も持っていない人よりもある意味不幸とも捉えられるわけです。
つまり、人間は生まれた時点で全員死ぬ運命が決まっているわけじゃないですか?そのことに関して一生悩みを抱え続けるわけです。人間は生まれながらにして、全員が不幸な面を背負っているわけです。日常的に死ぬことを考える機会なんてそうはないと思いますけど、いずれはそういう部分について多くが考えを巡らせるのではないでしょうか?そういう意味では、最初から仕事をしていないニートは、仕事を失うことがないので、その点に関しては働いている人よりも幸せですよね。ニートなどは生きてる価値あるの?と思う人が大勢いる気がしますが、私は大いにあると思う。人によってはものすごい幸せな人生を送れるわけだから。ひきこもりに関してもメリットは多くあると思うので、生きてる価値は大いにあると思います。生きてる価値をどうやって決めるか?という基準の問題にもなるので難しいですけど、幸せか?どうかという基準で考えた場合、ニートやひきこもりは生きる意味が十分あるような、大きなメリットがあるような生き方に思えてきます。今の時代、ニートはともかく、ひきこもりは生きていけないということはありません。ひきこもっていても仕事はありますし、お金は稼げますから、社会の風潮としてひきこもりでいると息苦しい感覚になるかもしれないですけど、それは一種の洗脳だと思いますよ。それはひきこもりが社会にとって迷惑だからという観念のもと世間が否定しているだけだと思います。
実際、ひきこもりが社会にとって迷惑なのか?分からないが、仮にそうだとしても、働いている人やアウトドアの人間だって迷惑はかけていますよ。引きこもりの迷惑を強調する意味はないと思います。したがって、ひきこもりでもメリットはちゃんとあるし、ニートであってもストレスフリーなどで生きやすい事実はあると思うのです。ニートやひきこもりは息苦しい感覚を覚えることが多いのは、そういう事実を見ない人が多くて、かつ自分たちと違う立場の人たちを快く思っていないから、その不満を多数の力でぶつけているだけだと思います。その多数の見方が正しい根拠はどこにもないと思っているので、気にしたら負けだと思います。私もこれからもひきこもり気味の生活を続けていきますし。ニートやひきこもりをしていて楽しいと思える人はかなりの勝ち組だと思いますよ。普通に働いていて楽しい毎日だと思えている人はなかなかいないと思うので、毎日の生活が楽しいと思えるか?というのは、生き方にも関係してくるわけだが、サラリーマンをやっていてそういう感覚に浸れる人というのはかなり少ないと思う。そういう感覚に浸れる人の割合で言えばニートとかの人たちの方が高い気がするのです。だから、向いている人がやればニートやひきこもりは息苦しい感じも覚えず、メリットを存分に享受していける人たちになると思いますし、本当に幸せを感じられる生き方の1つになると思います。

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