成人式が近くなってくると同窓会の話題とかも出てくるのかな?成人式の後の同窓会に行きたくないって人もいると思うんだけど、私は行かなくて良いと思っています。成人式後の同窓会に行くべき理由はない、行きたくないと思っているならば尚更です。私はちなみに成人式後の同窓会は行きましたけど、今になって思うと、あれは間違った選択だったなと感じています。成人式後の同窓会に行きたくない人は行く理由はないと思います、仮に行きたいと思う人がいても、それ自体も行く理由にあまりならないと思っている。それは同窓会っていうイベントが無駄を多く含んでいるから。ネットで調べて見ると、成功者は同窓会に行かないケースが多いみたいな話を目にします。それは成功者にとって同窓会は時間の無駄でしかないから。という理由みたいです。そういう無駄が何かに気付けて、人生の選択を効率よく行えたからこそ成功者になれたという見方もできるかもしれないが、私は自分自身が成功者であると言いたいわけではないけど、同窓会のようなイベントは本当に時間の無駄だと思っている。成人式の後の同窓会だけに限らないけど、実は行く意味はないのではないか?と思っているのです。その理由は、同窓会っていろいろとリスクがある場だからです。
同窓会に出る人っていうのは、恐らく何らかの期待を持っている人が多いと思う。要は同窓会に参加した先に何か楽しいことがあるのではないか?という思いがあるのだろうが、実際楽しいか?は分からないと思うんですよ。ここが同窓会に行くべきとは言えない、行かない方が良いかもしれない理由の1つになる。これは私自身の経験談も含むが、私が成人式後の同窓会に参加したときにも、同窓会に行けば楽しいことがあるんじゃないか?と思ったのだが、実際参加してみると大して楽しくなかった。その理由は人が多すぎること。私の場合には中学3年生のときの学年全体で同窓会をやったので、250人くらいいたわけですよ。学年全員で250人くらいだけど、全員が参加したわけではないだろうから、実際はもっと少ないのだが、当日は本当に人が多くて、誰がどこにいるか?分からないし、話したい人が別の誰かと話していたりして、話し相手を見つけるのにも困った記憶もある。同窓会の前の成人式に参加しているときには、気が合う中学生時代の仲間5,6人と一緒にいたので、そっちのよっぽど楽しかったですよ。終わってみての評価は同窓会はつまらなかった。そして、お金と時間を無駄にした感覚も微妙に残りましたね。全く楽しくなかったとは言わないけど、期待以下だったのは間違いないし、大学生当時に参加しわけだが、会費5000円くらいは結構大金で、その価値は正直言ってなかった。
要は楽しいと思えるか?どうかっていうのは、楽しいと思える人たちと話しているときに限定されると思うのですよ。つまり、特定の楽しいと思える人たちと話せる機会があればよくて、それが同窓会である必要性がないのだ。同窓会になってしまうと、自分にとってどうでもいい人たちがその場に多くていて、逆に気まずくなったり、話し相手をとられたりする。さらにある程度の人数を収容するための会場の費用や料理を賄うための会費をとられるわけだ。そうなると、同窓会っていうのは本来払う必要がない費用を負担しつつ、さらに楽しいと感じられるか?どうかも分からない場に自分を運ぶことになる。いろいろなリスクがあるわけですよ。特定の話したい人がいるならば、その話したい人たちだけで集まれば良い。そうすれば費用はもっと少なくて済むし、料理なども相談しやすいので、より好みのものを食べられるし、日程なども都合をつけやすい。そういった手段をとらないで、同窓会という場でそれを実現しようとすると、確かに無駄が多い。それに気付いたため、私も参加する気は今後ありません。別に誰かと話したい人がいるわけでもないので、同窓会に行く意味が私にとってはほぼないわけだ。成人式のときにはしばらく会っていない友達とかと会えることを楽しみにしていた面はあるが、今は別に会えないことを何とも思わなくなってしまったので、同窓会に行く意味を全く感じられなくなってしまったのだ。
逆に同窓会に行く意味があるとすれば、それは同窓会に行かないと特定の目的を達成できない場合だけでしょう。例えば、話したい人がいるのだが、連絡先が分からないというようなケースです。今はネットでSNSとかがあるので、連絡をとろうと思えば割と容易だとは思うけど、そういったものをやっていない場合やしばらくログインしていない場合には、同窓会にその人が来ているかもしれないという望みにかけるしかないかもしれない。そういった場合には同窓会に行く意味はあるかもしれないが、そういう必要性でもないならば、同窓会に行くのではなくて、別の機会で特定の人たちだけで、そういう場を作った方がよっぽど得策だと思う。さらに言うと、成功者ほど同窓会に行かないということを冒頭で書いたけれども、成功者っていうか、効率的かつ合理的なものの考えになってしまった人にとっては、利益にならないことにお金や時間を使う気になれないっていうのがある気がします。私はそのパターンかもしれない。要は同窓会に行って何らかの楽しさを味わうことをしなくても、何らかの楽しさを味わう機会なんて他に山ほどあるし、同窓会に行くよりもお金と時間と手間をかけないで済む方法はいくらでもあると思えれば、同窓会を選択する理由がほぼないのだ。そういった理由で、私にとっては同窓会は行く理由が存在しないと言えてしまう。同窓会に行くべきとは思わないし、行くか?どうかで悩んでいる人がいるならば、その人は同窓会に行く以外の選択肢で同窓会に行った場合以上の効用を得られる機会をまず考えた方が良いのではないか?と思う。
成人式後の同窓会っていうのは人生で初めての同窓会ってケースもありそうな気がするんだけど、やっぱりわくわく感はあるんでしょうね。当時の私もわくわく感はあったと思いますよ。でも、わくわく感のピークは成人式のときでしたね。中学時代の友達と一緒に行ったので、家の近所で集合したんだけど、5年ぶりくらいに会って、すげー新鮮な気分でしたもん。でも、それは仲の良かった人たちだけで集まったから起きたことであって、逆に言えばその人たちだけで十分とも言えたわけですよ。それを同窓会という規模に発展させた意味は、私にはあまりなかったと言えると思う。同窓会に行くべきとは思わないし、同窓会に行って楽しかったと思っている人も、それが最善な選択とは言えない可能性がある。なぜならば同窓会よりももっと効率的に楽しさを味わいながら、お金をかけないで、より望ましい場を作ることは可能だからだ。それを代行してもらっているという部分はあるものの、同窓会という場でなければ、楽しさの度合いをもっと大きくできる気がするんですよね。同窓会には成功者は来ないと言われているが、その人はその人なりのポリシーで効率的な時間やお金の使い方をしているので良いと思うし、同窓会に参加する人も楽しい時間が過ごせるならばそれで悪いとは思わないが、同窓会っていう場が、同窓会に参加する人たちが抱いている期待を実現する機会として最善ではないということは、私は正しいと思っているのです。
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