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偏差値と校則は反比例する、校則が厳しい学校ほど偏差値が低いは事実だと思う

私の持論も含むけど、偏差値が高い学校ほど校則が相対的にゆるい気がします。つまり、偏差値と校則は反比例すると言えるのかもしれません。私は仕事でいろいろな高校とかの口コミを調べたことがあったのだが、そのときには載っている口コミはまさにそんな感じでした。有名な偏差値が高い学校ほど、私服OK、ピアスOK、バイトOK、漫画OKみたいな状況があったように思います。逆に偏差値50未満とかの微妙な高校は、校則が厳しいみたいな口コミをよく見ました。そういったところは相関関係があるのかもしれないです。私は以前から何度か言っているが、校則自体は無意味であり、はっきり言って害悪の方が強いと思っています、それはほぼ全ての校則です。一般的に校則として扱われているもののほぼ全てです。

 

なんで偏差値が低い学校ほど校則が厳しいのか?反比例するのか?という疑問に関しては、以前ある人にぶつけたことがあるのだが、「偏差値が低い学校の子供は、進学校に通う生徒とは違って、自分を律することができない。社会に出て最低限のルールを守らせるには、校則を厳しくしないとやってられないんだ!」みたいな話を聞いたことがあります。私はすかさず「自分を律することができないって、校則をどんどん緩くしていったら、具体的にどんな問題が起きるの?」と詰め寄ったところ、明らかに答えるのに苦慮しているわけです。うろたえているのが分かりやすい。校則を緩くしたらどんな問題が起きるのか?そんなことを考えもせずに、校則を緩くしたら大問題が起きると、勝手に決め込んでいるのがバレバレ。つまり、先入観で勝手に考えてしまっているんですよ。相手も苦労しながら回答を考えたんでしょうね。ようやく「バイトを仮に許可するとしたら、夜遅くまで働く生徒も出てくるだろうし、そこでもめ事とか起きるかもしれないじゃん?だから、学校ではバイト禁止のところがあるけど、それはしょうがないんだよ」という返答がきました。すかさず私は「それが問題ならさ、免許をとったら、事故を起こすかもしれないんだから、生徒らには車やバイクの免許はとるべきじゃありません!って指導すべきだって思ってるわけ?」と返しました。

 

相手は「は?」みたいな表情をしていた可能性もありますが、間髪入れずに「だってさ、あなたが言ったのはアルバイトをすることで問題が発生するかもしれないから、それをさせるべきじゃない!ってことでしょ?だったら車の運転も事故を起こすかもしれないリスクあるじゃん?で、アルバイトも車の運転(免許持っていれば)もどっちも合法じゃん?」と返しました。すると、「そのリスクとこのリスクは違うでしょ!」と言ってきたので、「何がどう違うの?」と返答したら、また返答に困ってました。また、しばらく考えて返答がきたと思ったら、「車とかの免許って、卒業後の話じゃないの?」と返してきたので、私は「いやいや、あなた最初ね、社会に出てから最低限のルールがどうたらこうたらとか言ってたでしょ?(笑)ってことは、卒業後のことまで考えたうえでの校則じゃないの?(笑)」と反論をして終わりました。相手からの返信は途絶えました。これはマジシャンズセレクトに近いと思いますよ。相手がこう返してくるだろうというのを事前に予測したうえで、こっちは論戦を挑んでいるので、相手は自分で考えて答えを練っているつもりだろうが、こっちにとっては事前に予測可能な回答でしかない。だから、反論が余裕なんです。私にとっては99.9%論破できる自信があったわけです。

 

偏差値が低い学校ほど校則が厳しいとして、それに何の意味があるのか?校則を緩くしてやりたい放題させたとしても、それで起きる問題が問題って言えるならば、校則の適用範囲をもっと広げるべきだという反論が容易なわけです。都合のいい線引きを許さないための反論をすると、相手はたいていこんな感じです。そもそも最低限のルールっていうけど、社会に出てからのことを考えるならばさ、その社会のルールを直接守らせればいいのよ、髪を染めてはいけないというルールは社会に基本的にはありません。例外として一部の会社とかではあるかもしれないけどね。ただ、そのルールだって守らないことが悪いわけではないでしょう。守らなかったらクビになるかもしれない。ただ、それだけです。それは悪いことではない。働くことを優先するならば、会社の奴隷になった方が良いかもしれないというだけ。その人がむちゃくちゃ優秀ならば、会社のルールを破っても多分クビにはできない。仮にクビになったっていいや!っていうならば、それは本人の自由でしかない。会社の面接にジャージで来たっていいわけですよ。「私はこの服装を許容してくれる会社で働きたい」と本人が思っているかもしれないので。どういう服装で面接に臨もうが、人の自由ですし、不採用にするのも人の(法律の範囲内で)自由です。

 

ルールは特定の層にとっての都合を明文化したものなので、本来は善悪ではないのです。だから、最低限のルールを守れないと困るとかいうのも、それは「あなたを含めて特定の層が困るだけでしょ?」という言い方もできてしまう。別の言い方をすれば、「ルールを強要されることで困る人は無視ですか?」という反論も可能だ。そもそも社会のルールを守るためが、校則を必要とするルールだってことは、その校則っていらねーじゃん!ってことだと思いますけど。社会のルールそのものを校則にすればいいんですよ。髪を染めてはいけないというルールは社会には一般的には存在しない。学校では靴を脱いで上履きを履かないといけないという校則扱いはあまりされないルールがあるが、これでいいじゃん?と思うのですがね。建物内に入るときには土足を脱ぐというのは、一般的な社会のルールですよ。それを許可なく行うと法律違反になる場合もあるだろう。これは例外もあるけれども。これを守らせれば十分じゃん?なんで社会にほぼ存在しないルールを、最低限守るべきルールのようにしないといけないの?髪を染めることを卒業後にやったらダメなんですか?って言えば、ダメなわけがないのだが、社会のルールを守ることと髪の毛を染めないことは関係があると思ってしまう頭の悪い人たちが社会には大勢いるんですよ。そもそも学校の校則を守ったからといって、社会のルールを守るってなんで言えるんですかね?と思いますが。

 

実際、エスカレーターは歩いてはいけないのだが、歩いている人なんて山ほど見ますし、電車に駆け込み乗車している人は山ほど見るし、車が通らないときに赤信号渡る人も山ほど見てきたし、社会のルールを守るか?どうかは、本人のリスクと得られるもののバランスで決まる傾向もあるのです。もちろん、本人の意識とか、価値観も関係あるのだが、リスクが大してないときとか、明らかに自分にとって得なときなどは、人はルールを破りますよ。高校の場合には校則を破り続けると最悪退学などの問題があるため、そのリスクを考慮して、奴隷になっている生徒が多いだけのケースは結構あると思う。つまり、本気で社会のルールを守らせたいならば、校則を破ったときの罰則は設けては意味がないのだよ。罰則があるような状況で守らせても、それは罰則に屈しただけの可能性もあるので、ルールを守る人間になったわけではない。リスクがないようなときには平気でルールを破る人間が継続されてしまう。私は校則を設置する意図には全く共感できないが、そもそも合理性や有効性すら存在しないような状況だと思っています。さらに言わせてもらうと、校則がほぼない学校を卒業した人が社会のルールを破ったところで、その人が校則が存在する学校を卒業して例れば、ルールを破ることはなかったと言えるの???校則の有無とルールを守るか?どうかに、一体何の因果関係があるって言うのよ???本当に謎なのよねここが。

 

偏差値と校則が厳しい、ゆるいは相関関係がありそうだなということを調べていたときに以下の記事を見つけた。これは学校の偏差値と校則は反比例するのか?という問いに関するものです。「「スーパー進学校には厳しい校則がない」はホント? 校則と偏差値に関連性はあるのか? | citrus(シトラス)」の記事では、それに近いことが書かれていたが、謎の文章を発見してしまって、それについてちょっと言及したいと思う。

 

>投稿者は32歳の現役男性高校教員だそうだが、「髪を染めたり、ピアスをしたりすることが、なぜいけないことなのか。(略)それは『あるべき生徒像』という教員の私的な好みや趣味を、子どもたちに押しつけているだけではないだろうか」と始まり、「あしき統制主義でしかないと思う」と教科書で習った過去に思いを馳せ、やがて「本人の決定に委ねる以外にない。それが、憲法13条の要請している個人の尊重の精神である」と憲法を持ち出して締めくくっている。

 

あーそういえばこんな感じにそっくりなのをアタシも14や15の頃、国語の作文やら小論文の授業やらで書いてたなーと思い出し、もう一度「そうか、これが32歳の現役高校教師の書くものなのか……」と複雑な思いで読み直すのである。

 

いい大人なんだから、盗んだバイクで走りだす15の夜ってなワケでもなかろうに……上司や年上の先生たちと何かあったのかな?と、慮ってしまうほどである。真面目クンなんだなー、生きづらいこともあるだろうなー、若い頃ちゃんと金髪やピアスして来なかったんだなー。だから30過ぎて自分がもう既に「大人」の側にいることに気づかずに、自分より上の世代の「大人」に反抗してるんじゃないかなぁ。

 

あ、もしかして結構な田舎なのかな?と思って見たら神奈川とあって、えーっそれじゃよほどの底辺校なのかしら、大変だなぁ……と、また慮ってしまうのだ。とにかくこの、教育現場での個の尊重はやりすぎなくらい徹底している2016年に「校則は個人を尊重していない」と主張する今更感をどう処理していいのかわからないくらいの違和感であった。

 

この記事書いた河崎環って人、名前が載ってたんであげさせてもらうけど、文章を読んで即座に頭が・・・という印象がわいてきた。この文章を読んで感じたことは、この人はこの男性教諭の主張を否定したんだろうということ、しかし否定の仕方が分からないので、謎の文章を羅列しているのだろうということです。この男性教諭の主張を快く思っていないことは、みんなに伝わるでしょう。ただ、文章のニュアンスからそれは伝わるものの、結局男性教諭の主張のどこがおかしいのか?なんの根拠もない!「大人に反抗しているんじゃないのかな?」に関しては、その通りですが何か問題でも?と反論するし、「どう処理していいのかわからないくらいの違和感であった」に関しては、その違和感を具体的に説明しろと、さらにその違和感の何が悪いのか?と迫るだろうし。つまり、論理的思考力を持てない人間なんだというのがこの文章から分かる。否定したい気持ちは伝わるが、否定できる材料を何も持ち合わせていないのだ。記事は以降も続いているけど、基本的には同じような感じである。謎の文章が続いている。

 

よく「スーパー進学校では厳しい校則はないところが多い」というもの言いがまかり通っているけれども、よくよく見るとちゃんとどこかに校則はあったりする。でも、校則そのものよりも校則をどのように運用しているかや、そもそもの校風や、教員の持つ哲学などが絡み合って、結果的に校則なるものに重要性が置かれていないという、結果論であることが多い。

 

校則は少なくともあっさりした形でちゃんと存在する。でも、「生徒がもっと他の分野に科学的探究心を持って没頭しており、真正面からわざわざ校則ごときにチャレンジするような手間暇かけたレクリエーションに興味を引かれない」とか、「生徒が校則からいかに乖離しているかを発見して更正させることに偏執的な関心を持つ教員がいない」とか、つまりはルールなんてのは使う人次第でどうにでも転ぶものだ。例えば今をときめく進学校でも、それほどレベルの高くなかった昔は校則が厳しかったというような学校はたくさんある。ルールというのは、対象となる集団の傾向や、運用する側の目論見や、その双方の変遷でどんどん表情も内容も変わっていく、時代に沿って改定されていく、状況依存的なものに過ぎないからだ。

 

校則と偏差値とか、あるいは校則と学力をリンクさせて定義するようなことは野暮の極みなのでしたくないけれども、ただ、校則でガチガチに縛られなければならないような集団と、ガチガチに縛らないと学級運営ができないような教員は、ともに困難な状況にあるのだとは言える。

 

冒頭からおかしいよねw「厳しい校則はないところが多い」というのは、校則自体はあるが、厳しいものがないと捉えるのが自然だろうが、この筆者は「よくよく見るとどこに校則はあったりする」となっている。まるでスーパー進学校は校則がないような文面を受けての言葉である。スーパー進学校でも校則はあるけれども、厳しいものがない。そういう文章なのだが、こういう解釈をするならばこの人は国語力に難があると思われる。それ以降の文章に関しては言いたいことがよく分からない面もあるものの、校則は運用する側によって、厳しく感じたり、甘く感じたりすることがあるということを言いたいのではないか?と思われる。しかし、一般的に言う校則が厳しい、甘いというのは、それ自体を指しているんじゃないの?wと思うわけです。生徒らが感じる校則の厳しい、甘いってのは生徒手帳に載っている具体的な文面とかではなく、教師らが日ごろからどういう指導(運用)をしているか?で判断していると思う。少なくとも私はそうだったし、私が仕事で閲覧している高校の口コミなどもそんな風に書かれていることが多い。

 

以前、別の記事でも書いたのだが、校則は基本的に多くが法律で許されていることを禁止しているので、はっきり言って何がどう悪いのか?は全く理解ができない。それは引用文に載っているような男性教諭とは違い、本質的な部分を見ることができないレベルの低い教師が全国に多いからだと思っている。例えば、漫画はなぜ学校に持ってきてはいけないのか?という問いに、「勉強に関係ないから」というのは、完全に予想できるテンプレ回答だった。私はそんな回答をしたある知り合いの教師に、「勉強に関係ないものを持ってきてはいけない理由は?」と問うたら、案の定の状態である(笑)もしかしたら「勉強に集中できないから」とか、そういう回答が来るであろうとは予測して、それに対する反論ももちろん頭の中にあったが、それすら出なかった。勉強に関係ないとか言われたら、制服なんか1番いらねーだろw思うけど。制服がなくたって勉強はできますよ?バカなの?と、心の中でつぶやいたのは言うまでもない。

 

そもそも学校の勉強は私はほぼ時間の無駄だと思っているがね。「勉強に集中できなくて何か問題でも?」とか、「学校の勉強がいつどんなときに役に立つの?それは今やっておかないといけないことなの?本人が困ったときに初めて勉強を始めれば、困っているがゆえに1番真面目に勉強するはずだよね?」と返すことも予定していた。実際に過去にそんな記事を書いたから、気になる人は探してもらいたいが。だから、学校の校則というのは一般的に問題ない行為がなぜか禁止されていることが多い。マンガを読むというのもそうだが、そんな状態の校則に全員が疑問を持たないわけがないのである。つまり、それが反発心につながり、教師と生徒間、もしくは生徒とそれ以外の人間とのトラブルにつながると思っている。反発心からくるストレスはトラブル、もしくは犯罪の原因になると言えるでしょう。そのリスクをわざわざ高めて何が楽しいの?と思うわけですが。だから、私は偏差値と校則は反比例すると思っているし、校則が厳しい学校ほど偏差値は低い傾向があると実際に思っているが。それは教師の質と正比例するのかもしれないですね。こういう問題に理解のある教師ほど校則を緩くしていると言えるならば。

 

バカをつくる学校

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