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偏向報道はうざい?うんざり?なぜなくならないのか?←冷静に考えるとなくなるわけがない

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偏向報道をうざいとか、うんざりすると感じている人はいるかもしれませんが、え?(笑)と、私は思います。なぜなくならないのか?その理由を探ると、はっきり言って、偏向報道をうざいと感じる気持ちは私は消えました。というか、私の場合には最初から偏向報道とかどうでもよかったという感じでしたが。偏向報道をなくするにはどうすればいいか?その答えがあると思っているのでしょうか?偏向報道をうざいとか、うんざりと感じるとしても、それが当たり前であれば、そんな感情は出てこないと思うのです。偏向報道ってのは、ある意味それを感じる人のさじ加減の問題なんですよ。結論から先に言えば、偏向報道をなくすには?そんな方法はありません。なぜ偏向報道がなくならないのか?と言えば、それは偏向じゃない報道など存在しないからです。誰かが偏っていると思えば、それは偏向報道です。そして、一切偏りがない状況はありえません。つまり、「ブラック企業」っていう言葉と同じなんですよ。非常に主観的であり、何がどうであれば偏向報道なのか?定義はないし、そもそも偏りが一切ない報道はできない。特定の人からすれば偏ってないとか、中立的だと感じることはあるかもしれないが、それはその人の視野が狭い、想像力が乏しいだけ。別の角度から見たら偏っていると見えるかもしれないという発想がないのだ。別の人からすれば、特定の中立とされる報道に関して、それも偏っているだろうと見なされる可能性は大いにある。

 

偏向報道はなぜなくならないのか?それは何を偏向と感じるのか?の基準が人によって違い、どういった報道においても偏向と感じる人がいることになるからです。そして、一切偏りがない報道をする術がないというのも理由です。中立な報道を心がけることは意識としてはできるが、それは特定の基準からになってしまいがちなのです。つまり、結果的に視野が狭いこと、想像力が欠如していることが原因で、その当人が想定できなかった別の基準からは偏りが生じているように見えることがあるのです。その結果、やっぱり偏向報道だ!という指摘はなくならないことになりますし、偏向報道がうざいとか、うんざりと感じる人もいなくならないのです。偏向報道はなぜなくならないのか?の理由は結論から言うと、こういったところです。偏向報道はうざいとか、思っている人で確実になくす方法を思いついた人がいるならば教えてほしいですよ。偏向報道で私がうんざりだと思うのは、偏向報道それ自体を叩いている人たちです。無理難題しか言わないわけだから。なくす方法があると思っているのですかね?

 

偏向報道というのは、どうあがいても消えませんよ。なくす方法はないと思います。それはあらゆる角度から見たときに中立的な報道が不可能だから。例えをあげるのならば、スポーツニュースで巨人のことばかりとりあげたら、絶対に偏っている!って多くが思うと思います。じゃあ、12球団平等にとりあげたら偏りはなくなるんですか?それはプロ野球という範囲の中で見たら偏ってないかもしれない。というだけ。要するに、今度はメジャーリーグはどうなんだ?アマチュア野球はどうなんだ?野球以外のスポーツはどうなんだ?ということになる。プロ野球内で偏りがなくなっても、プロ野球と他のスポーツで偏りがあると思う人もいるでしょうし、プロ野球とアマチュア野球とか、女子野球とかで偏りがあると思う人もいるかもしれない。これは政治じゃなくて、スポーツの例ではあるけれども、政治の場で言われている偏向報道も本質的には変わらない。意図的にやろうが、やらなかろうが、結果的に偏っているなと思うことはある。印象操作だと思われてしまうことは多々ある。それはその人がどういう立場の人間で、普段どういう考えを持って、どういう見方をしているか?による。そこが偏向報道はなぜなくならないのか?に関して重要なポイントになります。

 

偏向報道っていうのは、特定の軸でしか見られないことが多いが、軸それ自体は無限に存在する。特定の集団に対する偏向的な報道をしていると感じる気持ちというのは、その軸によって決まってくるが、その軸をそもそも認識していない人間もいますからね。さっきの例で言えば、日本で行われているスポーツがプロ野球のみであったら、プロ野球内で平等に報道されていたら、偏向報道じゃないなと思うかもしれない。しかし、軸が複数あることによって、どういう角度からの意見なのか?という部分は無数に存在し、多くの人からは認識されないような、マイナーな層の意見というのも存在する。ベーシックインカムの議論において、賛成意見はほとんど報じられず、反対意見ばかり報じられたら、反対意見を意図的に多くして、世論をベーシックインカム反対へと導こうとしているのか?と思うかもしれないが、そもそも反対意見とおおまかにくくったってしょうがないわけ。反対意見だっていろいろな理由があるんだもん。反対意見の中で稚拙なものばかりを取り上げたら、むしろ反対派は頭が悪い奴が主張しているんだ?と思われて、賛成派が増えるかもしれない。偏向報道においては対立する意見の軸というものがあるものの、その軸だってなかなか定まりませんよ?だから、偏っているっていうけど、その偏りは何を軸にした偏りなのか?その感じ方は人によって違うはず。人々が感じる偏向報道はなぜなくならないのか?それは偏向と言える軸それ自体が定まっていないがために、何を基準にして偏向なのか?に関して、アバウトに言えば無限に偏りのポイントを見つけられてしまうからです。偏向報道をなくすにはその無限に存在する偏りを全てなくさないといけない。まあ、無理ですね。

 

ちょっと抽象的な話が多かったので、こちらの真意がどこまで伝わっているか?は分からないものの、偏向報道にうんざりしている人は、偏向報道をなくす方法なんかないと思うべきだと思います。偏って見えていて当然なのです。それに偏向報道はうざいと感じているような人の中には、中立の意味を勘違いをしている人もいると思うのです。これは私の実体験でもあるので、それを紹介した方が分かりやすいだろうと思う。私は以前、母親から「AKBって好き?」と質問されたことがある。私は「普通」と答えたが、それはファンでも、アンチでもない、好きでも、嫌いでもないという、中立的な意味で答えたつもりだった。しかし、今になって思うと、この「普通」という言葉は決して中立なんかじゃないということに気付いたのです。というのも、ファンとアンチの中間に位置する意味合いとして、私は「普通」と答えたけど、私が答えた「普通」というのは、別の言葉に置き換えると、「無関心」になる。つまり、私はAKBに対してほとんど関心がないため、彼女らのことを詳しく知らない。詳しく知らないがために、ファンでもアンチでもないという状態になっているのだ。ファンやアンチというのは、彼女らに関してある程度詳しい人たちで、その詳しい部分によって好印象を抱くか?悪い印象を抱くか?の違いが生まれている状態である。ということは、ファンやアンチの人たちと無関心は同列にはできない。次元が違う概念なのだ。

 

私の答えた「普通」は無関心領域での回答であり、関心がある人たちの領域ではないがために、ファンとアンチの間に存在する中立的な立場の意見ではない。偏向報道の問題でも実はこういった問題がある。というのも、そもそも中立的な意見なんてないということ。皆無か?どうかはともかくとして、真の意味で中立的な意見と言えるものが一体どれだけ存在しているのか?とは思う。要するに、この例で言えばファンとアンチの中間に位置する人たちって、どういう人たち?ってことです。具体的にこういう人って言える?大好きでも、大嫌いでもないが、ちゃんとAKBのことは詳しい人たち。楽曲とか、メンバーのこととか、その他もろもろのことに関してちゃんと詳しいけど、彼女らに対する印象は特にない。じゃあ、彼らは何でAKBに詳しくなったの?って話です。ファンでも、アンチでもないのに。そんな人たちが現実にいるのだろうか?と思えてくる。具体的な言葉で表現できないんですよね。つまり、中立的な意見というものがそもそも存在することが難しいと思う。中立的な意見がなかなか存在しないとなれば、そもそも中立という状態が果たして現実的な概念と言えるのか?が怪しくなってくる。だって、中立っていうのは、頭の中でなんとなくこういうことっていうのは浮かべられるけど、具体的には説明できないのよ。説明しようとすればどうしても抽象的になってしまう。それこそ私が体験したみたいに真の意味で中立とは言えないものを中立と思っている人もいるかもしれない。具体例を挙げて説明することができても、その例が本当に中立と言えるのか?は怪しい。中立と感じるか?に関しても、結局は感じる側のさじ加減なので。中立か?どうかは数値で表せるものじゃないから。

 

中立の定義は主観の域を出ない。それぞれが都合のいい中立を設定すれば、偏向報道という状況はなくならないし、恐らくそうなるだろう。しかし、それは真の意味では偏向報道をなくす方法ではない。だから、偏向報道はなぜなくならないのか?それは中立という概念が現実的にほぼ存在できないから。というのも1つの回答になるのではないか?と思う。都合の悪い状況を偏向報道と見なすようなことを日本人はすると思う。偏向報道も印象操作も、それを見なす人間がいればなくならないということになる。偏向報道それ自体をなくすには?を考えること自体現実的ではなく、そもそも何がどう偏っているのか?何が中立なのか?すらも確定しない中では、偏向報道か?どうかも確定しないが、偏向報道だと判断する人がいれば、それが偏向報道になるとしたら、偏向報道はなくならないです。偏向報道にうんざりする人は永遠になくならないでしょう。印象操作も同じです。印象操作だと言ったもん勝ちのようなところもあるので、印象操作は厳密な意味で言えば消えないでしょうね。都合の悪い部分を隠したりするのはマスコミだけじゃなくて、普通の人間もやりますからね。中立的な立場が求められるとしても、公平に都合の悪い部分を隠せば問題ないのか?みたいな話になるし、じゃあ今度はそれは中立的と言えるのか?という、さっきの問題が出てくる。そして、特手の集団にとって都合の悪い部分ばかりを報道するのも、中立の意味合いが重要になってくるので、消えたと感じることはないでしょう。偏向報道はこの先もなくならないと思います。世間の風潮としてなくなった雰囲気にはならないでしょう。

 

マスメディアの罪と罰

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