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「犯罪をなくすにはどうすればいいか?」←これにすごい闇を感じる

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記事タイトルは単なる一例なので、気にしなくていいです。今回言いたいことは、なぜ人々は特定の言葉やレッテルにこだわるのか?というのが本題なので。私は「犯罪をなくすにはどうしたらいいのか?」という話をしている人に対して、「犯罪って概念をなくせばいいんじゃね?」と言ったことがある。これを私はネタとして言ったわけじゃない。大真面目に言ったのだが、ある意味予想通りの反応をされた。犯罪という概念を消せば、犯罪は0になりますよね。これは正しいですよね?でも、それでは意味がないというような反応をされたのだ。つまり、相手は「犯罪を0にすること」が目的ではないということになる。犯罪=世の中的に害悪なことなので、その害悪なことを0にしないと意味がないという意図があって、犯罪をなくすにはどうすればいいのか?と言ったのだと思われる。しかし、当然ながら犯罪以外にも世の中に害悪なことはいくらでもありますよね。

 

犯罪ってのは、世の中の害悪な部分のうち、一部をカテゴリー化した概念です。そして、その犯罪という概念は国会議員らが決めている。続編のドラマ化が決まった「ドラゴン桜」の前作では、「世の中のルールは頭のいい奴の都合のいいように作られている」と言っていた。つまり、犯罪という概念も、当然ながら彼らにとって都合のいいように作られているので、世の中において害悪と言える行為などであっても、それは犯罪になっていないものが多数存在するであろう。だから、私は「犯罪をなくしたい」と言っている人は、自分たちにとって都合のいい範囲で害悪をなくしたいだけなのね(別の言い方をすれば、自分にとって都合のいい害悪はこれからも社会に与え続けたい)」という風に、私には映る。物事の本質を読み解くと、とんでもない悪の臭いを感じるわけですな。

 

それ以外の例で言えば、私のブログを長く見ている人は知っていると思うけど、私は学校の校則というものが大嫌いなのです。過去に書いたこともあるが、校則というのは、教師が生徒にやっているいじめ行為であると思っています。しかし、世の中のほとんどの人は校則によって、生徒に苦痛を与えることを「いじめ」とは言いません。それは「いじめ」という言葉を一般的に使わないからです。校則は「校則」と言われる限り、または「教育」や「しつけ」といった言葉でごまかされるかぎり、これがいじめと変わらない行為であるということに気付かない、そういうに発想にならないのです。一般的に使われている世の中の「いじめ」という言葉の定義にどう見ても当てはまると思うのですよね。それこそ学校は生徒に制服を強要しますけど、それを生徒がやったらどういう諫め方をするのでしょう?例えば、私服の学校にて、その学校にいる特定の生徒が、別の特定の生徒に対して、特定の洋服を毎日着てこいと強要したら?これを問題行為であると学校側が認定したら、学校も同じことやってますよね?その学校は私服だから問題ないかもしれないが、制服を強要する学校は世の中にたくさんありますから、制服を課す学校は問題行為をしていると、その私服の学校は認定したことになります。その私服の学校は、自分たちの態度として「制服を課している学校は生徒にいじめをしているという認識である」とは認めようとはしないとは思いますが。そもそもいじめという言葉にこだわらず、生徒が苦痛を感じることが悪だという観点に立つならば、いじめという言い方をするか?どうかはもはや関係なく、苦痛を与える教育それ自体が悪だとなるべきですがね。これに関しては学校がやるのはよくて、生徒がやるのはよくないという、感情論ではない、客観的な理由でもあるんですかね?私はどんなものでも論破できる自信がありますけど。

 

特定のカテゴライズされた言葉やレッテルに惑わされて、本質的な部分を見ることができない人たちは私は非常に多くいると思います。だから、犯罪をなくすにはどうしたらいいか?なんて発想をする人が出てしまうのです。「害悪なことをなくすには?」じゃダメなの?と思います。実際は害悪なことを0にしようとすると、自分が行いたいと考えている世の中にとって害悪なこともやめないといけなくなるので、それは「犯罪」という言葉で誤魔化しているわけです。いじめを校則という言葉でごまかす人たちと同じです。現実的には、犯罪以外にも「マナー違反」というややこしい言葉がありますが、これも結局同じです。害悪なことでひとまとめにすればいいのに、そうしないのは「犯罪」という言葉を使う人たちと同じ魂胆があるはず。もはや犯罪者という言葉も特にありません。犯罪者以外にも世の中に害悪な存在はいくらでもいますから。だから、「犯罪者」って言葉を使う人は単なる差別主義者だと思います。突き詰めれば、世の中にとって、一切害悪な側面を持っていない人はいないんですよ。犯罪者は圧倒的少数派だから、彼らを特別扱いして悪く言っても、多くの人たちにとって困りません。以前、別の記事で転売屋を叩く音楽業界の差別の話をしたけど、あれと構造的には同じです。転売屋が音楽業界にとって脅威になるからこそ転売屋は悪なんだというならば、音楽業界以外の娯楽を主に扱う会社にとって、音楽業界は脅威になってるわけですが、そこは音楽業界は指摘しないのです。転売屋も圧倒的少数派だから。これに関しては、そもそも指摘できる能がないんだと思いますが。

 

犯罪は世の中にとって害悪だから、悪く言われるわけです。じゃあ、この場合問題視すべきなのは犯罪ではなく、害悪ものであると言えるはずですが、そういう見方はしない人が多いわけです。それは「犯罪」という言葉にだけ注意が向いており、犯罪それ自体がなぜ問題視されるのか?の根本を考えていない人が多いから。というのも理由の1つにはなると思います。犯罪という特別なカテゴリーだけ問題視しないと、悪者になる人があまりにも増えすぎるという目論見でそういうことをやっている人もいるとは思いますが。犯罪になっていない行為の中でも、例えば喫煙をするという行為は、火災を発生させて、人を殺す原因になることもありますが、それ自体は合法であり、そんなに問題視している雰囲気は私は感じません。犯罪には万引きといった、金銭の損失のみに留まるものまで含まれているが、喫煙は人の命を奪いかねない行為であるにもかかわらず、犯罪ではない。もはや犯罪か?そうじゃないか?のべつに何の意味があるのか?と思えてきます。特定の言葉やレッテルにこだわるような人は、世の中にたくさんいるのでしょうけど、それって何の意味があるのか?と言えば、自己中心的に生きるためには不可欠である。これしかメリットがないと思います。

 

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  • 作者:岡本 茂樹
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