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「権利の行使には義務を伴う」という謎の理屈を込めた学習院大学の学生の謝辞が話題に

社畜ブログの記事(学習院大学卒業生代表による謝辞への違和感 - 脱社畜ブログ)を見て気付いたのだが、1か月くらい前に学習院大学国際社会科学部の学生が、卒業式で述べた謝辞が話題になってたみたいね。私はこの話題は全く知りませんでした。普通の謝辞とは明らかに内容が違うというか、もはや謝辞になっていないようなその謝辞はいろいろなところで話題になり、賞賛あり、批判ありということで、この卒業生の知名度も随分上がりましたね。その謝辞の全文なんだけど、学習院大学のホームページに載っていたみたいなのだが、現時点では消えている。時間が経過したから削除したのか?批判などがあったから削除したのか?よくわからないけれども、「【卒業式】伝説に残る文章!学習院大学国際社会科学部の卒業生の謝辞がパンチが効いていると話題! | いいね!ニュース」では、その原文を確認できたので引用したい。

 

>卒業生代表・小堀奈穂子

 卒業生総代答辞の多くが、ありきたりな言葉の羅列に過ぎない。大きな期待と少しの不安で入学し、4年間の勉強、大学への感謝、そして支えてきてくれた皆さまへの感謝が述べられている定型文。しかし、それは本当にその人の言葉なのか。皆が皆、同じ経験をして、同じように感じるならば、わざわざ言葉で表現する必要はない。見事な定型文と美辞麗句の裏側にあるのは完全な思考停止だ。
 私は自分のために大学で勉強した。経済的に自立できない女性は、精神的にも自立できない。そんな人生を私は心底嫌い、金と自由を得るために勉強してきた。そう考えると大学生活で最も感謝するべきは自分である。
 すべての年度での成績優秀者、学習院でもっとも名誉である賞の安倍能成記念基金奨学金、学生の提言の優秀賞、卒業論文の最優秀賞などの素晴らしい学績を獲得した自分に最も感謝している。支えてくれた人もいるが、残念ながら私のことを大学に対して批判的な態度であると揶揄する人もいた。しかし、私は素晴らしい学績を納めたので「おかしい」ことを口にする権利があった。大した仕事もせずに、自分の権利ばかり主張する人間とは違う。
 もし、ありきたりな「皆さまへの感謝」が述べられて喜ぶような組織であれば、そこには進化や発展はない。それは眠った世界だ。新しいことをしようとすれば無能な人ほど反対する。なぜなら、新しいことは自分の無能さを露呈するからである。そのような人たちの自主規制は今にはじまったことではない。永遠にやっていればいい。
 私たちには言論の自由がある。民主主義のもとで言論抑制は行われてはならない。大学で自分が努力してきたと言えるならば、卒業生が謝辞を述べるべきは自分自身である。感謝を述べるべき皆さまなんてどこにもいない。

 

私はこの謝辞を読んで、「おお、面白いことを言うな!」と思ったのですが、それは「完全な思考停止だ」までです。要するに、いろいろなところで見られる謝辞というのは、もはやテンプレだと。他の謝辞をそのままコピーしたかのような文章になっていて、自分で考えていないと。そういうことを言いたいのだろう。それは実際そうかもしれない。考えていないからコピーをしていると断言はできないとしても、可能性はある。実際、世の中には思考停止の人間は山ほどいると思うし、そこまでは共感する。しかし、「完全な思考停止だ」以降の文章は、バカ丸出しのような印象を受けてしまうのです。そこに関しては脱社畜ブログでも述べられています。

 

>しかし、私は素晴らしい学績を納めたので「おかしい」ことを口にする権利があった。

大した仕事もせずに、自分の権利ばかり主張する人間とは違う。

 

この2文が決定的に余計であり、これがあるせいで、この謝辞の「反抗」的な内容は台無しになってしまっている。

 

この2文を読む限り、この方は「権利」というものの性質について大きな勘違いをしているようだ。そもそも、権利は何かの対価として付与されるものではない。この謝辞では「素晴らしい学績を納めたので「おかしい」ことを口にする権利があった」と述べられているが、「おかしい」ことを「おかしい」と主張する権利は別に、素晴らしい学績を納めた人でなくても保障されてなければならないものだ。

 

この2文に関する脱社畜ブログの批判に関しては、私はその通りだと思う。巷にいる「選挙行かない奴は文句言うな」という輩と変わらない。おかしいという主張をすることの権利は、学費を納めていることと特に関係ない。選挙に行かなくても文句は言って良いし、学費を納めていなくても、「おかしい」といって良いのだ。学費を納めていない人は、大学側も無視する可能性は高いかもしれないけど。「大した仕事もせずに自分の権利ばかり主張する人とは違う」という文に関しても同様で、大した仕事をしないという定義を示さない時点で、あなたがこういう人と違うと言える根拠なんか1つもないと反論ができてしまうわけだが、大して仕事をしないと周りから思われている人がいても、例えば有給休暇を使うのはOKなんですが。

 

世の中によくいると思うんだけど、「権利の行使には義務が伴う」という言い方をする人がいるが、それはそういうケースはあるかもしれないが、全部に当てはまっているわけじゃない。基本的に義務は義務として果たすべきもの、権利は権利として使っていいものです。だから、有給休暇を与えられているならば使って構わないのです。それとは別に仕事はちゃんとやれよと言うべきなんです。本人がクビになっても構わないって言うならば、言っても無駄でしょうけど。仕事やらないくせに有給を使うのはおかしいは成り立ちません。有給休暇の行使に仕事をどれだけ頑張っているか?という条件はありません。所定の出勤日数を経たら、自動的に付与されて自由に使うことができるのです。こういう勘違いをしている人は世の中に多くいるはず。理屈が通じないタイプの人ですね。この小堀さんも多分理屈が通じないんだろうなというのは、この文章を読んでいてなんとなく伝わってくる。

 

「自分の権利ばかり主張する人間」を批判する意見は、日常レベルではよく耳にする話ではある。だから、これを何の疑いもなく、あたりまえだと思っている人も多い。ただ、そこで思考停止してはいけない(「思考停止」することに対する批判はこの謝辞にも出てくる)。そういう「あたりまえ」を疑って解体していく姿勢を身につけることこそ、大学生が在学中にやらなければならないことだ。「思考停止」を批判するなら、こんな手前の部分で思考停止してしまわないでほしかったと個人的には思う。

 

思考停止を批判するこの人自身が思考停止だったという、とんでもないオチでしたね(笑)私はこの人の謝辞は、言っている内容が意味不明な点はあるけれども、空気を読まないで、偉そうなことを言っているという点に関しては好きだ。私はいわゆるアウトローの人間なんで。常識がない人が好き。常識は大嫌い。ただ、思考停止な人も嫌いなので、この人に関しては嫌いな面もあるということだ。しかし、一般的な謝辞ははっきり言ってつまらないし、こういう謝辞の方が読んでいて面白いというのはある。謝辞になってないじゃないか!という批判はあるかもしれないが、個人的な意見を言えば面白い。その個性をぜひ発揮して、世の中のくだらない常識や空気をぶち壊してほしいものです。

 

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