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人間は「理性」という概念を持っているだけで、理性それ自体は持っていない

人間と動物の違いは?と聞くと、「理性の有無」と答える人が世の中には一定数いるらしい。へえ、理性ねえ(笑)と、私は思う。人間は理性という概念を持っているし、理解している。そして、それは確かに動物にはないように感じる。理性の対義語って本能なんだろうか?仮に本能なんだとしたら、人間以外の動物はこの本能に従って、行動しているのだろう。本能って何か?っていうと、私は「自己都合」と解釈している。自分にとって何が都合がいいか?メリットがあるか?を判断し、行動を決める、無意識に動いている、それこそが本能だと思う。理性っていうのは、辞書で調べてみると、物事の道理を考える能力らしい。じゃあ、人間は理性を発揮できるのか?と言えば、無理だと思うんだよね。というのも、理性とは何ぞや?を決める際には、結局本能がかかわってくるから。つまり、自己都合だ。要するに物事の道理それ自体が各自の都合によって決まっていたら、それはもはや道理ではない。各自の都合でしかない。よって、本能と大差ないと思います。

 

本能っていうのは、ある行動へと駆り立てる性質のことを言うらしいのだが、結局それはその主体となるものの都合が優先された結果だと私は感じている。メリットがない行動を人間を含めた動物がとるわけがないと思いますからね。理性が人間にあると主張する人は、当然ながら理性の定義を漠然ながらも説明できると思っているのだろう。じゃないと、それが人間にあるなんて言えないはずだから。定義が決まるから、その定義に当てるものが人間にあるか?の判断ができるはずですよねえ。しかし、何が理性で、何が理性じゃないのか?道理とは何か?を決める際には、客観的に決められない。理性という言葉の定義が漠然としている以上、それに該当する内容は主観的にならざるを得ない。そこに本能の要素が入ってきてしまう。理性は本能と大差ないのでは?と思えてくるのです。

 

つまり、各自の自己都合が優先される可能性が高い。本人にその意識がなくても、結局は何かしらの基準に沿った恣意的な決め方になるだろう。例えば、自立という言葉があるが、会社で働いている人間は会社に依存しないと生きられないのだから、自立をしていないと私は思っているし、辞書の定義を見る限り、これは間違っているとは思えない。しかし、世の中の社畜の大半は自分たちは自立していると思っているだろうし、思いたいだろう。自立という言葉を自分たちにとって都合のいい形で解釈した結果、自立していない層は限られ、どう見ても自立していない人間が、社会では自立しているように扱われる。こういったことは世の中のいろいろなシーンで見られ、それが当たり前の光景に見えるのです。したがって、人間は理性という概念そのものは理解していても、理性そのものを発揮することは到底不可能だと思います。

 

つまり、「理性」っていう存在は、空想上の概念と言っても良いと思います。人間が作った以上、概念としてはあるが、現実には存在しえない。伝説上の生き物みたいな感じでしょう。自立している人も世の中には皆無だと思いますが。理性を人間が結局持っていないならば、この点においては人間と他の動物は同じってことだ。理性って、実生活で言えば善悪の判断みたいな意味で使われることが多いような気がするけど、善悪の判断ってそれを主張する人たちの都合によって決められますからね。それって、本能で自身にとって都合のいいもの、悪いものを判断している動物と何が違うの?と思う。そもそも善悪って概念自体が、恣意的なのよ。良いものも悪いものもないという第3の選択肢があって良いと思うのだが、人間は善や悪というレッテルにこだわりたがる。そういうレッテルを貼ること自体が、誰かに都合がいいからだ。

 

法律が1番分かりやすいでしょう。違法、合法なんて言葉は善悪のレッテルの言い換えに過ぎない。違法と合法のラインの決め方は、政治家の都合で決まる。そこにラインを引くことが絶対的に正しい理由なんかありえないのだが、頭の悪い人は、自分の感覚が間違っているという事実を認められないガキなので、感情論で反論してくると思います。善悪の基準も、法律もそれを決める側の感覚で決まりますから。自分の感覚がまともであるという前提に立ってるんですよ彼らは(笑)何の根拠もないのに。自分が悪人であると認めたら精神崩壊でも起こすんじゃないですか?だから、常に自分はまともである、自分の感覚は正しいものであると自分自身を思いこませるんでしょうね。法律は単なるトラブル解決の際に使われる基準のはずなのだが、それが善悪の基準になると思い込んでいる人は実際多い。国がそういう風に洗脳しようとしているから、そうなってんでしょうけどね。

 

以前、Youtube面白い映像を見たことがある。野良猫に餌を与えようとした人がいたのだが、その人はスーパーとかで売っているまぐろの刺身の塊を持ってきて、それを猫たちの前で切ろうとしていたら、ある猫がその刺身を咥えて持って行ってしまったのだ。その投稿者は急いで猫の後を追いかけてなんとか奪い返したみたいだが。人間からすれば、この刺身の所有権は投稿者にあると考えるだろう。だから、基本的に所有権があるものを奪ってはいけないと考える。それが理性だと。そして、理性がない動物は所有権の有無に関係なく、本能で自分が食べたいものを勝手に奪って良いと考える。正確に言えば、目の前に美味しそうな食べ物があるから、そっを食べたい猫たちは考える間もなくそう行動しているだけだろうが。ただ、当然ながら、動物に所有権って概念があるのか?とは思うし、そもそも人間が作った所有権という概念の正当性はどこにあるんだ?と思う。所有権は、私たちが生まれたときから存在する当たり前の概念ゆえに、それが正しいか?間違ってるか?なんて1度でも考えたことがある人はほとんどいないだろう。この場合、所有権の正当性があって初めて、人間には理性があると言えると思う。しかし、所有権の正当性を感情論抜きで説明することはおよそ不可能だと思います。所有権に正当性がないならば、それを忠実に守る人間に理性があるとは言えない。むしろ、所有権という都合のいい概念を貫き通そうとする、その行動こそが自己都合に基づく本能行動に見えてくるのです。やっぱり理性と本能はほぼ同一の概念なんじゃね?(笑)

 

 

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