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就活の履歴書の写真、年齢や性別欄はいらない!不要だ!差別だ!←え?(笑)

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最近の就活では、履歴書に貼る写真、年齢欄や性別欄をなくそう!という動きがあるらしいですね。理由はいろいろとあるみたいですが、この中で特にやり玉に挙がっているのは写真みたいだ。「容姿を理由に足きりをされ、面接までたどり着けないのが問題だ」と、ある人権ジャーナリストなる人が言っていたのを見たことがあるのだが、足きりをされて面接までたどり着けないのがなぜ問題と言えるのか?は言えないみたいです。足きりは物理的な問題で行われていることでしょう。面接できる人数まで応募者を減らすための策として行われている。足きりを行わないことはおよそ不可能な会社も多くあると思うのですが、なぜ容姿による足きりはダメなんでしょう?実際、学歴フィルターって手もあるし、他の理由で足きりをすることも可能だろう。でも、何らかの足きりは絶対に必要だ。その中でなぜ容姿による足きりはダメなのか?容姿による足きりがダメな人は、何を理由とした足きりならいいというのか?その正当性は?ちゃんと考えるの?面接で不採用になるのは何でいいの?面接は足きりじゃないけど、それは足きりと呼ぶか?どうかのレッテルの問題ですからね。容姿で判断をすることが足きりだとしても、面接と同じで選考には変わらない、特定の人たちを落とす作業には変わらないわけだ。

 

容姿差別という言葉もあるみたいですけど、いやいや、就活って差別を前提にしたものでしょ?(笑)応募者の何かしらの違いに注目して、採用、不採用を決めるのが就活で、就活でやっているのは全部が全部差別ですよ?(笑)面接だって、そこで見ているのは応募者の何かしらの違いだ。つまり、面接も差別です。辞書の「差別」の定義を見ると、就活はそれ自体差別で成り立っています。差別ありきの就活なのに、差別がダメってどういうこと?現実を知らないんですかね?(笑)差別を否定されたら、もう採用活動なんてできないわ。就活の履歴書で写真はいらない!不要!と言っている人が差別が理由ならば、就活の本質を考えてみるのが先だと思うんだけどね。あと、写真が必要という理由は替え玉防止という点が言われている。容姿で判断をするために写真を貼らせているところもあるかもしれないけど、替え玉防止が一応理由として見つかるのだ。写真を貼らせることで替え玉であることが絶対に判明するのか?というと、100%とは言えないが、可能性は上がりそう。就活では、履歴書に写真を貼る前に写真の裏に自分のを書くのがマナーとか、そんなことを聞いたことがある。つまり、写真の裏に書いた名前から筆跡が特定できるならば、写真を貼った人物が誰か?面接を受けた人、入社した人と一致しているのか?を調べることはできなくはない。写真の時点ですでに替え玉を使っているという可能性もあるけど、筆跡とリンクさせられれば、最悪の場合でも、入社した後にその人物が替え玉だったのか?本人だったのか?を後に確かめることはできそうだ。それをやるか?は別として。

 

中には「どうせ入社式でバレるんだから、替え玉を気にする必要はない」という意見が見られる。いやいや、大問題でしょ。替え玉を使うような人間を採用してしまった後に気付いても遅いのよ。本来採用するはずがなかった人物を採用してしまうことが問題なのであって、本来は採用活動中に気付けないといけないんだから。実際、履歴書の写真がいらない、不要という側の意見が通ると、替え玉はしやすくなりますよね。替え玉が横行する可能性がある就活って、採用する側からすればむちゃくちゃ恐ろしいですけどね。面接代行業とか、そういうビジネスも生まれるんじゃないですか?入社式でバレるんだからという理由でやらない人もいるかもしれないけど、どこまでバレるかね?と思う。写真がないということは、容姿は面接の時点でしか分からない。問題はその容姿を入社式の時点まで覚えておけるか?だ。しかも、容姿を知っているのは人事担当者など少数のみだ。面接の時点で写真を撮らせてもらうという手はあるが、それはそれでまた問題が紛糾しそうな気がする。そもそも容姿差別を就活の履歴書における写真がいらない、不要の理由として挙げているわけだからね。容姿を撮影することに関してまた文句がくるでしょ。

 

また、写真や年齢欄、性別欄がいらない、不要と言っている人は、求職者側の都合を押し付けているだけなんですよね。もちろん、写真を貼らせたり、年齢欄、性別欄を設けるのも企業の都合によるものなんだが。ってことは、やっていることは一緒なのに、なんで彼らは写真を貼らせる、性別や年齢を記入させる行為が間違っているみたいな言い方をするんだろうな?就活生や彼らを擁護する側の文句、企業側の言い分、いずれも彼ら自身の都合のいい状況を強要しているだけだ。それ自体がお互いに正しいと思っているのならば、写真はいらない、不要とする意見も、写真は必要だとする意見もどっちも正しいってこと。それを言い換えれば「どっちもどっち」であり、「どっちでもいい」になると思うんだよね。どっちでもいい以上、あとは就活生と企業の力関係で決まるので、現状が正しいというか、少なくとも現状が間違っているわけじゃないという評価になる。つまり、写真はいらない、不要と言っている人間は、力関係で企業を屈服させるしかないのだ。少なくとも写真を貼らせるのはおかしいという自己都合の論理を使うと、なぜ写真を貼らせる側がの自己都合おかしいのか?という否定が難しくなると思います。就活生側の自己都合のみが正しく、企業側の自己都合は常に間違っているという理由を論理的に説明できるならばまだしも、先ほど挙げた人権ジャーナリストみたいに、「容姿による足きりは問題だ」しか言えないと、無理だと思うんだよねえ。

 

そして、特に重要なのは、どういう就活の在り方になったとしても、採用人数は一定ということです。容姿による足きりがなくなったら、容姿で損をしている人が有利になるかもしれない。でも、それは容姿で得をしていた人が不利になるということ。全体での採用人数は変わらないのだから、誰かが受かって、誰かが落ちるのは一緒である。その中で、なぜ容姿が原因で落ちる人をわざわざ救わないといけないのか?という疑問がある。彼らを救った結果、代わりに落ちる人がいるわけだが、彼らが落ちるのはなぜいいの?つまり、誰がどういう理由で落ちるか?の違いはあるが、受かる人の人数、落ちる人の人数は変わらないのよ。だから、私は容姿による選別は肯定派ですし、特に問題ないと思っています。あくまでも企業は必要な人材を雇うのが目的なのだから、企業にとって不都合な採用方法を押し付けるのは、正当性を説明できないと思っています。容姿による選別をやっている企業に、それをやめろと言うのは、企業が欲しがらない人材を採用しろと言っているのと同じだ。中には容姿なんて能力に関係ないという人もいるようだが、「能力」という言い方が適当か?は知らないけど、人の印象を大きく左右するという意味では、少なからず会社に与える業績面での影響は違ってきますよね。つまり、会社にとっては重要だと思います。

 

年齢や性別欄に関しても同様かもしれない。就活の履歴書では年齢や性別欄はいらない、不要だという意見に関しても、企業側の都合によって存在しているのだろうから。それにこういう部分は公務員の採用試験に言えばいいと思うのですよ。なんで企業なの?と思う。それは容姿などの差別を問題視している連中はたいてい公務員を受けないからだ。世の中の就職を目指す人たちはほとんどが民間企業を受ける人たちであり、公務員を受けるのはかなり少数派なんです。だから、公務員にはそういう声が届きづらい。実際、公務員にいったところで、民間企業しか受けない連中にはメリットがないですからね。だからこそ、なぜか公務員は無視で、民間企業にだけ要求するという、理屈で通らないことを平気でやるわけだ。公的機関を無視し、私人で構成される民間企業にだけ不満をぶつけるどこに彼らを擁護できる余地があるの?もうちょっとまともなやり方したら?と思います。したがって、私は就活で履歴書の写真、年齢や性別欄をいらない、不要だとしている人は、正直言って全く信用できないというのが本音です。

 

 

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