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君が生まれ変わるRPG/人間同士の対立の解決策は皆無だと教えてくれるRPG

私は最近まで、「テイルズオブリバース」をプレイしていました。2004年に発売したゲームなので、結構前ですけど、当時買おうか?迷ったんですよね。高校1年の冬休みに、中学時代の友達と秋葉原に遊びに行ったときに、どこかの店ですげー安売りしていて、新品が2980円くらい(定価は7000円くらいだった気がする)で売っていたので、そのときに買おうかな?と思ったのですが、結局買いませんでした。その後15年くらい経って、中古で500円くらいで買いましたが、やってみるとテイルズらしいストーリーという印象でした。どっちかという大人向けで、いい意味でも悪い意味でも現実味のある話だったと思います。ジャンル名は「君が生まれ変わるRPG」です。このテイルズオブリバースでは、いわゆる人種間の対立の要素が登場します。作品内ではヒューマとガジュマという架空の種族が登場し、ストーリーが進んでいくと対立が激しくなっていくのです。

 

主人公や一緒に旅をしていくメンバーは、ヒューマやガジュマという区別をくだらないものだと思っており、見た目が違ったって人間はみんな心は同じだろ!何バカなこと言ってんだ!?といったスタンスです。1人を除いてはね。主にパーティーになる人間が6人いるわけですが、うち4人はヒューマ、1人はガジュマ、そして残る1人はヒューマとガジュマのハーフでした。このハーフのキャラが他の登場人物とはやや違った形でこの人種問題を捉えていきます。しかし、人種の違いを気にすることはない!見た目が違ったって、人間はみんな同じだろ!と主張していたメンバーは複数いたものの、彼らは後にとんでもない大ブーメランを食らうことになるわけです。そこが壮大なストーリーの中で、個人的には1番印象に残っているシーンです。シーンというほどでもないんですけど。処刑台を目の前にしたときのあの人の大演説があった後の些細な場面です。その大ブーメランは何か?というと、重要なネタバレになっちゃうんで、以下は見たい人だけ見てください↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は主人公の幼馴染であるヒロインは、このゲームの世界の女王陛下に身体を乗っ取られます。というか、お互い身体が入れ替わってしまう状況になるのです。この女王陛下はガジュマに当たる人物であり、自分の見た目に多大なコンプレックスを抱えていました。したがって、ヒューマの肉体、特に美しい女性の肉体が欲しかったのです。その結果、主人公の幼馴染が偶然その候補に選ばれ、女王陛下はある力を使い、彼女の身体を手に入れることに成功します。一方で、ヒロインは女王陛下のガジュマの見た目となってしまうのです。そして、その事実に主人公たちがついに気付きます。しかし、彼らがその後どういう行動をとったのか?というと、どうすればこのヒロインの身体を元に戻すことができるのか?その方法を探すことだったのです。当然の発想と言えば、そう見えるものの、このゲームのストーリーを踏まえると、彼らはおかしいことを言っています。彼らはヒューマとガジュマの見た目の違いなんて関係ない!心は同じなんだから!と豪語していたのです。見た目にこだわらないはずの彼らが、ヒロインの見た目を戻そうと躍起になるのです。こだわらないなら、そのまんまでいいじゃん!でも、主人公はその後幼馴染の見た目の部分で葛藤し続けるシーンが実際にあります。

 

当のヒロイン本人は、必ずしも元に戻りたそうな雰囲気には見えません。結構この見た目を気に入ってるんじゃ?くらいの状況に見えたのです。というか、このヒロイン自身もヒューマやガジュマの見た目の違いなんてどうでもいいスタンスのキャラだったんですよ。だから、本人が元に戻りたいなんて思ったら、それもおかしいはずなんですがね。でも、このヒロインは主人公らの反応とは違い、自分の今の見た目を気にしている素振りは見せません。つまり、客観的に見て身体を元に戻さないといけない理由が存在しないのです。しかし、主人公や周りの人間の一部はヒロインの見た目に明らかに違和感を覚えています。違和感を覚えている時点で、人間は見た目の部分が確実に心理面に影響するって、自身で認めてるってことになりますけどね。そして、主人公は心はそのままだとしても、幼馴染の見た目の違いをどうしても受け入れることができない。そんな気持ちが無意識に出てしまった言動なんでしょう。ただ、あれ?人種の違いとか、見た目の違いとか気にしないってのは嘘だったの?他人事だからこそ言えたの?単なるきれいごとだったの?というツッコミが、プレイ中に私の脳内を駆け巡っていました。

 

主人公らは人種や見た目の違いなんて関係という、差別否定派の人間に見えて、実は無意識のうちに差別的な言動を起こしてします。これは現実でも十分に存在する状況です。差別を否定している人が実は差別行為を働いている。全然あるでしょうね。そんな現実を風刺しているような状況だと、私は勝手に解釈しました。作り手がそのような意図で入れたシーンか?どうかは分かりません。でも、主人公らの言動は、正直言ってリアルな反応だと思っています。人間の見た目をしていた人物がいきなり獣人になったら?そんな状況を受け入れられる人はそうはいないでしょう。自分の見た目が一気に変貌するわけですからね。ある日起きたら自分や友達、家族の肌の色とか、顔そのものが変わっていたら?これをいきなり受け入れられる人は現実ではあまりいないのでは?と思います。見た目の違いがくだらない!と思っている登場人物らの発言は、完全にきれいごとと私は評価しているのです。

 

また、さっき言っていた大演説というのは、このヒロインのものなのです。女王陛下に見た目がなってしまったことで、ヒューマによって虐げられている状況にあるガジュマの人たちから頼られ、結果的にヒューマとガジュマの対立に終止符を打つべく、ある演説を行ったのですが、その演説の内容は、人間は種族や見た目が違っても心は同じであるというものでした。結局、主人公たちの考えていることと同じなのです。例えば、楽しいときには笑い、悲しいときには涙を流すといった感じで、人間の心の在り方は同じであり、人種は特に関係ないということです。そうやって、人間は根本的には違わないという内容で演説を行うわけですけど、正直言って、この演説は私は全く響かなかった。この演説に感動した!という声はネットで割と見つかるものの、私は「え?どこが?(笑)」って感じでした。違う、違わないというのは、感覚の問題になってしまいます。それに明らかな違いを見つけられてしまったら、反論のしようがありません。

 

例えば、特定の人が死んだときには悲しむ人、暗い気持ちになる人が多いものの、喜ぶ人もいますよね。その死んだ人物に対して、あらかじめ憎しみや嫌悪の感情を抱いていた人の場合には、多くの人の反応とは違うものとなります。そもそも嫌悪や憎悪の感情がないとしても、人の死に悲しい感覚を抱かない人はいるかもしれませんが。ただ、人の死を目の前にしたときのこの感覚の違いは、当然ながら種族による違いではありません。じゃあ、これを肯定するのか?ということです。人が死んだときに、みんなと同じような反応をするのも、みんなと違う反応をするのも、どちらも種族は関係ない、この状況は人間だからこそ起きる反応と言えてしまいます。人間を種族に関係なく一律に見るのではあれば、人が死んで悲しむのも、喜ぶのも同じ人間として評価しなければなりません。この場合、人が死んで喜んでいるなんて最低だ!という意見は間違っているってことです。人が死んで悲しむのが正しいならば、喜ぶのも正しい、そういう評価をしないといけないのです。しかし、現実はこのような両者の評価が同じになることはないでしょう。でも、人が死んで喜ぶ人は、こういう事態を悲しい場面とは捉えていない(嬉しい場面だと捉えている)だけなんですよ。悲しいという感覚自体がないわけじゃないのです。その人にとっての悲しい場面に遭遇したらちゃんと悲しむんです。泣けるんです。だから、人が死んだときに喜ぶ人は、嬉しいときには笑い、悲しいときには泣くという演説の内容と矛盾しない人物像になってしまいます。

 

結局、人間はみんながみんなどこか違うんですよ。それは心そのものが違うというよりは、生きている境遇や環境が異なるから。人生そのものが違うからです。生きてきた人生が違えば、そこから育まれる心、何が正しい、何が間違っているという価値観などの面で差が生まれやすくなります。そして、みんなの人生を全く同じにすることは不可能でしょう。だから、心や感情の部分で一致する部分はあるにせよ、違う部分は少なからず生まれるはずです。共通点を見つけようと思えばいくらでも見つけられると思いますよ?しかし、それは違いを見つけようとしたときでも同じなんです。特定のシーンにおいて発生する感情の一致または違いというのは、種族の違いによるものではないというのは正しいでしょう。ただ、これは種族の違いではないシーンを取り上げただけであり、種族による違いであるシーンを持ってくることは恐らく可能だろう。

 

そもそもこのゲームでは、例えば、ヒューマとガジュマの労働における待遇の差別のような面も取り上げられている。ヒューマはいわゆるホワイトカラー、ガジュマはブルーカラーのような役割を強いられており、そこに反発するガジュマ、それは能力の差なんだからしょうがない!と主張するヒューマという構図がある。演説ではヒューマとガジュマの心に違いはないと言われていたが、心に違いがないからこそ、こういう差別が生まれるんじゃ?と私は思う。だって、人間って得したいし、楽したいって思うじゃん?これって、種族に関係なくみんな思うじゃん?じゃあ、ヒューマが抱えているガジュマをこき使うような精神は、ガジュマがホワイトカラーの側に立っても持つんじゃ?ってことですよね。つまり、人間が自分は得したい、楽したいという感情を持ち、それが種族に関係ないとしたら、この感情はヒューマもガジュマもともに持つので、この構図は立場が入れ替わることはあっても、構図それ自体は消えないとなります。

 

つまり、ヒューマとガジュマの能力が逆転するようなことがあったときには、ヒューマとガジュマのホワイトカラーとブルーカラーの立場が逆転するだけ。搾取する側とされる側の構図それ自体は永遠に残り続けるのでしょう。だから、この演説の内容を肯定すると、私に言わせれば対立は永遠に消えない、状況は変わらないと思うんですよ。人間には欲望を満たしたい、優越感を得たいという感情がありますからね。この感情は種族による違いはなく、確かに人間ならばみんな持っているでしょう。これはゲームだから、作中ではこの演説で心を動かさられる人が多く出てくるという設定になっているわけだが、現実では反論される可能性は相当高いと思う。そういうわけで、私からすれば反論が容易な演説にしか聞こえなかった。論理がガバガバというか、そもそも論理がない。演説を行ったヒロインの感じたことをそのまま述べただけ。だから、部分的には感覚的には正しいと思えなくはないが、所詮は感覚の問題でしかない。それに共感できるとしても部分的なので反論の余地が大きすぎるのだ。

 

本当に人種間の対立をなくしたいならば、人間はみんな違うものだという部分を認めさせるのが先決だと思う。私なら「違わないではなく、違うんだ!」という方向性の主張をするでしょう。人間はみんな違うのが当たり前であり、違いがあって何が悪い?です。これはさっき出した、人が死んだときの反応の例と根本的に同じです。ヒューマだろうが、ガジュマだろうが、聖人だろうが、殺人鬼だろうが、みんな人間であり、人間は何かしら違う。そこは同じだと、私ならそういう方向性で説く可能性が高いと思います。その違いの中で特別視をしてしまうから、結局差別や対立が生まれるのです。現実で言えば、殺人鬼は確実に差別されるでしょうけど、そういうシーンが当たり前に存在し、それを問題ないこと、正しいことと思う人が大半を占めるならば、差別はいけないことという大前提の中において、何らかの特別な差別は許されるという例外を作ることになり、例外の範囲が個々人の都合によって大きくなり、差別は拡大していくわけです。人種の問題はその例外の1つじゃないか?と思っています。だから、本気で人種間の対立などをなくしたいならば、私は人間を全て平等に扱う気持ちが重要でしょう。それは殺人鬼なども含めて。そういう姿勢がないと無理だと確信している。殺人鬼と自分は同じ人間であると、誰もが認められるような社会になれば、違いを意識する人がいなくなり、差別という概念すらも消えるんじゃないか?と思う。でも、そんな状況は私はやってこないと思っています。

 

これは私みたいにレッテルに何の意味もないことを理解している人間ばかりじゃないと無理なんですが、世の中の大半の人間はレッテルを気にすると思う。殺人鬼と同じと言われたら怒るんじゃないですか?私は怒りませんけど。お前のやったことは殺人鬼と同じと言われても、私はそれで殺人を犯したことになるわけじゃないし・・・というスタンスなのですが、マイナスのレッテルを貼られると、それに何の意味もないことを理解する前に、無意識に拒否してしまう人が現実的に多いのです。結局、人間はレッテルという呪縛から逃れられない。このテイルズオブリバースの実況をしている人の動画を見てもそんな感じだ。いわゆる悪役のキャラに対して、レッテルを貼る言葉が無意識に出まくる。

 

この作品はいい意味でも、悪い意味でも現実を表している。ゲームはハッピーエンドにも見える状況で終わらせることは可能だが、現実はなおも問題が残ったまま。あくまでもゲーム作品としては、私は面白かったと思う。それはストーリーそのものだけではなく、他の要素も含めて。ただ、ゲームの世界はゲームの世界でしかない、ゲームの世界はいくらでも都合のいいように収束させられる。しかし、現実は相変わらず悲惨である。そんな事実を改めて突き付けられたような気分になりました。人間同士の対立は現実にもあるし、その理由は様々だ。そういった対立はこれからも続くだろう。それが解決することは永遠にやってこないと思う。人間にとっての対立は自然な状況だと思えるから。

 

テイルズ オブ リバース - PSP

テイルズ オブ リバース - PSP

  • 発売日: 2008/03/19
  • メディア: Video Game
 
テイルズ オブ リバース

テイルズ オブ リバース

  • 発売日: 2004/12/16
  • メディア: スポーツ用品
 

 

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