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正義を貫き通すRPG/「罪のない人」という表現を鼻で笑いたくなるRPG

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正義を貫き通すRPGこと「テイルズオブヴェスペリア」は、私が未プレイのテイルズ作品の中では、最もやってみたいと思っていた作品です。その気持ちは今でも変わらない。ゲームとしてはすごい面白そう。ただ、私はこのソフトが対応しているハードを持っていない!私の家にあるハードで最も新しいのがPS2か、GBAであり、テイルズオブヴェスペリアは最も古いハードでもPS3XBOX360となっているため、プレイしようと思うと、そういったハードを買わないといけない。STEAMでやるって手もあるが、スペック不足なので今の私のパソコンだときつそう。でも、上記で挙げたような何らかの手段でそのうちやるかもしれないです。

 

今のところ、私は自分でプレイができないので、Youtubeのゲーム実況の動画を見ることにしたのです。ただ、実況動画を見ると、自分でもやってみたい気持ちがさらに出てきまして。でも、ゲーム実況の動画を見ると、ある程度のストーリーは把握できたので、まあまあの満足感は得られましたけど。このゲームはラスボスが割と印象的で、正直言って、どっちが敵か?分からない状況でした。主人公らが善とも言い難いような、それほどの存在感と目的意識を持って、主人公らの前に立ちはだかるのです。ゲームだから、最終的にはラスボスを倒さないと進まない設定になっているものの、私はラスボスの方を応援したくなるような気持ちになりました。このラスボスは論理厨の私に言わせれば、至極まともなことを言っている気がする。それは筋が通っているという点です。逆に言えば、主人公は筋が通っていないことをしてきたと思っています。

 

ネタバレをしてしまうと、このテイルズオブヴェスペリアでは、主人公はそれなりに地位が高い2人の人間を殺します。動機に関しては、それぞれの街の住む人たちを苦しめたから。という、勧善懲悪ものにありがちな内容です。主人公が悪役にすら見える光景なのです。ただ、この主人公は自身のことを「極悪人」とか、「自分はいつ斬られてもおかしくない」と評することもあるような人物なのですが。そこはちょっと変わっているけど、自身の望みを達成するためにどんな手段でも厭わないという姿勢は、かつて日本で外務大臣をしていた頃の大隈重信を殺そうとした、来島恒喜を彷彿とされるキャラに思えてきます。ちなみに大隈重信は自分を殺そうとした来島のことを称賛しており、来島が自害した後には自身の側近に彼の墓参りに行かせるなど、非常に懇意にしていた面があったようだ。これもちょっと変わっているな(笑)ただ、大隈はこの主人公のような行為をした来島に対して、「いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する。」と語っていたらしい。このことは大隈のWikipediaにも載っている。

 

そんな来島のような主人公は割とファンの間では人気が高いらしいです。歴代の主人公の中でもトップクラス、むしろトップと言えるほどに人気みたいだ。私がゲーム実況の動画を見ているときにも、そんな雰囲気は感じられました。主人公が実際に2人を殺したシーンにおいては、主人公は正しいことをしている。殺された2人は殺されてもしょうがないようなクズである。という感じが伝わってくるのです。実際、2人に対する「クズ」という表現は割と見られます。ただ、私はこの状況は特に考察のし甲斐があると思っています。別の言い方をすれば、日本人の謎の思考に非常に興味があるのです。それはなぜ主人公の行為が善で、殺された2人は悪なのか?という部分です。ゲームだから、そういう構図で描かれているから、という理由はここでは無視します。それとは別にそのように思った理由があるはずですよね。ゲームだからっていうならば、それが当たり前って認識なんだから、わざわざ口に出す必要ないし。

 

主人公の行為を善と捉える理由は恐らく「人を殺したとは言え、相手は圧政を敷いていた、住民を蹂躙していた人物だったから」でしょう。あとは彼らがそんなことをしておきながら罪として裁かれていないからだろう。実際、ゲームを見る限り、住民は相当疲弊している、困窮している状況が感じられました。つまり、悪と言える人物を殺して何が悪い?と、多くが思ったに違いありません。ただ、2人を殺した後も主人公は普通に冒険を続けており、主人公が憎み続けた「悪行をしておきながら、罪に問われない人物像」に自分自身がなってしまうわけですな。この主人公を好きだという人は割といるようだが、そういう人は普段は法律を遵守しながら、都合の悪いときには平気で破るような人間なのかもしれない。ただ、このゲームが体現したかった正義って、それなんだろうと思うが。正義は正義であり、善悪ではないということだ。冒頭で述べた来島もそんな人間だ。彼は当時の日本の欧米列強に対する軟弱な態度に嫌気が差し、国の現状を変えるために大隈に対して爆弾を投げつけた。その結果、彼の思惑通りに確かに事は運んだんですよ。殺人未遂だとしても、これが彼の正義だったんだろうし、彼の正義は結果的に実を結んだ。そして、日本にとって、日本人にとって有利な状況が実現されたのは事実だと思う。

 

このテイルズオブヴェスペリアにおいて、主人公がした行為は善とは言えないとしても、少なくとも殺された側は悪である。主人公の悪質度が殺された人物の悪質度を超えることはありえない。そんな感覚を実際にプレイした人の多くが持っていたのでは?と思います。しかし、それは主人公が人を殺した事情を把握していたから。とも言えますよね。逆に言えば、殺された2人なぜそんなことをしたのか?その事情をゲームをプレイした人たちは知っていたのか?ということです。人を殺す行為は、一般的に言えばこの世で最も許されない行為という認識がありそうだ。そんな行為が、特定の事情が存在することにより許されるならば、殺された2人だって許される可能性があることになる。つまり、2人がなぜ住民を苦しませるようなことをしたのか?その詳しい事情が判明していない段階で、なぜ殺された側が主人公よりも悪であると決めつけられたのか?ここは私が抱える最大の謎です。ここからがいよいよ本題です。

 

実際、殺された2人のうち、1人は主人公に殺される直前、命乞いをしながら「ある人物から命令された」と主人公に話しています。なんか深い事情がありそうな臭いがぷんぷんしてきますけど、この人物はあくまでも命令されたうえで行為に及んだにもかかわらず、私が見ていたゲーム実況者は、殺された人間に対する見方は変えていないようでした。主人公の態度も同じ。問答無用という状況だったのです。ただ、主人公の殺人という非道な行為に関しては事情を考慮しているのに、殺された側がやった殺人に匹敵しない行為に関しては、なぜ事情に関係ないというスタンスなのか?は謎です。主人公は悪人を殺したから、その殺人は悪じゃない。一方で殺された側は事情に関係なく、住民をいたぶっていたから悪である。よく分からない理屈ですね。

 

どうしてそんな心情になってしまったのか?これも私の推測ですけど、ストックホルム症候群に似たようなものじゃないか?と思っています。これは監禁や誘拐事件を起こした犯人とその被害者が一緒に生活をする中で、その犯人に対して被害者が親近感を持ってしまう現象のことです。要するに、当初は自分を監禁した、誘拐した悪者であるという印象のみという状況だったはずですが、一緒に生活を共にする中で、徐々にその犯人の悪とは違う側面、人柄のような面が見えてきてしまい、少なからず共感してしまうのでしょう。意外と良い人かもしれないと思えてくるのです。今回のテイルズオブヴェスペリアで言えば、主人公はプレイヤーが初っ端からずっと操っているキャラであり、主人公の人柄の全貌のような部分はほぼ明らかになってきています。つまり、その主人公がどれだけ悪行を重ねようとも、親近感が少なからず存在しており、真っ向から否定できない感情を持ってしまうわけです。思い出補正に近いものでしょう。

 

逆に言えば、作中で悪役として描かれているキャラは、悪行以外の部分はクローズアップされません。少なくとも住民をいたぶっていた段階では。つまり、悪い印象を抱かせる部分のみが、プレイヤーの脳裏に残ります。実際、殺された2人に関して、この時点では悪行部分だけがシーンとして残っているので、彼らがそれ以外の部分で何かしら善行を行っていたとしても、プレイヤーが知る由もありません。だから、そういう可能性を無意識にシャットアウトし、クズであると、悪であると決めつけてしまうのです。自分が見ている光景のみが真実だと捉えてしまうんじゃないですか?中には主人公を「ただの人殺しじゃねえか!」と揶揄している記述も、ネット上では一部見られますけど。しかし、少なくとも殺された2人の方が主人公よりも悪だと考えている人は、そういう想像をする能力がないのでしょう。さらに言えば、彼らによって蹂躙されていた住民がクズである可能性もありますからね?(笑)

 

ここが問題なんですよ。住民がそもそも蹂躙されるに至った理由が存在するかもしれない。そんな想像も彼らはできません。「いじめられる側に原因がある」みたいな話を露骨に嫌がる国民性が出ているのかな?(笑)とも思うけど、住民らが今まで何をしてきたのか?どんな過ごし方をしてきたのか?は、プレイヤーにとっては一切不明です。主人公らがたまたまやってきた街で、そういう光景を目にしただけなので、プレイヤーにとってもその街の住民の本性のような面は知りようがありませんが、これも勝手に決めつけているのだと思います。描かれていないってことは、=分からない、判断できないはずなのだが、なぜか分かったつもりになっている、判断できると思っているのでしょう。クズである部分が描かれていないから、クズではないと無意識に判断しているのだと思います。つまり、情報として明かされていない部分があるにもかかわらず、脳内で誰が善で、誰が悪か?の判断が勝手に行われてしまっています。

 

こういう状況を見ると、印象操作による洗脳がすごい簡単に行えそうに思えてきます。特定の人物の悪い部分だけを見せ、その人物に対して憎悪の気持ちを抱かせる。そんな方法が犯罪組織などで実際に行われているんじゃ?と思うし、巷で言われている印象操作とやらもこれに近いのかもしれない。例えば、何らかのテロで亡くなった人たちに悪い印象を抱いている人ってほとんどいないと思うんだけど、それは彼らの負の側面を知らないからでしょう。亡くなった人たちが多くいるため、私たちが知らないところで悪行を重ねている人たちが少なからず含まれていても不思議じゃないと、私は思っていますけど、そんな事実を確実な情報として把握していなければ、彼らの中に悪人がいるかもしれない可能性すら浮かばないでしょう。

 

つまり、悪である側面を一切知らないから、彼らは悪人ではないと世界中の人は扱う。いわゆる「罪のない人たち」という扱いになるのです。したがって、このゲームで主人公に肩入れし、殺された2人を悪だと見なす人って、簡単に洗脳できそうですね(笑)特定の人たちの悪の部分だけを見せて、善の部分は全て隠すようなことをすれば、その特定の人たちに対する憎悪を抱かせることは朝飯前でしょう。逆に言えば、テロリストらはテロ行為をしたという悪の側面ばかりがクローズアップされるので、誰もが悪人だと思う。大量殺人を行ったテロリストが(法律を基準にした場合に)悪人だというのはとりあえずいいとしても、そのテロに巻き込まれて亡くなった人たちが罪がない人たちか?悪人じゃないか?は分からない。彼らのこれまでの生涯の全てを知ったうえでも同じ印象を抱けるのか?ここは個人的には非常に興味がある。そもそもの話をすれば、この世に罪のない人なんていないと、私は思っていますけど。「罪」という概念を多数に該当しないような、非常に都合のいい、恣意的な線引きをするなら話は別ですがね。

 

そして、これは以前にトリビアの泉という番組内で放送されていた内容なのですが、野口英世という有名な学者、医者が、自身の伝記を読んだときに、その内容にクレームをつけたんだそうです。それはなぜか?というと、その伝記には自身のいいことばかりしか書かれていなかったからです。「こんなのは作り話だ!こんな人間は現実にいない!」と、非常に珍しいクレームをつけ、その後野口英世の伝記は、野口英世の悪行部分も含まれた、非常にリアルな内容のものに変わったみたいです。番組では、偉大な人物として社会で注目されるに至った経緯に関して、悪い部分まで含めて紹介していましたが、あれを見ると野口英世という人物に対して印象が少なからず悪くなる可能性はあるでしょう。ただ、美談ばかり載せている伝記に対して、あえて自分の負の部分を載せるようにクレームを出したことで、見直した!という人がいたかもしれませんがね。野口英世は、世間一般では偉大な功績を残した人物として知られているが、結局彼も罪深い人間だと説明することは容易でしょう。ニュースとかでたまに聞かれる「罪のない人」というワードが非常に空しく感じられてきます(笑)

 

作品を楽しんでいる人たちにとっては善人に見えるが、実は悪人だった(多くは悪人である部分を一切知らない)というケースは実際にないのか?というと、実は探してみるとある。これもトリビアの泉で紹介されていたのだが、多くが子供の頃に見たことがあるんじゃないか?と思われる「ピーターパン」は、原作では衝撃的な事実が含まれている。しかし、多くが見たことがある映画ではそのシーンはカットされている。教育上不都合なんでしょうな。(とんでもない事実を隠蔽することは教育上いいのか?と思うが)それはどんなシーンか?というと、ピーターパンが子供たちを殺しているという部分です。動機は不明なので、動機次第では悪人とは言えない余地はあるものの、不明な部分を一切考慮しないでクズと決めつける人たちのスタンスからすれば、ピーターパンは悪人確定ということになりますよね。しかも、トリビアの泉を見る限りでは、かなり多くの人数を殺している感じに見えます。ピーターパンに対して悪の感情を覚えている人は世の中にほとんどいないと思われるが、実は凶悪殺人犯とされているわけですからね。こういうのを見ると、テイルズオブヴェスペリアで被害者と思われていた住民とかが実は極悪人の集団であった可能性は全然あるんじゃないの?と思います。「罪のない人」なんていないという、私の感覚からすれば、私にとっては悪人である方が自然なんでしょうけど。全てはゲームを作ったスタッフ次第ではありますが。

 

ここから分かることは、人間には悪の側面はつきものだということです。世の中に悪いうわさが存在しないような人物ほど、裏の顔が存在するってことだと思います。そして、世間的に聖人扱いされている人ほど、見えないところで何やっているか?分からない可能性があります。そこを疑った方が良いです。逆に言えば、悪い噂しか聞かない人物にも、実は少なからず美談があるのかもしれない。私たちが抱く、特定の人物に対する印象というのは、非常に不確かな根拠で生まれているものであり、信用できないものだと思った方が無難でしょう。その印象とやらはちょっとした情報が加わるだけで、一気に変わる、崩壊する可能性があるわけです。ゲームの話に戻ると、殺された2人が住民を苦しませたことで、得をしている人物もいるんでしょうね。もちろん主人公が2人を殺したことで、住民らは得をしているでしょうけど、殺された2人の家族は悲しんでいると思われる。結局、誰かが得をし、誰かが損をするのは、誰を殺しても、誰を苦しめても一緒である。あくまでも全体から観察すればそういうことになります。しかし、多くのプレイヤーは主人公側に肩入れするでしょう。ただ、そういう人ほど簡単に騙される、洗脳されてしまう、思考回路に危うさが感じられる人だと、私は思っています。

 

 

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