就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

論理的に考える力が身に付く、想像力が豊かになることの無意味さ

【スポンサードリンク】

先日、「論理的に考える癖をつけるために数学を勉強すべき」という非論理的な意見を取り上げたが、こういう意見を言う人は、論理的に考えることが絶対に大切だと考えていると思われる。しかし、私はそう思っていないので、その主張をしたい。私は人は基本的にバカである方が幸せだと思いますが、これは人だけじゃなくて、他の動物も同じだと思うんだよね。例えば、人間以外の動物って、「死」というものを理解していない、知らないんじゃないか?と、私は思っているが、これが真実ならば、その点に関して言えば、絶対に動物の方が幸せだと思う。人間は死というものを理解しているので、その死を避けようと日常的に行動する。その結果、論理的に考えて、死に直結しそうな行為か?どうかの判断をし、場合によってはその行動を避けることをするでしょう。しかし、これって厳密に言えば、死を避けているわけではないのです。死に対する恐怖を回避しようとしているのです。死そのものは苦痛なのか?と言えば、苦痛はないでしょう。死というのは、人間の無意識を生む概念だと思っているので、±0だと思うのです。でも、死という、よく分からない未知の経験がなんとなく怖いという気持ちは多くの人たちにあるはずだ。そして、それを経験したくないという思いから、人は死を避けようとするが、それは(よく分からない未知の経験によって生じる)死に対する恐怖があるからこそ起きるもので、死の恐怖に対する嫌悪感が直接の原因です。人が死を避ける理由は死の恐怖を感じたくないから。

 

死それ自体が絶対にマイナスにしか作用しないという説明ができるなら話は別だが、死は人間の無意識を生むと多くが考えているはずなので、無意識である以上、マイナスの要素を見つけることは難しいと思う。死ぬときには肉体的苦痛を感じる場合もあるがけど、それは死そのものから発するものではない。例えば毒を飲んで死ぬときには苦痛があるんだろうけど、毒を飲んだ場合には結果的に死ななくても苦痛はありますよね?つまり、その苦痛は死ぬことではなく、毒を飲んだことによる苦痛なんです。精神的苦痛に関しては、もちろん死に対する恐怖などから発生するものであって、死そのものではありません。そんな感じで、死って本来はマイナスではないと思うんです。離婚自体がプラスであるのと一緒だ。離婚を考えないといけない状況それ自体はマイナスかもしれないが、離婚はお互いにとってそれが(これからの双方の人生において)望ましいと考えてやる行為なので、当然プラスにしかなりえません。離婚自体がマイナスならば、そのマイナスにしかならない行為をあえて自分たちの意思でやる意味が分かりませんし。

 

死に対する恐怖がない状況であれば、死を避けようとする必要性は実はかなり乏しい。死そのものは人にとって害悪とは言い切れない面がある以上、死を避けないといけない理由が乏しくなり、避けるべきなのは死に対する恐怖だということになるが、人間はみんな無意識のうちに死から逃げようとしている。人間は実際に死から逃れようとするにあたって、日常生活の中でいろいろな思考をめぐらせることがある。しかし、それ自体が不幸だと思うんですよね。死に対する用心をする人っていうのは、いろいろな機会において、自分が死ぬか?どうかを冷静に考える癖がついていると思う。それは死というものに対する知識を十分に持っているからだ。論理的と言えるか?は別としても、確率がどうであるか?これは死をもたらすものか?など、一応頭で考えると思うんだよね。でも、そんなことをするってことは、死に対する恐怖心が非常に強いってことだ。逆に怖いもの知らずの人たちは、そんな思考をめぐらせる機会は相対的に少ないだろう。

 

その結果、思考をめぐらせる機会が少ない人たちの死ぬ確率は上がるかもしれないが、死そのものが当人にとって±0である以上、結果的に死ぬことが、その人にとって問題であると、その人自身は何も思えない、感じられない。逆に思考をめぐらせることをする人は、長く生きられるかもしれないが、死に対する恐怖と常に隣り合わせであり、しかもその期間は相対的に長くなる。これは確実に苦痛だと思います。死だけじゃないけどね。何かを避けようとする行為は、その何かに対して恐怖や嫌悪を感じているわけだから。生きている限り、その苦痛は永遠に続く。つまり、長生きするってことは、何らかの恐怖や嫌悪を長く感じ続けるだけ。何も考えないで生きている、別の言い方をすれば何も考えないで生きられる人間に関しては、本人にとって避けるべき恐怖や嫌悪がないと無意識に思えるから、またはそういったものを想像できる力がないからこそ、結果的に何も考えないで生きることが可能と評価できるだろう。こっちの方がよっぽど幸せに見えてきます。

 

私は向上心というものを不幸の要素だと思っているが、それと同じだ。向上心は現状に不満がある人間が持つものであり、不満がなければ向上心はなかなか生まれない。そして、不満は一般的に言えばマイナスの感情だろう。つまり、向上心を持っている時点で、その人は不幸な感情を心の中に持ってしまっているのだ。よって、向上心が一切ない人間の方が心情的に幸せなんですよ。(論理的に)考えることができる人間、そういう癖がついている人間ほど、日常生活のあらゆる部分に対して、想像力が働きやすくなる。というか、想像を働かせて考えるような習慣が存在する。しかし、それはマイナスの想像力を大いに含む。プラスの想像力も存在はするのだろうが、プラスの想像力は恐らくバカな人であっても人並みに存在すると思うのだ。それは本能的に生き物が追い求めようとするものだから。例えば子猫や子犬だって、腹が減れば餌を求める。腹が減れば、何かを食べてその苦痛を和らげようとすることは、相対的に知能や知識が劣った存在でも変わらぬ形で発揮できることが多いのではないか?と思う。

 

しかし、生きている時間が長いと、その経験によって知識が増えて、想像力が少なからず膨らむのではないか?と思う。特定の人間を信頼できるとか、つまりマイナスを避けようとする想像力は子犬や子猫の段階では劣っているというか、判断するための知能や知識が不十分なのだろう。人間でもあることだけど、知らない人についってしまうのはたいていが子供だ。大人であれば、なかなかそんなシーンはないだろう。でも、子供も大人も腹が減れば、食べ物を得ようとする状況は変わらない。それはプラスな状況を生もうとする想像力だからだ。しかし、実際はプラスと言える想像力においても差はあると言えるかもしれないし、そういうシーンを見出せる可能性はあると思っている。私の場合にはそこまで想像力が今のところ働かないけど。それにここで言うプラスやマイナスの想像力は結局は恣意的な区別によるもので、例えば危険を避けようとすること自体(リスクが小さくなる状況)をプラスだと捉える人もいると思うので、それはそれで構わないと思っている。今回の話は基本的には私の持論だからだ。しかし、私はプラスになる(と多くが考える)行動に関しては、多くが割と等しくとっている気がするけど、マイナスになる(と多くが考える行動)は、想像力がない人ほどとれないのではないか?と思っているのです。あくまでも傾向の話として。そのうえで、心理的にはマイナスを避けるための行動がとれない人の方が幸せなんだろうなと思うわけです。

 

また、仮にマイナスを避けることができる人たち(論理的に考えることができる人たち)だって(論理的に考えることができない人と同等以上に)幸せだ!という主張ができたとしても、横並びでは意味がない。私は論理的に考える癖がつくことが必ずしもいいとは限らないというスタンスの主張なので、論理的に考える癖がついている人とついていない人の幸せ度合いが同じならば、論理的に考える癖がつくことは必ずしも重要ではない、どっちもでいいじゃん!という、私の当初の主張が正当化されやすいだろう。私は少なくとも論理的に考えられる力を持たない人と彼らよりも論理的な思考ができる人を比べて、前者の方が不幸であるとは言える証拠はないと思っていますから。だから、論理的に考える癖をつけるべきだと考えている人は、論理的に考えられる人の方がそれができない人よりも絶対に幸せになりやすいんだ!という主張をせねばならんだろうけど、無理だろうな(笑)「世の中には知らない方が幸せなことがある」と言われるケースがあるが、これは本当に真実だと思うんだよね。というか、人間は出来るだけ多くのことを知らない方がいいと思います。知らない方が幸せなことは、もはやこの世の全部だと思っています。想像力が働いてしまう、考える力が発揮されてしまう人ほど、余計な事実まで結果的に知ってしまい、そこに悩み、苦しむ率が上がるかもしれない。私は人間は何もかも知らない状況が理想だと思っている。想像力や考える力があることによって、幸せである状況があるとしても、その状況が不幸になる状況よりも絶対に多いとか、量的に優れているとか、そういう証明ができる人がいるならば、ぜひ話をしてみたいと思っていますけど。

 

例えば、私で言えば将来のことなんか一切考えないです。多くの人はさ、老後とかのことを考えて生活しているんだろうけど、それって不安があるからじゃん?将来に対する想像力を膨らませる理由は、将来に対する恐怖が理由なのです。でも、その問題が仮に解決したところで、何の解決になるのか?と思います。老後の問題って、たいていはお金だと思うんだが、じゃあ金持ちは一切不安がないのか?という話です。金持ちでも悩みは絶対にあるだろう。でも、金持ちじゃない人からすれば、身近な悩みとしてお金の問題が浮かんできているだけの話で、お金の問題が解決して、不安を抱えずに済んだとしても、今度はまた別の不安が生まれるだけでしょう。悩みが入れ替わるだけだと思います。悩みなんか抱えるだけ無駄ですし、将来のことを考えるのも不安を助長するだけ。将来だけに限らないが、想像力なんかいらないんだよ。不安って抱えたくないものじゃん?だったら、考えない方がいいと思うんだけど、それでも論理的に考えることが大切だって人はいなくならないんだろうね。想像力が豊かな人も、そういう想像はできないんだろうなと思うわけです。

 

 

あわせて読みたい記事