就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

「真面目である」と周囲から評価される人間であることの価値とは?

【スポンサードリンク】

Youtubeにはアニメ「美味しんぼ」の動画が公式チャンネルにてアップされているが、その中に「グルメ志向」という回がある。これを先日視聴してみました。これは東西新聞にて、ある特集を組むことになり、その際に今までグルメ記事を多く書いてきた、信頼のおける作家の力を借りようと、主人公の山岡らがその作家のもとを訪れる話です。ただ、この作家はもうグルメに関する記事を書く気はないという。それは今まで真面目に、真摯に日本の食文化の発展のために記事を書いてきたつもりだが、結果として生まれたのはグルメ志向の日本人の増加だと言うのだ。グルメ志向というのは、要するに本場の味や高い料理を食べることに満足感を得ている人たちのことであり、彼らは料理の本質ではなく、ブランドに魅せられているだけなのだそうだ。そんな状況に気付いたために、もう執筆意欲がないと言って、今回の仕事を断ろうとしていたのです。

 

そんな作家の態度に山岡は「今まで散々グルメ志向を煽っておいて、今更やめるなんて無責任」と言い放つ。すると、この作家は激怒し、東西新聞に寄稿していた他の記事までやめると言い出してしまいます。この回に登場する山岡と作家は、食に対して非常に真面目に対峙しているように見える。しかし、そういった態度に関して、私はビジネスという視点からすれば、全くの無意味に感じられるのです。彼らの行動には合理性が一切ありません。要するに、作家が指摘しているグルメ志向の日本人は、記号を消費する人たちであり、料理の良し悪しが値段が高いとか、有名であるとか、そういったものになっている。彼らは美味しさよりも、そういう特別な料理を食べることを通じて、優越感に浸ることが目的になっているのです。

 

このような光景は、食に対して真剣に向き合っている人間からすれば、否定したくなる存在だろう。ただ、恐らくこういった記号を消費する人間の方が、世間では圧倒的に多数派だと思われます。それが多数派である以上、ビジネスはそんな部分には目をつむった方がいいのだろうと思う。実際、自分のお店を訪れている人たちが、このグルメ志向の人たちばかりだと知ったとしても、彼らを入店拒否するお店なんてまずない。それはお店はあくまでもビジネスとしてやっているからだ。いくら料理が、食が大好きであっても、ビジネスとしてやっているお店では、利益を逸する可能性があるような態度はとれない。以前、はあちゅう氏が「CMは偏差値40の人にも理解できるようにすべき」と発言し、話題になったことがあった。彼女は電通で働いていた頃にそのように先輩から習ったらしいが、これも結局は消費者というのは、その程度のレベルの人間だと見なすべきだという感覚が存在している状況がうかがえる。あくまでもビジネスにおける客は、その程度と割り切る気持ちが必要という考えが電通の(一部?)の社員にはあるのだろうし、個人的にはそれは現実の光景に対する認識として、間違っている気はしない。

 

私から見れば、作家はそんなことを気にしてしまったがために、仕事のチャンスを逸しているわけで、山岡に関しても作家を怒らせて会社から大目玉を食らっている。どっちもビジネスには向いていない一面を披露しているのだ。電通のような考え方ができればそうはなからなかったのにね。これはアニメなので、最終的には両者ともめでたしめでたしという状況を迎えるが、現実だと一体どうなるのだろう?私みたいな仕事に関しても、食に関しても関心がほとんどない人間からすれば、グルメ志向の人間が増えようが、正直興味がない。彼らは彼らなりに満足してんだから、それでいいだろ?くらいの感じだ。それにグルメ志向が悪いと断じることは、感情論以外は無理だろう。それが悪い理由を私は説明できない。食事を通じて、何に魅了されるか?の違いでしかないのだ。グルメ志向の人間が増えて何か困るのか?と言えば、一部の人間の感情が害されるだけ。んなもんな知ったこっちゃない。

 

そんな感じで、私からすれば、グルメに関して非常に真面目に見える、多くから真面目と評価されそうなこの2人に関して、現実にいたら仕事に向かないだろうなと思えてくる。私が東西新聞のお偉いさんだったら、グルメ志向の人間が増えようが、そんなものは気にせず今まで通り仕事してくれればいい、グルメ志向の人間をこれまで通り煽り続ければいいと思うだろうな。私はビジネスとはそういった存在だと思っているし、自分が大好きなことであっても、ビジネスとしてやる以上はそういう考え方を持つべきだと思っている。この作家に関してはフリーランスみたいだから、どういう価値観で仕事をするかは自由と言えば自由だが、山岡の方は会社に所属しているので、会社からすれば、今回の一件だけ見れば相当問題児だろう。しかし、山岡の場合には、この回以外で会社に貢献しているように見える面が多々あるから、まだ救いはあるものの。

 

真面目という言葉はいろいろな解釈ができる。個人的には作家や山岡のように一種の正義感をふりかざすというのもそれに当たる気がするし、あとは世間の価値観に沿って行動するというのも真面目と言われるんじゃないか?と思っている。そして、言われたことを素直にやり通すことも。真面目という言葉自体に何か意味があるわけではないが、真面目であることと仕事ができることは関係ないというか、少なくともビジネスにおいて真面目であることに特別な価値があるとは思えない。真面目であることでメリットをもたらすこともあるのだろうくらいの感じだ。逆に言えば、不真面目と評価されるような人間も、その非常識的な感覚ゆえに生み出せる常人とは違う発想があり、それがメリットになることもあるはずだ。それに私みたいにグルメ志向の人間なんて放っておけよという、適当さがにじみ出る不真面目な性格の方が、今回のケースでは会社の利益になるだろうし。真面目か?不真面目か?は特に関係ないならば、真面目であることの価値はビジネスにおいてさほどないんじゃないか?と思える。

 

実際、先に出した電通の例で言えば、はあちゅう氏の発言は「傲慢」と揶揄されたりして、非難している人が多かった。つまり、社会からすればこれは不誠実な発言、真面目とは言い難いものだったと評価できるでしょう。でも、そんな教えを請うたはあちゅう氏は今日では有名人となり、ビジネスでも成功しているように見える。そして、そういった考え方が生まれた電通は言わずもがなの状態だ。真面目と言われるような人間は、言ってしまえば社会の多数派であり、その人柄自体はみんなが持っているがゆえに、突出した能力にはならない。少なくともビジネスにおいてはそのように思う。真面目であることは人柄として評価される面はあるものの、所詮は一般的な価値観の中での評価であり、それ以上でも以下でもないのでは?と思えて仕方ないのです。周囲からすれば、真面目な人間はある種の安心感を生むので、それ自体はメリットかもしれない。みんなと同じという意味でね。しかし、みんなと同じという状況はビジネスにおいては、真逆の評価になるだろうと思います。

 

 

あわせて読みたい記事