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「誹謗中傷が嫌ならばSNSやめれば?」に対する反論が謎過ぎる問題

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ネット上の誹謗中傷の問題になると、SNSやめれば?という意見を言う人がいる。私はこれはその通りだと思っている派の人間です。しかし、こういうことを言うと、反論が必ずくるわけです。それはおかしいと。「いじめにあっている子供が、いじめに遭いたくなければ学校に来なければいいと同じである」といった反論をされることがあります。この反論は謎としか言いようがない。反論してくる人は、SNSやめれば?という発言自体を間違っているという風に捉えています。でも、SNSやめれば?って言ってる人の真意はそこじゃないでしょう。少なくとも私は、「それが現実的な手段として最も誹謗中傷の問題を解決しやすいと思っている」というニュアンスで主張しています。彼らは理想論の立場から主張しているのに対して、私たちは現実目線での主張をしているんです。だから、正しい、間違いの話ではありません。そういう意味では、SNSやめれば?が間違っていたら何なの?いじめに遭っている子供が、いじめに遭わないために学校に来なくなるケースと同じだったら何なの?と返すだけです。それが最も現実的であるというスタンスからの意見なのだから、それが現実的ではない(現実において実行できない)という反論なら分かるが、そんな反論をしているのを見たことがない。

 

反論の方向性が謎なんですよね。それにSNSをやめるってのは、自分が誹謗中傷の被害に遭わないための自衛手段の1つです。それがおかしいって言うならば、泥棒対策で家に鍵をかけるのもおかしいの?これだって、現実的に泥棒の侵入を防ぐために行われている、有効な手段わけでしょ?それに疑問を持たずにみんなが取り組んでいるのに、SNSになると何で自衛が間違っているなんて反応になるの?マジで理解できない。実際、SNSやめれば?に反論する人って、SNSをやめる手段はとらないんだろうが、家には鍵かけてますよね?そっちは平気でやるのに、これを否定する理由が分からん。恐らく誹謗中傷される側が何で対策をしないといけないんだ?それは理不尽だろ!って思うのかもしれないけど、泥棒に入られるかもしれない側がいちいち家に鍵をかける手間を講じないといけないのは理不尽じゃないの?

 

あと個人的に1つ疑問なのは、SNSやめれば?って言うと、誹謗中傷する側がやめるべきという反論をしてくる人がいる。これが反論になっているとは到底思えないんですが?だって、これってマジでブーメランですよ。というのも、あなたが誹謗中傷をこれまで1度もしてこなかった、これからも一切しないって保証がどこにあるんですか?という話です。誹謗中傷をする側がSNSをやめるべきならば、それを言っている本人もやめるべきじゃないですか?だって、あなたが誹謗中傷をしていない、今後一切しない、そんな保証はないんですから。誹謗中傷って、他人が指摘するものですよね。つまり、自分はそんなつもりはなくても、他人からそう見えたら誹謗中傷なんですよ。この状況で、誹謗中傷をしていない、今後もしないと言い切れる人間が1人たりともいるわけないと思うんですが?ちなみに私もそのように言い切れる保証はありません。

 

SNSやめれば?っていうのは、誹謗中傷の被害に遭うのを防ぐだけではなく、自分が加害者になるのを防ぐ効果もあります。誹謗中傷がなくなるべきって言うならば、誹謗中傷する側がやめるべきと言うならば、誹謗中傷を今までにしたことがない、これからも絶対にしないと言い切れる、その証拠を提示できる人間以外は全員やめないと納得できませんよ?だって、誹謗中傷した人間がやめるべきってのは、「これからもするかもしれない」って部分があるからでしょう。これから一切しない前提ならば、やめるべき合理性がないですからね。でも、これからするかもしれないってのは、今までしたことがない人には当てはまっていないわけではありません。誹謗中傷を過去にしたことがある人も、その日までは1度もしたことがなかった人なんですから。実際、誹謗中傷を叩いている人間は、恐らく自分がその加害者になるかもしれないって発想自体がないでしょう。自分は常に正しいことをしている、言っている、そういう認識の人が多いと思うんですよね。そんな状況を西村博之氏も非難しているわけですが。以下のツイートがそれです。

 

 

ここでいう「クズ」は完全に悪口だろう。ただ、このクズという言葉に共感する人間は、これを誹謗中傷と捉えないというか、そもそも悪い発言とも思わないのではないだろうか?クズ呼ばわりをしているこの人が正義から、そういう言葉を選んでいるのだとしたら、正義を感じればそういう表現を使っても良いと捉えられてしまう。人間は自分が間違っているなんてなかなか思えませんから、そういう意味では正義はみんな感じるんじゃないの?じゃあ、正義から生じる誹謗中傷もなくならないんじゃないの?という結論になってしまいます。誹謗中傷を叩いている側が、こんな言葉を投げかけるわけだから、やっぱり加害者になっている自覚がないんだろうとしか言いようがない。実際、このクズ呼ばわりした人のツイートに対しては、「貴方の発言も誹謗中傷では?」、「こういう人が他人を死に追いやるわけか」、「特大ブーメラン」とか、散々な言われようだが、こういう発言の中にも誹謗中傷と言えるようなものはあるかもしれない。よって、誹謗中傷は誹謗中傷を呼ぶということなんでしょうかね?このクズ発言をした人は後に「誹謗中傷に苦しむ人たちを励ますため、中傷を止めさせるために、クズという言葉を使った」と釈明しているが、クズという言葉を使う必要性の説明にはなっていません。クズと言わなくても、励ますことは可能だし、そもそもクズと言い放つことで火に油を注ぐ可能性もあるので、誹謗中傷がなくなるとは到底思えないのですが。

 

このツイートに関しては、「自分が楽しむために中傷すること」と「中傷に傷付く人たちを励ますため、また中傷する人たちにそれを止めさせるためにする中傷」とでは意味合いが異なり、同じことと見なすのは不適当でしょう。」と擁護する反応もあったが、ここでの論点は同じことと見なすか?ではありません。誹謗中傷と非難している側が誹謗中傷にしか思えない発言をすることの問題点です。これは過去に何度も出している例だけど、殺人と万引きは同じではないが、どっちも犯罪でしょ?問題行為でしょ?は間違っていないですよね?つまり、AとBは違うが、AとBはどっちも犯罪であり、問題であるという結論にするのは問題ない場合もあるわけです。だから、これについてはブーメランではない!誹謗中傷じゃない!という擁護になっていないんですよ。ブーメランじゃないって言いたいならば、目的に違いがあるではなく、このツイート自体が誹謗中傷じゃない、問題ではないという説明しないと足りません。目的に違いがあれば、自動的に一方が特定のレッテルを逃れられる、または正しくなるのであれば、金目当ての殺人と怨恨による殺人はどっちかは犯罪じゃない、またはどっちかは正しいってことですよね。この例を否定するのであれば、目的に違いがあっても一概にどっちかが特定のレッテルに該当しなくなるわけじゃない、正しくなるわけではないと認めたことになるので、改めてこのツイートが誹謗中傷ではない、間違っていない理由を提示すべきです。それがブーメランではないという擁護です。ただ、この部分に関しては以下のツイートも興味深い。

 

 

こういう部分を見ると、誹謗中傷という指摘をされた人間も加害者になっている自覚がなくても不思議じゃない。加害者になっている自覚がなければ、自分の発言が誹謗中傷だと思えないんだから、そういう発言は平気でなされてしまう。やっぱり誹謗中傷はなくならない。そういう結論になってしまいます。じゃあ、誹謗中傷がなくならないならば、泥棒がいなくならない中で家に鍵をかけるという自衛と同じ、SNSをやめるという自衛が現実的に、最も有効な対策になってしまいますよ?ということです。SNSをやめれば?に反論してくる人は、少なくとも話の方向性は間違えないでほしい。そして、まともな反論をしてほしい。それだけが私の願いです。

 

 

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