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私たちが暮らしている現代の日本は、テロリストたちが作り上げた国と言っても過言ではない

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今の日本は基本的にはかつてのテロリストが作り上げた土台を基本に成立している。特に政府はそうだね。今の日本政府は明治時代に根本が作られ、江戸時代とは一線を画すようになった。江戸時代までは将軍が政治の実権を握っており、江戸時代の末期には幕末の志士と称される人物が倒幕を企て、結果的に国内のいろいろな場所で内戦が勃発し、江戸幕府は倒れた。そんな日本史を知っている人は多くいると思うけど、ここで重要なのは討幕を企てた幕末の志士とやらは、現代の言葉で言い換えれば「テロリスト」であるということ。政治的な目的を達成するために暴力による脅迫を用いるという主義自体をテロリズムと呼び、その実行者がテロリストになる。教科書とかでは詳しくは語られていないけど、倒幕に至る過程では多くの人たちが死んでいます。江戸幕府にかかわる人物も含めて。だから、明治維新の立役者とされている人物はほぼもれなくテロリストです。テロリストが=極悪人ならば、彼らも極悪人です。一般的にそういうイメージはないかもしれないけど、例えば坂本龍馬=テロリスト=極悪人という構図になります。福山雅治さんが大河ドラマで演じていたのはこのテロリスト、極悪人と言われるような人物なわけです。

 

今の日本の政治システムはそんなテロリスト連中が作り上げたものであり、それを今でも踏襲しています。つまり、当時の政治システムがほぼそのまま現代でも受け継がれたままだとしたら、別の言い方をすれば、現代において当時の倒幕のような動きが見られないならば、彼らは当時のテロリストのやり方に共感した、当時のテロリストの存在に意義を見出したということだろう。現代の政治システムを否定し、それを壊そうとすれば、彼らもまたテロリストということになるが、当時のテロリストを一応否定したことになる。しかし、当時のテロリストを否定しない現代の政治家連中は、一応テロリストではないものの、テロリストの存在自体を否定しない(姿勢を見せる)人間になる。

 

日本では幕末の志士って人気というか、好きな人はそれなりにいるらしいですけど、そういう彼らが好きな人たちもテロリストに共感しているって状況なんでしょう。私たちが当時の彼らについて正確に知ることはできない。あくまでも教科書に載るような情報しかほぼ知らないわけで、特定の人物を総合的に評価することはできない。多くの人たちは総合的に評価するという発想すらないだろうけど。実際、多くの日本人は与えられた情報のみで特定の人間の人間性などを評価するんじゃないか?と思う。特定のエピソードだけ見て、こいつはいい奴だ!悪い奴だ!と判断するのが日本人でしょう。ヒトラーとか、典型的なケースでしょうね(笑)ヒトラーがどんなに素晴らしいことをしていても、それを勘案するという発想を持てる人はほぼいないと思います。

 

世間一般において、国民の味方に思える人間は悪く言われないし、扱われません。その国民の味方とやらが政府に対して暴力を伴って体制を変えようとしたとしても。テロリストだとしても。明治維新の後、日本はいくつかの戦争を経験したが、最終的には太平洋戦争で敗れ、連合国に占領されることとなる。戦争もテロ行為と大差ないと思うが、連合国が占領中に行ったこともテロの延長だろうし、GHQはテロリスト集団と扱って構わないと思う。そして、占領下において行われた政策の中にもいまだに踏襲されているものがあるのだから、戦後日本においても日本はテロリストによる支配を受け、その状況を肯定(容認)していると思われる。他国も同様の面はあるのだろうが、結局日本ではテロリストが培ったものを今でも受け継いで、伝統として続けているのです。

 

テロリストの考えに賛同しているというか、特に違和感を覚えていない状況があるわけですな。日本でも「テロに屈しない!」というバカ丸出しの発言をした人たちはいるけど、過去にはテロに屈しまくっている、その屈する状況が今もなお続いているのが日本という国なんだけどね。私は何度もレッテル自体の無意味さを説いているが、テロとか、テロリストってのは典型だと思います。テロやテロリストはあくまでもそういう内容の手段やそれを使う人たちの総称であり、それ以外の何物でもない。別の言い方をすれば、なぜか人って特定のレッテルをいいか?悪いか?で評価したがる。レッテル自体も無意味だが、いいか?悪いか?という評価も私は無意味だと思っている。何かしらの出来事に何かが原因になっている、なっていないという判断は客観的にできるとは思うものの、その善悪の判断はむちゃくちゃ主観的ですよ。

 

例えば、テロを起こせば人が死ぬが、その人が死ぬ原因を作ったテロやテロリストに対する善か?悪か?という判断は私は無意味だと思っています。つまり、私に言わせればテロリストは政治的目的の達成のために人が死ぬ原因を作った人たちという言い方で終わり。彼らが善人か?悪人か?はたまたそれ以外か?という判断はしません。裁判ではまさにその判断をやっているんだけど、私は裁判なんかいらない派の人間なんで。裁判がない世の中はメリットもデメリットも両方あります。また、人が人を裁く行為が悪いという見方もできるわけだが、その可能性なんか大半の人は無視でしょ?(笑)裁判ってのは、悪人が悪人を裁いている滑稽な光景である可能性もあるわけだが、国も国民の多くも自分たちが正しいと思っていることは、決して間違っているとは認めない。間違っている可能性すら考慮しない。それをする能力がない。これが現実です。

 

強いて言うならば、原因になっている人をすべて漏れなく裁くってならまだ納得してあげますよ。でも、そんなことをすると、裁かれる人は超大量に生まれちゃうんでしょうけどね。その状況はかなり国にとって不都合なんでしょうな。例えば、特定の人間が悪さをした場合、その人間を生んだ親は間違いなく原因になってしまい、誰か犯罪者が出るたびに連帯責任のような形で両親が有罪になるわけですからね。特定の犯罪者はその親が産まなければ100%存在せず、その犯罪も起きようがなかったというのは事実なので、親が産んだことは間違いなくその犯罪の発生原因です。でも、この原因は基本的に責められないのですよ。子供が独自で行った犯罪であるなら尚更だ。それは親である層が社会の中で非常に多いから、そんなことをすると日本が犯罪者だらけになってしまう。体面的によくないと思うのでしょう。また、子供が悪さをしたら常に親が責められる立場になると、少子化が一気に加速するので、それも不都合なんでしょう。少子化が進んでこの国が滅亡に向かっているとして、それを止めないといけない理由を説明することは不可能だと思いますが。でも、なんとなーくの感じで国が滅ぶのはよくないでしょ?って思ってる人が多いんだと思います。理由なんか考えないで、直感でそう判断しているのでしょう。

 

実際あったケースで言えば、以前5chで「犯罪者から人権を取り上げるべき」みたいなスレッドがあって、そのスレ主の人に質問をしてみたんですよ。「なんで犯罪者に限定したの?」と。すると、「あら?気に障った?w」みたいな返信が返ってきたんですけど、私は「いや、害悪な行為って犯罪以外にもたくさんあるのに、なんで犯罪に限定したのかな?って(笑)あなたは害悪な行為をしている自覚があるけど、犯罪は犯したことがないから、そういう都合のいい線引きをしたのかな?あなたは自分が該当する害悪な行為は許容して、そうじゃない都合の悪い害悪な行為をする層だけを排除しようとする卑怯者なのかな?(笑)」と煽り気味に返信したら、もう何も返ってきませんでした。この人は最初の時点では、私が犯罪を犯したことがある人だと認識し、だからこそ犯罪者に限定しているスレタイを踏まえて、こういうレスをしたんだと思うが、その後まさか何も言い返せない反論を食らうとは思ってもなかっただろうね。何も言い返せないのを誤魔化すために、呆れたことにして逃げたのかもしれないですけど。別にそういう卑怯な意図を持って犯罪者に限定したとしても、別にそれが悪いこととは思いませんけど。というか、いい、悪いの判断はしないというのが私の今のスタンスなんでね。単に頭の悪そうなことを言ってる人間をおちょくるのが私の趣味なだけです。

 

こんな感じで、害悪な行為ですらも都合のいいものとそうじゃないものに分けて、扱いを変える、差別をするというのが人類の常識と言えるでしょう。犯罪という言葉は、そういうことをする人間が使う表現なのです。特に刑事裁判は何らかの悪事の原因を作った人が裁かれる前提だとしても、国や大半の国民にとって不都合になりうる原因、正確には不都合とは言い切れなくても、国や国民の多くが不都合であると思い込んでいるような原因はお咎めなしなんです。あとは世間一般の常識による恣意的な線引きで、これは問題のない原因である(多数が当てはまってしまうと思われる原因は特にそう)と認定されたものもお咎めなしです。こんな欺瞞が存在している中で、誰が悪い、悪くないを決めて何の意味があるんですか?という点を改めて問いたいです。そして、テロやテロリストは絶対に悪なんでしょうか?そのような判断はあえて必要なんでしょうか?ここも考えてみてほしいです。

 

 

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