就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

「命は1つしかない!」←これを言う人ってむちゃくちゃ頭が悪いでしょ(笑)

【スポンサードリンク】

「命は1つしかないから大切に」とはよく言われるが、そもそも命が1つってどうやって数えたんだ?と私は思う。世の中の99.9%の人たちは命は1つだと思っているだろうし、その根拠の特にない発想を妄信しているだろうと思われる。ただ、冷静に考えてみると、小学生の作文などにありそうなこの文言は非常に謎だと思うんだよね。命が1つしかないというのは、実際何を根拠にしているのか?というと、根拠を見たことがないので分からない。これは世の中では真理のように扱われている状況で、本当?と疑うことすらしたことがない人がほとんどだと思います。というか、疑ったところで、特にメリットもないと考えている人もいるかもしれんがね。

 

人間は最終的に絶対に死と呼ばれている現象を迎え、その瞬間に命が尽きた、なくなったという扱いを受ける。つまり、命は最終的に0になるわけだが。それ以前にいくつあったか?は分からん。10個あったかもしれない。10個あろうが、100個あろうが、最終的に0になるという状況は別にありえるのだろう。人間が死を迎えるのはあくまでも命が尽きた瞬間であるならば、生まれた時点で命がいくつあったか?は不明だ。実際、生まれた時点で10個あったとして、それが1つずつ減っていき、0になった瞬間に死を迎えたとしても、現実と矛盾しない。1から0になった瞬間以外は命が減ったことを実感できないだけで。そういう意味では、人間は些細なことで命を減らしているのかもしれないってことだ。実際、多くの人にとって死んでもおかしくないと考えられる状況を迎えたときに、そのまま死ぬ人もいれば、生きながらえる人もいる。これって見方によっては、1つ命を減らしたけど、残っている命でなんとか生きてるだけなんじゃない?って思えるくる。それが間違いという証拠はない。

 

というか、命なんて概念は人間が作ったもので、それ自体が実体としてこの世に存在しているわけではないからね。人間が作った命という概念をどう解釈するか?に間違いも何もないとも言える。そういう意味では、命が1つというのも間違いとは言い難いが、正しいとも言い難いだろうと思っている。命という概念を作った人間らが、それは1つであると捉えて、後世に伝えていった結果が今なんだろう。1人の人間は実は何回も命を失くしているいるけど、その度に残っている命で復活しているだけだとしたら、アクションゲームみたいな世界だね。でも、実際そうかもしれない。そうかもしれないというよりは、そう捉えても矛盾は生じないということ。

 

長い前置きはさておいて、いよいよここからが本題です。そもそも私は何でこんな話をしたのか?と言えば、「命は1つである」という言葉は、人間にとっては多大なプレッシャーという事実を伝えたかったわけです。たいていの人って死にたくないわけじゃないですか?で、命とやらが1つしかないってことは、死を1回でも経験したらゲームオーバーってことです。アクションゲームとかでもさ、あと1回しか死ねないとなれば、むちゃくちゃプレッシャー感じるわけ。でも、10回死ねるとなれば、大分気楽に進められるわけですよね。で、過去に何度も言っているけど、レッテルというのは呼び方が変わるだけで、その中身には一切変化がないわけです。特攻隊がテロリストと呼ばれても、呼ばれなくても、特攻隊が何をしたか?という歴史そのものは一切変わりませんし、変えられません。この場合、テロリストというレッテルには何の意味もありません。「命は1つである」という言葉、これに何か意味があるんでしょうか?マイナス面は見出せますよ。さっき言ったけど、命が1つしかないと思えれば、それだけプレッシャーを感じながらの生活になりやすいのです。これをやるまでは死ねない!とか、無意識に自分を与圧している人間もいるはず。

 

でも、命が1つと捉えても、10個と捉えても、100個と捉えても、実際に命が何個あるのか?という部分に関しては変わりません。変わらない以上、プレッシャーをみんな感じながら生きる意味ってなんなんすか?’笑)と思います。命が少ないと思えば、それだけ身の危険を案じながら生活するはず。結果的に死ぬ確率が下がる(長生きできる)というのはあるだろう。ただ、その長生きそれ自体の意味が問題なのだ。死というものは原則として、誰もが経験するものである。つまり、人間の致死率は100%です。この確率自体は操作できません。下げようがありません。今の技術では。操作できるとしたら、死を迎えるタイミングです。で、そこで問題になるのが、さっき言ったように長生きをすることの意味です。長生きが良いとされている理由って、自分自身が死にたくない、または自分にとって親しい人が死ぬところを見たくないという思いにより、できるだけ死を先延ばしにしたいと思った結果、生じた風潮だと思っています。

 

でも、先延ばしにしても死それ自体は避けられません。嫌なことを先延ばしにしているだけって意味では、夏休みの最終日まで宿題をやらない小学生みたいな光景に見えてきます。でも、死を先延ばしにしようとする行為、それ自体を否定的に捉える人は世の中にほとんどいない、それ自体は正しい行いとしか思えない人が実際大半であるため、夏休みの最終日まで宿題を先送りする小学生は叩かれても、死をできるだけ先送りしようとする人たちは叩かれません。でも、死を先送りしても何の解決にもならないわけです。それどころか、死それ自体がより悲しく感じられる状況を作っているだけです。具体的な例を出すと、生まれたばかりの自分たちの赤ちゃんが死んでしまったケース、自分たちの子供が20歳まで生きて死んでしまったケースでは、親から見た場合には後者の方が悲しいでしょう。それは長い時間を一緒に過ごしたからです。思い出補正がより強まってしまった結果、後者の方がどうしても悲しいわけです。長生きするってことはそういうことです。別の言い方をすれば、充実した人生を送ってきた人ほど死に対する恐怖心が強くなります。

 

これは本人のケースでも同様です。生まれたばかりの赤ちゃんが死んでも、その赤ちゃん自体は何か悲しさがあるのか?(死ぬ直前に負の感情があったか?)と言えば、ないんじゃない?って多くは思うはずだ。しかし、20歳まで生きてから死ぬと、本人は悲しい感情を覚えたうえで死ぬことになりますよね。死を避けられない前提で言うならば、人間は長生きした方が周り、本人にとって悲しい、辛いケースが普通にあるわけだ。これはどういう年齢で比べるか?にもよるけれども、相対的に長生きした方が本人、周りの人たちにとって不幸であるケースが存在すること自体は事実でしょう。そして、一定の年齢を過ぎると、年齢の差の悲しさはあまり変わらないと思う。例えば、60歳で死ぬケースと80歳で死ぬケースでは、本人や周りの人間の悲しさや辛さはそこまで大きくは変わらないと思われる。どちらも思い出補正が十分に存在しているからだ。強いて言うならば、平均寿命を下回っているという事実に関しては、多少なりともマイナスの感情はありそうだが、長生きしすぎるとお金がかかり、そのお金を捻出するのが大変と感じることもあり、それが不幸に感じられることも考えられる。結局はどっちもどっちでしかなく、長生きと早死にはケースバイケースで捉え方が変わり、全体的には±0と評価せざるを得ない。どっちがいいか?は状況次第です。そして、この部分に関して±0ならば、あと残るのは死のプレッシャーをどの程度感じるか?という部分だけ。

 

日常的に死のプレッシャーを少なからず感じながらの生活は、生きながらにして不幸を背負っている状況だ。しかし、死のプレッシャーが日常的にほぼない状況は、そういった不幸な要素をほぼ感じないで生活ができているということ。人間は死んだら悲しみを感じないので、本人にとっては間違いなく死のプレッシャーがない方がいいと思われる。死のプレッシャーがほぼないと言っても、死の直前には予感くらいはあるだろうけどね。つまり、日常的な部分での差が大きいということです。命は1つしかないんだから大切に!みたいな言説を思考停止の状態で当たり前に唱える人は、世の中に数多くいると思うが、それに何の意味があるのか?誰を幸せにしているのか?は私には理解できないということです。

 

 

あわせて読みた記事