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「いじめ」という言葉は、いじめ加害者をいじめるために存在するんだよね(笑)

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「いじめ」って言葉はレッテルなのです。人間が作り出した言葉なのです。つまり、いじめという言葉の使用をやめる、いじめという概念を消すことができれば、この世からいじめはなくなります。でも、こんなことを言うと、それじゃ意味がない!って誰もが言ってくると思います。要するに、いじめという言葉は消えても、いじめというレッテルを貼られる行為が消えるわけじゃないから。ってことは、問題は「いじめ」じゃないってことですよね(笑)実際、そんなやり取りを最近になってある人とやったわけだが。その相手は「いじめという言葉の使用をやめても、苦痛を味わう人がいなくなるわけじゃないだろ。何の解決にもならないんだが?」と言ってきたが、こちらとしてはまさにその返答を待ってましたよ(笑)「つまり、あなたの理屈でいえば、他人に苦痛を与える行為こそが悪なわけですね?」と返しました。ここまで言うと、相手もさすがに気付くわけです。流れがヤバいと。

 

間髪入れずに、私は「他人に苦痛を与える行為が悪ならば、なんでいじめって言葉をあえて使うんですか?いじめって具体的な定義がないじゃないですか?他人に苦痛を与える行為って言い方をした方がよっぽど具体的で分かりやすいと思うんですけど?」と返信したら、ここから15分くらい全く返信がない状況が続き、あれ?逃げたかな?と思った頃に、ようやく返信がきて、「ん?何が言いたいのか?さっぱり分からない」みたいな返信がきたのね。15分悩んでそれ?(笑)って思ったけど、相手の心理を読むと、何か反論できる部分はないか?探したが見つからなかった。その結果、私の言っていることが理解できない風を装うことにしたのでしょう。

 

その後は「あなたがいじめって言葉を使ったのは、自分が他人に日頃から与えている苦痛を悪としないため、それらを除外するために、特定の他人に苦痛を与える行為(自分が日頃からやっていないと思われる)だけを指定する目的があったからですよね?それ以外で理由があるなら教えてください(笑)」と返しましたが、以降はさっきと同じです。「言っている意味が分からない」の繰り返し。それしか言えないなら、フェイドアウトすればいいのに。と思ったけど、逃げた風に終わるのが嫌だったんだろうな。相手の言っている意味が分からないことにしないと精神の平穏が保てない人だったんでしょう。自分が論破されたされたことを認めた瞬間に発狂するような人だったんじゃないですか?私は暇人なので、ずっと付き合っていたんですよ。「どこの意味が分からないんですか?」などを再度質問しましたが、相手はずっとこんな感じのまま。1時間半くらい経過して最終的には向こうが折れましたよ。最後は相手が逃げてくれました。その後10時間以上スレを観察していましたが、再度現れることはなかった。

 

いじめって言葉を使う理由は、自分がやっている他人への苦痛を与える行為を除外するためでしょう。「他人に苦痛を与える行為」といった、非常に具体的な言葉をあえて使わない理由は、自分たちは善だが、彼らは悪であるというスタンスを保つため、そういう風潮を作り出すため。あえてレッテルを使わせてもらうならば、とんでもない卑怯者ゴミクズの手口なんですよ。「他人に苦痛を与える行為」全体をNGとしているならともかく、いじめや誹謗中傷とか、特定のレッテルを貼る行為に限定してNGと言っている人間が世の中には多いはずです。日本はそういう知能レベルか、人間性のレベルの国ということです。(笑)いじめって、要するに娯楽なんですよ。やっている側からすれば、楽しいからやるわけ。でも、いじめという娯楽をやるには、いじめる相手が必要で、その人に迷惑をかけることになる。しかし、それってそんなに珍しいことではありません。

 

世の中には他人に迷惑をかけないと成立しない娯楽は山ほどあります。飲酒や喫煙は代表的でしょう。私はどちらもやりませんが、そんな私からすれば、飲酒や喫煙をする人は迷惑な存在でしかありません。酒飲みや喫煙者は害にしかなりえないんですよ。そういう意味では、飲酒や喫煙をする人をいじめ加害者と表現しても差し支えないはずです。そんな飲酒や喫煙を多くの人たちはやっている、もしくは容認している状況なわけですよ。飲酒や喫煙の場合には、その行為が最終的に人殺しにつながる可能性もあります。飲酒運転や火災の発生の場合、他人を死に追いやったりする場合が考えられるというか、実際に起きてますよね。いじめもそれがきっかけで人が死ぬ可能性もあるわけだから、なおさら一緒ですよね?という話です。

 

あとはお笑いの世界もいじめなくしては成り立たない。これに関しては、爆笑問題太田光氏が以前同じようなことを言っていた。お笑いの世界は何らかの要素を持った人間を面白おかしく茶化すという前提がある。例えば、薄毛の芸人をバカにするという光景があるが、これはまさにいじめの構図だ。あとは去年に水曜日のダウンタウンで放送された、かなり深い落とし穴に落とされた芸人がそのまま放置され、日が暮れるまで誰も助けに来ない場合、正気を保てないのでは?という説を検証した回では、面白かった!とか、そういうTwitter上でのコメントもあったが、かなり否定的なコメントもありました。そして、その中には「これはいじめと同じだからな?」といった辛辣な意見もありましたが、私からすればお笑いの世界で行われていることは、全部いじめなのに、何言ってんだこいつ?バカなの?(笑)と思ってしまったわけです。そして、すでに話したように、いじめは他人に迷惑をかけながら行う娯楽で、多くが日常的に類似の行為をやってるんだから、別に問題ないでしょ?(笑)としか思えません。いじめという言葉を使う人は、たいていいじめの何が悪いか?まで説明できませんから、いじめ=娯楽という事実に気付いていないのでしょう。

 

それに芸人やってたら、こういうドッキリで酷い目に遭う可能性は誰にでも理解できるんだから、それが嫌ならば芸人なんかならなければいいんだけどね。芸人の場合にはいじめられる状況に本人が同意しているという意見も見られたが、その本人の同意と感じられる態度が本心か?は分からないですよ。こいつ使いづらいなと思ったら干すという名の集団リンチを敢行するのが芸能界という、いじめ加害者御用達の世界なので、いじめが嫌だったとしても、明らかに不快という態度を見せる人はまずいないでしょう。ブラック企業で働く社畜もそんな感じだろうけどね。本人が抵抗する姿勢を見せなかったらいじめもOKなら、訴える人が一人もいない限り、どんだけ違法労働を強要しても、ブラック企業をバッシングする理由はなくなります。

 

そういう世の中に多数存在する例外行為を除外するため、悪としないために使われているのがいじめというレッテルであり、いじめは他人に苦痛を与える行為すべてを指すわけじゃない。社会の中である程度多くの人たちがやっている他人に苦痛を与える行為は除外されるという前提で使われます。差別の意識が根底があるわけです。それもとんでもなく都合のいい差別意識がね。そして、自分たちにとって都合が悪くない存在だけを悪と認定するため、別の言い方をすれば、いじめ加害者と言われる人たちをいじめるために「いじめ」という言葉が使われているのです。この場合のいじめは集団リンチとも言える。社会の大多数の人間が、いじめというレッテルを貼る人間だけを集中していじめるわけだから。日本は本当にいじめと集団リンチの才能に関しては、非常に長けている国なんですよ。

 

結局、何が言いたいのか?というと、「いじめ」って言葉を普通に使う人は、確実にいじめ加害者ですよ。つまり、いじめを非難している人間は100%いじめ加害者です。本人は自分をまともな人間だと思っている、思いたいんだろうけどね(笑)あなたがまともじゃないといけない理由でもあるんですか?悪人だったら困る理由でもあるんですか?(笑)と問いたいですが。そして、私もいじめをしている認識はあります。私は他人を悪く言うことが頻繁にありますが、それも確実にいじめでしょう。以前に別の記事でも書いたけど、私は日頃から自分を悪人だと思って生きているので、自分がいじめ加害者だと言われても、その通りですが?(笑)としか思えないんですけどね。実際はいじめ=悪とも言い難いから、いじめをやっている人=悪人とも言い難いわけだが。

 

ただ、冒頭における会話をしていたシーンにおいても、私はその会話相手をいじめていたわけです。私は(私から見て)バカにしか見えない人をバカにするのが趣味であり、それが楽しいと思ってやっているので、私が考えるいじめの定義に該当しています。でも、私はいじめに該当するような娯楽は誰もがやっているようなもので、特別視する意味も分からないため、私がいじめというレッテルに該当する行為をしていようが、私自身どうでもいいということです。問題の本質は「いじめ」という言葉ではなく、他人に苦痛を与えることなのでしょうから。そして、他人に苦痛を一切与えることなく、迷惑をかけることなく生きることは不可能なので、いじめそれ自体は不可抗力であり、非難する理由なんてないと思っています。そういう意味では、「いじめ」という言葉を使って、いじめ加害者をいじめるのを咎める理由もないわけですが。私にとってみれば、いじめに該当する娯楽は多くがやっている日常的な行為なのに、なぜか社会はそのいじめについて騒いでいる、という訳の分からない光景に見えてくるわけです。

 

人間ってよく分からない行動を平気でとりますよね。例えば、力仕事は男がやるべきという謎の常識があるが、その理由を問うと、「男の方が力がある(と言える可能性が高い)でしょ?」といった返答をされたことがある。しかし、この発言をした時点で、男か?女か?ではなく、力の有無が問題の本質と言っているわけで、男女で分けないといけない理由はなくなります。そういう事実にバカは気付けないんですよ。男の方が力がある可能性が高いというのは、あくまでも全体の話であり、比べる相手によってはそうではない。たまたまこの場にいる人たちの力を実際に比べたらどうなるのか?それを実践すればいい。要するに力の大きさにおいて性別はせいぜい相関関係の話であり、因果関係の話ではないのだから。例えば、握力などの部分を比べるとか、体格を比べるとか、スポーツの経験の有無を比べるとか、因果関係にかかわる比較をしたうえで、誰が力仕事をやるべきか?考えた方が合理的ですよね?という話です。この世界では、本質が何か分からない、判断できない連中によって、いじめは悪という常識が作られているということです。この状況で、この「いじめ=悪」という構図に何の価値を見出せるというのでしょうか?まあ、そういう無能の言うことが信頼できてしまう無能が大量にいるからこそ、成立している風潮なんですが(笑)

 

 

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