就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

ホリエモン「バイトテロなんかでいちいち騒ぐな!」←私も同感です

バイトテロと言われる事例が最近また発生し、当該従業員に対して損害賠償を請求をしたということがニュースになっていましたが、私からすればなんでこんなことでいちいち世間は騒ぐんだ?と思っているんですよ。バイトテロの事例はいくつかあるようなのだが、最近起きた例では某すし店の店員が、調理した魚をゴミ箱に入れて、それをまた戻したみたいなケースだったと思う。確かにゴミ箱は汚いかもしれない。衛生上問題かもしれない。ただね、こんなのは日常茶飯事で起きていることだと思います。私はスーパーでバイトしたことがあるんだけど、魚を調理している現場とか、超汚いですから。掃除し終わった状態でも、私の印象としては汚いところだな・・・って感じでしたから。臭いもすごいし、年季が結構入っている感じで、ピッカピカの状態にしても、とても綺麗な場所とは思えなかったと思います。私はその場を実際に掃除する立場の人間でしたが、2年弱くらいそこで働いた感想としては、スーパーっていうのはこんなところで魚捌いていたりしてたんだ・・・というものです。私は鮮魚と精肉でバイトをしていたけど、バイト始めて1週間はちょっと愕然としていた面もありました。ただ、結果的に2年弱くらい働いて、感覚がマヒしたんでしょうね。いつの間にか何とも思わなくなってました。汚い場所であることに慣れてしまったのです。

 

バイトテロを起こすような人間は極端なだけであって、衛生的に問題があるようなことをしている人って世の中に超たくさんいると思います。それが動画として残っていないから、大衆に知れ渡らないだけだと思うんですよね。私は100%の力を出して働いたことはない。7~8割くらいですね。怒られない程度に真面目にやってました。だから、2年弱働いて、仕事が不十分であるとか、怒られたことってほぼないんですよ。その間には作業場の衛生面をチェックする業者とかも来ていたみたいだけど、問題があったみたいな報告もされたことないですし。だから、私はそこまですごい真面目に働いた記憶はないが、結果的に真面目にやっていたということになるかもしれない。私が働いていた期間はお店で何か衛生的な問題が発生したとか、発生する可能性を指摘されたとかは一切ありませんでしたから、ちょうどいい具合に(問題が発生しない程度に)サボりながらやっていたということになると思います。そもそも私は食材に触る機会は一切なかったので、私が何か問題を起こす可能性がある立場の人間ではなかったということも言えるかもしれませんが。しかし、バイトなんて安い時給でこき使われている連中が大半なので、不真面目にやる人は少なからずいると思いますよ。私みたいに問題が発生しない程度にはちゃんとやり、それ以外の部分でサボる人も多いかもしれませんが。問題を発生させる程度に不真面目にやる人は少ないかもしれないが、少なからず不真面目にやっている人間が大半なんじゃないかな?だから、食中毒とか衛生的な問題が実際に起きてしまうところまでいかなくても、働いている光景を生で見たら、汚いとか、不衛生だ!みたいな感覚になる人は結構いると思います。

 

実際、「ホリエモン「バイトテロは昔からある」「こんなのでいちいち騒ぐな」と苦言|BIGLOBEニュース」の記事では、ホリエモンが同じようなことを語っている。

 

>堀江氏は「昔からやってるやついるんですよ」と語る。大学生時代に塾講師のアルバイトをしていた時に中高生から「ファミレスで飯食わないほうが良いですよ。床に落ちたハンバーグとか焼いたりしてますから」と言われたという。 その上で、「モラルの低いバイトは昔からいて、それがSNSに投稿されるようになっただけ」と従業員の悪ふざけは過去にも存在し、ネット社会で可視化されるようになっただけと語った。

 

ここで書かれている、床に落ちているハンバーグを焼いて、客に提供しているくらいのことって、恐らく日常茶飯事だと思います。で、それを客に出して何か問題が起きるか?っていうと、多分起きないと思いますし、味におかしさも感じないんじゃないかな?バイトで働いている人間にとっても、そういう光景が想像できるからこそ、多分床に落ちたハンバーグを焼いて、客に出していたんでしょう。でも、客が仮にその事実を知ったら、相当怒りますよね?衛生的に問題がなく、味もおかしいところはないとしても、多分怒るはずです。ただ、じゃあ何でこの人はファミレスで飯食ってるんだろう?って、私は思うんですよね。そういう日常茶飯事で起きていることが、自分に対して起きるわけがないと思っているのだとしたら、それはちょっと現実を知らないんじゃないかな?と思うんですよ。中には凄い真面目な人もいると思うけど、このくらいの不真面目な人間は私は相当いるんじゃないかな?と思っているので、そういう人がいても不思議に思わないし、私がファミレスを利用するとしたら、床に落ちた食材を実際に調理している前提で食べますよ。というか、床に落ちたことがそんなに問題なのか?って部分もありますけどね。ホリエモンはそこも指摘しています。

 

>堀江氏は続けて、「モラルの低い人を雇わざるを得ない状況だから」と、現在の雇用システムからバイトテロはなくならないと考えているようだ。 「もう自動化するしか無い。ロボットにモラルは関係ない。どんどん工場で調理して、冷食とかにして、温めることをロボットがやれば(人は)いらないじゃないですか」 機械に代替することで解決する問題だと主張し、「馬鹿は一定数いて、いなくならない」と人が働いている以上、逸脱行為をする人は必ず出てきてしまうと話す。 また、「別に冷蔵庫にバイト入っていてもいいじゃないですか」とバイトテロを批判する風潮にも違和感を抱いているようで、「だったらファミレスとか行けないですよ? 絶対フォークとかベローンって舐めたりしてますよ」と消費者側も寛容な心を持って、食事やサービスを利用する必要があると説いた。

 

ホリエモンは数年前に話題になった、冷蔵庫に入った画像が出回ったバイトテロについて言及し、別に良いじゃんと言っている。これは私も同感なんですよ。確かあれってアイスかなんかの冷蔵庫だったと思うけど、アイスの冷蔵庫に人が入って何か問題なんだろうか?と思うんですよ。衛生的な面で問題発生します?アイスがパッケージングされている以上、食品それ自体に直接触れることは不可能です。基本的に何も起きようがないと思うんですけど。イメージで判断すると、汚いとかそういうことになるんだろうけど、本質を見たら何が問題なのか?私には分からないんですよね。アイスが破損してしまってとか、そういうケースはまた別かもしれないけど、当時あれを叩いていた人間は、そこが理由じゃない人が多かったんじゃない?衛生面で問題を指摘している人が多かったと思います。でもさ、それを言い出したらさ、アイスって、不特定多数の客が商品触っているわけでしょう?私だってアイス買うときにいろいろな品を触っていることがあるはず。で、もしかしたらその前にトイレに行ったのに、手を洗うのを忘れているときがあるかもしれなんですよ。でも、それは私だけじゃないですけどね。あとは鼻くそほじった手で触っているかもしれないし、頭をかいた手で触ったかもしれないですよね。こういうことを不特定多数の客がやっている可能性がある。つまり、冷蔵庫の中に入ることと同程度の問題行為って、無意識のうちに客がいっぱやっていると思うんですよね。

 

冷蔵庫の中に入る行為なんて氷山の一角でしかなく、あれを問題視している人って、よくコンビニ行けるよな・・・と思います。あれが問題で当該コンビニから客足が遠のくって言うならば、何でああいう事件が起きる前に、この人たちはコンビニを利用していたの?と思うのです。さっきのファミレスも同じだし、スーパーとかも同じです。ああいうことが起きて怒るならば利用しなければ良いと思いますし、何で今まで利用してこられたの?と非常に疑問を感じるのです。コンビニやスーパーを利用しないで生活をするってのは、現実的にできない人が多いのだろう。しかし、コンビニやスーパーでは低時給でバイトを雇う状況をなかなか変えられず、真面目に働く人を集めづらいので、こういう事件は今後もなくなりません。つまり、文句を言ったところで構造は変わりません。動画などで残るケースはかなり少ないだろうけど、見えないところで同じようなことはやってますよ。それに元をたどれば、小売店ではなく、食材を提供する農家とか、漁師とか、彼らが衛生上問題ある行為をしていない保証もないので、突き詰めたら小売店やそこで働いている人だけに注目しても意味がないです。不衛生なものを食べたくないとか、そういう気持ちは分からないでもないけど、事実上無理ですよ。見えないところで人はサボりますから。あとは意図的ではなく、本人が気づかないうちに不衛生な状況になっていることもあるかもしれない。

 

この問題を解決する方法があるとすれば、ホリエモンも言っているロボットしかないが、それでも100%解決するか?は分からない。ロボットの衛生面なども問題になるので、結局のところ、細かいところまで見たらキリがない問題なんですよね。だから、解決策があるとしたら、私たちが寛容の心を持つしかないでしょう。私はごみ箱に捨てられた魚も多分食べられるでしょう。私はそういったところに関してあまり気になくなってきているのです。スーパーで働いた経験も含めてだが、世の中で提供されている食事や食材は基本的に汚いものであるという前提のうえで生きているので、汚いものであったとしても、別に気にしないのです。だから、私は食事中に例えば、排泄の話とかされても全然気にしません。普通に食べ続けます。普通の人が心を乱されることでも、私は平気でスルー出来る力が勝手に身に付いていたみたいで、私みたいな人間が世の中に増えれば、バイトテロが起きても騒ぐ人間もほとんどいなくなり、お店が困ることもなくなり、そもそもバイトテロが注目されないということで、結果的にバイトテロがなくなるんじゃないですか?SNSなどにアップされる形のバイトテロがなくならない理由としては、騒ぐ人がいるというのも原因だと思います。長期的に見たら、騒がない方が良いんじゃないかな?って思うんですよね。

 

 

 

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同志社大学と立教大学はどっちが上?偏差値やレベルの比較とイメージや雰囲気の違いなど

関東と関西でともに難関私立大学として定着している同志社大学立教大学はかなり近いレベルであると言われています。大学のイメージなども似ていると思いますし、比較されることも多いです。関西に住んでいる人であれば、この2つの受験を検討しているケースは多くあるのではないでしょうか?同志社大学は関西でも有名で、立教大学も関東で有名ですし、どちらも魅力的な大学で、難しい大学と言えます。同志社大学立教大学の偏差値はかなり近い存在であるので、どっちがいいか?は好みも関係してきますが、どれくらいのレベルの差があるのか?について細かく知っておくと良いでしょう。同志社大学立教大学のレベルの比較をしておくと、大学の違いの1つを認識しやすいですし。あとはそれ以外の面における同志社大学立教大学の違いを知っておくと良いですね。イメージとか、大学それ自体の雰囲気にも違いがあると思いますから。

 

同志社大学立教大学の学部ごとの偏差値の比較

同志社大学立教大学の学部ごとの偏差値を見ていくと、両者のレベルの違いが見えてきます。同志社大学は関西の私立大学のナンバー1で、立教大学は関東の私立大学のトップクラスの大学になるので、どちらもレベルは高いはずですが。文学部から見ていきましょう。同志社大学の文学部は60.0~62.5で、立教大学の文学部は57.5~62.5となっています。法学部に関してはどうなっているのか?というと、同志社大学の法学部が57.5~60.0で、立教大学の法学部が60.0~62.5となっており、法学部においては立教大学の方がやはりレベルが高いと言えそうです。経済学部に関しては、同志社大学の経済学部が62.5で、立教大学の経済学部が62.5なので、全く同じ難易度です。商学系に関しては、商学部経営学部で比較していきます。同志社大学商学部が62.5~67.5と非常に高いレベルです。立教大学経営学部は65.0となっており、こちらも高いですけど、同志社大学商学部の偏差値は非常に高く、早慶レベルとも言えると思います。立教大学経営学部のレベルもそれに匹敵しますが、同志社大学は本当に難しいことが分かると思います。

 

社会学部に関しては同志社大学社会学部が60.0~62.5で、立教大学社会学部が62.5~65.0となっています。社会学部に関しても双方かなり高いレベルです。あとは国際系の学部になります。同志社大学は国際系の学部が2つあります。グローバルコミュニケーション学部が62.5~67.5で、グローバル地域文化学部が62.5です。そして、立教大学の異文化コミュニケーション学部は65.0となっています。同志社の2学部と比較するとどっちが上か?とも言い難いような感じです。理系に関しては同志社大学理工学部立教大学の理学部になりますが、同志社大学理工学部は57.5~60で、立教大学の理学部は55.0~57.5です。理系に関してもどっちが上か?というと、同志社大学ですかね?全体的に比較をしてきましたが、同志社大学立教大学はどっちが上か?というと、結構近いと思います。文系学部に関しては学部によって、優劣がそれぞれで異なっていますし、同志社大学立教大学はレベルがかなり近いと言えると思います。どっちも頭いいと思います。関西と関東でそれぞれ人気ですし、雰囲気も似ているので、関西の人であれば関東に立教大学を受けに来るケースもあるかもしれないです。関関同立やMARCHの偏差値もかなりインフレしており、同志社大学では商学部やグローバル・コミュニケーション学部は高いですし、立教大学では経営学部や異文化コミュニケーション学部、社会学部あたりが高いです。

 

同志社大学立教大学ではイメージや雰囲気に違いはある?

同志社大学立教大学ではイメージや雰囲気は似ている部分はあると思います。キャンパス内を歩いていると、結構雰囲気は近く感じる可能性があります。これは主観も入るので、人によって異なるということはありますけど、同志社今出川と立教の池袋ならば割と雰囲気は近いんじゃないかな?と思います。だから、この2つを同時に受ける人は多いと思います。関東の人は同志社を受けに行くケースは少ないと思いますけど、関西の人は関東までMARCHを受けに来る人もそこそこいると思うので、同志社を受けながら、立教を受験するケースもあると言えるでしょう。同志社大学立教大学のレベルの違いはあまりないです。学部ごとの比較をしても、同志社大学立教大学はどっちが上か?という違いはそこまでないので、併願する人は多くいると思うのです。同志社大学立教大学はどっちがいいか?を選ぶのは両方とも受かってから決めても良いかもしれませんけど、第1志望をどっちにするか?というのを決めたい人は偏差値では判断が難しいと思いますけど、できればオープンキャンパスなどで大学の雰囲気を1度チェックすると決めやすいかもしれません。

 

同志社大学立教大学では就職に差はある?

関西と関東でそれぞれ有名な大学ですが、同志社大学は関西ではかなり就職に有利な面があると言えると思います。関西では同志社大学は相当な評価をされると思いますが、関東だと評価は少し落ちるでしょう。関西では就職活動をする人が関西の大学生が多くを占めるため、それより上の大学というと、京大、阪大、神戸大くらいでしょうか?しかし、関東だと、東大、一橋、東工大お茶の水女子大、農工大、外語大、早慶上智などがありますし、同志社大学の相対的位置は落ちます。立教大学と評価は変わらない気がします。関東では有利にはなると思いますけど、関西ほどの評価は受けない可能性があります。上記で描いたような関東の有名大学の学生がたくさんいるので。関西で就活をするならば、同志社大学立教大学は同じくらいか、多少同志社の方が有利かな?って感じですけど、関東だと同じくらいだと思うのです。でも、同志社の学生が関東で就活することはそんなに違和感はないと思いますけど、立教の学生が関西で就活をしていたら少し違和感を持たれる可能性はあると思います。就職において同志社大学立教大学がどっちがいいか?については、就活をするエリアによるということです。同志社大学立教大学における就職の有利、不利の違いも比較しておくと良いと思います。

 

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ずるい?羨ましい?内部進学を選ぶ人が勝ち組かつ合理的で頭いいと今なら思う

今年も受験シーズン真っ盛りという状況ですが、数年前から始まった私大難化の波は今年も押し寄せ、今まで以上に受験生を襲っているような状況みたいです。定員厳格化に関して、今年は去年以上の数値の厳格化が予定されていましたが、前年並みということで現状維持が決まり、受験生はホッとしたことでしょう。しかし、ふたを開けてみたら、すごい状況みたいです。聞いた話によると、センター利用入試の時点で異常な状況になっているみたいで、まず予備校の出しているセンター利用入試のリサーチ結果の判定がほとんどあてにならないらしく、A判定なのに落ちている人が結構多いようです。去年までの各大学ごとのボーダーラインの数字と比べて、今年はとんでもなく上昇している首都圏の私立大学が多く、特に大東亜帝国日東駒専成成明学獨國武あたりに関しては、何でこれで落ちるの?という得点率の上昇があったようです。聞いた話なので、詳しいところは分かりませんが、例えば大東亜帝国に関しては、大学学部によって異なりますけど、8割近くとっても落ちたという話があるらしいので、ボーダーラインがそれよりも上になっているってことですよね。

 

私は12年前の受験ですけど、8割近くとれていたら、当時は成城、成蹊、明治学院あたりに受かっても全然不思議じゃない数字です。大東亜帝国は6割程度あれば、文系学部ならば受かっていた学部学科が多かったと思います。その時代と比較すると、異次元の状況になっています。今年の受験生はネットのニュースで確認したところ、安全に安全を重ねている人が多いらしく、受験校を従来よりも増やし、さらに滑り止めのランクを従来よりもかなり落としたところに設定している人が多いみたいで、例えば、MARCH志望の受験生は日東駒専くらいを滑り止めにするケースが多いものの、その学力の人たちが大東亜帝国まで受けているような感じなのかもしれません。つまり、従来は受験してこなかったようなレベルの高い受験生が特定の大学を受験するようになり、レベルが上がってしまい、難化したということみたいです。これが今年起きていることみたいで、2017、2018と年々難しくなってきていると言われる私立大学が、今年さらに難しくなっているようです。私が受験生の頃には考えられないような難易度になっているみたいで、一般入試で受ける人は本当に大変でしょう。こういった事態があると、益々内部進学の優越性が浮き彫りになる気がするのです。

 

内部進学ってバカにされることもあるようで、企業ウケもよくないケースもあるようですけど、かなり合理的ですよね。内部進学は勝ち組だと思える面があります。今だったら、内部進学は羨ましいと少しは思うでしょうね。大学附属に入ってしまえば、エスカレーターでそのまま上がれる。誰でもというわけではないでしょうけど、一般入試で受かる難易度と比べたら、かなり低いと思います。実際、今の大学入試を受けていないので、私は想像でしか語れないものの、相当難しいと思います。内部進学はずるいとか言う人もいると思うけど、内部進学は頭いいと私は思います。勉強それ自体よりは学歴そのものの方が評価対象として大きいのが今の世の中だと思いますから、同じ結果を残すために確率が高い方を選べるならばそっちの方が良いと思います。内部進学でエスカレーター方式でそのまま上がるためには、その高校とか、中学とかに受からないといけませんけど、それが可能ならばそっちの方が良いと思いますし、そういう人生を送っている人が実際にいるわけだから、自分が大学受験で苦労したことを踏まえると、より内部進学の人たちは羨ましいなとか、そういう感覚になってしまいます。

 

私は小中は地元の公立の学校で、高校は都内の私立高校でしたが、大学附属ではありません。だから、受験をしないといけなかったわけですが、今思うと附属じゃなくて良かったって面もあったとは思います。それは行きたくない大学の付属校に入ってしまうと、受験が面倒だからそのままエスカレーターで上がってしまえ!と考えていた可能性もあるからです。結果的に楽をしたいがために、不本意な大学に入ってしまった可能性があります。実際、私が第1志望にしていた高校は某私立大学の付属校なんですけど、そこに行かなくて良かったなと思います。その高校はその付属大学への内部進学率がすごい高くて、自分もその流れのまま進学してしまったかもしれませんから。で、その大学というのは、正直言って行きたいとは思えないところだったんですよ。結果的に私は一般入試でそれなりの希望の大学に受かりました。私が受かったその大学にも付属校はもちろんありますけど、複数ある付属校の中で1番有名なところは偏差値が相当高かったです。正直言って、その付属校に行きたい気持ちも中学生のときにはあったのだが、夢のまた夢すぎて選択肢にありませんでした。現実を見据えたときに、第1志望だったのが先に出した某私立大学の付属校だったのです。でも、結局そこも両親に反対されて受けてさせてもらえなくて、都内の私立高校を推薦入試で受けて受かったんですよ。私も大学受験を経験しているから、一応大変さは知っているつもりです。その私がもう1度人生を送るならば、これは付属校に入って内部進学をするというのを理想とすると思います。行きたい大学の付属校に限定の話ですけど。

 

当時は大学受験って一生に一度だろうし、経験してみたい面もあったので、一般入試で受ける満々だったんですよ。大学受験それ自体を楽しみにしていた面もありました。でも、大学受験を終えてみると、その過酷さが身にしみてわかりました。当時でもそうだったんだから、今だったらヤバイでしょうね。そして、恐らくこれから大学に進学する予定の子供たちに関して、親は内部進学させる道をより積極的に考えると思いますよ。有名大学の付属校に入れれば、その時点で勝ち組かもしれない。有名大学に進学できる確率が相当低くなってきているのならば、中学や高校あたりで付属校に入ってしまおうと、そっちの方が確実なのではないか?と考える家庭は、今までもあったはずですが、それがより多くなりそうなのです。つまり、小学校もそうだけど、中学受験や高校受験に関しても少なからず難化するのではないか?有名大学附属のところは特に難しくなる気がします。少子化もあるので、それと相殺される可能性もあるかもしれませんけど。内部進学はずるいと言われる面もあるのだろうが、ずるいって言うのは私は誉め言葉だと思っているので、それを言われてもネガティブな感じじゃないですね。ずるいって言うのは、悪いわけではなく、悪いとは言えないときに、自分がやれないことを他人にやられてしまって、かつ羨ましい気持ちが若干でも含まれているときに発せられる言葉だと思っています。だから、そういった部分も含めて、内部進学は勝ち組だと思うのです。内部進学を羨ましいと思ったことは、受験生までの自分の人生の中では1度もなかったんですよ。さっきも言いましたけど、私は当時大学受験をすることがちょっと楽しみでしたから。

 

でも、今の自分ならば羨ましいと思うんじゃないかな?内部進学の人生を歩んだことがないので、それで興味があるということも言えますけど、内部進学で大学進学を決めるときの気持ちってどんな感じなんだろうな?と、受験生から12年経った今になって思うときがあります。行きたい学部に進めるように勉強を頑張るのかな?とか、学部はそんなに気にしないから勉強は適当にやるのかな?とか、ありえない人生を想像したりすることもあります。今では大学に進学する意味に関して、当時ほど感じられなくなってきている面はあるものの、仮に大学に絶対に行きたいと思うならば、当然ながら有名大学に行きたいと思うでしょうし、だったら内部進学でエスカレーター方式で楽に上がりたいなと考えると思います。私みたいに一般入試にこだわらないで、内部進学をしているしたたかな人たちを、今ならば頭いいなと私は評価しているのです。合理的に生きている勝ち組だなと思います。指定校推薦とかもそうですけど、内部進学を含めて一般入試以外の選択肢がこれからどんどん合理的になる気がするんですよね。

 

ただ、一般入試が難しいから、一般入試の人気がなくなっていくか?というと、そうではないのです。世の中には指定校推薦や内部進学をかなり嫌悪している人たちも多数いて、彼らが一定割合として存在している以上、一般入試で受ける層はいなくなりませんし、指定校推薦や内部進学の数にも限界があるので、一般入試で受けざるを得ない人たちは残り続けます。でも、その中には指定校推薦や内部進学を一切考えていない人たちもいるので、そう考えると、指定校推薦は確実に希望のところを受けられる保証がないのであれですけど、内部進学に関しては一般入試が難しくなっても、激化しづらいと思います。つまり、内部進学を求めて中学や高校から大学付属のところを受ける層はそれほど多くならないってことです。それは=チャンスなんですよ。付属校を受験するって層は多少は増えると思いますけど、意地でも内部進学を認めないとか、心の底からずるいと思っている人はそれなりにいるので、彼らは参戦してきませんから、一般入試の難化に比例しない形で、大学付属の高校の入試の難易度が存在するような状況だと思います。以前と比べたら少しは難しくなりそうですけど、でも少しでしょう。頭いい人はそのチャンスを逃さないんですよ。

 

内部進学を選ぶ人たちは今の時代は頭いいと私は思っていますし、内部進学はずるいと言われることは選択肢としての合理性を表していると思っています。内部進学を悪く言っている人は、少なからず羨ましい気持ちはあるんじゃないか?と推測しますが、私は勝ち組になりたいんだったら、一般入試を否定するわけではないが、内部進学も否定するものではないと思っています。内部進学できたから勝ち組っていうのも違うかもしれませんけど、自分の気持ちとしてそう思える可能性を高めたいならば、いろいろな選択肢の可能性を持つことが重要で、世間の風潮とかにとらわれない方が良いです。選択肢を狭めることは、自分の可能性を狭めることに直結すると思っていますから、感情論で是非を決めないこと、合理性から判断することが、子どものうちから求められるような時代にマジでなってきているんじゃないか?と思います。頭いいという評価に関して、学力よりも違ったところに重きが置かれるような社会にどんどん変わっていくかもしれませんね。

 

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意味不明なくだらない校則で生徒を縛り上げる無意味な学校教育に日本はいつ気付く?

学校の校則というのは私は邪悪な存在だと思っている。無意味だと思っています。ブラック校則という言葉もあるが、これはあくまでも校則の中でブラックなモノに関して言われているのだろう。しかし、私は校則はどんなものでも全てがブラックだと思っていますし、全ての校則が無意味だと思っています。「「いじめ」の定義を恣意的に、都合のいいように適用する輩が1番の問題児である - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の生地でも書いたけど、私は学校に存在する校則はいじめの根源だと思っています。つまり、校則が存在する学校は、学校がそもそも生徒にいじめをしている状況だと認識しています。そして、校則というのはそもそも何の意味があるのか?くだらないとか、馬鹿馬鹿しいとか、そういう批判は常にあるものの、校則を考えてる人間の想像力に疑問なんですよね。校則って、単純に反発心を生みますよね?だって、校則で禁じられていることって、法律で許されていることばかりだと思うんですよ。つまり、それが社会にとって悪影響を与える者とは考えられていないことが、なぜか学校では禁止されるということになっています。

 

当然ながら、生徒からしてみれば疑問が少なからず生まれるわけですよね。だから、くだらないとか思われるわけですが。私も中学生とか、高校生の頃にはなぜ髪を染めてはいけないのだろう?と思っていましたよ。私は髪を染めたいと思ったことは1度もないし、30年間ずっと黒髪だけど、疑問は感じていました。当時から少しは馬鹿馬鹿しいくらいは感じていたと思う。私にとってその校則が特に不都合を生じさせていなかったので、当時はスルーしていたが、大人になってから頭がよくなかったのか?当時よりも疑問が強くなりました。当時よりも校則への馬鹿馬鹿しいという感情が強くなりました。私は今生徒ではないけど、当時よりも反発心が明らかに強いです。だから、こんな記事を書いているわけだが。髪を染めたいと思う生徒は一定数いるはずで、それを禁止すれば、当人にすれば納得はいかないでしょう。だって、法律で許されており、かつ何の迷惑があるのか?と、説明ができませんからね。大人は風紀が乱れるとか、実態のない概念で誤魔化すんですけど。納得のいく説明ができない以上、間違いなく反発心を生みます。その反発心は確実に社会への悪影響になりますよ。実際、犯罪の動機としてストレスって大きいわけです。反発心はほぼストレスなので、犯罪の元凶でしょう。つまり、校則が厳しい学校っていうのは、そのリスクを高めている状態なのです。この時点で校則は完全に馬鹿馬鹿しい存在ですよ。なんのメリットがあってやっているのか?と。

 

校則がほぼない学校、服装とか自由で、染髪やピアスなども自由という学校もあるらしいのだが、そういう学校で特に問題が起きているなんて聞いたことがないです。でも、それって当然だと思います。ルールを厳しくしないということは、反発心を抑えられ、ストレスも溜めませんから。問題行動に走るリスクは当然低いです。校則でルールを厳しくすることで、何かメリットがあるとすれば、そのルールの正当性をちゃんと納得いくように説明できた場合だけだと思います。現状、ほとんどの人間はそれができないと思うので、反発心からくるストレスを溜めるだけ。本当にくだらない結果を生むだけです。結果として問題児を増やすわけです。世の中にの校則はくだらないものばかりだと私は思っており、1つでもこれは正しいなと思えるものがあったか?というと、ないです。ルールを厳しくすること自体に負の要素が詰まっているから。それは法律とかもそうなんだけど、法律に関しては納得いくものもまだあるが、校則の場合には私の中ではゼロです。どんな校則も意味不明というか、無意味な存在だと思っています。法律で許されているから。っていう面が大きいのです。校則よりも法律の方が存在として大きく、それで問題ないと扱われている行為が、なぜか学校では禁止であると、校則が意味不明だなと感じる所以でしょう。ましてや逆効果になっているというわけだから、校則は意味不明な存在ですよ。

 

実際、制服の有無と東大合格者の相関関係などがあるらしいのだが、東大合格者が多い高校ほど制服がないなど、校則が緩いという特徴があるらしい。それは言い換えれば、偏差値が高い学校ほど校則がゆるいということだろう。これは相関関係の話なのか?因果関係があるのか?微妙なところではあるが、ストレスなどを溜めずに勉強に集中する環境があるという意味では、因果関係がないわけではないだろう。それに制服がないってことは、仮に生徒が問題を起こしたときに、どの学校生徒が傍から見たら分からないってことだ。学校の評判が落ちづらいという意味でも、学校側に有利じゃね?と思いますね。そして、校則が緩い学校って、外見とかが中心ですけど、いろいろな人が集まるわけですよね。すでに話したように、髪を染めている人やピアスをしている人などが集まってくるわけ。その環境って結構重要だと思います。自由であればあるほど、それぞれの個性が発揮しやすい。校則で縛り上げている学校と比べて、いろいろな発見があると思うのです。それは見た目だけじゃなくて、考え方の部分でも。私なんかは大学を卒業して、就職しなくて、暇になったときにネットばかりやっていたんだけど、そのときにいろいろな考え方を見て、刺激を受け続けました。ネットは無法地帯だから、どんな考え方も放置されており、自分で言うのもなんだけど、多様な思考が身に付いた気がします。優秀な人間を作りたいのであれば、良くも悪くもいろいろな価値観に触れさせることだと思います。それが校則が緩い学校の方がしやすいということです。

 

自分で考える力のようなものは、校則がない学校の方が良いと思う。そういった意味も含めて、校則は無意味な存在であると思います。意味不明な校則があるという部分は多くの人は思っているかもしれないが、私は校則そのものが馬鹿馬鹿しいと思っている人間なんで。メリットはおろか、逆効果だと。そういう存在だと思っています。思考停止の人間を多く作る存在なのです。優秀な人間が偏差値の高い学校から生まれているのであれば、それはちゃんと因果関係があるんじゃないか?と思います。校則それ自体は学校の自治として国は認めているみたいだが、国もたいがいですよ。国もある種思考停止なんだと思いますがね。校則はどれもくだらないですし、意味不明な存在だとして認識していますが、学校という存在が今後も継続する以上、校則という概念が消えることはないのでしょう。今の教育それ自体が意味不明な面が非常に多く、学校だけの話ではないのだろうが、校則という部分については無意味な産物として、私の中に残り続けるでしょう。なんの意味もない、逆効果である存在にこの国はいつ気付くのでしょうか?

 

校則はいらない―親・子・教師で創った理想の公立中学校

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川村学園女子大学の偏差値や難易度と評判は?倍率やボーダーラインの情報

川村学園女子大学に関しては千葉県にある女子大で、文学部、教育学部、生活創造学部の3つの学部があります。川村学園女子大学の難易度に関しては高いとは言えないと思います。それぞれの学部の偏差値を紹介していきますけど、川村学園女子大学の偏差値は全体的に難しい感じではないです。あとは川村学園女子大学の評判なども重要なので、大学の雰囲気などもあらかじめ知ったうえで川村学園女子大学の評判として把握して、受験をしていくと良いでしょう。まずはそれぞれの学部ごとに川村学園女子大学の難易度を知っておいて、学部ごとの特色も理解しながら、受験する学部を選択していくと良いと思います。川村学園女子大学での入りやすい学部なども紹介していきたいと思います。

 

川村学園女子大学の学部ごとの偏差値は?

川村学園女子大学の偏差値に関しては学部ごとに少し差はありますけど、大きくは変わりません。最も偏差値が高いのが教育学部で、河合塾の数字で35.0~37.5となっています。そして、それ以外の文学部と生活創造学部は35.0となっているのです。だから、教育学部の偏差値がちょっと高いとはいえ、全体的にはあまり変わりません。川村学園女子大学の難易度はそういう状況なので、大学全体としては偏差値は高くはないということで覚えておいてほしいと思います。川村学園女子大学の難易度としてはそういった感じなので、入りやすい学部などはないかもしれません。川村学園女子大学の受かりやすい学部は強いて言うならば、文学部と生活創造学部かもしれませんが、言うほど偏差値は変わりませんから。それに教育学部にも35.0の学科があるので、そういった意味では川村学園女子大学の受かりやすい学部に関しては、全体的に難易度がほぼ同じなので、どこを受けてもあまり変わらない可能性があります。ただ、倍率もチェックしておいた方が良いです。川村学園女子大学の倍率というのも、大学の難易度に関する話ですから。そういった部分も含めて、川村学園女子大学の入りやすい学部を知っておくと良いかもしれません。倍率を調べると評判が高い学部とかも見えてくる可能性があります。

 

川村学園女子大学の倍率はどうなっている?

川村学園女子大学の難易度については倍率に関して知っておくと良いと思います。学部学科、入試方式ごとの倍率の傾向をチェックすることは、川村学園女子大学の偏差値とは別に難易度を把握することができるはずですから。実際、川村学園女子大学の一般入試の倍率について紹介をしていきますけど、川村学園女子大学の倍率については学部学科、入試方式ごとの差はあまりないです。川村学園女子大学では一般入試がⅠ期~Ⅳ期まであるので、入試方式は割と細分化されているのです。でも、数字としてはあまり変わらないです。したがって、倍率から川村学園女子大学の難易度はそんなに差がないと言えると思います。偏差値の差もほとんどないですから、入りやすい学部とかもないかもしれないです。川村学園女子大学の倍率に関して、具体的な数字を挙げるとおおよそ1~2倍です。1.5倍前後くらいに考えておくと良いかもしれないです。1.0倍とか、2倍以上というケースもありますが、そこまで多くはないので、川村学園女子大学の倍率としてはそういった数字を想定しておきましょう。倍率は毎年変わる可能性がありますから、そういった想定も必要です。ただ、大きな変化はないと思います。倍率に差がないということは、川村学園女子大学では受かりやすい学部はあまりないと言えると思います。学部学科ごとの特色を調べて、受けたいところを受けると良いと思います。川村学園女子大学の難易度は高いとは言えないかもしれませんが、倍率も把握しておくと良いです。

 

川村学園女子大学のセンター利用におけるボーダーラインの得点率についても知っておきましょう。一般入試では合格最低点が重要ですけど、センター利用入試ではボーダーラインの得点率が重要と言えます。ボーダーラインは毎年変動するので、参考程度に考えておいてほしいのですが、文学部に関しては国際英語が50%、史学科が44%、心理が47%、日本文化が40%となっています。教育学部に関しては、幼児教育が48%、児童教育が40%となっています。生活創造学部に関しては、生活文化が44%、観光文化が41%となっています。主に40%台なので、川村学園女子大学のセンター利用のボーダーラインを確認して、過去問で対策をしていきましょう。センター利用入試の入試科目を調べないといけませんけど、そういった科目で何%獲れるか?確認をしていきましょう。川村学園女子大学のセンター利用のボーダーラインの得点率をしっかりと確認して、センター試験の過去問を解いていきましょう。一般入試では川村学園女子大学の合格最低点が重要ですが、センター利用入試では川村学園女子大学のボーダーラインを頭に入れておきましょう。川村学園女子大学に受かりたい人はそういった入試方式もあるので、理解しておいてほしいです。

 

 

川村学園女子大学のキャンパスの立地条件の評判は?

川村学園女子大学では千葉県にある我孫子キャンパスがメインになります。ほとんどの学生がここで学び、文学部国際英語学科、観光文化学科の学生のみが目白キャンパスになります。我孫子キャンパスは最寄り駅が常磐線天王台駅で、歩いて行ける距離にキャンパスがあります。バスを使うと5分程度みたいです。キャンパスの周辺はこれといって栄えているわけではないみたいです。スーパーやコンビニはありますが。キャンパス内は割と充実しており、特に綺麗な面が際立ちます。川村学園女子大学の学生でも口コミでも綺麗な雰囲気を評価している声があります。カフェ、ラウンジ、売店、そして庭園などがある女子大らしい雰囲気で川村学園女子大学の学生の評判も良い感じです。一方で目白キャンパスは都心にあるので、立地条件は最高でしょう。最寄り駅はJR山手線の目白駅で徒歩2分です。近くには新宿や池袋などもありますし、こちらも学生の評判は良いです。周辺は閑静な住宅街なので、都心にありながらも過ごしやすい雰囲気です。そして、我孫子キャンパス同様にかなり綺麗です。だから、こちらも気に入ると思います。設備に関しては我孫子キャンパスも目白キャンパスもあまり変わらないですけど、立地条件はかなり優れていると思います。受験する学部学科によって就学キャンパスが変わるので、川村学園女子大学に受かりたい人はそこは知っておいてほしいです。それぞれのキャンパスの雰囲気を川村学園女子大学を受験する前に調べておくと良いと思います。

 

川村学園女子大学 (2019年版大学入試シリーズ)

川村学園女子大学 (2019年版大学入試シリーズ)

 

 

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日本人は善悪と利害の違いを知らない、区別ができない人が非常に多いと感じる

日本人のものの考え方の欠陥というか、おかしな点というのは私が生きている中で相当見つけてきたつもりだが、その中で特徴的なものを紹介したい。それが善悪と利害を混同するということ。別の言い方をすれば、善悪と利害の違いを知らないということになります。善悪と利害を混同して考えている日本人は実に多い。具体例を挙げると分かりやすいと思うが、以前ちょっと触れたこともあるけど、選挙の際に自分の選挙権を売ることが日本では禁止されていると思うが、なぜダメなのか?という問いに対して、ネット上の回答を見ると、いろいろな回答があったものの、最も多数派、ほとんど全員が口にしていたのが「金持ちに有利な政治になるから」というものだったのです。この金持ちに有利な政治になるからという回答をしている人は、はっきり言って質問への回答になっていない。この質問は選挙権を売ることはどうしていけないのか?売ることがいけないという前提に立ったうえでなぜ悪と言えるのか?善悪の基準に関する理由を尋ねているのだろうが、それへの回答は単なる個人の利害の問題になっている。別の言い方をすると、これが質問への正しい回答になるならば、金持ちが有利な社会がなぜ悪なのか?を別途説明しないといけないということ。そこまでできれば、これは善悪としての回答になる。

 

しかし、私が見る限り、この回答をしていた人は全員そこまで考えていない。「金持ちに有利な政治になるから」という回答をなぜしたのか?と言えば、その人にとってそういう政治をされたら困るから。に他ならない。つまり、それってあなたが困る理由であって、ダメな理由になっていないですよね?(笑)ということなのです。あなたが困るものは全部悪なんですか?と思いましたけど、こういう考え方は実にいろいろなところで見られる。例を出したらキリがないけど、例えば推薦入試を廃止すべきとかいう人もいるわけで、そういう人は推薦入試を使わない人であって、推薦入試があると自分が受かる確率が下がる(枠が狭まるため)ために、そういうことをいうのでしょう。2ちゃんねるの大学受験サロン板などを見ていると、そういう短絡的な書き込みは随所に見られる。大学側と受験生側の需給の一致によって存在しているのに、第3者がいらないと回答するのは、謎でしかない。これも推薦入試をいらないと判断した理由は、自分がそれによって損をしているからだろう。この話は善悪とはちょっと違うかもしれないが、推薦入試がいるか?いらないか?の判断基準として、個人の利害のみが理由になってしまっている。利害は客観的な理由にはならない。なぜならば、正反対の利害を抱えている人がいるからだ。

 

さっきの話で言えば、金持ちに有利な政治をされると、金持ちじゃない人が困る。だから、選挙権を売るのは禁止なのだ。これが正しいとすると、金持ちに有利な政治になるのならば、金持ちにとって有利なので、金持ちは選挙権を売るのを正しいと主張しても、それは正しくなります。こちらも同じく利害を基準にしただけなので。利害を基準にするっていうのは、感情論の域を出ません。つまり、全く同じ理屈で正当性すら主張できます。日本で多数決をとれば金持ちを有利にする社会は反対の人が多いだろうが、シンガポールで同じ多数決をとれば真逆の結果になるだろう。つまり、利害なんて善悪の判断基準にならないのですよ。利害というのは理屈じゃなくて、主張する人の都合なので、誰に聞くか?で何もかもが変わる。大変不安定な根拠なのです。実際は金持ちに有利な政治になるとは到底思えませんけどね。金持ちを優遇する政党はまずどこなのか?ということになるし、金持ちを優遇されることが困るならば、選挙権は売らないだろうって話になるし、結果として金持ちが有利な社会になるとしたら、大半の人間が選挙権を売ったのだろうから、大半の人間がそういう社会を承認したことになる。それの何が問題?と思いますけどね。それに金持ちが有利な社会ってのは、とても漠然としているけど具体的にどんな社会なんだろうね?(笑)とも思いますよ。具体的な事例を挙げている人を見たことがない。ほとんどの人間は自分の想像でしか考えていないのです。

 

金持ちが自分たちが有利になる社会は貧乏人にとって不利なのか?というと、そうではないと思いますがね。西村博之氏はベーシックインカムを望んでいるわけです。彼は一般的に言えば金持ちだ。お金はほとんど使わないらしいが。ただ、金持ちにとってベーシックインカムは得する要素なんかないんじゃないの?と思うかもしれないけど、彼によれば、ベーシックインカムが実現すると、生活の心配をする必要がなくなり、嫌な仕事をしなくなる。個々人がやりたいことに時間を費やすことになり、結果として面白いコンテンツが増えやすくなる。彼はゲームやアニメ、映画などが趣味らしいが、そういったもので面白いものが増えるとしたら、それはメリットであるということらしいのだ。つまり、ベーシックインカムは弱者保護政策のように見えるかもしれないけど、金持ちにとってもメリットあるんですよね。ということになる。で、ベーシックインカムが導入されると、庶民レベルの人たちが損をするのか?というと、そうとは言えないだろう。制度設計やそれぞれの収入レベルによって変わると思うが、得をする人も多くいるはずだ。金持ちに有利な社会っていうのは、金持ち以外が損をする社会と決めつけるのはどうか?と思います。

 

今回の話はそこがメインではない。あくまでも善悪と利害をごっちゃにする人の話なので、そこに戻りたいけど、自分が困るから悪だと決めつける人は本当に多い。私が見る限りの話だけど、善悪の基準が自分たちの利害であるという人は本当に多いと感じる。利害を基準に物事を決めてはいけないということではない。物事を決めるときには感情論を持ち出さないと無理な場合がある。死刑の継続、廃止に関しても、どっちをとったって感情論でしか決めようがないから。ただ、それは=善悪ではないのだ。あくまでも物事を決定する必要性があり、感情論以外では決めようがないので、感情論を持ち出して決めているというだけの話であり、それはそのように決まっているということは言えても、それが善悪を決めつけるものではない。選挙権の売買に関しても同じです。だから、法律などについてもそれはベースとなっているのは感情論だが、そのように決まっている以上、法律はそのようになっている。これは正しい。しかし、法律は絶対に善であると言い切れないということだ。法律は善悪の基準というよりは、トラブルが起きたなどに解決する際の尺度でしかないということ。法律も基本的には国家や多数の国民にとっての利害を重視した結果、感情論によって決められている。そして、最初の話題で言えば、金持ちに有利な社会を否定するということは、金持ちじゃない人たちに有利な社会にしろ!ということであり、特定の人間に対して有利な社会が正しいならば、その対象が金持ちであってはいけない理由とは何ぞや?という疑問が当然浮かび上がるのです。当然ながら、それへの回答も善悪ではなく、利害になるでしょうけど。

 

 

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灰原哀と赤井秀一の関係はいとこで親戚同士?エレーナとメアリーが血縁関係ありか?

赤井秀一灰原哀というのは、名探偵コナンにおけるキーポイントとなっているキャラクターです。灰原の方は赤井を怖がっていた部分もありましたし、赤井は赤井で灰原のことを気にかけて、できるだけ会わないようにしているような描写もあったと思います。そういった中で赤井秀一灰原哀の関係について非常に気になる部分が存在します。それが赤井秀一灰原哀はいとこなのではないか?ということです。血縁関係に関して言及している人が結構います。これはファンの間で結構噂になっており、いろいろな考察が行われています。仮にそうだとしたら、すでに死んでいる宮野明美赤井秀一といとこだったということになりますがね。いとこで恋人同士(赤井本人は明美を利用していただけ?)というのもすごい状況ですが、漫画ならではということも言えると思います。仮に灰原と赤井がいとこだったら、親戚だったらと考えると、随分世間は狭いな(笑)と思いますけど、もしそうだったら面白い展開だなと思います。

 

どうしてそもそも灰原哀赤井秀一がいとこという関係の疑惑が浮上したのか?というと、やはり灰原哀赤井秀一のそれぞれの母親の関係です。宮野エレーナと赤井メアリーが姉妹同士なのではないか?ということです。きっかけはいろいろとありますけど、赤井メアリーの姿が初めて映ったとき、多くの視聴者はその顔に見覚えがあったんじゃないでしょうか?私はどう感じたか?というと、髪の色は違うけど、顔は灰原みたいだなwwwと思ったのです。当時は領域外の妹という呼び方をされていましたが、後のその正体が判明します。髪の毛の色はむしろ安室透やベルモットに似ている。しかし、顔は灰原そっくりという感じなのです。メアリーも灰原同様に幼児化している模様なので、年齢は灰原と同じくらいの状況に、現時点ではなっていると思います。そのせいか、やはり灰原とメアリーの顔は瓜二つに見えます。そういったところからエレーナとメアリーは姉妹という関係で、その子どもである灰原哀赤井秀一の関係はいとこになるのではないか?という説があるわけです。実際、灰原哀赤井秀一が親戚だとは当初は誰も思わなかったでしょう。私は安室とベルモットが親戚というか、血縁関係があるのではないか?と思っていましたが。髪の色がそっくりっていうのがどうしても気になるのです。

 

灰原哀赤井秀一の関係に関しては気になる部分としては、灰原と赤井はくっつくのではないか?つまり、恋人同士になるのではないか?ということですが、個人的にはその可能性は相当低いと思います。赤井自身に恋人がいるのか?というと、FBI捜査官のジョディがそれに当たるのではないか?と思います。ただ、問題は灰原の側です。少なくとも灰原は赤井に対して恋愛感情は抱かないでしょう。当初は赤井の存在を恐れていた描写もありました。それは後に克服したみたいですが、それでも問題は残っています。それは灰原の姉である宮野明美が組織に殺される原因を赤井が作ったという事実です。それを灰原はまだ知っていないはずですけど、それを知ったらまず無理でしょう。赤井と灰原が直接対面したシーンはまだない(沖矢昴に変装していたときに対面したことはある)と思うけど、灰原がどんな反応するのか?は楽しみですけどね。灰原と赤井の関係に関してはくっつくことは今のところ考えづらいです。仮に親戚だったとしたら尚更かもしれない。ただ、本当に灰原と赤井がいとこなどで血縁関係があったとしても、当の本人がそれを知っているか?です。赤井秀一の母親であるメアリーと灰原哀の母親であるエレーナであれば、その真相を知っているのだろうが、子どもである2人がそれに気づくのだろうか?と思います。

 

メアリーとエレーナの関係も非常に気になるところですけど、やはり灰原哀赤井秀一の関係はそれ以上に気になります。やはりこの2人が面と向かって話したことはほぼないでしょうから、灰原が赤井秀一を直接見たときに、どういう反応をするのか?というのは非常に気になります。この2人はどこかしらで接点を持つと思います。どちらも目的としているところは似ていますから。組織に敵対する部分という意味では、灰原哀赤井秀一も立場は同じであり、そこには安室透やエレーナ、メアリーも絡んでくるでしょう。さらには世良真純あたりも。ただ、最終的に灰原哀赤井秀一がくっつくことはないと思いますよ。赤井秀一がどうなるか?は分からないですけど、灰原に関してはコナンとくっつくとも思えません。灰原はハッピーエンドで終わる気がしない、そんな宿命を背負ったキャラという雰囲気を感じますよね。したがって、灰原は誰ともくっつかないで終わると思うのです。赤井に関してもクールに決めているキャラなので、今まで通りの感じで最後は終わるんじゃないかな?と思います。灰原哀赤井秀一の血縁関係というのは結構意外な部分ですが、そういったものがあったとしたら、それはそれで驚きではありますが、ストーリーに大きな影響は与えない気がします。

 

でも、赤井は沖矢昴に変装していたときに、灰原に対して何があっても守ると断言しています。灰原はまともに受け取っていない感じですけど、赤井の覚悟は相当でしょうね。宮野明美を守れなかっただけに、妹の志保に関しては絶対に守り通すと心に誓っているのでしょう。組織は実際灰原を狙っていますから、それを赤井も知っているでしょう。灰原哀赤井秀一の2人は親戚の関係を知ることなく今後も進んでいく可能性がありますが、作者がある母親が姉妹であるということを断言したらしいので、それがエレーナとメアリーである可能性は高く、灰原哀赤井秀一が親戚の関係というのはほぼ確定なのかな?と思います。うまい具合にこの2人が交わる話がないので、なかなか灰原哀赤井秀一の接点が生まれない状況です。沖矢昴のときには何度か会っているのですが、赤井の姿のままでは会えないと、赤井自身は思っているかもしれないです。宮野明美の件を負い目に感じているという部分もあるでしょうし。スコッチの件もあって、安室透にも直接会っているシーンはほぼないと思いますから、そういう性格なんでしょう。そこが赤井秀一の魅力かもしれないです。

 

 

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