就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

転売屋は気持ち悪い、殺したい、くたばれなどの煽りから見る日本人の差別主義者としての性格

私は転売に関しては全面的に肯定派です。叩いている人間は頭がおかしいとしか思えない。いじめ体質が蔓延する国だから、今更不思議にも思わないんだがねえ。海外は知らないけど、少なくとも日本では転売はどちらかと言えば悪質的な行為という見方がされているように感じます。特にチケット転売なんかは割と社会問題になっている面もある。ネットで検索すると、転売を殺したいとか、殺す方法とか、非常に物騒なワードも見つかるけど、それがどこまで本気なのか?は知らないが、そうやって多くの人にとってくたばれみたいな眼で見られていることは確かだろう。転売屋が嫌われる理由はいろいろあると思う。ただ、それは多くの人にとって転売屋の存在が都合が悪いからだと思う。それこそが嫌われる理由の根幹に当たると思うのだ。別の言い方をすれば、都合の悪い存在を悪と見なすのが日本人ということである。自分が誰かにとって都合の悪い存在になっていること自体は無視するわけですな(笑)転売屋に対する煽りはいろいろなところで見られる。それこそ数年前に音楽業界で団体を作って、「転売NO」と叫んでいる人たちがいたと思うんですけど、ああいった人たちも転売屋はくたばれとか、気持ち悪いと内心思っていると思われます。

 

ただ、私はこういう現状を見ると、やっぱり日本人は差別主義者が多いんだなと思わざるを得ない。すでに出した転売NOを叫んだ音楽業界の例が1番分かりやすいと思うので、その説明をさせてもらいたい。転売NOを叫んだ人たちは、正確に言えば高額転売を否定しているらしいのだが、その理由が問題なんですよ。彼らは何を理由にしていたか?というと、このままでは音楽業界がつぶれるとか、そういうことが理由らしいのだ。業界の未来ことを考えているというのが、彼らによる転売屋が嫌われる理由とも言える。それは要するに転売屋が音楽業界にとって脅威になっているということなのだろう。本当にそうなのか?ということはとりあえずここでは議論しない。それが真実であると仮定したうえで進めていく。しかし、これが正しいとしたら、私はなぜ彼らは転売屋だけを目の敵にしているの?と思うのです。音楽業界がつぶれる可能性を持った脅威って、他にないの?と言えば、たくさんあるじゃないですか?言ってしまえば、娯楽を提供している業界や個別の会社はすべて当てはまります。同業他社はもちろんだけれども、別の業界の会社でもライバルと言えるようなところはたくさんある。音楽業界のライバルと言えば娯楽全般になるけど、娯楽に使える時間やお金は有限だから、音楽以外に興味を持たれてしまうと、それは音楽業界にとって脅威なわけですよね。例えば、ソーシャルゲームを作っている会社は、確実に音楽業界にとっては脅威ですよ?なぜそういうところは目の敵にしないの?と思うのですが。

 

業界自体への打撃を考慮して転売NOを叫ぶならば、業界自体への打撃があるのは転売だけじゃないでしょ?となりますけど。そもそも競争社会自体を肯定しておいて、自分たちの脅威になる存在を悪と見なすって頭狂ってるの?(笑)この時点で音楽業界は差別主義者が溢れているのか?と思えてきます。もちろん、一般の人も多くの人たちがこれに賛同しているみたいで、中にはさっき言ったように転売屋を殺したいとか、すごい物騒な考えを持っている人もいるみたいですし、そこまでいかなくても気持ち悪いとか、くたばれ、ざまぁなどの煽りととれるようなことを言っている人もいるわけです。ってことは、差別主義者は他にも大量に存在するということです。転売屋の件だけ見ても、相当な数にのぼると思います。さっき言った、彼らが特定の業界や会社にとって脅威になる業界者会社を目の敵にしない理由は簡単です。それを目の敵にしたら自分たちが悪人になるからです。音楽業界は当然ソーシャルゲーム業界にとっての脅威になっていますから、転売屋が悪ならば、見方を変えたら音楽業界も悪人の集まりですよ。で、会社で働いているにしろ、フリーランスやっているにしろ、自分(自社)が誰かの脅威に一切なっていないということはまずないから、日本人は全員が誰かにとっての悪人になってしまいかねない。だから、転売屋だけ批判するのでは?というのが、私の推測ですが、そもそも転売屋以外の人間(業界)が音楽業界にとっての脅威になっているという発想自体がない可能性もあると思います。転売屋が嫌われる理由というか、転売屋だけを叩く理由があるとしたら、そこだと思います。

 

そうなると、転売屋が悪人ならば日本人はほぼ全員が悪人になると思いますけど、それが嫌なので、転売屋だけ責めているという可能性もあり、それがまさに差別主義的な手段に見えてきます。転売をしていない人間にとっては、転売屋を責めても悪人にはならないが、別の会社や業界の人間を責めると、働いている人間は全員あてはまってしまいますからね。つまり、卑怯者という言い方もできるだろうがね。日本では政治家も転売屋を締め出そうとしているので、政治家も差別主義者&悪人の集まりですよ。そんな悪人の塊とも言える連中が、国の体制や法律なんてものを作っているってこと考えただけで恐ろしいですがね。転売屋が迷惑って言うのはその通りだろうが、迷惑っていうのは、お互いに掛け合っているものだからね。転売屋の迷惑だけを取り上げないといけない理由はあるんだろうか?と思いますが。日本人って、やっぱり視野が狭いなと思います。貧乏人にとっては確実に転売屋は迷惑ですよ。それこそ転売屋を殺したい、くたばれと思うような人は貧乏人か?はともかくとして、少なくとも金持ちではないと思うのですよね。貧乏人や金持ちの定義を議論したらキリがないので、ここではスルーしますが。でも、金持ちにとっては転売屋がいた方がメリットになる機会が増えると思います。金さえ出せば何か欲しいものが手に入る可能性が高まるわけだから。転売屋は確実に誰かに役に立っているのだが、転売屋を批判する層はそういうのは無視するわけだ。自分たちが困ることが問題だというのが主張の根幹っぽいので、理屈よりは感情論を前面に出してくる層なので、まともにやりあっても意味はない。私が転売屋だったら無視でしょうね。むしろ転売屋アンチがたくさんいてくれるおかげで、転売屋になる人が減る、ライバルが減ってくれて感謝くらいの気持ちだろうな(笑)

 

別の記事でも書くつもりだけど、日本人の場合には「サイン転売」と言われるケースにおいても批判的な姿勢の人が多い。サイン転売って詳しくは別の記事で書く予定だが、被害者は誰もいないんですよ。通常の転売に関しては、価格が上がって買えなかった人とかは一応被害者かな?とは思う。とはいっても、チケットの枚数は一定だから、買える人数も変わらないわけで、誰が買えるか?の違いでしかないんだけどね。値段が上がれば自分が手に入る確率が上がるのだから、高い値段を負担しないといけない点もデメリットとは言い切れない。転売屋を批判する人、くたばれなどの煽りをしている人はオークションそのものは批判しないわけです。それは自分たちが被害に遭ってないから。オークションそのものは転売屋のやっていることの本質と大して変わらないんだけど、誰も批判しないのは、オークションそれ自体が自分たちに直接被害をもたらすものではないから。さっきも言ったけど、自分たちに都合の悪い存在を叩くのが彼らのやり口なのだ。彼らは自分が困っているからその相手を批判するのだが、その人が誰も困らせていないのか?と言えば、そんなわけがない。さっき言ったように、仕事をしていれば自分が、自分の勤めている会社が、誰かの、どれかの会社の脅威になることは普通にある。ただ、それを指摘すると世の中のほぼ全員が迷惑をかけている、困らせていることになり、みんなが悪人という結論で終わってしまうので、そこは指摘しないと。お互いに指摘しない方が得策という、ある種の合理的な選択をしているわけです。こうやってバレたらおしまいだけど。

 

それに転売屋が迷惑だとしても、そこから買う人、価格を吊り上げる人がいるからこそ起きることなのだが、そういう層への批判はあまり見ない。「転売屋からは買わないで」とか、ずいぶんマイルドな注意のような言い方にしか聞こえない。チケット高額転売が成立するのは、転売屋だけではなく、価格を吊り上げてくれる層、高い金額で買ってくれる層が必要なのだが、そういう層への批判はあまり見ないし、あったとしても転売屋への批判とは全く違う。少なくとも殺したいとか、気持ち悪いみたいな脅迫、誹謗中傷レベルの単語はまずない。この点からもやっぱり差別主義の人が多いんだということが分かる。それに音楽業界の方も転売屋から買う人たちも同じことをしているにもかかわらず、あまり言及してないんですしね。別の記事で奨学金を返せない人たちの批判に対する批判を書いたけど、あれと同じです。奨学金を返せない人が出るのは、返せない可能性が十分に見込まれる人に貸す人がいるからなのだが、貸す方への批判はほぼ見られませんでしたからね。貸す時点で借りる人は仕事は得ていないわけだから、返せない人が出るのは当然予測できることです。

 

転売屋が叩かれるのは転売屋がいると迷惑だから、だから日本では転売屋への煽りが酷くなる。ただ、迷惑をかけるのはお互い様だと思うのだが、そういう発想は批判する人にはないらしい。自分への迷惑は悪だが、自分の他者への迷惑は善であるという、謎の理屈でも存在するのだろうか?どれくらいの割合か?は分からないけど、転売屋はくたばれとか、気持ち悪いなどのマイナスイメージを持っている人は結構いるんじゃないかな?アンケートをとったら8割くらいはいきそう。それだけ日本には差別主義者がわんさかいるということ、それは政治家の中にもいるということ。この事実は揺るがないでしょう。転売屋が悪質ならば、世の中の全員が悪質な人間だと思いますけど、そういう理屈はこういう人たちには通じないと思うので、いちいち言ってやろうとも思わないが、転売屋批判で分かる日本人の非合理的な性格は今後も続くでしょうから、転売屋に対する煽りとか、罵詈雑言は今後も続くでしょう。転売屋が嫌われる理由は、私からすれば到底理解できない理屈によって存在しているものだが、日本人はそういうのが大好きな悪質な国民性みたいなので、変えるのは無理でしょうね。転売屋に対する気持ち悪いとかはいじめに類する発言であり、殺したいとかは相当危ない奴だと思うんですけど、それが正当化される国ということ。私は相当ヤバい国だと思っているが。人種差別とかは叩かれるけどさ、別の理由で差別をしても良いと思っている連中は日本にも、世界にも大量にいると思いますよ。結局差別主義者は時代が変わっても消えないんですよ。そういう連中を含めて、彼らの思考を変えることは無理だと思います。私にできることは、そういう頭のおかしい人にできるだけかかわらないで生活をするということのみです。日本人というのはマジでかかわってはいけない人種として、私の脳裏に存在し続けるでしょう。本当に大嫌い。

 

世界一やさしい メルカリ転売の教科書1年生

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短期的な幸せは長期的な幸せにはつながらない、むしろ長期的な幸せはほぼ存在しない

前にもちょっと話題に出したことがありますが、私は遊戯王カードを今でも集めています。集めているといっても、現在販売されているようなカードはほとんど集めていません。正確に言うと、私が子供の頃に存在したカード名で、現在になって登場したレアリティのものは集めています。だから、ブラックマジシャンガールの20thシークレットレアなどは持っています。しかし、私が子供の頃にはなかったカード名に関しては一切集めていません。私が遊戯王カードを今でもコレクションしている理由は、子供の頃に満足に買えなかったからです。だから、大人になって思いっきり買っているわけですが、だからといってすごい散財しているわけじゃない。すでに話しましたけど、私がいまだに遊戯王カードを買っている理由としては、子供の頃に満足に買えなかったからであり、子供の頃ならば満足だと言えるような買い方をしているつもりです。したがって、高価なカードはあまり買っている自覚はありません。ただ、すでに出したブラックマジシャンガールの20thシークレットレアに関しては、私は2枚持っているのだが、購入した当時は1枚が5000円程度、もう1枚は1万円程度で買いましたけど、それからわずかな期間を経て、今では3万円近くに高騰してしまった。これがあるのが遊戯王カードなんですよね。だから株と言われるんだろうなあ。

 

で、私が遊戯王カードにハマっていた頃(2000年くらい)には、当時でもすごい高いカードってあったんですよ。当時の私のクラスの友達からの情報とか、近所のカードショップなどで売られていたものなどを総合して、当時私にとって最も高価なカードというのは「トライホーンドラゴン」でした。当時だと1万円くらいしたと思います。大会で配られたカードみたいで、レプリカではない本物のやつは本当に高かったのです。当時の私の中では遊戯王カードのトップレベルはトライホーンドラゴンだと思っていました。その当時からもっと高価なカードはあったかもしれませんが、当時はインターネットが今ほど普及しておらず、家にパソコンはあったけど、私がパソコンを本格的に使うようになるのは2003年くらいからなので、正確な情報が入ってこないのです。当時は大人がやっているケースはあまりなく、遊戯王カードの購買層はほとんどが小中学生だったと思います。だから、高価なカードといっても1万円くらいでも不思議じゃないかもしれない。今では美品だと10万円を超えるホーリーナイトドラゴン、究極完全体グレート・モスなどは当時は全く注目されておらず、相当安く買えたと思います。この2枚はゲームの特典カードなのだが、封入率が異常に低く相当レアなカードなんです。だから、今では相当高騰しているわけです。しかし、さっきも言ったけど、当時は遊戯王カードの情報自体があまり入ってこない環境下だったので、封入率という概念もあまり持っていないような状況であり、この2枚のカードに価値を認めていた人は相当少なかったと思います。

 

したがって、当時の子供たちにとっての憧れのカードはトライホーンドラゴンとか、あとは青眼の白龍(スターターボックス)、死のデッキ破壊ウイルス、ハーピィの羽根帚などでしょうか?この辺のカードも当時でも数千円はしたんじゃない?小中学生にとって、数千円はなかなか手が出しづらい金額です。今では高いカードは本当にヤバいくらいの値段になっていて、世界に1枚しかないカードは新築の家を買うくらいの金額になっているものもあります。ただ、そういうカード自体には私はほとんど興味がない。私が子供の頃に存在していたカードを中心に集めていたので、数百円程度のものが多いです。そして、さっき出したトライホーンドラゴンですけど、今でもそれなりの価格を維持しており、美品であれば15000円くらいはすると思います。私は買おうと思えば普通に買えますけど、私はあえて買っていません。子供の頃にはある意味憧れのカードであり、これを持っていたらすごいみたいなカードの代表だったと思います。で、値段的にも問題なく買うことができる範囲内だと思います。しかし、私はあえて買わないのです。その理由は2つあって、さっきもちょっと話しましたけど、子供の頃ならば満足できるくらいの集め方をしているため、子供のときだったらトライホーンドラゴンが手に入らなくてもそんなに不満は感じないというのがまず1つです。

 

そして、もう1つは欲しいカードを手に入れても、多分幸福度合いは変わらないと思ったのです。長期的に見たら、幸福度合いは変わらないと思います。短期的には変わると思いますけど、いずれトライホーンドラゴンを手に入れたことの感動は多分なくなると思います。めっちゃ欲しい気持ちはあるんですけど、いずれ手に入れた嬉しさは消えるだろうと思うのです。他のカードも同じじゃないのか?と思うかもしれませんが、こういった考えに至ったのが集め始めて大分経ったときだったので、今まで集めたカードはしょうがないです。この考えがもっと早くから芽生えていれば、遊戯王カードを大人になっても集めることをしなかったかもしれないです。だから、今でも欲しいカードっていっぱいあるんですけど、今後はほとんど買わないと思います。数百円くらいのカードであれば良いか!くらいの感じでしょうか?高いカードが欲しいわけではなく、子供の頃に欲しかったカードを中心に買っているので、私が所有しているカードの1枚当たりの平均は多分500円くらいだと思います。そのくらいの金額ならば、そもそも感動がどうとか、気にする必要性をあまり感じられないのです。だけど、1万円以上のカードはもうあまり買う気になれないです。値段が高いカードになると、いずれ手に入れた感動がなくなるという部分はものすごい大きなリスクに感じてきます。

 

だから、例えばものすごい大好きな人と結婚をしても、いずれ結婚できたという感動は消えると思うのです。徐々に小さくなっていくと思います。で、結婚ってリスクが大きい気がしていて、だから私は結婚したくないんですよ。幸福の部分はどんどん時間の経過とともに薄らいでいくのに、リスクだけ残るわけです。私は人間の心理というか、人間の幸福や不幸にかかわる心理を最近になって無意識に考えることが多くなり、それによって人生の行動パターンが決まっている気がしています。長期スパンの幸福と短期スパンの幸福は全然別ものであると。短期スパンの幸福は長期スパンの幸福にはつながらないことが多々あると思っています。というか、長期スパンの幸福って、実はほとんど存在しないんじゃないの?と思います。短期スパンの幸福って山ほどある気がするがそれが長期化することはなかなか厳しい。本人の感じ方の程度の問題もありますが、少なからず幸福の程度は落ちていきます。それを考えると、どんどん幸福な思考になっていく気がするのです。結婚を例にすれば、結婚をしても長期的に見たらどんどん幸福の程度が下がっていき、リスクだけが残るならば、結婚しないこと、できないことって全然不幸とは思えなくなってくるのではないか?と思います。結婚できない人で、結婚している人を羨ましいと思っている人もいると思いますが、彼らは結婚していないがために、結婚している人が抱えている苦悩を知らない、体感していないわけです。

 

結婚できない人が抱えている苦悩というのは、結婚できないことそのものではなく、結婚している人と比べたときの単なる劣等感なんですよ。結婚できない人は結婚している人よりも劣っているなんて定義はないが、勝手にそう思っている、社会によって思わされているがために、勝手に不幸になっているのです。でも、結婚している人が抱えている苦悩って、結婚そのものからきている気がします。結婚当初の感動は徐々に薄れていき、お互い嫌な部分がどんどん見えてくる。お互い我慢の毎日というのはよくある光景じゃないか?と思いますが、これは結婚生活をしているがゆえの問題なのです。そして、これは長期的に同じ状態を続けていかないといけないからこそ生じる問題です。同じ相手と同じ家の中で過ごさないといけないからこそ起きる問題であり、欲しいカードを手に入れたが、それが自分のものである状態に慣れてしまったがために、ほとんど感動がないような状況に近いかもしれません。人は同じ気持ちの高ぶりなどを長期的に持続させることはおよそ不可能だと思います。重要なことはその感動などの部分がどれだけ持続するか?の予測とそれを実現するために発生するコスト、リスクなどのバランスになるでしょう。私にとってトライホーンドラゴンを手に入れることや結婚することは、短期的に味わえる感動とそこで発生するコストやリスクが釣り合っていないと感じているということなのです。

 

 

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阪南大学の偏差値や難易度と倍率は?合格最低点や評判、キャンパスの雰囲気は?

阪南大学というと、関西ではそれなりの規模を誇る大学です。関関同立産近甲龍ほど大きくはないものの、5つの学部を持つ大学となっています。阪南大学の難易度は必ずしも高いとは思えませんが、阪南大学の偏差値やレベルはそれぞれごとに異なっているので、そういったところをチェックしましょう。後は学部や入試方式ごとの倍率も重要です。また、阪南大学の評判というのが重要なので、大学の雰囲気などを阪南大学の学生の口コミから理解しておくということも重要になります。阪南大学の評判も含めて、大学の特徴を理解しておくと良いのではないか?と思います。まずは学部ごとの難易度をチェックしていきましょう。

 

阪南大学の学部ごとの偏差値はどれくらい?

阪南大学というのは5つの学部がありますが、偏差値それ自体はものすごい差はありません。河合塾の偏差値で言えば、最も高いのは経営情報学部で45.0~47.5です。次は流通学部で40.0~42.5です。次が経済学部で37.5~42.5で、最後が国際コミュニケーション学部と国際観光学部が37.5~40.0で同じとなっているのです。阪南大学の難易度は学部ごと、そして入試方式ごとに異なりますから知っておきましょう。1番低い学部、入試方式と1番高いところを比べると結構差はあるかもしれませんが、1番難しい学部でも偏差値は50はありません。学部単位の偏差値で言えばこんな感じです。阪南大学では偏差値に差があるので、入りやすい学部というのも一応存在しています。受かりやすい学部としては、偏差値を基準にするならば国際コミュニケーション学部か、国際観光学部になります。そういったところが阪南大学で入りやすい学部になっています。阪南大学の受かりやすい学部を狙って受けるということもできますけど、それぞれの学部ごとに特徴が異なっているので、そういった面を把握したうえで受けてほしいです。

 

阪南大学の倍率や合格最低点は?

阪南大学の難易度として重要なのは偏差値だけではないのです。阪南大学の倍率についても重要な入試データとして把握しておきましょう。阪南大学の倍率に関しては、一般入試は前期2教科、前期3教科、そして後期入試の3つの入試方式があります。学部ごとに結構傾向が出ています。まず前期2教科と3教科に関しては学部ごとに違いはありますが、この2つの間ではあまり差はないです。同じ学部ならば前期2教科も3教科もほぼ同じ倍率です。国際コミュニケーション学部、国際観光学部、経済学部に関しては5~6倍くらいです。そして、流通学部と経営情報学部は8~9倍くらいです。したがって、普通に倍率は高いです。後期入試に関してはどうなっているのか?というと、国際コミュニケーション学部、国際観光学部、経済学部、経営情報学部は8~9倍くらいです。流通学部に関しては過去には20倍以上の倍率を記録したことがあるので、今後要注意です。後期入試の倍率に関してはこういう感じです。阪南大学の偏差値とは違って、倍率はかなり高い傾向があります。

 

阪南大学の合格最低点というのも重要です。合格最低点は阪南大学の対策をする際のボーダーラインの数字と言えます。阪南大学の対策をする際には合格最低点をもとにやっていくことになりますから、ちゃんと理解しておきましょう。阪南大学の合格最低点に関しては学部ごとに違いはあまりなく、入試方式が同じであればだいたい同じような数字になっています。ボーダーラインとしての数字なので、阪南大学の対策をしていくときには意識してほしいですが、毎年変動が少なからずあるので、そこは覚えておいてほしいです。阪南大学の合格最低点に関して、前期2教科は200点満点中140~150点程度です。前期3教科については300点満点中210点前後となっています。後期入試は150~160点程度となっているので、阪南大学の合格最低点はそういった傾向があります。阪南大学の対策をするときにはこういうボーダーラインを意識してやっていきましょう。入試科目に関しても学部ごと、入試方式ごとに調べておくと良いです。阪南大学の偏差値などを含めた難易度について調べたら、最後に阪南大学のキャンパスの評判も理解しておきましょう。

 

阪南大学のキャンパスの立地条件の評判は?

阪南大学のキャンパスは3つありますが、そのうち本キャンパスでほぼ全員が学びます。国際観光学部の学生のみ別のキャンパスを使うことになっているようです。ただ、国際観光学部が使う南キャンパスは本キャンパスから徒歩圏内なので、かなり近いです。したがって、ここでは本キャンパスの立地条件や雰囲気などを紹介していきます。阪南大学の本キャンパスは近鉄南大阪線河内天美駅から徒歩10分となっています。本キャンパスはかなり敷地面積は広そうで、キャンパス全体や建物自体が綺麗です。阪南大学のキャンパスの雰囲気としては気に入る人が多いと思います。実際、学生の口コミでもそういった部分は言われています。最寄駅から近いという点に関しても、評判は高くなっているのです。設備としては食堂がやや狭いらしくて、混んでいる時間帯は座れないこともあるという口コミがあります。ただ、建物の中も綺麗と言われており、カフェテリアなどもあるみたいです。ただ、キャンパスの周りは住宅街の雰囲気が強いみたいで、あまり充実しているような面はないかもしれません。飲食店はあるようですが。こういったところが阪南大学のキャンパスの評判で、簡単に紹介してみましたが、実際の雰囲気を味わいたいならば、オープンキャンパスなどに行ってみると良いと思います。阪南大学のキャンパスの特徴について知っておきましょう。

 

阪南大学 (2020年版大学入試シリーズ)

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ブラック企業の朝礼と体育祭の応援合戦の状況が酷似していることに気付いた

以前、Youtube上でブラック企業と書かれていた会社の朝礼の光景の動画あり、それを見ていたのだが、とにかく大声を出すことが正義であり、それが強要されている状況がありました。私としては十分だろうと思える声量でも、声が小さい!と、どこからが罵声のようなものが聞こえてくるような内容だった。私はこの動画を見て、あれ?と思うことがあったのです。何かに似ているなwと思ったら、それは体育祭のときの応援合戦なのです。とにかく大声を出すことを当時強いられた記憶があります。私は小中高と運動会や体育祭をやってきましたが、学校側が1番力を入れていたのは多分中学校のときでしょう。地元の公立の中学に通っていましたが、私の中学校は毎年5月に体育祭をやっていました。その練習に関しては、他の学校も同じかもしれませんが、すごい気合が入っており、毎年4月にクラスが決まると、早速体育祭実行委員とか、応援団を決めたりして、応援合戦の練習が始まるのです。どんな応援スタイルにするか?振付どうするか?などを応援団長や応援団が決めて、それを同じチームの生徒らでみんなで練習をしていきます。

 

私の中学校はそこそこ規模が大きく、どの学年も7クラスありました。それを2,2,2、1と各学年で分けて、学年ごとに合体させて4チーム作っていたのです。そのチームごとに応援合戦の練習を4月の入学式直後からやり、体育祭の日が近づくと、本来の授業は全くやらず、1日中体育祭関連の練習のためにジャージ登校という期間もありました。それが1~2週間くらいかな?続けて本番を迎えるという感じでした。応援合戦が4チームごとに行われて、それも優勝を決める中の点数に反映されていたのです。何が基準だったのか?はよく分かりませんが、間違いなく声の大きさは基準にされていたと思う。とにかくバカでかい声をみんな出していたし、そこは見られていたという意識があったのでしょう。当時は私も頭が悪かったから何も考えずに従っていたが、今思うと本当に謎ですよ。大きい声を出すことがなぜ是なのか?よく分かりません。そもそも応援合戦ってなんなん?って思います。体育祭の練習はかなり時間をかけて学校で取り組んでいましたが、そのうちの7~8割くらいはこれに使われていたと思います。で、この応援合戦ってなんなん?っていう思いが大人になって浮かんでくるのです。

 

私は足が速かったから、体育祭自体は結構楽しかったです。ただ、応援合戦に関してはマジで適当にやっていたと思う。当時はつまらないなという印象が強かったが、今は何のために応援って必要なの?と思えてくるのです。これに関しては体育祭だけではなくて、応援全般にもかかわることなのだが、応援というのはプラスの作用だけではなく、マイナスの作用もあると思っています。応援に何の意味があるのか?と言えば、応援された側が嬉しいとか、やる気がみなぎるとか、そういうのがあるかもしれないが、体育祭の競技って、はっきり言って応援は耳に入ってこないと思うのです。多くの競技をやっているときにも応援は各チームからあったのだが、競技に集中していたら、応援は耳に入ってこない。体育祭の競技って気を抜く瞬間っていうのはまずないわけです。走る系の競技はもちろんだが、綱引きとかもそうかな?始まりから終わりまでずーっと集中していないといけない。これが例えば野球だったら、投球間隔の中で打者は一旦落ち着くなどの合間があるわけだが、体育祭の競技には基本的にはそういうのがない。そこにまず応援の無意味さを感じてくるわけです。そして、野球みたいに応援している人の声がちゃんと聴く余裕があるようなときであっても、応援がマイナスに作用することもあります。

 

スポーツだけではないけど、結果を出すうえで1つ重要な力があるのですが、それは「冷静に現状を分析する力」なのです。野球で言えば、相手の守備位置の確認とか、次の配球を読むとか、そういった部分でそれを実行するには冷静でいないといけない。少なくとも頭は冷静じゃないと、そういう考えに及ばないと思うのです。冷静でいないと論理的に考えることができない、いろいろな部分に気を配ることができないと思うのです。特にリアルタイムの応援によってやる気が上がるとか、そういう状況は実は好ましくないわけです。燃えるとか、感情的になってはいけない場面だから。私は大人になって、応援の必要性が分からなくなってきたと、必ずしもプラスではないなと思っているのです。だから、応援をすることで応援された側が良い結果を出せるようになるとは必ずしも言えないと思う。プラスになる面がないとは言いませんけど、プラマイ0かなって思うのです。そして、私が経験したようにあんなに大声を張り上げて応援する必要はどこにあったの?と、やっぱり思うのです。応援をしないと体育祭が盛る上がらないというのはあるにせよ、それは応援合戦というものが体育祭にとって当たり前に存在してしまっているがゆえの話であり、それが当たり前に行われないという状況になれば、誰も違和感は覚えません。あれって、無駄に体力消費してね?って思うんですよ。

 

私が観たブラック企業とされている会社の朝礼でも、「声が小さい!」という声が飛んでおり、大きい声はいいことだ!みたいな雰囲気を感じたのです。他の会社でも同じような朝礼の風景はあるかもしれないです。ただ、体育祭も含めてだけど、大声を出すってことは体力を使うのです。体力をこんなところで使ってどうするのかね?と思うのです。応援合戦の効果なんてものは測定のしようがない。言い換えれば効果がないということも測定はできない。効果がないという証明ができないからこそ、効果がないわけがないという思考に陥り、今でも全国の学校で行われているのではないだろうか?スポーツイベントでも応援はつきものだし、応援の効果がないわけがないという発想から抜け出すことができなければ、応援をやめるわけはないのだ。アドバイスになるような応援だったらまた話は違うとは思うけどね。しかし、単に応援をしているだけ、叱咤激励をしているだけならば、冷静な判断力を失うだけの可能性も否定できないと思う。私は学校が大嫌いだが、体育祭はまだマシだった。運動が得意だったというのもあるけれども、相当勉強が嫌いだったんだろうね。だから、さっき言ったジャージ登校という期間は本当に天国みたいな感じでした。応援合戦は適当にやっていればいいのだから、学校に通うならば、無駄と思いつつも従っておくのが合理的かもしれないけど。

 

 

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拓殖大学のキャンパスの雰囲気や評判は?就職支援や就職率はどうなっている?

拓殖大学に入学を希望している人、受験する可能性が考えられる人は拓殖大学がどんなところか?について知っておきましょう。拓殖大学というのは箱根駅伝で有名な大学という印象を持っている人もいるかもしれませんが、都内のかなりいい場所にキャンパスがあります。キャンパスは2つあって、学部によっては別のところに就学することになりますが、特に都心に近い文京キャンパスについては、アクセスが良いということで、そこはまずは人気の側面になります。拓殖大学の評判について、キャンパスの立地条件もそうですけど、あとは就職などの面でチェックをしていって、拓殖大学の雰囲気そのものを理解していきましょう。

 

拓殖大学のキャンパスの立地条件や雰囲気は?

拓殖大学のキャンパスは文京キャンパスと八王子国際キャンパスに分かれています。文京キャンパスがメインで、商学部政経学部の学生が学んでいます。最寄り駅はJR丸の内線の茗荷谷駅で徒歩3分です。駅から近いというのがポイントですし、都心を走っている丸の内線を使えるのは利便性が高いです。キャンパス内の雰囲気としては全体的に結構綺麗ですし、東京大学安田講堂みたいな建物があって、すごいアカデミックな雰囲気を感じます。学生の口コミを見ても、拓殖大学の文京キャンパスは評判が高くて、立地条件が良いというのもありますけど、広くて綺麗なところが好かれています。新宿や池袋に割と近い環境という点で評判が良いですし、拓殖大学の学生の口コミを見ても好評な雰囲気が伝わってきます。文京キャンパスは都心にあるのですが、もう1つは都心からはちょっと離れています。

 

拓殖大学のもう1つのキャンパスは八王子国際キャンパスになります。こちらは東京都八王子市にあるので、都心からは距離があると言えます。JR中央線京王線高尾駅で降りて、そこからバスを使って5分となっています。この八王子国際キャンパスも全体的に綺麗ですが、割と自然が多くて、のどかな雰囲気に感じられるでしょう。キャンパスの立地条件もそうですけど、キャンパス内の雰囲気もやや田舎のような感じになっています。拓殖大学のキャンパスの評判としては学食が2つあって、さらに吉野家も出店している点が評価されています。八王子国際キャンパスは外国語学部、国際学部、工学部と多くの学生が就学しますから、それだけ規模が大きいキャンパスなのです。学食が2つあって、さらにファストフード店もあるというのは非常に充実している雰囲気です。拓殖大学の評判としては八王子国際キャンパスもいいものを持っています。アクセスはあまりいいという口コミはないですが、キャンパス内の雰囲気などは評価されている印象です。

 

拓殖大学の就職支援や就職実績は?

拓殖大学に入学したら、卒業後のことも考えないといけません。卒業後にどういう進路になるのか?という点は入学後から知っておきましょう。拓殖大学の就職支援というのは1年生から始まっている部分もあります。したがって、1年生から就職を意識した取り組みをすることも可能なのです。拓殖大学の就職支援としては本格的なものは3年から始まるので、それについて紹介していきます。代表的なものとしては全学部統一SPIテストというものがあって、これは拓殖大学の全ての学生が希望した場合に受けられるテストで、就活で必要になるSPIの対策が可能になります。それ以外では春と夏にインターンシップが開催され、70社もの企業が協力してくれているという状況があるのです。それ以外で特徴的なのは就職合宿セミナーというもので、これは主に面接試験の対策をするための合宿です。1泊2日で泊まり込みで対策をしますが、企業の人事担当者もついてくるので、かなり濃密な時間を過ごすことができます。面接の他にグループディスカッションの対策も行うことができるのです。

 

それ以外にもエントリーシートの添削や、学内の合同説明会、ガイダンスなどを行っており、拓殖大学の就職支援はかなり充実していると言えるのです。拓殖大学の就職に関する評判としては就職実績を知っておく必要もあります。拓殖大学の就職実績として重要なのは就職率です。就職率は年度によって変動もありますが、最近は98%前後を推移ししています。だから、拓殖大学の就職率は相当高いです。業界としては卸売り・小売業、サービス業、情報通信業が割合としては高く、これらで全体の6割を占めています。就職先に関しては学部ごとに傾向がやや違うものの、大企業の名前も割と確認できます。誰もが知っている大企業と言えるような企業名が結構載っています。したがって、拓殖大学では大企業を目指すことが現実的に可能ということです。拓殖大学の就職先はホームページに詳しく載っているので、そこからチェックすると、拓殖大学の就職実績が把握しやすいと言えると思います。拓殖大学の就職率などを含めて就職実績を知っておいてほしいですけど、拓殖大学の就職実績に関しては結構評価できるような状況になっていると思います。

 

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偏差値と校則は反比例する、校則が厳しい学校ほど偏差値が低いは事実だと思う

私の持論も含むけど、偏差値が高い学校ほど校則が相対的にゆるい気がします。つまり、偏差値と校則は反比例すると言えるのかもしれません。私は仕事でいろいろな高校とかの口コミを調べたことがあったのだが、そのときには載っている口コミはまさにそんな感じでした。有名な偏差値が高い学校ほど、私服OK、ピアスOK、バイトOK、漫画OKみたいな状況があったように思います。逆に偏差値50未満とかの微妙な高校は、校則が厳しいみたいな口コミをよく見ました。そういったところは相関関係があるのかもしれないです。私は以前から何度か言っているが、校則自体は無意味であり、はっきり言って害悪の方が強いと思っています、それはほぼ全ての校則です。一般的に校則として扱われているもののほぼ全てです。

 

なんで偏差値が低い学校ほど校則が厳しいのか?反比例するのか?という疑問に関しては、以前ある人にぶつけたことがあるのだが、「偏差値が低い学校の子供は、進学校に通う生徒とは違って、自分を律することができない。社会に出て最低限のルールを守らせるには、校則を厳しくしないとやってられないんだ!」みたいな話を聞いたことがあります。私はすかさず「自分を律することができないって、校則をどんどん緩くしていったら、具体的にどんな問題が起きるの?」と詰め寄ったところ、明らかに答えるのに苦慮しているわけです。うろたえているのが分かりやすい。校則を緩くしたらどんな問題が起きるのか?そんなことを考えもせずに、校則を緩くしたら大問題が起きると、勝手に決め込んでいるのがバレバレ。つまり、先入観で勝手に考えてしまっているんですよ。相手も苦労しながら回答を考えたんでしょうね。ようやく「バイトを仮に許可するとしたら、夜遅くまで働く生徒も出てくるだろうし、そこでもめ事とか起きるかもしれないじゃん?だから、学校ではバイト禁止のところがあるけど、それはしょうがないんだよ」という返答がきました。すかさず私は「それが問題ならさ、免許をとったら、事故を起こすかもしれないんだから、生徒らには車やバイクの免許はとるべきじゃありません!って指導すべきだって思ってるわけ?」と返しました。

 

相手は「は?」みたいな表情をしていた可能性もありますが、間髪入れずに「だってさ、あなたが言ったのはアルバイトをすることで問題が発生するかもしれないから、それをさせるべきじゃない!ってことでしょ?だったら車の運転も事故を起こすかもしれないリスクあるじゃん?で、アルバイトも車の運転(免許持っていれば)もどっちも合法じゃん?」と返しました。すると、「そのリスクとこのリスクは違うでしょ!」と言ってきたので、「何がどう違うの?」と返答したら、また返答に困ってました。また、しばらく考えて返答がきたと思ったら、「車とかの免許って、卒業後の話じゃないの?」と返してきたので、私は「いやいや、あなた最初ね、社会に出てから最低限のルールがどうたらこうたらとか言ってたでしょ?(笑)ってことは、卒業後のことまで考えたうえでの校則じゃないの?(笑)」と反論をして終わりました。相手からの返信は途絶えました。これはマジシャンズセレクトに近いと思いますよ。相手がこう返してくるだろうというのを事前に予測したうえで、こっちは論戦を挑んでいるので、相手は自分で考えて答えを練っているつもりだろうが、こっちにとっては事前に予測可能な回答でしかない。だから、反論が余裕なんです。私にとっては99.9%論破できる自信があったわけです。

 

偏差値が低い学校ほど校則が厳しいとして、それに何の意味があるのか?校則を緩くしてやりたい放題させたとしても、それで起きる問題が問題って言えるならば、校則の適用範囲をもっと広げるべきだという反論が容易なわけです。都合のいい線引きを許さないための反論をすると、相手はたいていこんな感じです。そもそも最低限のルールっていうけど、社会に出てからのことを考えるならばさ、その社会のルールを直接守らせればいいのよ、髪を染めてはいけないというルールは社会に基本的にはありません。例外として一部の会社とかではあるかもしれないけどね。ただ、そのルールだって守らないことが悪いわけではないでしょう。守らなかったらクビになるかもしれない。ただ、それだけです。それは悪いことではない。働くことを優先するならば、会社の奴隷になった方が良いかもしれないというだけ。その人がむちゃくちゃ優秀ならば、会社のルールを破っても多分クビにはできない。仮にクビになったっていいや!っていうならば、それは本人の自由でしかない。会社の面接にジャージで来たっていいわけですよ。「私はこの服装を許容してくれる会社で働きたい」と本人が思っているかもしれないので。どういう服装で面接に臨もうが、人の自由ですし、不採用にするのも人の(法律の範囲内で)自由です。

 

ルールは特定の層にとっての都合を明文化したものなので、本来は善悪ではないのです。だから、最低限のルールを守れないと困るとかいうのも、それは「あなたを含めて特定の層が困るだけでしょ?」という言い方もできてしまう。別の言い方をすれば、「ルールを強要されることで困る人は無視ですか?」という反論も可能だ。そもそも社会のルールを守るためが、校則を必要とするルールだってことは、その校則っていらねーじゃん!ってことだと思いますけど。社会のルールそのものを校則にすればいいんですよ。髪を染めてはいけないというルールは社会には一般的には存在しない。学校では靴を脱いで上履きを履かないといけないという校則扱いはあまりされないルールがあるが、これでいいじゃん?と思うのですがね。建物内に入るときには土足を脱ぐというのは、一般的な社会のルールですよ。それを許可なく行うと法律違反になる場合もあるだろう。これは例外もあるけれども。これを守らせれば十分じゃん?なんで社会にほぼ存在しないルールを、最低限守るべきルールのようにしないといけないの?髪を染めることを卒業後にやったらダメなんですか?って言えば、ダメなわけがないのだが、社会のルールを守ることと髪の毛を染めないことは関係があると思ってしまう頭の悪い人たちが社会には大勢いるんですよ。そもそも学校の校則を守ったからといって、社会のルールを守るってなんで言えるんですかね?と思いますが。

 

実際、エスカレーターは歩いてはいけないのだが、歩いている人なんて山ほど見ますし、電車に駆け込み乗車している人は山ほど見るし、車が通らないときに赤信号渡る人も山ほど見てきたし、社会のルールを守るか?どうかは、本人のリスクと得られるもののバランスで決まる傾向もあるのです。もちろん、本人の意識とか、価値観も関係あるのだが、リスクが大してないときとか、明らかに自分にとって得なときなどは、人はルールを破りますよ。高校の場合には校則を破り続けると最悪退学などの問題があるため、そのリスクを考慮して、奴隷になっている生徒が多いだけのケースは結構あると思う。つまり、本気で社会のルールを守らせたいならば、校則を破ったときの罰則は設けては意味がないのだよ。罰則があるような状況で守らせても、それは罰則に屈しただけの可能性もあるので、ルールを守る人間になったわけではない。リスクがないようなときには平気でルールを破る人間が継続されてしまう。私は校則を設置する意図には全く共感できないが、そもそも合理性や有効性すら存在しないような状況だと思っています。さらに言わせてもらうと、校則がほぼない学校を卒業した人が社会のルールを破ったところで、その人が校則が存在する学校を卒業して例れば、ルールを破ることはなかったと言えるの???校則の有無とルールを守るか?どうかに、一体何の因果関係があるって言うのよ???本当に謎なのよねここが。

 

偏差値と校則が厳しい、ゆるいは相関関係がありそうだなということを調べていたときに以下の記事を見つけた。これは学校の偏差値と校則は反比例するのか?という問いに関するものです。「「スーパー進学校には厳しい校則がない」はホント? 校則と偏差値に関連性はあるのか? | citrus(シトラス)」の記事では、それに近いことが書かれていたが、謎の文章を発見してしまって、それについてちょっと言及したいと思う。

 

>投稿者は32歳の現役男性高校教員だそうだが、「髪を染めたり、ピアスをしたりすることが、なぜいけないことなのか。(略)それは『あるべき生徒像』という教員の私的な好みや趣味を、子どもたちに押しつけているだけではないだろうか」と始まり、「あしき統制主義でしかないと思う」と教科書で習った過去に思いを馳せ、やがて「本人の決定に委ねる以外にない。それが、憲法13条の要請している個人の尊重の精神である」と憲法を持ち出して締めくくっている。

 

あーそういえばこんな感じにそっくりなのをアタシも14や15の頃、国語の作文やら小論文の授業やらで書いてたなーと思い出し、もう一度「そうか、これが32歳の現役高校教師の書くものなのか……」と複雑な思いで読み直すのである。

 

いい大人なんだから、盗んだバイクで走りだす15の夜ってなワケでもなかろうに……上司や年上の先生たちと何かあったのかな?と、慮ってしまうほどである。真面目クンなんだなー、生きづらいこともあるだろうなー、若い頃ちゃんと金髪やピアスして来なかったんだなー。だから30過ぎて自分がもう既に「大人」の側にいることに気づかずに、自分より上の世代の「大人」に反抗してるんじゃないかなぁ。

 

あ、もしかして結構な田舎なのかな?と思って見たら神奈川とあって、えーっそれじゃよほどの底辺校なのかしら、大変だなぁ……と、また慮ってしまうのだ。とにかくこの、教育現場での個の尊重はやりすぎなくらい徹底している2016年に「校則は個人を尊重していない」と主張する今更感をどう処理していいのかわからないくらいの違和感であった。

 

この記事書いた河崎環って人、名前が載ってたんであげさせてもらうけど、文章を読んで即座に頭が・・・という印象がわいてきた。この文章を読んで感じたことは、この人はこの男性教諭の主張を否定したんだろうということ、しかし否定の仕方が分からないので、謎の文章を羅列しているのだろうということです。この男性教諭の主張を快く思っていないことは、みんなに伝わるでしょう。ただ、文章のニュアンスからそれは伝わるものの、結局男性教諭の主張のどこがおかしいのか?なんの根拠もない!「大人に反抗しているんじゃないのかな?」に関しては、その通りですが何か問題でも?と反論するし、「どう処理していいのかわからないくらいの違和感であった」に関しては、その違和感を具体的に説明しろと、さらにその違和感の何が悪いのか?と迫るだろうし。つまり、論理的思考力を持てない人間なんだというのがこの文章から分かる。否定したい気持ちは伝わるが、否定できる材料を何も持ち合わせていないのだ。記事は以降も続いているけど、基本的には同じような感じである。謎の文章が続いている。

 

よく「スーパー進学校では厳しい校則はないところが多い」というもの言いがまかり通っているけれども、よくよく見るとちゃんとどこかに校則はあったりする。でも、校則そのものよりも校則をどのように運用しているかや、そもそもの校風や、教員の持つ哲学などが絡み合って、結果的に校則なるものに重要性が置かれていないという、結果論であることが多い。

 

校則は少なくともあっさりした形でちゃんと存在する。でも、「生徒がもっと他の分野に科学的探究心を持って没頭しており、真正面からわざわざ校則ごときにチャレンジするような手間暇かけたレクリエーションに興味を引かれない」とか、「生徒が校則からいかに乖離しているかを発見して更正させることに偏執的な関心を持つ教員がいない」とか、つまりはルールなんてのは使う人次第でどうにでも転ぶものだ。例えば今をときめく進学校でも、それほどレベルの高くなかった昔は校則が厳しかったというような学校はたくさんある。ルールというのは、対象となる集団の傾向や、運用する側の目論見や、その双方の変遷でどんどん表情も内容も変わっていく、時代に沿って改定されていく、状況依存的なものに過ぎないからだ。

 

校則と偏差値とか、あるいは校則と学力をリンクさせて定義するようなことは野暮の極みなのでしたくないけれども、ただ、校則でガチガチに縛られなければならないような集団と、ガチガチに縛らないと学級運営ができないような教員は、ともに困難な状況にあるのだとは言える。

 

冒頭からおかしいよねw「厳しい校則はないところが多い」というのは、校則自体はあるが、厳しいものがないと捉えるのが自然だろうが、この筆者は「よくよく見るとどこに校則はあったりする」となっている。まるでスーパー進学校は校則がないような文面を受けての言葉である。スーパー進学校でも校則はあるけれども、厳しいものがない。そういう文章なのだが、こういう解釈をするならばこの人は国語力に難があると思われる。それ以降の文章に関しては言いたいことがよく分からない面もあるものの、校則は運用する側によって、厳しく感じたり、甘く感じたりすることがあるということを言いたいのではないか?と思われる。しかし、一般的に言う校則が厳しい、甘いというのは、それ自体を指しているんじゃないの?wと思うわけです。生徒らが感じる校則の厳しい、甘いってのは生徒手帳に載っている具体的な文面とかではなく、教師らが日ごろからどういう指導(運用)をしているか?で判断していると思う。少なくとも私はそうだったし、私が仕事で閲覧している高校の口コミなどもそんな風に書かれていることが多い。

 

以前、別の記事でも書いたのだが、校則は基本的に多くが法律で許されていることを禁止しているので、はっきり言って何がどう悪いのか?は全く理解ができない。それは引用文に載っているような男性教諭とは違い、本質的な部分を見ることができないレベルの低い教師が全国に多いからだと思っている。例えば、漫画はなぜ学校に持ってきてはいけないのか?という問いに、「勉強に関係ないから」というのは、完全に予想できるテンプレ回答だった。私はそんな回答をしたある知り合いの教師に、「勉強に関係ないものを持ってきてはいけない理由は?」と問うたら、案の定の状態である(笑)もしかしたら「勉強に集中できないから」とか、そういう回答が来るであろうとは予測して、それに対する反論ももちろん頭の中にあったが、それすら出なかった。勉強に関係ないとか言われたら、制服なんか1番いらねーだろw思うけど。制服がなくたって勉強はできますよ?バカなの?と、心の中でつぶやいたのは言うまでもない。

 

そもそも学校の勉強は私はほぼ時間の無駄だと思っているがね。「勉強に集中できなくて何か問題でも?」とか、「学校の勉強がいつどんなときに役に立つの?それは今やっておかないといけないことなの?本人が困ったときに初めて勉強を始めれば、困っているがゆえに1番真面目に勉強するはずだよね?」と返すことも予定していた。実際に過去にそんな記事を書いたから、気になる人は探してもらいたいが。だから、学校の校則というのは一般的に問題ない行為がなぜか禁止されていることが多い。マンガを読むというのもそうだが、そんな状態の校則に全員が疑問を持たないわけがないのである。つまり、それが反発心につながり、教師と生徒間、もしくは生徒とそれ以外の人間とのトラブルにつながると思っている。反発心からくるストレスはトラブル、もしくは犯罪の原因になると言えるでしょう。そのリスクをわざわざ高めて何が楽しいの?と思うわけですが。だから、私は偏差値と校則は反比例すると思っているし、校則が厳しい学校ほど偏差値は低い傾向があると実際に思っているが。それは教師の質と正比例するのかもしれないですね。こういう問題に理解のある教師ほど校則を緩くしていると言えるならば。

 

バカをつくる学校

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拓殖大学の学部ごとの偏差値は?

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拓殖大学で入りやすい学部があるとしたらそういったところです。ただ、それぞれ学ぶ分野にかなり違いがあるので、拓殖大学で受かりやすい学部を受けるのも良いですけど、それぞれの学ぶ内容はしっかりと理解しておきましょう。そういった感じで、拓殖大学の偏差値を理解しておきましょう。学部ごとの難易度はそこまで大きくはなく、文系学部に関してはとびぬけて難しい学部はないです。拓殖大学に入りたい人はそういった情報をまずは頭に入れておいてほしいですが、さらには倍率などもチェックする必要があります。拓殖大学の倍率というのも難易度に関係しますから。倍率は変動がある場合も考えられますけど、拓殖大学の難易度をはかるためには欠かせないので、傾向だけでも把握しておいてほしいと思います。近年は私大難化の傾向が顕著であり、首都圏の私立大学はどこも倍率が高くなってきています。

 

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あとは拓殖大学の合格最低点なども重要です。合格最低点に関しては対策をするときに必要で、過去問を解くときには拓殖大学の合格最低点があった方が良いです。拓殖大学に入りたいと思っている人はそういった情報も必要ですが、もちろん合格最低点も毎年変動するので、そのことは知っておきましょう。学部学科、入試方式ごとに傾向が違うので、「拓殖大学/合格最低点|大学受験パスナビ:旺文社」をチェックしてもらうのが1番良いと思います。拓殖大学の合格最低点についてはそういった点が重要です。ボーダーラインとも言える数字ですから。過去問を解いて、拓殖大学の対策をしてほしいですけど、合格最低点は恐らく素点じゃないと思いますから、そこは考慮しておいてほしいです。だから、リンク先に載っているのは正確なボーダーラインではないということなのです。素点じゃないということは、実際の合格最低点は載っているものよりさらに高い数字である可能性もあるということなのです。拓殖大学の合格最低点についてはそういうことも頭に入れておきましょう。拓殖大学の難易度はどれくらいか?倍率はどうなっているのか?などはしっかりとチェックして、拓殖大学について理解をしたうえで、対策をしていくと良いと思います。

 

拓殖大学 (2020年版大学入試シリーズ)

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