就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

嫌なら見るなは正しい?おかしい?←嫌いな人が多いが正論だと思う

2018年6月20日放送の「水曜日のダウンタウン」で、先週予告されていたある企画がお蔵入りになったのではないか?と噂されています。恐らくお蔵入りになったのでしょうね。次週予告が番組のホームページから見られるのですが、以前話題になった鉄塔企画が次週予告から削除されていたのです。この鉄塔企画は知っている人も多いだろうけど、炎上した企画なのです。企画の内容を詳しく説明するのは面倒なので、知らない人で気になる人は調べてほしいのだが、犯罪だとかいう声もあります。そういう人に限って、罪名、構成要件など一切述べないわけだが。つまり、こういう人たちって犯罪に該当するという基準が無茶苦茶主観なわけです。法律に対する知識がないんだろう。でも、この企画がかなり気に入らなくて、なんとか悪いモノ扱いするための手段として、客観的な言葉として「犯罪」という言葉を使ったんだと思う。でも、犯罪に当たる根拠は基本的に述べられていないと。今日はワールドカップの日本VSコロンビアの試合だけど、日本代表の中にも同じような人いましたよね。長友佑都だっけ?こいつは日大アメフト部のタックル事件に関して、特定の人間を犯罪者扱いしていたが、同じく根拠はなし(笑)ひどい話ですよ。人を勘で犯罪者扱いして言っているのだから。こんなことを平気でする人が人間が日本代表ですか?(笑)日本も終わりですね。私からすれば、長友のやっていることの方が名誉棄損、侮辱等の犯罪に見えますけど。

 

そんな話はさておき、今回言いたいことは別の話だ。この水曜日のダウンタウンの鉄塔企画は恐らくだが、抗議が相当きたんだろう。BPOの話題も出たし。炎上することに関しては十分予測できた。水曜日のダウンタウンの鉄塔企画はやりすぎという声もあったが、仮に本当にそういう抗議が原因で放送がされなくなってしまったとしたら、私は非常に納得がいかない。実際にこの企画が放送されないのか?はこの記事の執筆時点ではちょっと分からないけど、この企画を楽しみにしていた人もいると思うのだ。私もその1人だが。はっきり言うと、楽しみというよりは前回を見てしまったがゆえに、続編が気になってしまったという言い方の方が正確かもしれない。私は世の中で言われている「嫌なら見るな」は正しいと思っています。嫌なら見るなが正論だと言える理由は、特定の番組に嫌悪感を持つ人が、その状況を発生させないためには、もはや嫌なら見るなしかないからだ。嫌なる見るなを言う人は頭悪いとか言っている人もいるけど、それはどっちなのかね?と正直思いますよ。嫌なら見るなは頭悪い人が言っている印象なのかもしれないけど、簡単に正当性を説明できます。嫌なる見るなに反論する意見としては、見ないと論評ができないとか、見た結果嫌になったんだというものがあるんだけど、全員を満足させられる番組なんか存在しないんですよ。逆に言えば、一定割合で人を不快にさせてしまうことは避けられないんですよ。視聴者全員を満足させられる(不快にしない)番組の作り方ってあるんですか?と言えば、あるわけないんですよ。つまり、この状況では人を不快にしない番組なのだから、特定の番組を見た人が不快になるのはしょうがないのです。

 

そうなれば、不快になったとしても我慢できる人だけが見るべきであって、我慢できない人は見るべきじゃないのです。だから、嫌なら見るなは正論だと思うのです。この状況で嫌なら見るなを言う人を頭悪いって断罪できます?そして、テレビ番組を視聴するってことは、自身が不快になるかもしれないリスクに同意したということになるわけです。その結果、実際に不快になったら文句を言うっていうのは、私からすればいわゆるモンスタークレーマーだと思います。不快にならない方法がちゃんとあり、その選択肢をとろうと思えばとれるのに、あえて不快になるかもしれないリスクに自ら突っ込み、不快になるというのは「自己責任」ですよね。だから、不快になるのが嫌ならば見なければ良い。ただ、それだけなんですよ。別にテレビを観なければ死ぬわけじゃないのだから。特定の番組内容を楽しみにしている人の幸せを壊している行為にしか見えないのです。誰を幸せにするのか?さっぱりわかりません。不快に感じる人が見るのを辞めるのをすればそれでいいじゃないですか?不快に感じる人がそれを感じずに済む。そして、楽しみにしている人は番組を見て楽しめる。つまり、幸せになる人の総量が最も増えるケースというのは、不快に感じた人が抗議をしないで見るのをやめたときなんです。水曜日のダウンタウンの鉄塔企画はやりすぎという声もあるが、出演している芸人が文句を言うならば分かりますけど、それは第3者が言うことじゃないでしょう。第3者が言うべきケースというのは、それこそ犯罪に当たるケースなどであって、その際にはもちろんなぜ犯罪に当たると言えるのか?の根拠が必要だ。あの企画に出演していた芸人の中には名前も聞いたことがない人たちもいて、彼らにとってはメリットも十分あったと思います。

 

だから、無理やり強制的に参加させられたことに対する不満があるならば、それを番組にぶつけて良いと思うけど、それは当人がやるべきことなのよ。第3者は当人の気持ちを代弁している気になっているのかもしれないが、彼らのメリット、デメリットの本心部分を正確に把握することなんて不可能だ。だから、当人ではなくて第3者が番組に抗議するのは、越権行為だと思っています。当人が判断すれば良いことを、第3者が行うメリットが分からないのです。そして、この嫌なら見るなの発端は2011年くらいだったと思うけど、当時震災後のテレビ放送にて、特定の局で韓国のドラマばかりが放送されていて、それに対する批判が起きたときにこの嫌なら見るなという言葉が生まれたと記憶しています。当時も嫌なら見るなという言葉が正しいという扱いもあったが、嫌なら見るなはおかしいという発言を著名人もしていたと思う。今でも嫌なら見るなはおかしいという批判もあるようだが。嫌なら見るなという言葉が嫌いな人はいるみたいだが、あまりまともな反論を見た記憶がないのですよね。嫌なら見るなは正しいと、私は思っていますけど、嫌なら見るなという言葉が嫌いな人からすれば、公共の電波を使っているという根拠が当時言われていたと思います。これも私はまともな根拠にならないと思うのですよ。

 

公共の電波を使っていたら何なの?ということで、公共の電波を使いながら、当時のフジテレビなどがやっていたことは問題だ!という人がいるのだが、ご丁寧に御託は並べられているものの、結局は主観なんですよ。割と論理的に書かれている風な反論もあるのだけど、論理的にかかれている風であって、熟読して見ると主観でしかないなという反論しか、私は見たことがない。例えば、結局また同じ話になるが、フジテレビのやったことが犯罪に当たるとか、そういう論理で客観的な悪として説明するならばまだ分からないでもないのだが、そういう結論じゃないのですよ。とりあえず根拠はあるが、その根拠は主観で、結論も主観であると。それって、「あなたにとっては悪いと感じただけって話ですよね?」というものなのだ。あれから7年くらい経っているが、フジテレビのやったことが違法行為になったという記憶はないので、フジテレビのやったことを客観的に悪いとは断罪することはできないと思います。犯罪になっていない以上、客観的には悪くないと言えてしまうわけだから、主観による悪は客観的に正義に淘汰されますよね?という話です。「違法行為になるのは子供でもわかる」と、当時発言した著名人がいたらしいのだが、未だに違法行為になっていないんですけど???

 

フジテレビが電波法に違法していたとしたら、最悪の場合免許取り消しになるようなのですが、未だになっていません。なるわけがないのです。詳しく説明してあるサイトによると、免許取り消しになるための基準を満たしていないからみたいです。つまり、違法を指摘していた人は、当時何の根拠があって言っていたのか?ということになります。嫌なら見るなを言う人を頭悪いと言っていた人は、どう言い訳するのでしょうかね?あと、そもそも犯罪に当たることが悪か?どうかは別の話なのです。犯罪に当たることが犯罪であるという指摘は正しいとしても、犯罪というのは特定の行為をしたら、特定の刑罰を受けるという決まりを定めたに過ぎないのです。それが悪いことだと思っている人が多いようなのだが、法律に文句を言う人が普通にいるわけですよね。すでに制定された法律におかしいと文句を言っている人を結構見ることもあるのだが、法律を破ることが悪ならば、法律は絶対的な正義じゃないといけない。つまり、制定された法律は絶対的な正義なのだとしたら、後から法律に文句を言う人もおかしいってことになります。絶対的な正義が確定しているものに文句を言う方が悪になるわけです。国民の結構な割合の人がそのおかしい行為をしているのに、その状況が正しいならば、法律は絶対的に正しい基準にならないのだから、法律を破ることが悪か?どうかは別問題って話になってしまいます。つまり、フジテレビなどがやっていたことが犯罪に当たるとしても、それが悪ではないと言い逃れできちゃうんですよ。フジテレビは犯罪者と言えたとしても、犯罪者で何が悪い?と反論されたら(まずしないだろうが)、感情論以外で言い返す言葉はないと思いますよ。法律は所詮は価値観の集合を体系的にルール化したものなので、元になっているのは価値観なのです。

 

あと、公共の電波を使っているのだから、国民が望まない番組を流すなという反論もあったようですが、それもさっきと同じ反論で論破できます。国民が誰も望まない番組を作らないなんてことはできません。それができるというのならば、その方法を提示してください。というだけです。嫌なら見るなはおかしいという反論として、こういうものが出るのだが、やっぱりどう考えても嫌なら見るなは正しいです。そして、仮に番組を批判するとしても、批判しただけじゃ何の意味もないのです。特定の番組がつまらない、やりすぎだ!不快だ!なんて言っているだけじゃ、改善の術がないわけですから。具体的な改善策、番組のアイデア案などを出さないと、あなたたちにとって望ましい番組は作れませんよ。抗議をしている連中がそこまでやっているとは思えないので、彼らの抗議は要するに番組を改善する効果を生まないわけで、徒労に帰すだけなのです。だから、そういう無駄な努力をするくらいならば、嫌ならば見ない方があなたのためですよ?という言い方はきちんとしたアドバイスにもなっているわけですよ。嫌なら見るなはおかしいという意見もあるようだけど、嫌なら見るなは正論と感じている人も一定割合いると。嫌なら見るなが嫌いな人は私の見る限りでは、それがおかしいと言える根拠がイマイチパッとしないと感じるので、嫌なら見るなは正しいと思いますよ。実際、反論してくる人間の根拠が結構適当ですからね。犯罪にあたるとか言っておきながら、長友みたいに根拠が特にない人が多いし、結果犯罪の要件を満たしていないのに、平気でそういうことを言う人がいたわけですから。

 

 

 

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新幹線で手荷物検査はやらない方が実は安全のために良いと思う

最近、新幹線の車内で殺人事件が起きたようだが、そういった事件を受けて、案の定というべきだろうか?なぜ手荷物検査をしないのか?という意見があるようだ。こういった意見は以前にもあったんですよ。数年前に新幹線内で男性が焼身自殺を図った事件があったと思うのだが、そのときにも手荷物検査をすべきだという意見がありました。それでも新幹線を運営しているJR側は実施する感じはないですね。やらない理由、やれない理由はいろいろとあるんだろうけど、私は手荷物検査をやっても事件を防ぐことにつながらないと思っています。手荷物検査を実施する理由が、こういう事件を防ぐためという目的ならば、私はほとんど意味がないと思います。というのも、手荷物検査が仮に実施されていれば、今回の事件の犯人は凶器を車内に持ち込めなかったはずなのだ。すると、犯人はどうしただろうか?凶器を別のモノに変えたか?犯行現場を変えたか?のどちらかの行動をとるだけだと思うのだ。ナイフとかを仮に一切持ち込めないようにしたとしても、それはナイフを使って犯行に及ぶことができなくなるだけなのだ。

 

例えば、名探偵コナンでは靴下の中に10円玉を大量に入れて、勢いをつけて振り回し、それで撲殺をしたという事件が描かれている。靴下と硬貨を車内に持ち込ませないことなんて無理だろう。こういったケースが現実にあるか?どうかは別としても、身近にあるもので凶器になるものは実はいくらでもあるってこと。手荷物検査をして、特定の凶器を使って犯行に及ぶのを防いだとしても、事件が減るわけではない。また、2001年の同時多発テロ以降、航空機の手荷物検査は厳格化されたし、その結果航空機内でのテロ行為は減ったのかもしれない。しかし、それ以降車を使ったテロとかが増えた印象なんですよね。結局、これも航空機内でのテロが別の手段のテロに変わっただけであって、使えない手段はやめて使える手段に移行しただけともとれると思います。社会全体としてテロの減少につながったのか?は疑問だし、航空機内でのテロの減少はあったとしても、テロの発生件数に変化がないとしたら、何の意味があったのか?はよく分からないのだ。航空関係者からすれば、自分たちが被害に遭わない確率が高まるならば意味は大いにあると言えるが、それは別の言い方をすれば、別の場所で被害に遭う人が増えるだけなので、根本的な解決にはあまりなっていないと思う。

 

また、手荷物検査を実施すると、安心感が絶対に生まれると思うのですよ。安心感というのは別の言葉を使うと「油断」だ。つまり、手荷物検査をやっているのだから、あんな事件はもう起きないだろうと油断をする人は絶対にいる。油断こそが1番危ないと思うのです。だから、私は理想を言えば「新幹線って危ない乗り物だよね」という危機感のようなものが常に国民の頭にあった方が良いんじゃないの?と思うのです。危機感があれば、そのための対策をとったりする人が増えると思うのです。ネットのニュースを見たけど、新幹線の座席を盾にする方法とかが載っていたりして、危機感を感じている人ほどそういう情報にアクセスして、知識として頭の中に入れておくんじゃないのか?と思う。つまり、私に言わせれば、手荷物検査なんてやれば、国民の油断を助長するデメリットが大きいと思うのです。手荷物検査をやらないで、新幹線は常に危ない何かを車内に持ち込む人がいるかもしれないという危機感を国民に持たせておいた方が、マシなんじゃないか?と、そっちの方が逆に被害減るんじゃないの?と思っているのです。自衛をする人が増えるのが、私は理想だと思っているけど、それが増えそうなのはやっぱり危機感を持っている状況なんですよ。新幹線の場合にはずっと手荷物検査やってこなかった歴史がある中で、こういう事件は数えられるほどしか起きていないと思うので、手荷物検査をやって得られるメリットよりも、すでに話したようなデメリットの方が大きいんじゃないか?と思うんですよね。

 

本当の安全っていうのは、安全じゃないかもしれないという予測が働いているときだと思うのです。安全だと思っている状況こそが1番危険だと私は思っているので、国民の安心感を増すようなやり方っていうのは、気持ちの面での安心というのは確かにあるかもしれないけど、被害は増えやすくなると思います。危険な状況が発生したときの備えがないからです。だから、気持ちの面では不安が常にあるけれども、そういった状況の方が実は実質的な安全はより確保されている状況なんじゃないか?と思うのです。乗客の安心感と乗客の実質的な身の安全の確保のどっちが重要なのか?と言えば、後者だと思うので、新幹線が手荷物検査を実施しないというやり方は、私はある意味正解だと思っています。乗客としては安心の方を求める傾向にあるのかもしれない。それは結局事件に自分がまきこまれる確率はむちゃくちゃ低いのだから、実質的な安全よりも自分の安心をとりたいという気持ちがあるからだと思う。確率論から言えばそれが間違っているということではないのかもしれないけど、鉄道会社からすると、1人の被害者も出さない方が重要と考えるだろうし、鉄道会社が実際どういう理由で手荷物検査をやらないのか?はちょっと分かりかねるが、鉄道会社の姿勢というのはあながち間違っているとも言えないと思うのです。

 

「共謀罪」なんていらない?! ---これってホントにテロ対策?

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帝京平成大学の偏差値や難易度と評判は高い?倍率やボーダーラインはどうなっているのか?

帝京平成大学という大学は知名度はそれほどないですけど、徐々に大学の規模が大きくなってきており、評判は結構良いようです。多くの受験生や高校生は帝京平成大学のレベルも気になると思います。したがって、帝京平成大学は難易度は高くはありませんが、学部名も珍しいものもありますし、文系や理系ともに充実していて、これから社会の注目度も上がる可能性がある大学だと思います。帝京平成大学の偏差値が一気に上がるとは思いませんが、受験生の評判は高くなるのではないか?と思います。帝京平成大学の偏差値は河合塾の数字だと37.5~47.5くらいとなっており、学部によってかなり難易度が異なっているとなるのです。薬学部、現代ライフ学部、ヒューマンケア学部、メディカル健康学部、健康医療スポーツ学部がありますが、すでに話したように偏差値にかなり幅があるので、そういった面を踏まえて、帝京平成大学の難易度を理解しておきましょう。帝京平成大学は入りやすい学部もあると思うので、そういったところを狙っていくというのも1つの手でしょう。帝京平成大学で入りやすい学部は現代ライフ学部です。帝京平成大学の偏差値では現代ライフ学部が1番低いと思います。ここだけが純粋な文系なんじゃないか?と思います。帝京平成大学では受かりやすい学部は現代ライフ学部になるというのは、まず頭に入れておくと良いです。

 

帝京平成大学はセンター利用入試でも受験ができますが、このボーダーラインの数字は学部学科で結構違いがあります。これも帝京平成大学の難易度に関係しています。帝京平成大学で入りやすい学部とされているのは現代ライフ学部ですけど、この現代ライフ学部は50~65%くらいです。かなり幅があります。他の学部も同様のケースで、同じ学部でも学科によってセンター利用のボーダーラインは全然違います。目安として挙げておくと、薬学部が75%弱、ヒューマンケア学部が60~75%、健康メディカル学部が55~75%、健康医療スポーツ学部が55~65%となっています。学部ごとにも違いますが、同じ学部でも学科によってセンター利用のボーダーラインが異なるというのが帝京平成大学の特徴なのです。帝京平成大学は偏差値は高くはないですけど、センター利用のボーダーラインは学部学科によっては結構高い場合があるのです。この数字はパスナビとかに載っていたものですが、毎年数字として変わりますから、去年はこの数字で受かっていた可能性が高いということに過ぎないので、これから行われる入試においても同じような数字で受かるとは限りません。だから、帝京平成大学のセンター利用のボーダーラインは過去の数字でしかないのですが、過去の数字は今後も同じようになるとは限らず、変動があると思うので、あまりあてにはならないかもしれません。参考にしても良いですけど。学部ごと、学科ごとにこれだけ差があると、毎年の変動も大きいと思いますから。

 

帝京平成大学の倍率についても簡単に紹介していきます。倍率というのは大学の難易度や人気にもかかわってくる部分なので、しっかりと頭に入れておいてほしいですが、帝京平成大学の一般入試の倍率に関しても、学部学科ごとにバラバラです。したがって、帝京平成大学に入りたい人は学部学科ごとに知っておいた方が良いので、詳細は大学のホームページの過去の入試データ等のページに載っていると思うので、そこを見ておきましょう。帝京平成大学の一般入試の倍率は2倍前後~7倍くらいまであります。倍率が低いのは現代ライフ学部で1倍台もありますし、高くても3倍くらいでしょうか?それ以外の学部は2倍以上はだいたいありますが、概ね4~5倍台くらいまでとなっています。ただ、場合によっては最大で7倍台くらいまであるので、ここまで高いのは珍しいですけど、帝京平成大学の倍率はそういった感じで、高い場合も普通にあります。それだけ人気が高く、評判がいいと言えるのだと思います。帝京平成大学の倍率についても、センター利用入試におけるボーダーラインと同様に、毎年変わるもので、学部学科ごとの数字は前年までと結構変わることがあります。そういったことも頭に入れておいてほしいです。

 

こうやって倍率を見ると、帝京平成大学のレベルは思ったよりも高いと感じた人もいるのではないか?と思います。偏差値はそこまでではないのですが、倍率が高いので、帝京平成大学の入試のレベルは高いということで覚えておくと良いと思います。帝京平成大学の入試の難易度はちょっと外面的には分かりづらい面もあると思うのです。偏差値は高くなくても倍率が高い学部学科などはありますし、そういったところは思った以上に難しいと言えるので、帝京平成大学のレベルは結構高いと思います。知名度が上がれば、それなりの偏差値になってきて、大東亜帝国くらいのレベルになれる可能性はあると思うのです。ただ、その場合には文系学部をもっと増やさないといけないと思いますが。帝京平成大学の偏差値は今後さらに上がることが予想されるので、受かるのは早い方が良いでしょうね。理系の学部の一部はすでに偏差値がそこそこ高いですから。帝京平成大学の入りたい人は過去問などを解いて、合格最低点を超えられるように対策をしていきましょう。そして、帝京平成大学の評判についてもチェックしておいてほしいですね。評判は最近上がってきていると思うので、帝京平成大学のイメージや雰囲気を知るためにもキャンパスの状況について知っておいてほしいです。帝京平成大学に入学する前にイメージなどを含まらせておくとモチベーションも上がると思いますから。帝京平成大学のイメージや雰囲気というのはイマイチよく分かっていない人もいると思うので、帝京平成大学の評判についても知っておくと良いと思います。帝京平成大学の難易度などはある程度把握できたかもしれませんが、大学のイメージや雰囲気から、特徴を知っておくとどういうキャンパスライフになるか?というのも想像しやすいと思いますし。

 

帝京平成大学のキャンパスについて知っておいてほしいですが、4つあります。Wikipediaによると、現代ライフ学部レジャービジネス学科、健康医療スポーツ学部(理学療法学科・作業療法学科・柔道整復学科)の学生は千葉キャンパス、健康医療スポーツ学部看護学科はちはら台キャンパスになりますけど、それ以外の全ての学部学科は池袋または中野になるので、かなり都心に近いエリアにキャンパスがあることになります。帝京平成大学の学生の口コミを見る限りではほとんど学生が池袋か、中野のキャンパスに通っているみたいです。池袋キャンパスと中野キャンパスの学生の評判はかなり良くて、最寄駅から近く、周辺環境も充実していて遊ぶ場所、飲食店なども多くあるようです。池袋や中野だとそのエリアでも遊べますけど、渋谷や新宿などにもアクセスしやすいのが利点です。だからこそ帝京平成大学の評判は高く、近年特に人気になってきていると言えると思うのです。キャンパスの立地条件が良い大学は伸びてきますから。帝京平成大学のイメージや雰囲気ではキャンパスの影響は大きいです。ただ、池袋と中野以外のキャンパスの口コミが見当たらないのです。一部の学部学科なので、口コミの数がかなり少ないと思われます。池袋と中野に通う人がほとんどだと思うので、帝京平成大学の池袋と中野キャンパスの評判はかなり良いということで、学生には本当に人気で魅力が溢れるポイントだということは覚えておきましょう。

 

帝京平成大学 (2018年版大学入試シリーズ)

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ある非常識な行動が私の中で法政大学の評判やイメージをアップ!頭いい学生と評価したい

>法政大の学生が講義中に非常識な行動を取っていたとの報告がツイッターに寄せられ、インターネット上に「ありえない」「流石にこれは...」といった疑問や批判の声が出ている。

話題となった投稿などによれば、学生の受講態度に激怒した教授が、講義を中断して教室から去った後に「事件」は起きたという。

騒動の発端となったのは、法政大社会学部の学生だというあるユーザーが2018年6月6日に投稿したツイートだ。 「先生が教室出てってから先生が置いてったノートの写真撮るために群がってる連中がいる笑 これは許される行為なのだろうか?」(原文ママ

投稿には、教壇の周りに10人近くの男女が集まっている写真も添えられており、中心にいる男子学生が机の上をスマホで撮影している様子が確認できる。周囲の学生は、こうした行為を笑顔で見ている。

いったい、何があったのか。一連の騒動を同じ教室で目撃したという投稿者とは別のある学生は7日、J-CASTニュースツイッターを通じた取材に応じ、トラブルの経緯について次のように説明した。 まず、この講義は「ミクロ経済学」で、受講生が多いため大教室で行われていた。

担当教授が離席したのは、一部の学生が教室の後方で床に寝そべり、スマホをいじりながら談笑していたためだ。 教授はこうした一部学生の受講態度を咎めたが、当人たちは注意を無視。これに教授が激怒し、講義に必要な道具を放置したまま教室を去って行った。その後、別の学生たちが教壇に残された講義用のノートの撮影を始めたという。

 

これは「法政大、一部学生が講義中断の教授のノートを集団「盗撮」 | ニコニコニュース」に載っていた記事です。法政大学のイメージダウンのニュースかもしれないが、私的にはむしろイメージアップですね。私の中で法政大学の評判はぐんと上がりました。こういう行為を見て、「ありえない」とか、「非常識」っていう言葉が相変わらず並んでいるが、これを非難している人は、ほぼ全員何がダメなのか?の説明がないんですよね(笑)思考力の限界なんだろうけど、自分にとって気に入らない行為は理由も述べないで、とりあえず否定して良いという、非常に暴力的な側面がうかがい知れる。で、結局何がダメなんですか?これって。私は全く理解ができません。そもそもこの教授は何で怒ったの?って思う。教室の後ろで寝そべり、談笑をしている学生を注意するメリットは個人的には分からない。強いて言うならば、その談笑の話し声のレベルがあまりにもうるさいときには分からんでもないという話なのだが、記事からはその詳細は分からない。単純に態度が気に食わないっていうのならば、放っておけばいいのに。学生に一体何を期待しているの?彼らが真面目に勉強をするために大学に来ていると思っているの?以前、似たようなことを書いたけど、真面目に勉強する学生の方が本来は意味が分からないのですよ。だから、真面目に勉強しない学生の方が頭いいとは言わないが、真面目に勉強してない学生はいたって普通だと思いますよ。こういうニュースで法政大学の評判が各人の中で下がる人もいるかもしれないけど、こんな学生は東大にもいるはずです。で、東大の学生だってちゃんと考えてそういう行動をとっているはずなんです。というのも、文系の学生が高い学費を払って、無駄な時間をかけて必要もない単位をとりながら、教授の話を真面目に聞いて、ノートをとって、テストを受ける必要性がどこにあるの?文系の勉強なんて基本的に全てネットで事足りるのよ。だから、大学に通う価値なんていうのは、大学卒という肩書や有名大卒というブランドしかないと私は思っている。今回の談笑していた学生も恐らくそういう目的で大学に入っているはず。

 

それは正しい、間違っているとかではなく、今の世の中を前提にした場合にそれが1番合理的であるという話でしかない。大学で一生懸命勉強をするということで道が開かれるわけじゃないので、大学で一生懸命勉強する意味は私はないと思っている。あと、これは法政大学ではないのだが、別のとある大学のとある教授がすごい面白いことを言っていたことがある。これは大学で真面目に勉強しようとする学生を非難した話になります。その教授が言っていたことを簡単にまとめると、以下のような感じです。

大学に入って授業をサボらないで頑張ろう!なんて思っている人はバカである、三流以下である。そんなことしているくらいならば、授業をサボってパチンコ行って金稼いで、試験前に友達にノートだけ見せてもらう方がよっぽど効率的に時間を使えている。大切なのはどのように時間を使って目標を達成するかであり、授業に出ることではない。大学の授業はその目標を達成するための手段の1つでしかない。

この教授は凄い良いことを言っていますよね。大学に入って授業を受けることが最大の楽しみであり、快楽であると。そういう人は別に良いんだけど、学生の最終的な目標って単位を取って卒業することだと思うんですよね。勉強をすること自体が目的って人もいると思うんだけど、そういう人はすでに言った通り、文系のケースならば大学に入る必要ないんですよ。もっとお金がかからない、自分のペースで好きに進められて、効率的な方法がありますから。だから、ほぼ全ての文系の学生に言えるのは、大学の授業に出ることが目的になってはいけないということ。会社に入ると、その部分がより求められるのだが、最終目標を達成するために何が効率的か?を考えて実行できる人間が成功しやすいのです。それを突き詰めたら、会社なんかで働くべきではないとなるかもしれないが。大学の単位を取って卒業するための手段として授業に出て教授の話を聞くというのがあるが、それを使うべきなのは、それしか使えない人だと思う。試験前に友達にノートを見せてもらうという手段が使える人はそれを使うべきだと思う。これこそ効率的なモノの考え方であり、きれいごとじゃない現実的なモノの考え方だと思うのです。数日前に書いた、就活のWEBテストを1人で受けるか、協力して受けるかっていう話とも共通する部分はありますけどね。だから、法政大学の学生の行動は頭いいと思いますよ。合理的なモノの考え方ができている可能性があるから。

 

話は戻るけど、この法政大学の教授は学生の態度に怒ったみたいだが、怒ることが学生のためになっているとは到底思えないのです。この学生は何のために授業に出ているのか?って話もあるけど、出席点を稼ぐためだけとかの可能性もあるので、一概に授業に出ることが単位を取るために非効率とは言えない可能性もあります。怒った結果、学生が単位を取れる可能性が上がるわけではないのです。そんな態度じゃ社会人になってから困るとかいう見方もあるかもしれないけど、別に学生時代の態度が悪いからといって、その態度が社会人のときにも同様か?というとそうとは思えないんですけどね。学生のときに態度が悪くたって困ることはほぼないんですよ。教授が怒るくらいで、致命的なデメリットになることはない。社会人になると、仕事クビになったりとか考えられるので、普通は態度を豹変させると思います。私もブログ上では偉そうなこと言ってますけど、私生活では結構謙虚ですからね。人間は裏表があるのだから、そんなもんですよ。教授が怒った理由は恐らくむかついたから。でしょうね。単純に職務放棄としか評価されないようなことをしているだけなので、学生のためになっていないどころか、学生に被害をもたらしているのです。

 

そのうえで学生が教授のノートを盗撮することが悪いと言われても困りますよね。本来、この授業でやるはずだった範囲が全く解説されないまま終わるわけです。勉強をしないといけないという大義名分があるならば、教授が職務を放棄した以上、学生は残された教授の講義ノートから情報を得て勉強するしかありません。つまり、この状況では学生のとった行動ってかなり正当性が説明できると思います。むしろ、教授が帰ってしまって、呆然としているよりもこういう行動が迅速にとれる法政大学の学生はやっぱり頭いいと思う。法政大学の学生の全員が頭いいとは思わないが、そういう人は間違いなくいると思います。それに教授が板書してそれを写すというのが面倒ならば、じゃあ教授のノートを撮影した方が早いよねって話なんです。仮に教授のノートを全部丸々撮影できれば、その時点で教室を出て言っても構わないかもしれません。出席点などの部分がなければ。教授が板書をしてそれを学生が写すというスタイルを続ける以上、教授が板書するペースに合わせないといけないので、板書をそのまま撮影するとしても時間がかかります。でも、教授のノートを撮影すれば、その時点で終了で、教室を後にして、その時間を別の何かに有効活用できます。法政大学の学生は頭いいと思いますよ。個人的には法政大学の学生はイメージアップですね。常識とやら沿って生きている絶賛思考停止中の学生と比べたら、そういう学生の方が個人的にはイメージは良いです。

 

こういうニュースが流れると、一般的には法政大学の評判って悪くなるんだろうけど、私は逆に法政大学の学生は頭いいと思うし、イメージ的にも良いです。中にはこういうことをする学生に向かって、大学辞めたら?とか言っている人もいるんだけど、は・・・?と苦笑いして、呆れるしかないですよ。この学生が大学辞めて何のメリットがあるの?大学にとってはそれ以降の授業料が入ってきません。学生にとっても特に今後のビジョンもない中で大学中退になることのメリットが分からないのですが?大学の評判を下がるような人は排除した方が良いというかもしれないけど、大学の評判を直接落としたのは、この状況をツイートした本人とそれを広めたニュースサイトですからね?教授のノートを撮影した学生がいただけでは大学の評判は落ちません。大学の外部にその情報が漏れないから。だから、彼らは法政大学の評判を落とした張本人じゃありません。張本人はその様子をツイートした人とニュースサイトの人間です。彼らがこの状況を直接ネット上でばらまいたわけですから。だから、同大学の学生だと思うけど、このツイートをした学生の方が、よっぽど大学にとって迷惑な存在なんですよ。しかも、盗撮を叩いている人がいる割には、その教授のノートを撮影している学生を盗撮してツイートしたことに関しては誰も叩かないっていうね。小さいけど、顔は普通に写ってますからね。特定しようと思えばできそうな状況にあるわけです。不倫は叩くけど、不倫を報道し、名誉棄損行為を平気でするマスコミは誰も叩かないっていう、日本人の民度の低さが象徴される瞬間ですよ。

 

話は戻るが、法政大学の当該学生に対して、大学辞めれば?とか言う人の思考が本当に理解できないのです。何でこういうことを平気で言っちゃうのかね?誰も幸せにしないのに。人を叩けるほどの頭をしているとは到底思えないのですが。叩いている人って、結局非常識とか、そこしか理由がないんですよね。まともな人間ならばそんな行動は普通はしないだろ?というある種の同調圧力が理由になっていると思うのですよ。だから、これがダメな理由を具体的に述べる人がいないのです。理由などないが、俺はこういう行為をする奴は嫌いだ。という意思表示でしかないのです。教授が勝手に出て行ってしまった時点で、学生が教授のノートを見るとか、撮影するのはしょうがないと思うんだけど?この状況で学生が悪いと言える要素ってあるんですかね?それに学生からしてみれば、板書を写すよりもそっちの方が明らかに効率的なので、学生のことを思うならば教授がそれを認めない理由もよく分からない。機密事項でも書いてあるならば話は別かもしれないが、そんな大事なノートならばそれを置いて出て行ったりはしないと思います。だから、この学生らを批判している人って、私はきれいごとにしか見えないんですよ。現実的じゃない、合理的じゃない、誰のためになっているのかも分からない意見にしか映らないのです。

 

引用したニコニコニュースには「何が問題なのだろうか いろいろ指摘されているがもはや昔(戦前や戦後間もない頃)の大学の意義と現在の意義とでは全く違う。大学は所詮いい企業に就職するための土台でしかない。本来大学は研究職や教職(旧師範学校)の為に存在していた。彼らも名の知れた大学に入ったから次はいい企業という思いだと思う。全ては日本のくそったれな固定人生制度が原因」というコメントがあったが、まさにそれだと思う。仮にこの学生がしていたことが悪いならば、それをした方が得策になってしまう社会構造が悪いだけだと思うんですよね。こういう学生は不真面目って評価されるのかもしれないけど、真面目っていうのは、大人になると結果を出せる人のことであって、勤勉というだけじゃもはや価値を認めてもらえないのです。だから、過程はよりは結果を出したもん勝ちであり、結果を出せるのは時間を効率的に使って、目的達成への有効な手段を講じられている人なんですよ。同じことしかできない人はほとんど評価されない世界なので、他人から否定されても、人と違ったことをした方が道は開かれる確率は上がるんですよ。その人と違ったことが特定の目的達成のために有効かつ、効率的と言えるならば尚更です。法政大学の私の中でのイメージアップに貢献した当該学生らの将来がいい意味で楽しみです。

 

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努力が報われないのは、みんなと同じ努力をするから?間違った努力だから?

「努力が報われない」ということを口にする人がいる。努力をしても成果が出ないことに対して、当然不満はあるのだろうが、その努力は本当に正しい努力なのか?は分からない。正しい努力というのも基準がないもので、なんとでも言えるものだが、本人は努力をしているつもりでも、それが努力になっていない、別の人から見たときには努力に見えないということがあるはずだ。努力が報われないと感じたときには、努力が足りないという可能性もあるのだけど、本人がやっている努力それ自体が間違っている可能性がある。間違っている努力をやっている限り、成功はしづらい。そして、多くの人間は「みんなと同じことをやること」が努力だと思っているんじゃないか?と思われる。例えば、会社で勤めている人がいて給料が上がらないと不満を口にする人がいるだろう。給料が上がらないことに不満を感じている人は、自分なりに会社で努力をしているのかもしれないが、会社でやる努力というのは、言ってしまえばみんなやっている。その会社だけじゃない。別の会社との利益の奪い合いという意味では、全国の会社、または全世界の会社を含めた中での努力として評価しないといけない。

 

だから、例えば、自分が毎日12時間労働をしているとしても、他の会社の労働者みんなが同じ時間だけ労働をしていたら、その努力の分は差にならず、会社の利益にもなりづらく、結果として給料は増えない。努力の差が成果に結びつくときには、同じような努力をしている他者と差ができないといけないのだが、たくさん働くという非常に簡単な誰でも思いつく努力は、言うなればみんながやっている。自分の見えないところで、それぞれの人がたくさん働くという努力をしているがゆえに、自分がたくさん働いたとしても、それが給料に反映されるとは限らないのだ。つまり、この場合努力をすることによって報われる可能性が低いということになるのです。元の給料がものすごい低ければ、たくさん働くことによって給料が増える余地はあるだろうが、ある程度の額をすでに貰っているとなると、それ以上稼ぐのは難しい。就職試験だと、こういった部分は非常に如実に表れている。webテストという、事実上カンニングや協力プレイなどがし放題の試験があるのだが、そういうことは「やってはいけないこと」と考えている人も多いようです。問題はそれが本当にやってはいけないことと言えるのか?どうかです。

 

webテストをやる就活生の中には、カンニングや協力プレイなどをやる人は少数派だと思うが、一定割合はいると思う。彼らは多分悪いことをしているとは思っていないと思うのです。何でやらないの?くらいに思っているのではないだろうか?私が知っている限りでは、そういった行為が不正行為として扱われたというのは聞いたことがないし、それによって内定取り消しに遭ったというのも聞いたことがない。就活生は面接で嘘をつきまくっていると思うのだが、なぜ嘘は良いのに、そういった行為はしてはいけないと思うんだろう?理由として1番大きいのは、面接の嘘はみんながやるから罪悪感がない。しかし、webテストカンニングや協力プレイは明らかに少数派なんだろうから、やって当たり前の感覚になれない。だから、やってはいけないと思ってしまうのでしょう。でも、やって当たり前と思っている以上、その努力はみんなやるので差になりづらい。しかし、みんながやらないような行為を努力として行うと、それは如実に差になりやすい。結果、世間で非難されるような人が成功するみたいな構図になるわけです。

 

何かの番組で、林修氏が「嫌われる人ほど成功しやすい」とか、「成功者は嫌われやすい」とか、そういうことを言っていたと思うのだが、これはもうその通り。非常識なことをしないと成功しないのだから、非常識を嫌う日本人においては、成功者は嫌われますよね。という、非常に簡単な話なのだが、基本的に多くの人は嫌われるのを嫌うんですよね。嫌われるのを嫌うっていう感覚は私は正直言ってよく分からない。私は嫌われることに関して何の抵抗もない。それは別の言い方をすると好かれることに特に価値を感じないからなのです。芸能人とかは重要なのかもしれないけど、普通の人には関係ない部分のような気がするのですよね。好かれた結果昇進するみたいなことがあると思うので、無関係ではないんだろうけど、好かれる努力によって得られるものがあまり魅力的に思えないというのが、私の感想です。さっきのwebテストのやり方に関しても、少数派のやり方をして、それと公表すると多分嫌われますよね。でも、それって本人にとっては、真っ当なんですよ。だって、目標は内定を取ることであって、その内定を取るためにはwebテストを通過しないといけない。通過する確率が上がるならば、それは目標を達成するための努力として正しいんですよ。1人で受けるという行為が努力として間違っているとは言えないかもしれないが、努力の効果がより大きいのは、さっきのやり方なんですよね。だから、効果が大きい方法があって、誰でもすぐに思いつくのに、なんでやらないの?という疑問を持つ人がいると思うのだが、そういう人からすると、1人でひたすら問題を解き続けるのは、間違った努力に見えてしまうのではないか?ということなのです。

 

この場合、1人で解き続けるのは自己満足しかないと思うんですよね。あえて、そっちの方法を選ぶ理由がないって感じなんじゃないでしょうか?私も1人で解いてましたけどね。私の場合はそもそも頼める人がいなかったというのが原因だが。私は留年したので、大学の知り合いなどは1年先に就活していたわけですよ。だから、頼める相手がいなかったので、1人で解いて、そして落ちてという感じでした。就活もすぐやめたから、webテストも1社受けていないんですけど。当時の自分を振り返って、1人で解き続けることが正しい努力とはあまり思えないのです。企業の採用基準を考えたときに、1人で全て解いて80点の人よりも、他人の力を借りて85点の人の方が欲しいだろうなと思うわけです。会社での仕事って、カンニングも協力プレイもオッケーなんで、要はビジネス向きなのはそっちの人間なんです。優秀な営業マンほど、嘘をつくのが上手い(ばれない嘘をつく)と言われているみたいなのですが、それも営業で相手を騙すのはよくないって風潮があるんでしょうね。そういう風潮があるならば、みんな営業では大きな嘘はつかないので、そこを突いて大きな嘘をつきながら、それがばれないような状況に持って行こうとすれば、その営業マンは結果的に優秀というか、成果を出しやすいとなるのでしょう。一言で言えば、みんなと違う性質の努力をすることが重要ですが、もっと詳しい言い方をすれば、正しいとされている風潮こそが間違っていると思えるような人の努力は実を結びやすいのではないでしょうか?

 

 

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同志社大学心理学部の偏差値や難易度と評判は?倍率や入試科目とボーダーラインなど

同志社大学心理学部は地味な存在かもしれませんが、多くの受験生に人気で、非常に難易度も高いです。心理学部という存在は大学の中でもあまり目立つ存在ではないものの、同志社大学の場合には心理学部は難しいです。文系とも理系とも言える学部で、実際に理系の受験生が受験することも多々あります。同志社大学心理学部の偏差値は河合塾のものを使うと60.0~62.5となっています。したがって、一般的な大学の偏差値としても高いですけど、同志社大学の中でも高いです。ちなみに全学部日程が文系、理系ごとにあり、それぞれ62.5ずつとなっています。そして個別日程は60.0です。同志社大学心理学部の難易度の高さが実感できるのではないか?と思います。同志社大学心理学部に入りたい人はそういった面をまずは知っておかないといけないでしょう。同志社大学心理学部のレベルは理解できると思いますが、入試科目はどうなっているのか?知っておきましょう。同志社大学心理学部の入試科目については全学部日程から紹介していきますけど、文系と理系に分かれています。

 

同志社大学心理学部の入試科目と配点について紹介していきますが、全学部日程の文系は英語200点、国語150点、地歴公民数学150点となっています。地歴公民数学は日本史、世界史、政治経済、数学から選択です。全学部日程の理系の入試科目は数学、理科、英語で、配点は英語が200点、数学と理科が150点ずつです。数学の出題範囲は数I・数A・数II・数B(数列・ベクトル)・数IIIとなっており、理科は物理・物理基礎、化学・化学基礎、生物・生物基礎からの選択となっています。個別日程の入試科目と配点に関しては全学部日程の文系と同じです。したがって、文系の学生は同志社大学心理学部の入試科目や配点は全く一緒ということで、対策はしやすいかもしれません。ただ、入試科目や配点は同じでも問題の傾向やレベルは違う可能性があるので、それぞれの過去問を使って専用の対策をしていってほしいと思います。同志社大学心理学部に入りたい人はまずはこういう基本的な情報を把握しておきましょう。そして、同志社大学心理学部の過去問の傾向やレベルを把握して、対策をしていってほしいと思います。同志社大学心理学部の難易度は実際に過去問を解いてみないと分からない部分もあると思います。同志社大学心理学部の偏差値だけでは判断できない部分があるのです。受験生ごとに相性があるので、過去問を解いてみることは重要です。同志社大学心理学部の偏差値に足りている人が思うように解けなかったり、偏差値が足りていない人が思うよりも解けることがありますから。

 

同志社大学心理学部の倍率についても知っておきましょう。評判の良い学部なので、人気が高いと言える可能性がありますけど、倍率を確認しておくと、同志社大学心理学部の評判がどれくらいか?というのはチェックできます。同志社大学心理学部の倍率は全学部日程の文系と理系、個別日程いずれも4倍前後となっています。したがって、数字としてはそんなに高くはないのです。例年このくらいの数字なのですが、倍率は毎年変わるので、今後も同様に推移するとは言えないものの、大きな変化がいきなり起きるとはあまり考えづらいです。同志社大学心理学部の倍率は普通くらいだと思いますが、偏差値は結構高いので、難易度は高いということは知っておいてほしいと思います。同志社大学心理学部の難易度はこういう倍率というのも参考になりますが、偏差値がまず重要だと思います。同志社大学心理学部の評判に関しては倍率を見るとそこそこ把握しやすいかもしれません。首都圏の大学ではないので、倍率はそこまで高くなりづらいですけど、関西圏ではそこそこ高い倍率だと思いますから、それだけ同志社大学心理学部の評判は良いと言える気がします。

 

同志社大学心理学部のセンター利用入試を受ける人もいると思いますが、そのときのボーダーラインはどうなっているのでしょうか?センター利用入試で受験する人は一般的に言えば、同志社大学よりも高いレベルの大学を受験する人が多いと思いますから、同志社大学心理学部が第1志望の人はあまり受験しないと思いますけど、受験予定の人は知っておきましょう。センター利用入試で受かるのは、一般入試の個別日程で受かるよりも確実に難しいとされています。全学部入試も同様です。実際、同志社大学心理学部のセンター利用入試のボーダーラインは何割か?というと、88%前後となっているんどえ、そのくらいでしょう。倍率が上がると9割くらいという可能性もありますが、88%くらいあれば受かってもおかしくないということなのです。その年によって、同志社大学心理学部のセンター利用入試の倍率が変わるので、それによってボーダーラインも変化します。だから、この数字を超えれば絶対に受かるというわけではないものの、9割くらいを目標にすると良いです。でも、この数字をとれるならば同志社大学心理学部には楽にとは言いませんが、かなりの確率で一般入試の個別日程で受かると思います。それくらいにセンター利用入試の難易度は高いのです。

 

同志社大学心理学部の学生の評判に関して見ていきましょう。学生の口コミから同志社大学心理学部の特徴を掴めるのではないか?と思います。同志社大学心理学部の学生の口コミではまずキャンパスについての言及があります。心理学部は京田辺キャンパスで、メインじゃない方になります。こちらはアクセスがよくないという口コミがあるので、同志社大学心理学部に入りたい人はアクセスについて確認をしておいた方が良いです。周辺に栄えている場所もなく、遊べる環境ではないようです。心理学部の学ぶ内容に関しては統計学を学べるのですが、それが卒業後に非常に役に立っているという評判があるのです。統計っていうのは経済とかの分野かと思われるかもしれませんが、心理学では必要不可欠な要素になっています。そして、統計学っていうのは知っていると仕事で役立つんですよ。だから、心理学部は実学に近い学問です。実験をすることが多かったり、少人数ながらもグループでの授業が多かったりと楽しい一面が多いみたいで、学ぶ内容に関しては同志社大学心理学部の評判は良いですね。学生の口コミを見ている感じでは評判は高いと言えます。同志社大学心理学部は偏差値が高いので、それだけ難しいですし、評判が良くて学生にも人気ですから、同志社大学心理学部に受かりたい人はとにかく過去問などを使って対策をして、同志社大学心理学部の専用の対策をしていきましょう。

 

同志社大学に入りたいと思っている、興味を持っているという人はスタディサプリ進路から資料請求ができるということを知っておきましょう。ここで請求できるのは同志社大学の大学案内になりますが、入試情報や学生生活の情報について特に満載です。同志社大学の入試情報については学部別、入試方式別に必要な科目、配点、募集人数、日程などを分かりやすく細かくまとめてくれており、同志社大学の入試制度について詳しく理解ができます。また、過去の入試結果から倍率や合格最低点なども載っていると思われるので、非常に貴重な資料と言えるのです。学生生活の情報では、同志社大学の学生が普段どんな授業を受けて何を学んでいるのか?ゼミやサークルはどんな雰囲気で活動をしているのか?卒業後はどんな進路を歩むのか?就職率や就職実績はどうなっている?といった情報について詳しく解説をしてくれています。こういった情報を見れば、同志社大学に入学したら自分はどういう4年間を過ごすのか?が想像しやすいですし、今まで気付かなかった同志社大学の特徴とか、魅力といったものを知ることができるかもしれません。スタディサプリ進路のトップページの検索窓に「同志社大学」と入れて検索をして、「パンフを請求する」というリンクをクリックすると必要事項を記入するページがあるので、そこに氏名や住所を入力して送信すると自宅に届きます。無料なので、良かったら参考にしてほしいです。

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同志社大学(全学部日程) (2018年版大学入試シリーズ)

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世の中の辞任の99%は思考停止によって行われ、メリットや合理性はほぼない

世間で騒がれている日本大学のアメフトのタックル問題だが、個人的には非常に冷ややか眼で見ている。この問題については叩いている人がかなり多いんだろうけど、一部の人間からすると、あまり問題視していないみたいだ。そもそもこの問題って、「悪質」とか言われているけど、すげー感情論満載の言葉だよな(笑)としか思えない。悪質の基準なんかないわけで、それはあなたがそう思っただけなんだけど、どこのメディアもこぞってこの単語を使っている。自分が悪質だと思ったというのならばそれは1つの感想なのだが、彼らはそれが正しい信じて疑わないでしょうね。私はアメフトはルールすら分からないような疎い人間だが、詳しい人間の中にはそもそもアメフトにはプレイヤー同士の激しいぶつかりが文化として定着しており、けがをさせることを厭わない精神のようなものが土壌としてある。という意見を言っている人もいる。これが実際その通りなのか?は知らないけど、例えばプロ野球で言えば乱闘がそれに当たるかもしれない。プレーと関係ないところで一種の暴力行為が行われているが、乱闘を起こした選手を叩く人はあんまり見ないですね。乱闘シーンでは少なからず暴力は行われているはずで、怪我をするリスクも普通にある。殴る、蹴るが普通に行われているが、それをやった選手にここまでの社会的非難が及ぶなんてことはない。

 

ましてや監督や選手が会見をするなんてことは見たことがない。それは乱闘シーンが見慣れた光景で、稀有な存在ではないから。というのが1つの理由にあると思いますよ。出る杭が打たれたんだろうなとも思うし、そういう意味ではタックルした選手は被害者だと思っている。人が死ぬわけでもないのに殺人タックルとか形容しているケースも見たし、もはやサンドバッグ状態で世の中の多くの人が言いたい放題の状況を見ると、この選手も被害者だなと思えてくるし、日大も被害者だなと感じられる。殺人タックルなんて言葉を平気で使っている連中の方が、私はよっぽど悪質なお馬鹿さんに見えますけどね。こういう人間は自分が気に入らない人間に対しては何をしても良いと思っているんだろうから、人間的にヤバさを感じますが。あと、もう1つ気になったのは、監督がタックルの指示をしたのか?という点に関して、監督はやっていないという素振りみたいだが、世間の反応としては釈然としていないみたい。それは世間は「真実を明らかにしたい」のではなく、「監督が指示したということを認めさせたい」思いがあるからだと思う。彼らは渦中の人物をいかに悪者に仕立て上げるか?が重要であり、この場合に必要なのは客観的な悪質性で、それが「指示の有無」なんだろう。だから、恐らくだけど監督が仮に指示をしたと認めたら、メディアは釈然としないなんて報道しないだろう。それは悪者だと客観的に決めることができる状況が成立したから。だから、現実的に指示をした証拠なんかまず出てこない問題に関して、こんなに時間をかけて議論をすること自体がすげーばかばかしいと思うが、そこにこだわる理由は監督を悪者にするための執念なんだろうなと思えてくる。

 

この問題に関しては、監督が本当に指示したのならば、今までに同じような問題が出てきているはずで、それが今回が初めてならば、選手の意思によって起きたことだと言えるはずだ。という意見もあるし、この意見は結構的を射ていると思います。はっきり言って、まず証拠が存在しないこの問題にこだわっている人たちの頭が理解できないですよ。そして、監督は結局辞任したわけだが、この辞任もはっきり言って意味ないです。というか、世の中に意味のある辞任はまず存在しない。今回の問題で言えば、監督が辞任したことで何のメリットがあるんですか?監督がそもそもタックルを指示したか?どうかも分からないわけだが、仮に指示をしたとしても何で辞任なの?という疑問が残る。日本のくだらない慣習の1つとして、問題を起こしたら代表または当事者が辞めるというものがあるが、これってそもそも合理性って何ですか?誰もこの慣習に異を唱えないけど、異を唱えないってことはみんな思考停止なんだなーと思うしかない。私はメリットがほぼ思い浮かばない。辞めるメリットがあるとすれば、単純にその人の能力が不足していると言えるとき。だから、使えない社員をクビにしたりするのは意味があると思うんだけど、世の中の多くの辞任の理由はそういったものじゃないんですよね。

 

世の中の多くの辞任は、世間に叩かれるような問題が起きた場合に、責任をとるという大義のもとに行われる。つまり、その人の能力不足か?どうかではない。逆に能力があるんだけど、社員が起こした問題の責任をとって辞任するようなケースが実際にあったとしたら、それはその会社にとってはデメリットでしかない。社会にとっても有能な人間が消えるのはデメリットだろうけど。政治家とかは特にそうだ。感情論で、能力とは関係ないイメージの悪い人ばかりを叩くと有能な政治家がいなくなると。誰かが言ってましたね。能力の有無と社員の統率は比例しないですよ。だって、社員が多ければ多いほど、トップが自ら統率することはできないし、間接的にしか行えない。有能な人間を辞めさせて、次にくるのがポンコツという可能性だってある。今回のアメフトの監督に関しても、仮に問題があるとすれば人間性の部分であり、能力ではない。それに人間性の問題というのも、結局はアメフト文化の土壌がどうだったのか?という点に集約される。プロ野球の乱闘シーンみたいに客が望んでいる部分によって実現されてしまったならば、アメフトの監督が悪い以前に、そういう慣習を叩くべきではないのか?危ないプレーを一切禁止したら、客がつまなんなくなって人気が落ちるという懸念は当然あるのだろうが、そうなるとどこからが悪質で、どこからが問題ないのか?の線引きはどうするのか?事前にそんな基準はないのだから、ことが起きてしまってからじゃないと悪質か?どうかの判断はできないことになる。また、観客がある程度望んでいるということが事実だとすると、観客(今回の問題の批判者)の中にすでに最悪、怪我などが発生しても良いと思ってプレーを見たいと思っている人たちが多くいるってことになる。ケガさせても良いと思ってプレーする選手は叩かれて、同じような精神を持ちながら試合を見ているファンや観客は叩かれないっていうね。やっぱり糞だなと思う。

 

反則か?どうかの部分で線引きをするにしても、サッカーみたいに1試合でファウル(反則)が何度も出るような競技もあるし、その1回1回の反則にここまで騒ぐ人間はいないわけです。つまり、反則だって叩かない人間がいる時点で、反則か?どうかという線引きも明確な基準なんかにはならないってことになるのだ。だから、結局は多数派の印象が線引きの基準であり、多数派が悪質だと思ったら悪質なプレーにされてしまうという、非常に都合のいい風潮になっているわけです。俺が悪いと思ったら、それは悪いプレーだという価値観が集合したときに、客観的な根拠とは無縁の部分で人は叩かれることになる。だから、人間的に問題があるという判断すらも、批判する側の匙加減なわけで、その人の人間性を確実に判断することはできない。そして、そもそもアメフトの文化が根底にあったうえで起きたことならば、この監督の人間性がそこまで悪いか?という結論は容易には導き出せない。つまり、客観的に見てこの人はなんのために辞任したの?という状況だけが残る。批判者としては気に入らない人間が辞めてくれたことで満足度はあるんだろうが、まさに数年前に起きた舛添知事の辞任劇と同じ臭いを感じる。あの人が辞めた意味もはっきり言っていまだに分からない。要はお金の使い方が国民にとって気に入らなかったが主な理由であり、客観的に悪いと言えることは何もしていない。なのに世間の圧力に屈して辞めてしまった。

 

アメフト文化に起因して起きたことならば、同じようなことは他の監督のもとでも起きる可能性があり、この監督だけの問題ではないのだが、その部分をほとんどの人間は追及していないと思う。いうなれば、会社でミスをした人間がいた場合、そのミスをした人間を責めて終わりで、何でミスをしたのか?の原因は誰も追求しないような状況だろうか?叩きたいだけ叩いて終わりで再発防止の策をなんかしたんだろうか?私はこの一連のニュースを見て、日本人のアホな連中が社会的に窮地に追い込まれた人間を精神的に殴る蹴るの暴行をしているだけにしか見えない。まさにいじめの構造ですよ。当事者を叩いて辞任に追い込んで終わりって、こいつらバカなのかな?としか思えないけど。単なる自己満足のショーに終始しているだけなのに。何の意味があるのか?さっぱり理解できないことを多くは正しいと思っちゃっているわけでしょう?というか、叩ける人間をここぞとばかりに叩きたいだけという、精神が底辺と評価できるような奴らが日本には多いってことなんでしょう。日本人が韓国とか、中国の民度の低さを語っているシーンを思い出すと、笑いが止まらないんだがwww厚顔無恥とはことことだなと思う。どうしようもないねこいつらは(笑)原因が別のところにあるかもしれないのに、その原因に関してほとんど追求しないで当事者を責めているばかりならば、また同じようなことが起きる可能性がありますよ。本当にこの状況は理解に苦しみます。批判者の多くがしたいのは問題の解決というよりは、特定の気に入らない人間の社会的排除なんだろうから、そう考えれば辻褄は合うけどね(笑)私は今回の問題は多くの人とは違った角度から見ており、その感想も違ったものとなっているでしょう。こういうニュースを見るたびに、何を考えているのか分からないような人たちとかかわらない方が良いなと、思えてきます。そういう生き方ができている私は本当に幸せだと思うよw

 

 

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