就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

数学ができないことと論理的思考は関係ない!論理的思考を鍛えることはそもそも重要ではない

数学を勉強すると論理的思考が鍛えられるということを言う人もいるが、全くそれは的を射ていないと思う。数学は論理的思考が必要というのは同意しないでもないけど、基本的には暗記の要素が大きいと思っている。数学で必要な論理的思考の部分は他の科目でも必要な部分であり、別に数学に特有なものではない。数学が暗記が大半だというのが私の意見で、これは私が数学を勉強した中での経験談によるものではあるが、結局数学もパターン暗記ができれば、それに越したことはなく、いかに多くの問題をこなせるか?が重要なのです。事前に多くのパターンの問題と解法を頭の中に入れておけば、それによって対応できる問題の数は増えると思う。増えるが、全部には対応できないので、そこで論理的思考によって解かないといけない問題が出てくる。しかし、それは暗記科目と言われている科目も同じだ。論理的思考というのは持っている知識を生かして、そこから論理的に考え、答えに至るための思考だと思っているが、例えば日本史だって論理的思考が必要な場面は多々ある。知識を知っていればそのまま答えられる問題も多くあるが、それは数学も同じ。事前に経験している問題に近いパターンの問題が出れば、対応するのは容易いだろう。日本史だって暗記だけではどうにもならない問題が出てくる。

 

それはつまり、知識として知らない問題が出たときだ。そのときにも論理的思考を使って答えにたどり着くことができる場合もある。これは実際に入試問題として出たわけではないが、ある漫画作品で出題されたクイズで、1932年5月15日は何曜日か?という問題があった。この答えを知っている人はまずいない。しかし、こういったあまりにも難しい問題が実際に入試出たことがある。私が経験したのは犬養毅首相が首相に就任した月(何月か?)を答えるというもので、日本史が大の得意だった私も知らなんがな(笑)とお手上げだった。話は戻るが、この1932年5月15日というのは、ある有名な事件が起きた日付なのだが、その知識がないとまず解けない。これは五・十五事件が起きた日付で、どうやってそこからどの事件が起きた曜日を特定するの?と誰もが思うだろう。実は数学の公式を使うと解けるらしいのだが、先ほど挙げたある漫画作品では、数学の公式を使わずに正解にたどり着いたキャラがいたのだ。それはその五・十五事件の当日、暗殺された犬養毅首相の婦人の行動を知っていたからだ。事件当日は夫人は結婚式に出席するために帝国ホテルに向かっていたそうだ。だから、なんだ?と思うかもしれないが、結婚式が行われる曜日というのはだいたい決まっている。休日だ。土日祝日のどれかになる。そして、この当時は土曜が休日ではなかったということを知っていれば、答えは出る。祝日に当たる可能性の低さを考えると、日曜日と答えるのが1番自然だろう。

 

つまり、日本史の問題でも論理的思考を使わないといけない問題はあるし、ある程度の知識と論理的思考を駆使すれば、未知の問題、どうやって解くの?という問題も正解できる可能性があるのだ。事件当日に、夫人が結婚式に出席していたという知識から、論理的に考えることで、正解に近づくことができる。日本史が暗記科目という側面はあるけれども、答えが分からない問題に関して、論理的に考えれば正解にたどり着くことが可能というのは、数学と一緒で、数学だって覚えてさえいればなんとかなる問題があるはずで、そこはそんなに差があるとは思えない。私が答えられなかった問題も、もっとちゃんと考えれば正解できたかもしれないです。林修氏は数学が1番大切と言っていたけど、私は全く同意しない。論理的思考が養われるといったところが、確か理由だったと思うけど、論理的思考はどの科目でも必要になるものなのです。そして、さらに言えば、数学とかを解いても論理的思考が磨かれるとは思わない。ようやく本題に入るけど、私は大人になっても論理的思考ができない人をたくさん見てきた。こういう人は数学を学べば論理的思考が養われるのか?と言えば、恐らく関係ないだろう。数学ができないことと論理的思考ができないことは何の関係もない。なぜならば、論理的思考ができない人は論理的思考をしないだけだからだ。

 

言っていることがよく分からないという人もいるかもしれないけど、論理的思考ができないと思われる人も、実は論理的思考をしないだけなのではないか?と私は思っている。要するに、論理的思考をすべき場面の判断ができていないというのが、私の考えになる。数学というのは大前提として論理的思考を使わないと解けないというルールになっている。感情論では解けないのだ。数学における感情論ってなんだ?って話だけど、例えば面積を求める問題で、目分量で答えを出すようなケースがそれにあたるだろう。与えられた情報を使って式を組み立て、それを解くというプロセスを経ないと、正確な答えは出せないということがルールになっていることをみんな知っているのです。だから、数学の問題を解くときには、論理的思考を勝手にするのだ。しかし、例えば何でも良いんだけど、政治家の不倫をどう思うか?って議題で話し合うときに、確実に感情論で語る人が出てくる。不倫はよくないことなんだから、政治家であってもすべきではない。ということを言う人がいる。不倫は法律に違反することかもしれないけど、それが=よくないか?どうかは別問題なんですよ。この問題に関しては、全く問題ないという回答をする人も実際結構いて、政治家の能力に関係ないのだから放っておけばいいじゃん。という人もいます。

 

論理的思考がよりできているのはどっちか?というと、後者だと思うのです。政治家は国民のために働く職業であり、そのために必要な能力を備えている必要がある。そして、不倫をするような政治家がいたとしても、私たち国民生活に何の変化(マイナスになるようなこと)がないし、政治家の振る舞いに細かく文句を言う人が増えると、政治家になろうとする人が減り、政治家の中で有能な人間の数も減ると。それ自体が私たち国民生活にとってマイナスなんじゃないですか?という言い方をする人もいるし、これは私はかなり論理的思考ができていると思う。私に言わせれば、政治家の不倫を糾弾している人は多くが感情論だと思う。しかし、この議論で感情論を言ってはいけないルールは存在しない。つまり、感情論がいけない決まりがないから、感情論を言う人がいるのだ。それはイメージの問題で不倫はよくないと感じ、それを結論として持ってきてしまっているというだけで、それがその主張をする人にとっては正しいと思っていることであるというだけなのだ。要するに、これは感情論で判断して良いことでしょう?という気持ちがあるから感情論を使っているだけであって、その人が論理的思考ができないとは決めつけられない。確かに感情論がいけないということが感情論という言い方もできるし、論理的思考を使った方が、感情論を使っている相手を圧倒しやすいということは言えるものの、だからといって感情論を使う方が間違っているとまでは言えない可能性もある。

 

私個人の意見では、善悪の是非を感情論で決めるのはよくないと思っている。それはいじめと変わらないと思っているから。いじめが世間的によくないものとして使われるならば、それは控えるべきだろうと思うのだ。ただ、これは私の意見なので、それに共感しない人がいるのも当然だし、私の意見が正しいと客観的に説明することは難しい。つまり、仮に数学で論理的思考を養うことができても、数学を勉強すると、論理的思考ができない人ができることにならない。数学ができない人が論理的思考ができないとは言えないし、論理的思考と数学は全く関係ないと思っています。論理的思考ができないとされている人は、論理的思考よりも感情論の判断の方が望ましいという判断をしているだけなので、そこは単なる価値観の違いだと言うしかないかもしれない。ただ、感情論は議論においては確実に論破されやすいので、私は使いたくない。論破されたからといって、論破した方が正しいのか?というと、それも決めつけられないかもしれないが、論破した方が正しい意見を言っているようには見える可能性がある。少なくとも論破された方が正しいという見方はできないでしょうね。感情論は脆いので、議論をするときにはできるだけ使わない方が良いと思うし、できるだけ客観的根拠を持たせた方が良い。感情論には感情論で返せるので、こうなった場合には感情論が勝つことはない。感情論を使っている側はその議論において感情論を使ってもいいという判断なのだから、相手方がこちらも感情論を使うわと言えば、同じ理屈で相手を否定できるわけだ。この場合、議論に何の意味もない。感情論VS感情論はお互いが永遠に感情論を使っている限り、何の結論も出ないのだから。

 

重要なのはどの場面で論理的に考えるべきか?であって、論理的思考を鍛えることではない。そもそも論理的に考えられているか?ってこと自体が結構主観なんですよ。だから、現代文の解答にいろいろと文句がくるわけ。1つの文章と問題があったときに、1つのパターンしか正しい論理的解釈を認めないのが現代文なわけだが、だから私は現代文が嫌いなのです。論理的思考をすれば現代文は解けるというが、それ自体が感情論であり、それは出題者がそう望んで問題を作ったというだけの話なのです。出題者はそりゃ論理的に考えれば答えは1つにしかならないはずだと思って作っているはずだが、そう努力しているからといって、それが本当に実現しているか?は分からない。だって、証拠がないじゃん!出題者が論理的に考え方ができているなんて証拠がないのに、多くは出題者は論理的思考をミスなくしているはずだという期待を持っているに過ぎない。林先生のテレビなどでの言動を見ていると、明らかにおかしいこと言っているよな。と思うことが多々あるんですけど、そういう人たち(実際に作っているのは予備校講師ではないけど)が入試問題を作っているわけでしょう。論理的思考がミスなく、誰からも突っ込まれることなくできる人なんてほぼいないのに、出題者は論理的思考がきちんとできているなんて前提はどう考えても生まれないと思うんですけどね。警察官に悪い人はいない!みたいな論理と同じなわけですよ。ある考え方が論理的か?否か?を判断するときに使われるのは人間の感覚であり、主観であり、感情論なのです。ある考えが論理的か?そうじゃないか?を判断するときに使われる説明は、言ってしまえば「私はそう思う」でしかないので、私はそうは思わない、感じないと言ってしまえばそれまでなのです。数学も現代文も大学に入るためには必要な科目だとしても、生きるときにはほぼ不要だと私は思っています。

 

 

頭がいい人の「論理思考」の磨き方

頭がいい人の「論理思考」の磨き方

 

 

あわせて読みたい記事

東京農業大学の偏差値や評判は高い?倍率や入りやすい学部、ボーダーラインなどはどうか?

東京農業大学は理系の大学の中でも農業系に特に焦点を絞った大学ですが、いろいろな学部に分かれていて、それぞれで学ぶ内容が違うため、そういったところは確認をしておいてほしいと思います。農業系の学部を多く擁した大学はそうは多くないので、東京農業大学の評判は高いと思います。一部の学部学科は文系の学生でも入れるようになっているので、幅広く学生が存在しているということも言えると思うのです。東京農業大学は偏差値はそこまで高いというわけではありません。理系なので評価は難しいですけど、中堅大学ということになるのではないか?と思います。東京農業大学の偏差値は学部にもよりますが、河合塾のもので40~55くらいとなっているので、幅がかなりあります。偏差値が特に高い学部学科に関しては難関大学に近いレベルにあると言えると思うので、難しいです。一方、偏差値が低い学部学科は難易度がかなり下がりますから、入りやすいと言えるかもしれません。ただ、東京農業大学の難易度はそういった感じで学部学科ごとに全然違うということが言えるので、知っておきましょう。東京農業大学は入りやすい学部そうじゃない学部に分かれているということで、難易度が顕著ということが言えると思います。したがって、受験するときにはそこを特に意識しておくと良いと思います。

 

東京農業大学はセンター利用入試でも受けられて、そういった場合にはボーダーラインが重要になります。東京農業大学のセンター利用のボーダーラインは65~80%くらいでしょうか?学部によって違うものの、全体としてはこういった数字になります。センター利用で入りやすい学部は生物産業学部で65%弱という感じでしょうか?逆に難しいのは応用生物科学部で、70~85%となっていますが、それぞれの学部で学科ごとに難易度も違いますし、科目数も3科目と4科目で違うので、それで東京農業大学のボーダーラインは変わります。東京農業大学に入りたい人は一般入試のみではなくて、こういった方法もあるということで知っておいてほしいと思います。センター利用入試のボーダーラインも学部によっては高いので、簡単ではありませんけど、一般入試と両方可能性があるということは知っておいてほしいと思います。

 

それでは東京農業大学の偏差値はそういった感じで良いとして、キャンパスライフのことについても知っておきましょう。東京農業大学のキャンパスはどこにあるのか?というと、東京農業大学のキャンパスの立地条件に関しては3つほどあるので、それぞれにおいて知っておいてほしいと思います。農学部と生物産業学部以外の学生が通うのが世田谷キャンパスで、ここがメインキャンパスです。多くの学生がここに通うことになりますが、東急田園都市線の用賀駅から徒歩20分、バスで10分ほどとなっています。東京農業大学のメインキャンパスとして、立地条件の評判はそれなりに良いと思います。駅からちょっと離れていますけど、都心に近いですから。駒澤大学とかも近いですし、渋谷駅も近いので、遊びたい人にとっても魅力的なキャンパスの立地条件と言えるでしょう。この世田谷キャンパスは理系の大学にしてはかなり先進的な雰囲気で、かなり綺麗です。文系もある総合大学のような雰囲気もあり、東京農業大学のキャンパスの中でも特に良い印象を持つ人もいるのではないか?と思います。東京農業大学の世田谷キャンパスの雰囲気に関しては自分でもオープンキャンパスなどを利用して見学をしてみるとより実感しやすいと思います。

 

そして、農学部の学生は厚木キャンパスになります。こちらは小田急線の本厚木駅からバスで15分となっており、都心からはちょっと距離が離れているので、そこは知っておかないといけないと思います。こちらもキャンパスの雰囲気としては綺麗ですが、農学部だけなので、そういった雰囲気は感じられます。農学部のみなので、敷地はそこまで広くないと思いますけど、東京農業大学のキャンパスとしては印象的なところとも言えると思います。ただ、キャンパスの建物の中は理系っぽい雰囲気はそこまでないというか、普通の大学という感じがします。綺麗な雰囲気になっていますし、過ごしやすいキャンパスと感じるのではないか?と思うのです。そして、生物産業学部に関しては北海道にキャンパスがあります。オホーツクキャンパスまでの交通アクセスは網走バスターミナルからバスを使って行きます。したがって、東京農業大学のオホーツクキャンパスの立地条件はそこまで良いという印象はないかもしれません。それ以外にも交通アクセスはありますが、バスを使わないとキャンパスまで行けないようです。北海道らしい雰囲気ではありますけど、一般的なキャンパスと雰囲気はそこまで変わらない印象です。ただ、生物産業学部ならではの施設などもあって、この学部でしか学べないこともある可能性があります。そういった部分がキャンパスの中にもあるということなのです。

 

それぞれの学部において、東京農業大学のキャンパスの雰囲気は違います。したがって、学部ごとにキャンパスの雰囲気などを確認してほしいですし、それぞれのキャンパスの立地条件について東京農業大学の学生の評判を見ておいてほしいと思います。東京農業大学は農業や生物、環境の分野では評判が高い大学なので、それぞれで難易度は違いますけど、どの学部もある程度は難しいのです。東京農業大学で難しいのは応用科学部で、ここは特に偏差値が高いです。したがって、難易度が高いということになりますけど、逆に東京農業大学で偏差値が低いのは生物産業学部です。ここは北海道にキャンパスがあるせいか、かの学部と比べても偏差値が低いので、東京農業大学の入りやすい学部になると言えます。東京農業大学は学部は複数あり、それぞれで難易度が違うので、そこを理解したうえで受験する学部を選ぶと良いと思います。そして、東京農業大学の学部はそれぞれ特色が違っており、評判なども異なっていると思いますから、その点についても同時にチェックしておくと良いと思います。東京農業大学に入りたい人は多くいると思いますけど、学部ごとにキャンパスのみではなくて、学ぶ内容も違いますし、そういったところを詳しく調べていくことが必要と言えるでしょう。東京農業大学の学部ごとの偏差値もそうですし、評判なども調べたうえで受験する学部を選択していくと良いと思います。

 

東京農業大学は理系の大学の中でもかなり知名度がある方なので、知っている人も多くいますし、全体的な評判も良いと思います。興味のある人は大学の難易度をまず調べるのが先決かもしれませんが、東京農業大学の偏差値について調べたら、そこからキャンパスライフについても調べていくと良いと思います。すでに話したような学部学科ごとの特徴の違いもそうですが、就職のことなど、東京農業大学の魅力やメリットは多くあるので、そういった部分もちゃんと調べながら、大学について理解をしてほしいのです。入試に関する情報を中心としながらも、全体として東京農業大学の評判について調べて、どういう大学なのか?というのを理解してから受験勉強をしていくと良いと思います。東京農業大学は良い大学だと思いますが、東京農業大学に入りたい人は特に詳しくなっていてほしいと思います。

 

東京農業大学 (2018年版大学入試シリーズ)

東京農業大学 (2018年版大学入試シリーズ)

 

 

あわせて読みたい記事

制服を着る子供たちは一生不幸を感じないといけない事実にみんな気付かない

LGBTの人に配慮するためにスカートやズボンを自由に選べるようにするとか、アルマーニの制服の是非とか、最近学校の制服に関する話題が多いな。と感じる。その中で、そもそも制服なんかいらねーだろ!っていうのが私の意見だ。私はそもそも学校がいらないだろうと思っている派なのだが、学校が存続するとしても、制服はマジで何のためにあるのか?分からない。制服が格好いいならまだ良いんだけど、マジで制服ってどれもダサい。私は中学で学ラン、高校でブレザーだったが、どっちもファッションとしてはマジでダサい。大人になると社会人になってスーツを着る人も多いが、あれもダサい。私にとって私服以外の洋服はほぼほぼ全てダサい。ホリエモンとかも制服は金の無駄と言っていたことがあるらしい。それに関しては、私服だと毎日違うものを着ないといけないので、考えるのが大変とか、私服の方が金がかかるという意見もあるらしいが、私はこれらがまるで理解できない。そもそも何で私服だと毎日違うものを着ないといけないんだよ???その発想がおかしい。誰が決めたんだ。私は自分で言うのもなんだけど、ファッションにはある程度関心があるし、お金も使ってきた。しかし、持っている枚数は多くないから、学生時代とかもかなり同じパターンの連発で、同じ服装で人に会うことは何度もあった。

 

それは私は本当に気に入った洋服しか買わないから。私が気に入る洋服のハードルがかなり高いため、そんなに何着も買えない。別にそれを気にすることはない。なんかよく分からないけど、「私服は毎日同じものはいけない」みたいな風潮を勝手に作って、それを真面目に守っている人たちがいるというだけの話なのだ。自分たちで自分の首を絞めているだけであって、制服やスーツが毎日同じものを着ても良いんだったら、それを私服でやってはいけない理由なんか存在しない。つまり、私服を何着も揃えないといけないとか、流行に合わせて変えないといけないとかの前提ならば制服よりもお金はかかるかもしれないが、私服なんて安いものいくつか持っていれば、それで3年間持つだろう。冬のアウターとかだって、ユニクロで買えば安いものは数千円くらいで買えるし、キッズサイズならば尚更安いはずで、十分3年間使えるはずだ。明らかに制服よりも安上がりになると思うが。

 

さらに言えば、制服はプライベートでは着ないだろう。プライベートでは私服をみんなきているはずで、結局私服のお金はかかるんだから、そのプライベートで着る私服を学校でも着られる時点で、どう考えても制服の方が安いなんてことはありえない。制服があってもなくても、私服は絶対に買うのだから、制服というプラスαの出費がある時点で、制服の方が金はかかる。そして、私服でいじめが起きるとか言う人もいるけど、それはいじめが悪いと言えば良いだけだろうに。人と違うことを何とも思わない、思わせない教育をする方が先であり、いじめをする人のために、例えばキャラ弁を禁止するとか、そういういじめの標的にされそうなものを禁止していったらキリがない。あれが禁止ならば、同じ理由でこれはどうなんですか?と頭のいい奴に詰め寄られて、論破される姿が簡単に脳裏に浮かぶ。つまり、こんなやり方をしていたら、選択肢がどんどんなくなり不幸な人間を増やすだけなんだよ。

 

結局のところ、私服は毎日違うものを着ないといけないという発想を持っている時点で、私はその発想を矯正するような教育をすべきだと思っているし、本人もその発想を自分で矯正すべきだと思います。なぜならば、その発想を抱えていると、その人はその発想に一生苦しむから。その発想っていうのは、結局の同調欲求に類するものであり、みんなと同じでいたいというもの、みんなとな同じじゃないと嫌だという発想を持っている限り、あらゆる場面で人と違う自分を認識することにより、自分自分を不幸に感じてしまう。それがずっと続くくらいならば、幼少期の段階で矯正させた方が良い。人間は人との差異に敏感で、それによって優劣を感じてしまう生き物だと思う。それは本能的に備わっているのか?は分からないが、人を苦しめる要素の1つにはなる。でも、大半の人間はその発想を変えようとはしない。なんとかみんなと同じようになろうとする努力で解決しようとするが、そんなやり方をしていては一生かかっても無理だ。なぜならば、人と違う部分なんて無数あって、全部はどうにかできないから。だったら、最初から人と違って何が悪いん?と思えるような思考のパターンを作っていく方が、よっぽど建設的で、親が子供にたびたび言う「よそはよそ、うちはうち」というような表現はある程度的を射ているように思う。人と比べること、そして以前と自分と比べることをやめない限り、人間が幸せになるのは不可能だろう。

 

制服を排して、私服のみの通学という学校を作れば、そういった訓練ができると思うし、ファッションに関心がない人にとっては制服の方が楽なのは分かるのだが、それは結局自分と他人とのファッション格差と意識してのことで、要するに自分と他人を比べている証拠なのだ。または他人からどう思われるか?ということを気にしている証拠とも言える。つまり、目先の楽なことを優先して、制服の生活を送ることを選ぶと、他人と比べることや他人にどう思われるか?ということを気にしまくる生活から脱却できない。それは私から見ると非常に不幸に見える。だから、目先の利益ばかりを求めるのではなく、人生を長期的に考えるならば、私服のみで学校を運営した方が、私は人の幸せを考えたときの教育としては真っ当だと思います。教育関係者にそこまで考えられる人がいるか?というのは分からないし、制服自体が日本の教育の伝統みたいになっているので、今更変わるとも思えないが、制服を着て学校に通学することが当たり前だった私や今の子供たちを見ていると、ちょっとかわいそうに思えてくる。制服である必要性がないし、制服はマジでいらないと思っている。私から見て制服はダサいというのも理由の1つだが、やはり制服それ自体が人を不幸にしている側面は否めない。それに気付かないで制服を着ている子供たちを見ていると、何とも言えない気分になる。

 

 

あわせて読みたい記事

成人式はなんのために?意味ない、いらないという廃止論に賛同できる理由

はれのひ騒動から約1ヶ月くらいが経っているが、私はこの事件をきっかけに、成人式の存在意義が益々分からなくなってしまった。晴れ着を着られない女性が多数存在したことで社会問題になったが、この事件があれだけ騒がれたこの要因として、成人式の慣習というものがあったと思います。それは成人式は(特に女性が)晴れ着を着て、かつての旧友と再会する場という価値観が大いに存在していると思うのです。つまり、彼女らは成人式に出られなかったわけではなく、晴れ着を着られなかったことにショックを受けているのでしょう。でも、成人式の日に着られなくても、他の日で着られるのならば良いじゃん?っていう意見は恐らく意味を持たない。なぜか?というと、自分が晴れ着を着るだけでは満足できないからでしょう。晴れ着を着る人が一堂に会する場に自分もいたいという欲求が恐らくあるからなのだ。だから、成人式でもない日に晴れ着を着ることができたとしても、その価値を見出せる人は少ないのではないか?と思う。つまり、成人式の役割はもはや式自体には意味がないというか、意味を感じている人はかなり少ないと思われる。

 

要するに、彼女らの目的は晴れ着を着て、かつての旧友らと再会し、談笑する機会が重要なのであって、それが成人式である必要がないということも言えるでしょう。その機会というのが、日本では成人式と大学の卒業式くらいしかないため、非常に貴重になってしまっている。人生で2回くらいだろうか?だからこそ、そのチャンスを潰されたことに怒りを覚えた人が多くいたのだろう。業者のやったことは非難されるべきことかもしれない。しかし、この事件を振り返ると、その業者の問題とは別に、やはり成人式はなんのためにあるのか?が余計に分からなくなる。実際に成人式はいらないと評する人がいます。すでに話したように、成人式の存在意義は私には理解できない。成人式は意味ないと評する人もいるし、廃止して良いのでは?という人もいる。特に成人式の廃止論を唱える人は、式で暴れる若者などを問題視していることが理由の人もいるみたいだが、私は違う理由で廃止論を唱えたいと思う。私は成人式は確実に代替が可能なものが存在するので、式を税金を使ってやる必要がないと考えているからだ。そこが成人式がいらないというか、成人式である必要性がないという理由なのだ。全員がそうというつもりはないが、大勢の人にとって成人式に出る目的は、式に出たいからとか、市長の話が聞きたいから。ではないと思う。すでに話したように、中学時代の人たちと再会するまたとない機会だからだと思われる。

 

つまり、それはもはや同窓会なのだ。そして、たいていの場合では成人式の後に同窓会をやるケースが多い。つまり、同窓会の場が成人式に求められている機能を果たしてしまっているので、同窓会だけで良いじゃん!と思うわけです。成人式はなんのためにやるのか?というときに、もはや伝統だから。慣習だから。くらいしか理由がない。成人式をやらないと困る人がいるか?というと、あまり想像できないのだが、いたとしてもかなり少数派な気がします。その困るっていうのも、心情的な問題であって、経済的な損失などの現実的な問題ではないと思います。晴れ着の業者とかも、成人式が廃止になっても、同窓会の場で晴れ着を着る慣習が残れば、打撃はない。結婚式とかもそうだけど、1日のためにすごい大金を使うこと自体も批判している人もいるし、それ自体が疑問視されている面もあるわけだが。成人式がなくなったら何が困るのか?というと、特別困る事態は想像できないのですよ。成人式が税金で運営されていることを踏まえると、市民が成人式の是非を考える権利は絶対にあるはずで、あとは必要性の有無について、どれだけ他者を説得できる材料があるか?ということになります。要は人生の中で思い出に残る瞬間の1つでもあると思うので、そこに価値を見出す人もいると思うのだが、それは同窓会であっても良いんじゃないか?と思います。

 

成人の日に全国の中学校とかで同窓会を開催して、それに参加するような慣習が残れば十分な気はしてきますけどね。自治体によっては、はれのひの被害に遭った人たちのために、もう1度成人式を開催することを検討していたところもあるみたいだが、それをやるくらいならば、金銭的な理由で晴れ着が着られなかった人たちは、市に訴えればお金出してもらえたんですかね?っていう疑問は残る。だって、自治体がそういう計らいをする目的は、やっぱり晴れ着を着るチャンスを与えたいってことだと思うんだけど、じゃあ、お金がないから晴れ着を着れない人たちも訴えたら晴れ着の代金を出してくれたのかな?というと、そんな動きは聞いたことがない。つまり、自治体がなぜ税金を再度投入してまで、もう1度成人式をやろうとしたのか?と言えば、被害に遭った人がある程度大勢いたからであり、社会的な影響もあったからでしょう。お金がないから晴れ着を着れない人というのは、数としてはそんなに多くないはずで、無視されてしまう可能性も十分ある。つまり、自治体にとっては多数の利益は重要なわけですよね。これは国も同様だけど、多数の利益を保護するというのは使命でもあり、基本方針のような部分もある。じゃあ、成人式がなくなって現実的な問題として困る人というのがいるかもしれないが、少数派なのは間違いないと思うので、国や自治体の姿勢からすれば、成人式の廃止論は妥当性を持ってしまうと思うのです。

 

成人式は意味ないと評する人も多く、私も成人式はなんのためにあるのか?は正直理解できない。その存在意義が現実的な合理性という観点からは見いだせないため、成人式が意味ないとする意見が理解できてしまう。同じような理由で国公立の学校の入学式や卒業式もいらないと思っている。あれもないと困るわけじゃないでしょう。ただ、開催されるのが当たり前となっているから、今更廃止なんて言われたら違和感しかない。ただ、それだけだと思うんですよ。成人式はなんのためにあるのか?ということを新成人が考えているケースは少ないと思う。やるのが当たり前で、出る人も多くいるし、自分も出たいと思った。という人が多い気がします。私もそうでしたよ。あれからそれなりに年数立ちましたけど、成人式に出てよかったとは思えませんね。でなくても良かったなという意識の方が強いです。成人式の廃止論に関してはいろいろな意見があると思いますけど、成人式がいらないとする声は恐らく年々強くなる気がします。廃止される可能性は低いが、結婚式という文化が日本では廃れつつある状況をみると、同じような理由で成人式も世論としてはいらないのではないか?とする声は大きくなる気がするのです。最近だと年賀状やバレンタインが代表的かな?これらは税金が使われているわけではないが、慣習で続いてはいるけど、そもそも必要なの?とか、なんのために?とか、当たり前になっているモノに対して、そういう疑問を持つ人が増えてきたことは、個人的には良い兆候じゃないか?と思っています。

 

歌でお祝い 2分の1成人式

歌でお祝い 2分の1成人式

 

 

あわせて読みたい記事

炎上商法を嫌い、気持ち悪いと思うアンチの存在が成功例を増やす皮肉な構図

炎上商法を最初に考えた人って、私は天才だと思うんですよね。炎上商法っていうのは皆さん知っていると思いますけど、いろいろと成功例もあるわけですよ。私が知っている中だと、最近の成功例はYoutuberのヒカル氏かな?彼が炎上商法を意図して炎上したのか?は分からないけど、炎上した結果としては成功例とも言える気がするのです。彼の場合、資産も収入も元々かなりあるので、炎上させる意味があまりないのではないか?と思わないでもないが、彼は例のValu事件によって炎上し、世間の話題をさらった。これに関しては西村博之氏などが、あれはヒカルが悪いんじゃなくて、損する可能性があるものに関して投資をしたら本当に損をしただけで、仕組みを知らないでヒカルのValuを買った方が悪いと批判をしていたのだが、世間一般的にはヒカルが悪いという風潮が出来上がってしまった。それ自体はマイナスに思えるかもしれないが、私にはプラスに思えてくる面もある。ちなみに例のValu事件の前後でヒカル氏のチャンネル登録者数の推移は分からないが、動画の再生回数はどうなっているのか?というと、あまり変わっていないように感じる。ただ、炎上した直後にアップした謝罪動画なるものの再生数だけは抜きんでている。1000万再生くらいある。要はこれ自体が炎上商法のテンプレになるのではないか?と思うのだが、炎上→謝罪の流れというのは、1番稼げる瞬間なんです。

 

まず炎上することによって、その炎上した人に注目が集まります。Youtuberの場合には動画再生回数が伸びます。そして、しばらくしてから謝罪動画を載せると、世間の批判の矛先が向いている人物の謝罪を見たいがために、動画を観る人が増えるわけです。普段、その人の動画を観ていない人まで観るようになりますから、再生数は一気に増えるのです。金持ちが我々庶民にひれ伏す瞬間なわけで、見ている人も気持ちいいみたいな部分はありそうな気がするのです。そういう心理を逆手にとっている人もいるんじゃないですか?だから、視聴回数も伸びやすくなるわけです。つまり、炎上からの謝罪というのは、炎上商法で特に稼げる瞬間であって、注目を浴びるピークが2回くるっていうのが大きいですよね。謝罪をすることによって、ファンをやめようと思っていた人も留まる可能性があるわけですから、収入の下落を抑えられますし、謝罪動画それ自体で再生回数がかなり伸びて稼げるので、炎上商法では謝罪って重要なんでしょうね。ヒカル氏がそれを意図していたと言うつもりはないが、なかにはそういう意図で謝罪(をする振り)をしている人もいるのかもしれないです。ヒカル氏にとっては収入を伸ばす目的がそんなにあるとは思えないので、炎上を意図して起こされたものではないとは思うが、結果的に彼の収入は瞬間的にはかなり大きくなったので、同じようなことを別の誰かが炎上商法としてやったならば、それは成功例と言えるのかもしれない。でも、ヒカル氏にもアンチは相当いるだろうけど、アンチは本当にヒカル氏のことが嫌いならば、叩かない方が良いんじゃないか?と思うんですけどね。実際、炎上商法が嫌いって人も多くいるわけですけど。こういった炎上マーケティングが嫌いならば、私は黙っておいた方が良いと思うんですよ。炎上商法を嫌いと思っている人は世の中に多くいるみたいで、インターネットで検索をするとたくさん見つかります。しかし、この人たちは自分の気持ちと言動がかなり矛盾していることに恐らく気付いていない。

 

なぜならば炎上マーケティングを批判することをすればするほど、炎上マーケティングが世間に浸透してしまうからです。炎上商法自体を知らない人もいるはずで、インターネットなどで炎上商法について気持ち悪いとか、そういう批判することを書くと、それを誰かが読みますよね。そこからきっかけで炎上商法を知る人が増え、その中から効果的な部分を知り、実際にやる人が増えると思うのです。つまり、炎上商法を嫌いと思っているならば、何もしないのが1番なんですが、人間の心理はそうはいかない。嫌いとか、正義じゃないと思ったことに関してはどうしても叩きたくなってくるのです。アンチの存在はまさにそれで、気に食わないことを2ちゃんねるとかに書きなぐったりするわけですけど、それ自体が完全に宣伝になってしまうわけです。世の中の多くの人が自分のブログやSNS2ちゃんねるなどに書き込みをすることが、その批判の矛先である人物の宣伝になってしまっている。嫌いなはずなのに、その人にとってプラスになる行動をしてしまっている。そういう例は実は多くあると思うのです。だから、炎上商法も人間のそういう心理を利用してのものだと思うのです。人間は無意識のうちに嫌いな人物の批判をしてしまう。それは意識的に止められるものではないので、だからこそ炎上商法の成功例が存在してしまうのでしょう。

 

炎上商法はこれからなくならないと思いますよ。なぜならば、知名度がない人や会社がその知名度を確実に、手間や費用をかけず上げるための1つの手法として確立されてしまったからです。炎上商法が1つの有効なビジネスモデルとして世間にある程度共有されてしまった時点で、増えるか?どうかはともかく、なくなることはないでしょう。炎上商法を気持ち悪いと思っている人全員が、その気持ちを内面に保ったままでいられるならば、いずれ消えるかもしれないけど、そうはいかないんですよ。炎上商法を嫌いだと批判する人がいる限り、その有効な手法を採用する人や企業は増えますよ。最近になってCMの炎上とかも増えてきた気がするんですけど、それも企業が炎上商法を採用している流れなのかな?と思わないでもないです。真意は分からないですけどね。炎上を意図したのか?たまたま炎上したのか?は分からないけど、CMの内容を炎上させるようなものにして注目を浴びるというのは、確かに有効な策と言えばそんな気もしてきますね。インターネットがあるがゆえのビジネスモデルなので、インターネットが存続する限り、炎上マーケティングは今後も嫌いや気持ち悪いと批判する人が後を絶たないでしょうし、それによって炎上マーケティングを実践する人も増えるのではないか?と思います。ただ、これができるのは「嫌われる勇気」を持っている人だと思います。人から嫌われることを恐れる人、自分の体面を気にする人には向かないが、そんなものどうでも良いと思っている人にはかなり向いているかもしれない。

 

あと、炎上商法とはちょっと違うが、面白い事例があって、それがみすず学苑という大学受験の予備校のCMです。この予備校のCMは見た人は分かると思うが、正直言って謎が多すぎる。まずCMを見ても何が売りなのか?分からないし、サービス内容やどこに長所があるのか?などは何も言ってこない。そして、出演者が歴史上の人物のコスプレのような格好をして、ただダジャレを言っているだけという、視聴者からすると???という感じではないだろうか?というCMなのだが、このCMを私は非常に評価している。これも炎上商法と同じで人間の心理を上手く利用したものと言えるからだ。なぜならば、視聴者からすれば非常に謎が多い予備校ということが言えるわけで、何なの?この予備校?怪しくない?という気持ちが芽生えるはずなのだ、するとどうだろうか?インターネットでみすず学苑について調べるのではないだろうか?この予備校の評判を調べたり、あとは公式サイトを覗いたりということを無意識のうちにやっている人が増えるはず。つまり、15秒や長くても30秒くらいの長さだと、予備校の良さなんてほとんど伝わらないのです。仮に伝わったところで、そのCM内容だけを見て予備校を決めるなんて人はまずいません。必ずネットなどを通じて詳細を調べるはずです。つまり、詳細に関しては各自視聴者が必ず調べるものだから、あえてCMでそこを伝える必要はない。大切なのは、その詳細を視聴者に調べさせるためのきっかけ作りなのです。そのきっかけ作りがあの謎のCMということになる。謎が多いからこそ無意識に調べたくなってしまうのです。詳細を調べてもらう人をいかに増やすか?に関して、CMで徹したのがみすず学苑という予備校だと思っている。

 

さらに言えば、あんなに変わったCMをやる予備校として、いい意味でも悪い意味でも頭の中に残りますよ。そして、そのCMをかつて見た人が大学受験をするにあたって予備校を選ぶというときに、あ!そういえばあのへんなCMのみすず学苑なんてあったな!と思う出す可能性もあります。河合塾や東進レベルの有名な予備校ならば、パッと最初に候補に出てくる予備校かもしれないが、みすず学苑はああいったCMでもやらないと、知名度で絶対に勝てないので、高校生らが予備校を選ぶときに、候補にすら入らない可能性も高いわけです。みすず学苑があんなCMをやらなければ。知名度はもっと低かったでしょう。でも、逆にあんな斬新な内容にしたがために、みすず学苑という存在は否が応でも、予備校選びのときに思い出しますよ。そして、詳細について調べる人が増えるということになります。つまり、視聴者の記憶に残すことが重要という意味では、インパクトしかないあの斬新なCMは本当に大きな広告効果を持っていると言えるのです。何が言いたいのか?はさっぱりわからないが、「何が言いたいのか?さっぱりわからない」という印象は強烈に残るのです。炎上とは違うけど、悪い意味で評判になりやすいCM内容ではあるが、CMを見て評判などを調べると意外と普通の予備校だということに気付くはずです。実際、みすず学苑の評判を調べると、良い声が結構多く見つかりますから。すげー怪しいと思っていたけど、あれ?なんだ普通の予備校じゃないか!と下がっていたハードルをすごい勢いで高く飛び越えられたような感覚になるわけです。変わっているのはCMだけで、実は普通の予備校だったということで、みすず学苑は経営戦略が上手いなと私は思っています。

 

そういう感じで、みすず学苑のCMは作り手の頭が良いなと個人的には思っていますし、それとは関係ない炎上商法に関しても、私は頭が良いと思っている。やっているのは頭が良い人たちが多いと思います。炎上商法は成功例もあるが、絶対に成功するわけじゃない。逆効果もありえるが、炎上商法のアンチがいる限りはやる企業や人はこれからも存続するでしょうし、マスコミの存在もでかいので、炎上商法は日本だけじゃないけど、世界で当たり前のビジネスモデル、宣伝の手法になると思うのですよね。お金や手間をかけないで勝手に自社や自分の知名度が広がるわけですから。私は炎上商法を気持ち悪いとも思わないですし、嫌いでもないです。そして、私は炎上商法を意図することはないだろうが、炎上商法は私は全く否定しませんし、肯定している感じでもある。最近よくある芸能人の不倫から謝罪の流れも、これもそこを狙っているのかな?と思えてきてしまう部分もある。全員が意図しているとは思わないが、売名行為のためにやっている人がもしかしたらいるかもしれないのだ。でも、それも芸能界で生き残るためにやっているならば、1つの策と言えるのでしょう。

 

ネット炎上の研究

ネット炎上の研究

 
対論 「炎上」日本のメカニズム (文春新書)
 

 

あわせて読みたい記事

東北大学の偏差値や倍率は高く評判は良い?センターの足きりのボーダーラインや配点比率の情報など

旧帝大の中でも理系の活躍が目立つ印象があるのが東北大学です。東北地方ではナンバー1に位置付けられている大学になると思いますけど、この東北大学の偏差値は相当高いです。旧帝大はどこも難しいのですが、旧帝大の中では本当に難しい大学の1つである東北大学は全体的に理系が充実しています。文系は4つの学部しかありませんが、理系は6つの学部があります。文系に関しても難易度は高いです。河合塾の偏差値で60~67.5くらいになるので、国公立大学ということを考慮するとかなり高い偏差値になるのではないか?と思います。理系の偏差値も同じくらいです。文系学部と同じくらいですが、理系の方が難易度が高いかもしれないです。東北大学は理系においても評判が高いです。文系がダメというわけではないですけど、国立大学はどうしても理系の方が規模が大きいですし、話題にもなりやすいのです。東北大学の評価は高いですし、学生の評判も高いと言うことが言えます。だからこそ難易度が高いと言うことも言えるのですが、東北大学に入りたい人はこの高い偏差値の中で戦っていかないといけないので、センター試験の対策から、二次試験の対策まで大変だと思いますけど、本当に勉強をしていかないといけないということになります。東北大学のレベルは本当に高いのですが、人気の大学でもあり、評価も高いということで、東北大学に憧れる人も多いと思うので、受験する人は多いのです。そういった部分をまずは知っておきましょう。

 

東北大学センター試験での足きりというのはどうなっているのか?というと、学部によって違います。パスナビに載っている東北大学センター試験の得点率を参考にすると、文系学部の東北大学センター試験の足きりのボーダーラインは8割くらいですね。これは前期日程になりますが、8割弱~8割くらいが足きりのボーダーラインとなっています。後期日程は経済学部しかないようなのですが、83%くらいとなっているので、やはり少しは難易度が上がります。東北大学の評判は高いだけにやはりボーダーラインも高く感じるのではないか?と思います。東北大学センター試験の足きりのボーダーラインの数字は高いですけど、旧帝大にしてはそこまでではないと感じる人もいるかもしれません。理系の方は学部によって違いますが、工学部、農学部、薬学部、歯学部あたりは8割前後ですね。ただ、理系では理学部のみが後期日程が存在し、こちらは90%程度となっています。医学部は7~9割くらいと幅広いですが、高いと9割近く必要なので難易度は高いということになります。したがって、東北大学センター試験の足きりのボーダーラインは学部によってちょっと違います。特に医学部は高いので知っておいてほしいと思います。ただ、東北大学では足きりがあるか?は分かりません。医学部は倍率が高いですし、足きりがある可能性はありますけど、それ以外の学部は微妙ですね。東北大学ではセンター試験の得点率がある程度ないと二次試験に進めない可能性もありますけど、どの学部を受ける人もこういった一定のボーダーラインを目指していくと良いと思います。東北大学の難易度は高いので、センター試験の対策が本当に必要と言えます。

 

東北大学の難易度に関してはやはり倍率は知っておきたいです。東北大学の倍率はどうなっているのか?というと、前期日程に関しては概ね2~3倍程度となっていますから、高くはありません。ただ後期日程についてはちょっと高めです。したがって、国立大学なのでそこまで倍率が高いわけではないですけど、国立大学の中では倍率が高いと言える面があるということなのです。東北大学の倍率に関しては過去の傾向としては参考程度に見ておいてほしいと思いますけど、東北大学の難易度を決めうる要因になるのでチェックはしておきましょう。でも、倍率は少なからず変わるので、過去の倍率はやはり参考程度に考えておくのが良いと思います。東北大学の偏差値の違いも重要ですが、倍率の違いに関しても学部ごとの違いに影響するので、東北大学の倍率については受験生はチェックしておいてほしいのです。東北大学ではどの学部も難しいので、入りやすい学部などはほぼないと思いますけど、偏差値を見ながら、過去の倍率をチェックすると、東北大学の相対的に入りやすい学部が見つかるかもしれません。東北大学に入りたい人は学部選びでもかなり合格率が変わるので、どの学部を受けるか?は特に真剣に考えないといけません。東北大学の入りやすい学部は文系に関しては教育学部かな?って感じがします。偏差値においても、センター試験の足きりのボーダーラインの目安においても相対的に低いのが教育学部です。

 

センター試験を受けないといけない国公立大学は、センター試験も重要ですが、二次試験も重要です。東北大学の偏差値は高いですし、受かるのは大変なわけですけど、国公立大学の場合には二次試験まで考えないといけないので、そこが難しいです。東北大学センター試験の対策については、ある程度やれば点数は上がってくると思いますけど、記述式がある二次試験はやはり特殊です。入試科目も学部や日程ごとに違うと思いますから、そういったところは調べておきましょう。東北大学センター試験の足きりのボーダーラインを超えても、二次試験に受からないといけないという意味では、配点比率の情報は頭に入れておいてほしいです。東北大学のセンターと二次の配点比率はどうなっているのか?というの儲かるのに重要な情報です。センターと二次の配点比率によって、人によって東北大学に受かる難易度が変わりますから。センターと二次がどっちが得意か?によって、配点比率の割合で受かる確率が変わります。センター試験が得意な人は配点比率でセンターの割合が高ければ有利になりますし、その逆というのもあります。配点比率を調べたうえで受験する学部や日程を決める人もいるかもしれません。いろいろなときに使えるので、東北大学のセンターと二次の配点比率は重要なのです。東北大学に受かりたい人はこういった情報もチェックしておきましょう。

 

東北大学センター試験と二次試験の配点比率については「東北大学/一般入試(科目・日程)|大学受験パスナビ:旺文社」のページに載っているので、そこから確認をしてもらうと良いと思います。東北大学は難易度はかなり高いです。旧帝大なので当然と言えば当然ですが、東北大学に入りたい人は本当に対策をしっかりとやらないといけないのです。東北大学の偏差値などでレベルが認識できると思いますが、偏差値を見なくても難しい大学なのは誰もが知っているでしょう。しかし、学部ごとに難易度は少し違っていると思うので、学部間の偏差値の違いなどは調べておくと良いと思います。旧帝大ということもあり、東北大学の評判はかなり高いです。それだけ人気もありますし、倍率も高いと言える面もあります。東北大学に受かりたい人はいろいろな入試情報を調べて、東北大学に受かるための対策をしていきましょう。東北大学に受かるにはセンター試験の過去問対策も重要ですし、二次試験の過去問対策も重要になります。東北大学の赤本が売っているので、そういったものを使って対策をしていくと良いでしょう。あと東北大学のレベルになると、科目別に絞った過去問対策の本も出ているようなので、そういったものを使っても良いかもしれません。以下のリンクに載せておきましたから、そういった本で対策をしていくと、東北大学に受かりたい人は少しでも可能性が上がるかもしれないのです。

 

 

東北大学(理系―前期日程) (2018年版大学入試シリーズ)

東北大学(理系―前期日程) (2018年版大学入試シリーズ)

 
東北大学(文系―前期日程) (2018年版大学入試シリーズ)

東北大学(文系―前期日程) (2018年版大学入試シリーズ)

 
東北大の理系数学15カ年[第5版] (難関校過去問シリーズ)

東北大の理系数学15カ年[第5版] (難関校過去問シリーズ)

 
東北大の英語15カ年[第5版] (難関校過去問シリーズ)

東北大の英語15カ年[第5版] (難関校過去問シリーズ)

 

 

あわせて読みたい記事

他人の臭いにうるさい人はなぜ鼻栓をするという発想を持てないのか?

「スメルハラスメント」なんて言葉があるのだから、人間は臭いにうるさいってことなんでしょう。特に電車やバスの中といった人が密集する場所においては、その問題は顕著みたいですね。そんなニュースが「電車でお菓子を食べる子供を男性が注意 母親のひどすぎる反論に「スカッとしない」の声 | ニコニコニュース」に載っていたのだが、このニュースを見て、私はとんでもなくくだらないことで騒いでるんだな(笑)と思ったけどね。スメルハラスメントって、本来は別に大した問題でもないのに、何でこんなに騒ぐのかな?対策が容易なのに、何でそれをしないのかな?というのが不思議でしょうがないのです。

 

>多くの人が利用する公共交通機関だが、ルールをマナーをめぐってトラブルになることも珍しくない。とくに、まだ幼い子供をめぐってはさまざまな問題に発展することも。 この問題について、女性限定匿名掲示板『ガールズトーク』でのとあるトピックが話題になっている。

投稿者が乗っていた電車内で、幼児がビスケットを食べていたようだ。甘いニオイが車内に充満しはじめると、幼児の隣に座っていた中年男性が「クサいから今すぐしまえ。公共の場で迷惑だ!」と子供に激怒したという。

すると、幼児の母親が「アンタの体臭も相当ヤバイけど? 迷惑なんだけど!」と中年男性に反論。その結果、車内がシーンと静まってしまったとのこと。 その様子を見ていた投稿者は「たしかにビスケットは甘い香りがしてたし、おじさんも確かにクサかったし」と両者の言い分も理解できるとしたうえで「どっちも間違っちゃいないけど、なんか微妙な感じでした」と複雑な思いになってしまったという。

 

一方がお菓子の臭いが気になって、もう一方が指摘した人間の体臭が気になっていると。少なくとも、お菓子を食べていた子供の親は、あくまでも臭いを指摘されたことに対して反論として体臭を指摘したのだから、元々は指摘するほどのものとして感じていなかったか、感じてはいたが許容してたか、のどちらかでしょう。この状況を見ると、子供が食べていたビスケットの臭いを最初に指摘した中年男性がまず問題だと個人的には思っている。というのも、スメルハラスメントは対策が容易だと書いたけど、この状況でも容易なわけですよ。鼻栓をしておけばい良いんですよ。鼻栓をすれば基本的に強い臭いもほとんど感じないと思うので、この中年男性はそもそも迷惑に感じることはなあったと思うんです。逆に言えば、体臭が気になる側としても、鼻栓をしておけばよかったのです。これで万事解決じゃないですか?だから、何でそんなことも思いつかないのか?何でそんなことをしないで他人の臭いを指摘しているのか?が私には理解できません。社内でお菓子を食べるのが禁止されている状況なら良いんだけど、そうじゃないならばお菓子を食べるのが迷惑だとしても、それをやっちゃいけないと指摘する側に正当性はありません。迷惑だからが理由ならば、中年男性の体臭も迷惑なのは一緒なのです。

 

「身体的な問題を指摘してはいけない」という声もあるようだが、身体的な問題だろうが、なんだろうが迷惑行為には違いないのだから、努力できる限りはすべき。という反論は間違っていないだろう。体臭はしょうがないが、お菓子に臭いはしょうがなくないというのは、それを主張する人の勝手な感情論でしかないので、正当性はない。都合の良い部分で線引きしているだけなのだよ。体臭というのは加齢臭になどで、全員が少なからず発生させてしまうものであり、全員が自分もその加害者になりうるものだと認識できるから、「しょうがないもの」と結論付けたいだけ。一方、車内でお菓子を食べたい気持ちというのは、全員に生じるものではないので、そんな気持ちにならない側からすれば、その気持ちが理解できず、それは「しょうがなくない」のだから我慢しろという発想になるのだろう。いわゆる少数派の気持ちが理解できない層は、こういうことを言う。LGBTへの理解の問題にも関係していると思うが、多数派の迷惑はしょうがないが、少数派の迷惑は悪いことという都合の良い線引きをする人間が日本人(世界も同じだろうが)にはたくさんいるんだろうということは、とっくのとうに気付いていたが。だから、この記事のタイトルにも母親の反論が「ひどい」なんて形容詞がついているんだろう。体臭を指摘する側は「ひどく」て、お菓子の臭いを指摘する側は「ひどくない」ならば、多数派と少数派で単に分けて、都合の良い線引きをするだけ。体臭で迷惑をかけてしまうのがしょうがないことだとしても、迷惑をかけているのが事実ならば、他人の迷惑も許せば良いのに。と私は思うが、なぜか少数派の迷惑は許さない姿勢の人が多くいるんですよ。

 

現実的には体臭を迷惑だと思っている側が鼻栓をすべきだと、私は思うが、そうなるとお菓子の臭いが迷惑だと思っている側も鼻栓をすれば済む問題なのだ。体臭の強い人が乗車してはいけないルールもないだろうし、お菓子を食べる行為が一応禁止されていないならば、どっちの行為も「問題ない」わけで、それに嫌悪感を抱く側が自分で対策をするのが筋なわけだから、お互いが鼻栓をすれば良いという結論は、1番しっくりくると思いますけどね。実際、家にカギをかけたりするわけでしょう?それは泥棒に入られないようにするための対策なわけですよ。そうやって自分の身を守るために、自分で金や手間をかけて対策をしているのが当たり前なわけだから、鼻栓を自分で買って臭いから身を守るための対策をするということが、そんなに不自然なことには思えません。鼻栓をすれば万事解決の問題なのに、その指摘を誰もしない方がすげー不自然に感じる。家にカギをかけるのはみんながやっているから、当たり前の行為だから自分もやるが、臭い対策のために鼻栓をする行為は誰もやってないし、当たり前でもないからやらない(やるという発想にならない)というのは、要するにみんながやっている行為に追随することしかできないってことを示してしまっているわけで、それは改善した方が良いのでは?と思いますけどね。

 

 

あわせて読みたい記事