就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

「過労死は自己責任」が炎上する日本って、実はかなりヤバイ状態だと思う

「過労死は自己責任」とツイートした人が以前炎上して、批判が殺到していましたが、これが炎上するってことは、日本はもうおしまいってことだと思います。現状を変える気が全くないんだろうし。過労死が自己責任というのは、理屈で結局正しいことを説明できるのです。つまり、過労死って避けようと思えば避けられるはずなんですよね。結局、元をたどればブラック企業に入ってしまうことが問題とも言える。じゃあ、なぜブラック企業に入ってしまうのか?それはみんながみんな就職を目指してしまうからです。元をたどれば、原因の根幹はそこにあるわけ。大学を卒業したうちのかなりの人が就職を目指すわけでしょう?私もその1人だったけど、当時の私を今の私が見たら、本当に何も考えない回りに流されるダメな人間だと評価するでしょう。結局、みんなそうなんですよ。就職なんかするからそうなるんですよ。みんなが同じ働き方しかしないのがそもそも原因で、就職する人が減れば、採用希望者の絶対数が減るので、待遇の悪い会社じゃないと採用されない人が減り、ブラック企業にしか就職できない人が減ります。そして、人を採用できない企業は潰れるか、採用できるまで待遇を改善するか?するわけだ。つまり、ブラック企業が消えるか?ブラック企業ホワイト企業に近づくか?のどっちかが起きる。

 

つまり、社会全体の共同責任という言い方もできるが、ブラック企業がそもそも存続する理由、ブラック企業に就職してしまう理由は、就職しか選択肢にない、頭にない人間が多すぎることであり、それは結果的にブラック企業に就職してしまう人や、過労死に至る人も抱えている原因であると。過労死という結果から逆算すると、就職しか視野にない人がそもそも原因であることが分かる。お互いにお互いがブラック企業に就職してしまい、そこで過労死するという可能性を高め合っている状態なのだ。また、就職してからも仕事がきついということは分かっているはずだが、そこを辞めないのも原因の1つである。辞められない理由は、仕事がなくなれば、お金がなくなり、生活ができないという未来が容易に見えるからだろうが、それがブラック企業を辞められない理由なんかにはならないことは「ブラック企業で働き続ける人はなぜ社会から悪者扱いされないのか?という疑問 - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事で以前説明した通りだ。これが通るならば、犯罪者が犯罪で生計を立てているときに、それを辞められないことも正当化できる。また、ブラック企業だって競争に負ければ会社がつぶれるから経営者含めてみんなが困るわけだから、生活に困るが理由でブラック企業が辞められないが正しいならば、ブラック企業がブラック労働の強要を辞められないのも同じ理由で正当化できる。つまり、世間はブラック企業だけを叩くけど、ブラック企業ブラック企業で働いている人間も同罪であり、ブラック企業だけ叩くのは単なる弱いモノいじめだ。せこいとしか言いようがない。それに生活に困る恐れがあるならば、生活保護を申請すれば良い。しかし、過労死する大半の人は仕事を辞めないで、生活保護も受給しないで、過労死するのだから、とりうる手段がそこにあるのに、それを実行しないで過労死すれば、それは擁護できる余地はほとんどないですよ。

 

生活保護を受給しづらい雰囲気とか、洗脳に遭って辞められないという人もいるかもしれないが、だったらそもそも就職の時点でそこを考慮しておくべきなんですよ。ただ、生活保護を受給しづらい雰囲気は当の本人も作り出している可能性は否定できないがね。生活保護たたきをする輩は多いからね。つまり、ブラック企業に就職したら、そういった理由から結果的に過労死に至る可能性が高まるのだから、じゃあそもそもブラック企業に就職しないようにしよう。と考えるべきだ。洗脳されてしまうのだからしょうがないとか、何の言い訳にもならない。酒に酔って病院で物を壊したプロ野球選手がいましたけど、あれが叩かれたってことは、酒に酔っていて無意識のうちにやってしまった行為であっても悪ということなのでしょう。つまり、酒に酔うとそういう悪質な行為をするかもしれないならば、それを避けるには方法は1つしかない。それを見越して酒を飲むのを辞めるべきって結論になるわけですよね。酒を飲む以上、泥酔状態になるかもしれない、何をするか?分からない状態を100%避ける方法はないのですから。そもそも酒を飲んでいる以上は、善悪の判断が徐々につきづらくなり、ああいった泥酔状態になって何をしでかすか?全員が分からないのだから、今のところ問題行為を起こしていない人間でも、酒を飲んでいる人間は私は全員同罪だと思っていますよ。

 

その理屈で言うならば、洗脳されてしまい、無意識のうちにブラック企業でこき使われて過労死するかもしれない、働き続けることでブラック企業の延命に貢献し、社会に迷惑を与えるかもしれない予見は、今の時代は誰でもつくでしょう。だったら、それを見越して対策をしろと言えますよね。酒に酔った状態で、本人が意図しないで暴れてもダメならば、洗脳された状態で本人が意図しないでブラック企業で働き続けて、ブラック企業の延命に貢献するのも当然ダメだ。社会にとって害悪なのはどっちも同じなのだから。ブラック企業にしか就職できなかったらどうしよう?洗脳されたらどうしよう?と思うならば、就職以外の選択肢をあらかじめ考えておくべきとなる。就職以外の選択肢を考え、それを実行に移し、それでもうまくいかなかったから就職をしたという人であれば、まだ自己責任ではない余地も残る。全員が仮にそういった行動をとれば、就職する絶対数は間違いなく減りますよ。会社に就職すれば社畜になる可能性が高く、過労死する確率が一定で生まれるのは誰でも分かるだろう。自分がそうなることはないだろうと油断をするから、みんな就職するんだろうけどさ。しかし、学生の時点で自分が過労死するかもしれない可能性を極力下げるための努力をすることができるのに、それをほとんどやらないで就活オンリーで考えているのだから、これは自己責任ですよ。社会全体で学生時代に就活オンリーの進路じゃなくて、自力でお金を稼ぐことを考えておけば、それでうまくいく人が一定割合いるはずで、就活に参戦する人がそもそも減りますから、就職する人の絶対数が減るんですよ。そして、その結果としてすでに話したようにブラック企業自体が減ります。その仕組みがあるのに、みんなブラック企業を存続させる、助長させる方向に動いているのだから、そりゃ世の中は酷くなる一方でしょう。

 

その状況に貢献している人が、恐らくあのツイートの炎上に加担していたんでしょう。世の中のほとんどの人は雇われて仕事をしているのだから、確率的に考えて「過労死は自己責任」のツイートを炎上させていた人たちは、ブラック企業で働いている可能性が十分に考えられる。自らの行いがそもそも誰かの過労死の原因にすらなっているのに、その状況でこの正論を叩くというのは、信じられない。過労死に貢献している人が、このツイートを叩き、過労死は自己責任であるという発言がおかしい暴言として社会で扱われたならば、過労死に至るメカニズムは完全に放置されたままであり、この先も改善することはないでしょう。ブラック企業ホワイト企業をどんどん駆逐していくので、社会全体のブラック企業の割合は高まる一方です。つまり、ほとんどの会社がブラック企業になる日も近いってことです。日本はおしまいってことです。過労死やブラック企業に勤めてしまうことは、自らに原因があるということを認めて、認識しないと、当然ながら彼らが自分で根本的な改善策を行うことは考えづらい。彼ら本人が改善策を実行しなければ、基本的に労働環境は変わりません。そして、改善策を多くが実行すれば、意外と簡単に労働環境は変わるだろう。ただ、現状はこういうツイートが炎上して、ツイートした本人が叩かれて終わり。何も変わらない。日本は没落していくだけ。その原因はブラック企業で働く連中ですよ。

 

 

 

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ドラゴン桜2とドラゴン堀江を見ているとまだ大学を受験したくなってくる?

ドラゴン桜2が今年から新たなに刊行され、そのすぐ後にドラゴン堀江なる企画がAbemaTVで放送されています。去年田村淳氏がやっていた青山学院大学の受験企画を受けて、今年もAbemaTVでは受験企画をやっていますが、それがドラゴン堀江です。ドラゴン堀江とドラゴン桜2は奇しくも状況が非常に似ている。ドラゴン桜の第1弾は私が高校1年生のときに出会い、そこから当時のクラスメイトに勧められて読み始めた。その翌年にはドラマ化され、それが2年生のときで、その翌年に私は大学受験をすることになる。ドラゴン桜はどちらかというと、ドラマでよく見ていて非常に面白かった。しかし、東大への興味は一切わかなかったけどね。あれから10年以上が経ち、ドラゴン桜2としてよみがえったのだが、今回の設定は東大合格者を実際に出したかつてのバカ学校が進学校化しているという状況で、底辺レベルの学力の生徒はいない。偏差値で言えば50以上はあるような生徒を対象とし、2020年に変革を迎える大学入試を意識した内容になっており、今回も生徒を東大合格へと導かせるわけだが、ドラゴン桜第1弾のときとは時代が違い、文明の利器も異なっているため、勉強の仕方も全く異なっている。

 

それが今回のドラゴン桜2の面白いところだろうか?そして、ドラゴン堀江も実は同じような状況である。自身が東大に合格したことがあるホリエモンが指導役となり、3人のくすぶっているタレント、芸人を東大に合格させようとする企画であるが、その生徒の3人の学力レベルは決して底辺ではない。受験から時間が経っているから学力は大分落ちている可能性はあるものの、早稲田、立教、明治の出身者が対象なのだ。そして、ホリエモン自身も今回は東大を受験するという。つまり、ドラゴン桜2もドラゴン堀江もすでに学力をある程度持った人間を指導するという点が共通しているのだが、視聴者からすると魅力的じゃないかもしれない。な~んだと思うかもしれない。受験生のときに早稲田、立教、明治のレベルに受かる学力を持っている生徒らが東大に受かってもあまり感動しないというか、すごみはないんじゃない?と思うかもしれない。実際、どうせならすでに学力がある奴じゃなくて、現役高校生にやらせろ的なコメントがありましたが、多分この人たちは頭悪いと思いますよwイメージで物事を判断しちゃうタイプの人間なんでしょう。本質的なことを考える力がない人たちですよ。偏差値30の人と偏差値50の人がどっちが東大に受かりやすいか?と言えば、私は一緒だと思う。東大に受かりやすいか?どうかの判断材料はスタート地点の学力ではない。強いて言うならば、スタート地点の学力が低い人の方が東大に合格までの学力を備えるための時間はかかるということだけであり、それは=難易度の差ではない。

 

それに時間がかかるというのも、勉強時間をどれだけとるべきか?という問題は今の学力に応じて比例的に各自で多くしたりするのだから、結局勉強時間の違いによって、スタート地点の偏差値の違いはどんどん差が埋まってくる。勉強はいつ始めても良いし、1日何時間勉強しても良い。偏差値が相対的に劣っている人は、相対的に高い人よりも早く始めて、より多くの勉強時間を1日で確保すれば良いだけ。そして、東大の偏差値が70だとして、50から70に偏差値を上げるのは相当難しいと思う。しかし、30~50は意外と難しくないというか、50~70に上げる作業と比べたらとてつもなく簡単だと思う。つまり、偏差値が30の生徒は50の生徒と比べて遅れをとっているだけであり、遅れをとっているならば、その差を埋めればいいだけだ。そして、その差を埋めることはそんなに大変か?難易度が高いだろうか?と言えば、時間さえかければなんとかなるだろう。つまり、偏差値30の人が偏差値50の人よりも受かりづらいとは言えない。だから、偏差値が低い人を対象にしていようが、いまいがあまり関係ないでしょ?そんなところどうでも良いでしょ?ということは言っておきたい。

 

それに早慶やMARCHレベルの人が東大に受かることができれば、じゃあ早慶やMARCHレベルに学力が上げられれば、そこから東大レベルにも上げられることも現実的に可能だということ。つまり、早慶やMARCH合格=東大合格も現実のものとして見られるわけですね。現実的にはドラゴン堀江は今年度の受験までの期間が短いため、ある程度の学力を持っている人たちを揃えた感は否めないが。しかし、私が言いたいのは偏差値70の人が東大に受かるということと偏差値30の人が東大に受かるということはすごみは変わらないってことですよ。偏差値70の人も偏差値70までに上げるためのプロセスはどこかで絶対にあったはずだ。それが受験勉強を始める前だったという話でしかない。つまり、偏差値というか学力を高めて東大に受かるレベルにもっていくというプロセス一緒であり、到達時期が違うというだけの話なのです。そういった意味では2つとも容易に楽しむことができるんじゃないか?と思う。

 

そういった話はどうでも良いんだけど、いずれそのうち私も大学を受験するかもしれない。私が結局、ドラゴン桜2やドラゴン堀江を見ているということは、大学受験にまだ執着しているということ。第1志望の大学に受からなかったからね。私は大学をまた受けることになっても、東大を受験する可能性は低いと思う。東大に受かりたいという気持ちがほとんどないからだ。東大にさほど魅力を感じないっていうのが本音かな?私は受験生の頃も私立大学しか受けていない。全て都内の有名大学のみ。その中で受かった大学があったから進学したのだが、学歴コンプレックスがあるわけではない。第1志望ではないとはいえ、母校には愛着を持っている。しかし、受験の結果には納得していないのだ。言ってしまえば、受験生当時の私は相当なバカであり、効率性や合理性を一切無視して勉強していた。そういった意味ではよくあのレベルの大学に受かったなとは思いますけどね。私の出身大学は当時から偏差値は高かったが、ここ数年本当に難しくなっている。文科省のあれの影響もあるんだろうけど。そういう意味では、時代が違えば私は母校に受からなかった可能性が大いにあるのだ。そのくらいの学力だったということ。今度受けるときがあれば、第1志望に受かりたいものですね。マジで難しいところを第1志望にしていたからね。私立大学の偏差値表が当時の高校の教室に貼ってあったけど、1番上らへんに書いてある大学学部だっと思う。私はドラゴン桜やドラゴン堀江を見たから大学を受けたくなったというよりは、大学受験への執着があるから、ドラゴン桜やドラゴン堀江を見ているのだろうなと思っている。

 

ドラゴン桜2(1) (モーニング KC)

ドラゴン桜2(1) (モーニング KC)

 

 

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駒澤大学の偏差値や難易度と倍率が上昇!立地の評判やボーダーラインの問題について

駒澤大学と言えば、東京都世田谷区の駒沢にある立地的にも結構恵まれた部分がある大学と言えると思います。渋谷、三軒茶屋といった街に囲まれた場所にキャンパスがあり、全学生が駒沢キャンパスで学んでいます。そこが駒澤大学の評判として高い部分です。キャンパスの立地は評判においてかなり重要ですから。したがって、キャンパスの立地条件は良いと言えます。そういった部分の人気もあると思うので、駒澤大学は中堅大学ではありますけど、偏差値は高いと感じられる面もあるのです。近年は首都圏の有名私大がどこも難しくなっており、駒澤大学も例外ではないということも言えるでしょう。だから、駒澤大学の難易度は皆さんが思っているよりも上がってきていると思っておきましょう。駒澤大学の偏差値について見ていくと、そういったところが実感できるでしょう。駒澤大学の学部別の難易度を理解していくと、受かりやすい学部なども把握できるでしょう。どの学部を受験するか?迷っている人は学部ごとの偏差値から決めるということも1つの手段になります。

 

駒澤大学の学部ごとの偏差値は?

駒澤大学は中堅大学という認識の人もいますが、結構難しいです。河合塾における駒澤大学の偏差値に関して、学部ごとに違いを挙げるとすれば、仏教学部は40台前半から中盤くらいなので、大東亜帝国のレベルかもしれません。しかし、それ以外の学部は50代前半から中盤くらいあるので、普通に難易度は高いのです。偏差値で抜けた学部はありませんけど、文学部の日本史学科は偏差値が高く、57.5という入試方式もあります。ここまでくるとMARCHの下位レベルにもなってきます。文学部は偏差値が50.0~57.5くらいあって幅広いので、学科ごとに全く難易度が違うということになります。それ以外では法学部、経済学部、経営学部、グローバルスタディーズ学部がありますけど、こういったところは50.0~55.0くらいなので、文学部とさほど変わりませんが、文学部と同様に学科ごとに偏差値は違うということです。駒澤大学の偏差値を見ると、仏教学部は特殊なので除きますが、それ以外の文系学部では50.0~57.5まであるので、かなり難易度に差があり、50.0のところは受かりやすいと言えるでしょうけど、55.0や57.5のケースではかなり難しいです。駒澤大学の評判が上がってきている、日東駒専に受験者が集中しているという状況が見て取れます。

 

駒澤大学の受かりやすい学部は仏教学部と言えますけど、それ以外では50.0の学科でしょう。文学部の地域環境学科、経済学部の商学科、現代応用経済学科、法学部の法律学科、政治学科などです。これらの学部学科は偏差値が50.0のケースがありますが、入試方式によるということになります。駒澤大学では前期試験、T日程、全学部統一の3つがありますけど、文学部の地域環境学科はT方式が50.0で、経済学部の商学科は全学部統一が50.0で、現代応用経済学科はT日程と全学部統一が50.0で、法学部の法律学科は全学部統一が50.0で、政治学科はT方式が50.0となっています。偏差値はころころ変わるので参考程度に考えてほしいですけど、大幅に一気に上がることは考えづらいので、このあたりが駒澤大学での受かりやすい学部になるかな?と思います。すでに話したように、今の日東駒専は10年くらい前でいうところのMARCH下位レベルくらいはあると言えると思います。特に東洋大学日本大学の文系学部は偏差値が高まってきていますし、駒澤大学専修大学も上がっているので、東洋大学日本大学との差はありますが、それでも10年くらい前と比べたら難しいです。MARCHに関して言えば、10年くらい前だと青学とかで57.5とか結構ありましたからね。それが今では60.0や62.5ばかりになってきて、他のMARCHの大学も少しずつ偏差値を上げてきており、MARCHの穴場と言われた法政大学や中央大学でも、57.5の学部学科は減ってきています。文科省のあれも原因ですけど、MARCHや日東駒専は受験生の学力のボリューム層なので、こういったレベルの大学は人気が集中しやすく、難易度が上がってしまったのでしょう。

 

駒澤大学の一般入試の倍率はどうなっている?

駒澤大学の難易度を調べたい人はやはり倍率も把握しておく必要があります。すでに話したように、首都圏の有名私大はどこも難易度が上がっており、偏差値だけじゃなくて、倍率も数年前と比べたら格段に上がっていますから、本当に難しいなと感じます。駒澤大学の一般入試の倍率を見ると、評判をチェックできると思います。人気の程度が分かります。入試方式や学部学科で倍率は異なっていますが、全体的に倍率は高いです。数年前と比べたらヤバイ位に倍率が上がってますよ。仏教学部はいずれの入試方式でも2倍前後くらいなので、そんなに高くはないものの、それ以外の文学部、法学部、経済学部、経営学部、グローバルスタディーズ学部、医療健康科学部は倍率が特に高いです。学部学科、入試方式ごとに結構バラバラなので、傾向のようなものはありませんが、仏教学部以外の文系学部に関しては、どんなに低くても5倍程度はあります。高いと10倍を超えています。大きく分けて全学部統一と2月入試、3月入試があります。2月入試はさらにT方式とS方式に分かれている場合もありますが。この中で言うと、3月入試は倍率はおおよそ10倍越えです。ただ、3月入試は実施していない学部学科も多いですが。そして、全学部統一と2月入試の倍率は学部学科ごとにかなり差があり、5~10倍程度です。低くて5倍前後、高いと10倍近くという感じです。だから、偏差値も上がってきていますが、駒澤大学の倍率は上昇傾向にあります。受かりやすい学部を受けたとしても、これだけ倍率が高いとなかなか受からないでしょう。

 

駒澤大学への評判というか、人気は上がってきているのが分かります。現実的には大学受験自体が難しくなってきているので、確実に受かるだろうところ、抑えを多く受ける人が増えてきており、そのために早慶が本命の人はMARCHを多く併願し、MARCHが本命の人は日東駒専を多く併願するといった状況なわけですけど、駒澤大学の倍率を見ると、難易度は本当に高いです。偏差値は十分に満たしていても、B判定以上が常時出ているとしても、落ちる人はかなりいると思います。駒澤大学の受かりやすい学部でも難しいと言えると思います。センター利用入試のボーダーラインについても偏差値同様に上がってきています。数年前までは7割を切っても受かっているケースはありましたが、今では駒澤大学のセンター利用のボーダーラインは文系は7割前半から7割後半になっています。仏教学部が6割、医療健康科学部が7割くらいですが、それ以外の学部はセンター利用のボーダーラインで7割前半くらいは最低でも必要なので覚えておきましょう。駒澤大学のセンター利用のボーダーラインを見ても、難易度が上がっていることが実感できます。キャンパスの立地がよくて、渋谷や三軒茶屋という都内を代表する場所に近い点も学生の評判を呼んでいると思いますけど、いずれにしても駒澤大学は難しい大学になりつつあり、簡単には受からないので、対策をしっかりとやっていきましょう。

 

駒澤大学(一般入試T方式・S方式) (2019年版大学入試シリーズ)

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駒澤大学(全学部統一日程入試) (2019年版大学入試シリーズ)

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宝くじは愚者の税金、バカが買うもの?当選してもしなくても不幸なのになぜ買うのか?

日本ではなぜか宝くじがよく売れるということがあります。何で宝くじを買うのでしょう?宝くじをなぜ買うのか?といえば、お金が欲しいから?お金を手にしたら幸せになれるとでも思っているんですかね?(笑)とマジで思う。私が最初に言っておきたいのは、仮に数億円レベルのお金が当たったとしても、それが幸せな状態とは思えない。いやいや、そんなことないだろう!って言うかもしれないけど、そこに大きな問題が潜んでいる。宝くじをなぜ買うのか?の理由が高額当選を狙っているからならば、例えば3億円あれば幸せに暮らせるはずだと思う人がいると思うんだけど、それって例えば年収が数百万円レベルの人が言うと思うんですよね。年収数百万円のレベルの人からすると、確かに3億円はでかいです。でも、年収数百万円のときに感じる3億円と、3億円を手にした後の3億円は価値が全く異なって感じられると思います。ここに宝くじを買う人は不幸になる仕組みが存在しているのです。

 

年収数百万円の人にとって、3億円は非日常的な金額ですが、3億円を手にしてしまった人にとって、手元に大金があるという状況は完全に日常の光景になってしまいます。つまり「慣れ」が生じるのです。年収1億円の人が1億円を毎年稼ぐのは日常でしょうから、特に感動もないだろうし、それと同じなのです。つまり、3億円を手にしても、慣れたらそれが普通になるだけ。むしろ、3億円を手にしてしまって、それを使い切ってしまったら、また年収数百万円時代の生活に戻ってしまいます。3億円を狙って、宝くじを買う人がいるが、こういう光景を見ると、私は宝くじはバカが買うものという世間が揶揄する声に、共感できてしまうのです。宝くじをなぜ買うのか?買わない人はその仕組みを理解しているのかもしれないが、買う人はそこまで考えていないという可能性もあります。仮に死ぬまで3億円をギリギリ残しておける使い方ができたとしても、毎年同じような金額を少しずつ使っていくことになるので、長期的に見れば完全にそのお金の使い方は日常になりますから。高額当選を果たす前と大して幸福度合いは変わりませんよ。高額当選を果たす前には、その当時の日常があったわけで、高額当選を果たした後も大金が手元にあるという日常が続くだけです。

 

つまり、宝くじで高額当選をしたとしても、その幸せのピークは当たった瞬間で、そこからどんどん幸せな気持ちは下がっていき、宝くじが当たる前の幸せの度合いと同レベルまでいずれ戻ります。そして、3億円を使い切ってしまったら、今度は3億円があったときはあんな贅沢ができてね・・・とか、そういった気持ちになってしまう可能性があり、それは宝くじが当たる前の気持ちと比べて、不幸の度合いが大きいと思います。3億円当たらなければ、昔を思い出すこともなかったが、3億円を手にしてしまったから、3億円あったときと今を比較してしまい、勝手に不幸を感じるような状況が生じてしまうのです。そういう未来への想像力がないから、宝くじはバカが買うものと言われてしまうのではないか?と思います。だから、私の考えで言うと、宝くじで高額当選を果たしても、結局不幸になると思うんですよ。それこそ高額当選者の7割は自己破産をしているというデータがあるので、結局みんな高額当選を果たすと、お金の使い方が変わるんですよ。高額当選を果たす前と比べてたくさん使ってしまうので、仮に自己破産をしないレベルの使い方ができたとしても、一時的に使い方を大きくするってことは、いずれまた元の使い方に戻らないといけないということになるので、そのギャップの部分に不幸を感じると思うのですよね。贅沢を知ってしまうと、人はそれに慣れちゃうので、貧乏である必要はないかもしれないけど、幸せな生活を送りたいならば安定的な収入を維持するっていう方がよっぽど重要だと思います。あとは宝くじで数億円当てたことが原因で、当選した本人が最終的に殺された事件とかもありましたからね。

 

高額当選を果たした人ですらこうなわけです。世の中の大半の人は高額当選はしませんし、当たっても大した金額ではなく、収支はマイナスになるケースが多いと思います。収支がマイナスになることが目に見えているのに、宝くじをなぜ買うのか?という疑問はあるわけだが、つまり高額当選しない人もほとんどの人間は損をしているわけだから、それも結局は不幸になるわけで、はずれても不幸で、当たっても不幸ならば、何のために宝くじを買うの?という疑問が私の中にはあります。私が宝くじを買わない理由はこれです。不幸にしかならないものにお金を使うから、宝くじは愚者の税金といわれるのかもしれないです。宝くじを買う人は不幸になるという言説はガチでそうだと思えてきます。でも、この構造は宝くじだけではないけどね。何かを手に入れたいと思ってお金を使う行為はおおよそこれに該当します。だから、宝くじを買うのをバカにしている人も、無意識のうちに愚者の税金を払っている可能性は高い。宝くじをなぜ買う?と疑問視している人も、同じような側面を持っているのは否定しない。それに私もそうかもね。ただ、宝くじはその中の代表的なモノだろうか?手に入れようと買っても、まず手に入らないし、そのための損失額は結構でかい人も多いと思うのです。

 

とあるブログに「宝くじは夢を見させてもらえるもので、はずれても宝くじの購入額は社会に使われると。だから、社会貢献になっているんだ」ということを言っている人がいたんですよ。その人によると宝くじは夢を見させてくれて、仮にはずれても社会貢献にもなるのだから、非常に素晴らしいものみたいな言い方がされていたのだが、この認識はどう考えてもおかしい。なぜならば、そもそも社会貢献ができないお金の使い道ってなんだ?と。人が何かにお金を使う場合には、相手となるお店、会社にまず貢献することができ、そのお店や会社の収入が増えるので、それによってさらに新しいサービス、商品が作られ、または既存の商品やサービスが改良され、それによって消費者の幸福度合いが上がる(場合がある)ことによって、社会貢献が起きる。さらに景気をよくするという意味での社会貢献もできるだろうが、社会貢献となるのは宝くじを買った場合のみではなく、お金を使う全ての場合じゃないだろうか?だったら、はずれて損をするかもしれない(自分の満足度合いを下げる可能性がある)ものに使うよりも、確実に自分の満足度合いを高められるものに使った方が良いだろうと思います。また、宝くじを買った人は多くが不幸になっているという現実がある(すでに説明したように)のに、その状況が「夢」というのは、私には理解できない。夢がどこにあるんだ?と思うのです。

 

実際、宝くじは夢を買うものだという反論があると思うんだけど、夢を買うって言っている人は、じゃあ3億円当たったら全額寄付とかするんですか?そうじゃないならば、さっき言ったような贅沢を知ってしまう人の不幸な状態になる可能性が高いですよね。結局、夢を買うって人も高額当選を狙っているのだから、一緒だと思うんですよ。すでに話したように、私は宝くじに夢なんかないと思っているけど、ここで言う夢って結局は高額当選のことでしょう?それが外れたら、夢を買っている人はやっぱりショックはあると思うんですよね。夢を買うだけならば、当選しているか?どうかのチェックはしないの?と言えば絶対するでしょう。当たったか?どうかを気にしている時点で、当たってなかったら不幸な気持ちになるし、当たっても上記で描いたような不幸な人生になります。だから、どう転んでも宝くじを買う人は不幸になる思っています。そして、宝くじに限らず同じような類のことをしている人は、みんな同じ状況になるのです。結婚も同じです。また、高額当選以外の人も同様のメカニズムの中にあります。不幸の程度が3億円当たるよりも少額当選の人の方がマシというだけ。宝くじは愚者の税金と言われている面はあるが、私もそれに同感という感じなんですけど、愚者の税金を払っているのは世の中のほとんどの人間だよなというのも、同時に思います。結局は向上心がそれを作ってしまっているわけだから。向上心は多くの人が持っているわけじゃないですか?身近なところで言えば、給料が上がってほしいなと思っている気持ちも同じです。

 

宝くじは日本で人気みたいだし、高額当選した人がテレビとかに出ているのを見ると、この人たちは悪い意味で人生が変わってしまった人たちなんだなと思っています。テレビに出る余裕があるってことは、まだ宝くじで高額当選をしたお金で幸せな気分を満喫できている期間なんだろうけど、いずれはどんどん気持ちがそこに沈むんじゃないのか?と、これからの彼らの未来を案じているような状況です。しかも、高額当選を果たすためのコツとかを語ったいるのを見るんだけど、コツがあるわけがないと思いますけどね。理論上、運以外で説明できる部分はないと思うのですが。たくさん買うってのが1番の方法かな?と思うけど、高額当選を果たすことができる確率は確かに上がりますよ?しかし、大数の法則というものがあり、たくさん買えば買うだけ損する確率は間違いなく上がります。サイコロを1回振って6が出ました。この時点では6が出る確率は1分の1になっていますが、この後サイコロを何度も振ると、限りなく6分の1に近づいてしまうということなのです。つまり、試行回数を増やすと、理論上の期待値に近づくってことで、紛れが少なくなるってことなのです。だから、宝くじの購入枚数を増やすと、宝くじの当選金額の期待値にどんどん近づいてしまう=損をする確率が高くなるってことです。3億円以外興味がないとか、そういう人にとっては良いかもしれないが、損をしたくない人にとってはたくさん買うは愚行です。

 

テレビに出ている宝くじが当たるコツとかを紹介している人って、運は凄い良かったかもしれないけど、頭は凄く悪いように見えてくるのです。当たった人ですらこのレベルだと、やっぱり宝くじはバカが買うという巷で言われている言説がより正しくなってしまいます。でも、宝くじはバカが買うものと、宝くじを買う人を馬鹿にする人は頭が良いのか?というと、やっぱりそうは思えませんけどね。私は収入を上げようとすることが嫌いなんですよ。私はこの部分において向上心を捨てたいと思っている。お金は人を不幸にする部分が大きいと思っているから。何の刺激もない、淡々とした毎日が私にとっては1番幸せです。私は以前「「向上心のないやつはばかだ」は人を、社会をマイナスに導く思想 - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事で、向上心は人を不幸にする、負の言葉であるというようなことを書いたけど、今でもこれは真理だと思っています。向上心を持つと、マジで人は不幸になると思っているのです。だから、私は向上心を捨てたいし、捨てようとしている。まあ、これも一種の向上心になってしまうかもしれないが。そういう意味では宝くじを買っていない私も愚者の税金をどこかで払っている可能性がある。

 

宝くじを当てたいと思って買っている人は、お金という面において向上心を持ってしまっている状態ではあるが、私は不幸にしか見えません。そんな未来が想像できる中で宝くじをなぜ買うのか?宝くじを買う人は不幸を買おうとしているのか?くらいに見えてくるのです。宝くじはバカが買うものという揶揄する言葉は結構多くの人が言っている印象だが、私の中では少なくとも頭が良い人は買わないよなとは思っているし、宝くじを買うことの合理性が全く分からないのです。宝くじを買う人はバカかもしれないが、でもそれをバカにする人も向上心は持っているだろうから、宝くじは買わないかもしれないけど、結局その人もバカだと思います。そして、私自身も少なからず向上心を持ってしまっており、多分知らないうちに愚者の税金とやらを払っている(過去に払ってきた)ので、その部分に関してはバカと言えると思います。

 

宝くじで1億円当たった人の末路

宝くじで1億円当たった人の末路

 

 

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友達がいないはかわいそう?何が悪い?いなくても生きていけるし困らないと思うけど

友達って何のためにに必要なのでしょうか?友達がいなくても困らないんじゃ?と私は思います。こういう問いを真面目に考えたことなんてほとんどの人はないでしょう。それは大勢が思考停止だからです。友達がいなくても平気な人は結構いると思います。そういう人友達がいなくても平気な人というのは、友達の存在意義を感じない人だと思うのです。しかし、友達がいないことを否定的に捉える日本人は多いでしょう。友達がいない奴はかわいそうだとか、友達がいない奴はおかしい、異常だという直感的な判断をしているだけで、友達がいないと何が悪いのか?という部分なんて誰も考えない。かつての私もそうだった。私は大学を卒業して以降、友達と接する機会はかなり減ったね。というか、私は卒業後、フリーランスとして仕事をしていて、外出する機会も多くないし、活動的でもないから、新規の友達とかはほとんどいない。今いる友達とかはほぼ全員が学生時代の人たちで、そういった人たちとも最近は疎遠気味だ。というか、私が避けているという言い方もできるだろうか?学生時代、私は間違いなく思考停止のバカな人間だった。何も考えないで、友達がいないというのはマズイとマジで思っていたからだ。そうやって世間の「常識」とやらに固執し、世間の常識が正しいか?どうかは別として、世間の常識から逸れることにひどく不安を覚えていたのです。

 

だから、大学生までの私は友達に困らなかったし、友達を積極的に作ろうという気が結構あったのですが、今は全くない。友達がいなくても何が悪い?と堂々と言えてしまう。友達の必要性を感じないどころか、そういった人たちと接する機会が減った今の方が精神的に楽だとも感じている。友達がいなくても生きていけるということを実践している。今でもかつての友達から連絡がくることはあるんだけど、基本的に断っている。最近で言えば、結婚式や部活動の集まりなどで呼ばれたこともあったのだが、いずれも行っていない。あとはmixiで高校時代のクラスメイトから久しぶりにメッセージが来たんだけど、それもシカト。理由は全て同じで、「面倒くさい」ってこと。友達ってのは、人生を豊かにするためのツールであり、それがなくても人生が豊かならば何も問題ないだろう。友達がそういったツールならば、別のツールがあれば友達がいなくても生きていけるはずである。というか、娯楽でしかないので、困るわけがないのです。むしろ、友達っていうのは維持費がかかるものなのです。全ての面において自分の都合を押し通すことはできない。いろいろな面で譲歩しないといけない。そういった理由で、友達付き合いを続けるということは、継続的な費用と手間がかかるのだ。交際費という言い方もできるし、それにかかる時間もとられる。つまり、デメリットがあるということ。しかし、それは他も同じかもしれない。私は漫画が好きなので、それを読むことあって、それを読んでいる間は楽しいが、もちろんお金がかかるし、時間もとられる。

 

しかし、友達付き合いと違うのは、それに苦痛がないってこと。費用も少額だし、好きな時間に好きな漫画を読むことができる。友達付き合いはそうはいかない。相手に合わせない面が少なからず存在する。これも恋人も同じだ。人生を豊かにするツールは数多くあるが、自分の思い通りにいかない面が大きいのが友達という存在だろう。なぜならば、生き物だからです。感情があるから。確かに私が友達と遊んでいた頃というのは楽しい思い出もたくさんあります。しかし、嫌な思い出も少なからずある。でも、私が趣味である漫画とか、ゲームとか、アニメを見るとか、そういったことで嫌な思い出なんかまったくない。思い通りにいきやすいのです。コントロールできるっていうのかな?誰かがいないと楽しくない人生と自分1人でも楽しい人生だったら、絶対に後者の方が良いと思います。その理由はすでに話した通りだが。友達がいなくても困らないというのは確実に言えるし、友達がいなくても生きていけるはずです。私の場合には現在のところ、友達がいないわけではないが、友達の存在を確実に避けてます。でも、友達がいなくても困らないというのは、実際に友達とあまり接しないで生きている現状をみると、確かに実感できます。友達と会う機会とかはめっきり減ったので、友達がいない状況に近いけど、別に一切気にしたことがない。それは洗脳が解けたからです。

 

友達がいないとかわいそうとか、友達がいないのはおかしい、異常だという、世間の謎の頭の悪い発想による洗脳を長らく受けていたのだが、それからようやく解けました。私は友達がいなくても平気な人になってしまったのです。友達がいなくても生きていけると確信しているし、何が悪い?と思っているので、精神面における不安定さのようなものはない。厳密に言えば友達はいるのだが、彼らが友達じゃなくなっても別に良いと思っている。世間の常識とやらは、多数の人間の考えの集合によって決まるので、当然ながら相対的に頭の悪い人たちの意見が優勢になる。頭のいい人たちは集団の中で少数ですからね。以前ビートたけしが「民主主義は1人の正しいやつがいても、99人のバカがダメにする」と言っていたのだが、原理は同じだ。世の中の多数派は常に相対的に頭の悪い人たちなのだから、常識とやらが正しいはずがないのだ。その部分に気付けた私は、常識なんてものを気にせずに生きている。その結果、合理的な現実主義者になったが、私の中ではそれは正しいものとして根付いている。友達がいない人はかわいそうなどの発想は思考停止による、常識のみに依拠した発想だろう。そんな非論理的な発想が正しいはずがないのだ。

 

西村博之氏が言っていたことだけど、「性格がいい人は必ず破綻する」という考え方があります。性格がいい(とされる)人は、性格がいいと周りから思われるような人なのですが、性格がいいと言われる人は、性格が悪いと思われることを当然ながら嫌うわけで、誰に対しても性格が良いと思われるように振舞いがちである。その結果、本人の負担はめちゃめちゃ増えてしまうのです。何を頼んでも断らないような人がいたとしても、その人はいろいろな人からの頼みを全て受け入れることをできれば目指したいだろうが、どこかで限界がきて、断らざるを得なくなり、その断った相手からは性格がよくないと思われる可能性があり、断ったことに対して自己嫌悪に陥る可能性があるのです。性格のいい人というのは、常に性格のいい人ではい続けられない。性格の良し悪しというのが、あくまでも本人ではなく、他人からの評価で決まるものならば、そういうことになる。結局ハードルを自ら上げちゃっている状態ってことです。性格が悪いと周りから思われている人は、どういう振る舞いをしても、評価はそれ以上なかなか落ちないので、別に他人の目を気にして生きる必要がなくなり、明らかに楽です。友達に関しても、自分の印象をよくしておきたいという部分から、絶対にどこかで破綻というか、無理がきますよ。

 

ケースバイケースの部分もあるだろうが、先ほどの話で言えば、私は最近になって友達の結婚式に招待されたときに、断ったんだけど、私はこの先ずっと断るつもりでいます。でも、この結婚式に私が仮に出てしまったら、今度別の結婚式に招待されたときに出ないといけないと思ってしまう可能性が高まりますよね。だって、あの人の結婚式には出たのに、この人の結婚式に出ないのはなんか気まずいというか、差別的な感じがしてよくないのではないか?と考えてしまう可能性があります。しかし、最初からどの結婚式にも出なければ、その後もずーっと出ないという選択を繰り返しても罪悪感のようなものはないでしょう。こういった判断により、破綻を防げるのです。結婚式は分かりやすいけど、ご祝儀が必要じゃないですか?1回だけならばともかく、2回、3回とか出ると、結構な負担ですよ。私はいきなり生活に困るようなことはないけど、世の中にはご祝儀をわざわざサラ金などから借りるような人もいるようなので、確実に破綻を招いている人はいるわけです。つまり、人間との付き合いというのは、自分の印象を高めておきたい、悪く思われたくないと思っている以上は、長期的には破綻する可能性がどんどん高まるのです。どう思われたっていいやという人であれば破綻は避けられます。というか、思われたっていいやと思う人は人づきあいが適当になり、友達が減るのが自然でしょう。私みたいに結婚式や部活動のメンバーの集まりの誘いを断ったり、SNSのメッセージをシカトするというのは、人付き合いが悪い奴だなと思われる可能性は十分にあるが、その結果継続的な負担を発生させず、破綻も避けやすくなります。

 

性格がいいと思われるというのは、なんだか理想的な状況のように思えるかもしれないが、客観的に見たら長期的に負担を継続しているだけであり、自分が苦しみ続けるだけだと思うんですよね。理想的な状況とは到底思えない。私は性格が悪いと思われることに何の躊躇もない。むしろそう思われればしつこい誘いなども来なくなるだろうし、好都合だろうとさえ思います。それを応用すると、友達がいなくてもかわいそうなのではなく、友達がいないと人生楽しめない人がかわいそうという発想もあるわけですよね。そもそも性格の良し悪しなんていうのは、ちゃんとした定義があるわけじゃなく、他人の勝手な都合のいい評価なので、そんなものに何の意味があるのか?とすら思いますがね。友達というの同様で、人生を豊かにするツールの1つであると述べたけど、それが人間というのは結構大変なものです。思い通りになりませんから。豊かにするツールの中でも、常にそのツール自体にどう思われるか?を気にしないといけないとしたら、苦労する部分は相当あるでしょう。私が好きな漫画とか、ゲームの場合には、漫画やゲームにどう思われるか?なんて考える必要はありませんし、考えたことがある人なんていないでしょう。長期的に負担をしないと存続できないツールとそんなものが一切必要ないツールではどっちがいいでしょうか?

 

友達がいなくても困らないというのは間違いなくある。友達がいなくて何が悪いのか?というのは間違いなく言えます。そして、友達がいるから困るという状況もある。さらには友達がいても困る状況は余裕であるし、人の助けが必要という部分はあるけれども、それは友達である必要はないんじゃない?人であれば良いと思います。友達以外で何かしら楽しめる趣味とか持っている人はたくさんいると思うけど、友達がいないと人生満足できない人といなくても満足できる人だったら、間違いなく後者の方が優秀だと思います。にもかかわらず、世間は友達がいないとかわいそうとか、おかしいという見方をするわけだが、何でそういう人たちがそんな上から目線なの?と思います。友達がいないと生きていけない(と考えている)人よりも、友達がいなくても生きていける人の方が、今のところ少数派だと思うので、多くの人にはできないことができるという意味では、優秀の定義に当てはまりますよね。友達が本当に必要だと思える瞬間ってどんなときですか?それって友達じゃないと賄えないことですか?友達がいないことの何が悪いのでしょうか?感情論以外で説明できる人がいるとは思えない。必要がないものは捨てるっていうのは、人間の自然な行動だと思うけど、私の場合にはそれを友達でも実践した感じでしょうか?積極的に捨てようとしているわけではないが、性格が悪いと思われる可能性が十分にある行動を平気でしているので、結果的に友達がどんどん減っている可能性はあります。必要な人に関してはつなぎとめたいと思うかもしれないけど、私の友達の中でそう思える人は1人もいない。私から離れても困らないので、どうでも良い存在です。今後もそんな生き方でいくと思うので、人付き合いはかなり限られた人たちとのみやっていくと思います。

 

湯神くんには友達がいない (1) (少年サンデーコミックス)

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淑徳大学の偏差値や難易度と評判は?倍率とボーダーラインについての詳細は?

千葉県にある淑徳大学は県内では非常に規模が大きい私立大学です。淑徳大学は学部が非常に多く、それなりに学生数が多いので、にぎやかな雰囲気もあるのではないでしょうか?淑徳大学の難易度についてはそこまで高い感じはしません。しかし、簡単に受かるとは思わないで、しっかりと勉強をして本番に臨みましょう。淑徳大学の偏差値について、学部ごとに紹介をしていくので、まずはそういったところから淑徳大学の難易度を把握していきましょう。淑徳大学は難しいとは言えないと思いますけど、学部によっては偏差値がそれなりに高いので、そういった部分までしっかりと理解をしておいてほしいです。淑徳大学の難易度を理解してから受験をしてほしいですし、受験する学部を決める際には偏差値も重要なので、そういったところからお知らせしていきます。

 

淑徳大学の学部ごとの偏差値はどうなっている?

淑徳大学の学部ごとの偏差値を河合塾でチェックすると、最も高いのは人文学部の42.5となっています。それ以外は教育学部経営学部、コミュニティ政策学部が35.0で、総合福祉学部と看護栄養学部が35.0~37.5となっています。こういった偏差値を見ると、淑徳大学で難易度が高いのは人文学部ということになります。人文学部に関しては、いずれの学科も42.5と淑徳大学の中では難しい学部です。したがって、淑徳大学の難易度を学部ごとに比較してみると、人文学部とそれ以外でかなり違いがあるということなのです。そこはまず知っておいてほしいです。淑徳大学の偏差値を理解したうえで、それ以外の面からも難易度をし確認することが必要です。特に倍率に関しては気になる人がいるのではないでしょうか?淑徳大学の倍率の傾向をチェックすると、そこから難易度を把握することもできますから。倍率の特徴を理解したうえで対策をしてほしいです。

 

淑徳大学の倍率の傾向はどうなっている?

淑徳大学の倍率について知っておきましょう。淑徳大学の倍率は全体的にはそこまで高いわけではないです。入試方式が1つしかないので、一般入試に関しては見やすいです。学部学科ごとに多少違いはありますけど、全体的には1~2倍台です。1倍台のケースがほとんどですけど、2倍以上のところもあります。ただ、淑徳大学の倍率は年度によって変化があり、1倍台であっても、その学部学科の前年は2~3倍くらいあるというケースがあるので、年に変化するので、どこまで過去の倍率が参考になるか?は分かりません。ただ、極端に淑徳大学の倍率が高くなるということはないと思います。倍率は大学の評判にも関係するので、倍率が高ければ、それだけ淑徳大学の評判が高い、人気があるということも言えるかもしれませんが、倍率は年によって上昇したり、下降したりという状況になっているので、人気の面は何とも言えない部分もあります。でも、千葉県内では淑徳大学の評判は高いと思います。淑徳大学の倍率に関しては大体の数字を把握しておいてほしいと思いますけど、センター試験における難易度も把握しておきましょう。センター利用入試の淑徳大学のボーダーラインの得点率を調べておくことも受かるためには重要です。センター利用入試という選択肢もあるので、そちらも頭に入れておきましょう。

 

淑徳大学のセンター利用入試のボーダーラインはどれくらい?

 淑徳大学のセンター利用のボーダーラインに関しては学部学科ごとに異なっています。人文学部歴史学科が64%、表現学科が66%となっています。教育学部は58%となっています。経営学部は経営学科が48%、観光経営学科が40%となっています。コミュニティ政策学部が46%となっています。総合福祉学部は社会福祉学科が58%、教育福祉学科の学校教育コースが61%、健康教育コースがが65%、実践心理学科が65%となっています。看護栄養学部は看護学科が57%、栄養学科が53%となっています。淑徳大学のセンター利用のボーダーラインの得点率については、淑徳大学の偏差値にある程度比例している感じもします。センター利用入試という選択肢もあるので、一般入試だけにこだわらず、チャンスがあると思ったらこういった入試形態にもチャレンジしていくと良いと思います。センター利用入試に受かるには、センター試験の過去問で上記の得点率をとらないといけません。このボーダーラインは学部学科ごとに差があるので、それぞれの学部学科ごとにセンター利用入試の入試科目を調べて、過去問を解いて、何割とれるか?を確認すると良いと思います。淑徳大学のセンター利用のボーダーラインの得点率はその年によって細かく変動することがあるので、その想定も必要と言えます。ボーダーラインを超えられるように、センター試験の過去問で対策をしていきましょう。

 

淑徳大学のキャンパスの評判や口コミは?

淑徳大学の評判に関して知っておいてほしいので、そういった部分についてチェックしましょう。特にキャンパスの評判については知っておいてほしいと思います。淑徳大学の学生の口コミをもとに、キャンパスの立地条件や雰囲気について確かめておいてほしいと思います。淑徳大学では学部ごとにキャンパスがバラバラなのです。埼玉県や東京都にもキャンパスがあります。学部ごと、キャンパスごとに少しずつ簡単に口コミを紹介していきますが、千葉キャンパスでは総合福祉学部とコミュニティ政策学部の学生が就学しています。こちらも最寄駅から無料のスクールバスが出ています。キャンパス内の施設としてはオシャレなカフェテリアがあり、飲み物や焼き立てのパンを販売しています。福祉関連の施設も充実しており、小児保健実習室、入浴実習室、介護実習室などがあります。千葉第2キャンパスでは看護栄養学部の学生が学びますが、最寄駅からは無料のスクールバスが出ており、アクセスはしやすいですが、坂が多くて立地的には微妙という感じかもしれません。それでも施設は充実していて食堂がかなり広いです。そして、福祉関連の施設が多くて、臨床栄養実習室、調理実習室、母性小児実習室、成人・老年看護実習室などが備わっています。かなり充実した雰囲気で、淑徳大学の学生の評判は良いと言えますし、最高の学びができそうです。

 

埼玉キャンパスでは経営学部と教育学部の学生が就学していて、こちらも無料のスクールバスが出ています。施設関連ではパソコン室が非常に充実しており、最新の大画面のWindowsMACの両方が揃っており、目玉となる部分です。あとは中庭がかなり評判です。淑徳大学のキャンパスの雰囲気としては異質な部分もありますが、イギリスのような場所として学生に人気みたいです。あとは教育学部の学生向けに音楽室、小児保健実習室、多目的実習室、ピアノ練習室、模擬授業室などがあります。教育学部の学生にとっては淑徳大学の埼玉キャンパスの評判は良いみたいです。そして、東京キャンパスでは人文学部の学生が学んでいますが、こちらは最寄り駅からは徒歩で通える範囲内で、10分程度で着きます。板橋区にあって、東京の中でも閑静な住宅街という雰囲気です。ただ、池袋が10分のところにあるので、都心にもアクセスしやすい環境です。オープンテラスという外で食事などができるスペースがあり、淑徳大学のキャンパスの雰囲気の中でもとりわけオシャレな感じはあります。どのキャンパスも魅力的なところはありますけど、東京にキャンパスがある人文学部の学生に関しては都内にあるというのは結構大きいかもしれません。自分が受験する学部ごとにキャンパスを理解して、それぞれを受験前に見学していくと良いと思います。

 

淑徳大学 (2018年版大学入試シリーズ)

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実家暮らしが情けない、恥ずかしい、むかつくという発想の問題点と自立してないという解釈の謎

実家暮らしは世間のイメージがよくないみたいだが、経済合理性を考えたら絶対に実家暮らしでしょうけどね。実家暮らしを叩く人たちはほぼ全員が嫉妬とか、むかつくといった感情論でしょうから、まともに付き合う気もないが、気になる部分として「自立してない」ってコメントが結構散見されるんですよ。自立してないっていうのは、親に頼っているという部分なのだろうが、何で親に頼るとそれだけで自立してないことになるんだろう?と思うし、親に頼る=自立してないが正しいならば、誰かに頼る=自立してないになるので、この世で自立してる人間なんて1人もいないと思うんだけど?(笑)さらには実家暮らしは情けないとか、恥ずかしいという人もいるけど、こういうこと思っちゃう人ってめちゃくちゃ自分が不幸な状態なのに気付いていないんだろう。だって、特定の状況とか、行動に関して情けないとか、恥ずかしいという感情が想起してしまうような人は、その状況に身を置けない、その行動がとれないといった感じで、生き方に制限が生まれますよね。情けないとか、恥ずかしいと思っているとしたら、その人はその状況を実現させないように、そういう行動をとらないようにするはずなのです。

 

つまり、そういった感情が生まれる人は、実家暮らしだけじゃないけど、特定の行動がとれなくなるわけだから、その特定の行動を恥ずかしいとか全く思わない人と比べて、生きる選択肢が狭まるんですよ。だから、実家暮らしを恥ずかしいと感じる人は、実家暮らしを感情的にしづらい、実際に選べないわけだから、実家暮らしの何が悪いの?と思っている人間よりも明らかに不幸です。だって、実家暮らしの方が楽だもん。金持っている人は良いかもしれないけど、たいていの一人暮らしの人はそこそこカツカツな生き方を強いられていると思うんですよね。そういった意味でいえば、実家暮らしを情けないとか、恥ずかしいって思っちゃう人は、自分が不幸な思考に陥っているのに恐らく気付いていない。当然ながら、恥ずかしいとかいう言葉を言っている人は、それが自分の中で正しいと思っているのだろうから、そうなると自らの生き方を制限するような不幸な思考をするのが正しいって話になるわけで、それを絶対的に正しいと思っているのならば国民がみんなそういう思考をするのが正しく、みんながみんな不幸になるのが正しいと思っていると評価できてしまうのです。「恥ずかしい」という気持ちを正当化するとしたら、そう感じない人はおかしいと思っているとしたら、そうなりますよ。みんな不幸を正当化する思考をしている時点で、人間性に相当問題があると言えると思うが、実家暮らしを悪く言う人は、自分が不幸であることに気付いていない、または多くの人の不幸を願っている状態を評価されるわけです。

 

実家暮らしが情けないとか思っている人は恐らく嫉妬からきているのだろうが、他人を羨むようなことをすると自然とむかつくという感情が出てくるのやめた方が良いだろうと思います。実家暮らしがむかつくから叩くのだろうし。そして、先ほどもちょっと述べたけど、実家暮らしが自立してないっていう意見はが仮に正しいとしたら、自立している人間なんていないでしょう。何でも良いけど、例えば会社の社長は自立していますか?自立していないイメージを持つ人はまずいないだろうが、親に頼るのが自立していないという理由ならば、会社の社長だって、従業員がいなければ社長でいられないわけです。というか、会社が存続できないね。だから、社長は従業員がいなければ今の生活ができないので、明らかに依存しているわけですね。会社の社長は自立しているんですか?と言えば、辞書で「自立」の意味を調べると、「自分以外のものの助けなしで(ry」と書かれているので、自分以外のものの助けを借りている社長は間違いなく自立していません。自立という言葉の定義に関して、親に頼るのがダメで、従業員に頼るのが良い理由はないってことです。こういった例はいくらでも出せる。結婚をしている人とか、恋人がいる人は、その相手に間違いなく頼っている。離婚をしたい人、別れたいと思っている人以外は、この関係を続けたいのだろうから、相手がいなければ困るという状況であり、間違いなくその相手に依存している。精神安定の存在として大きいだろう。あとは友達とかもそうだね。つまり、人間は常に誰かに頼りながら生きているので、その中で実家に住んで親に頼る人間だけを出してくるのは非常にせこい!視野が狭い過ぎるという言い方もできるが。

 

実家暮らしをしていると自立できないという声もあるようだが、すでに述べた話をもとにすると、実家暮らしをやめても自立してないでしょう。実家を出たところで、誰かを頼るのを辞めたわけではないですから。自立できないのは実家に住んでいるからではない。私たち人間はそういう生き物だからでしょう。ただ、実家暮らしとは違って、すでに出した例は共存の関係あるという反論もあるかもしれないね。つまり、会社の社長の例で言えば、従業員も会社に頼っているので、Win-Winであると。そういう反論もあるかもしれないが、それは自立してないって枠組みから抜けられる反論にはなっていないけどね。誰かに頼るのが自立してないという定義ならば、Win-Winだったとしても、お互いに頼っているのは変わらない。自立しているという状況になるわけじゃない。それに実家暮らしの人がWin-Winじゃないのか?と言ったら、そうでもないんじゃない?確かに親にとってみれば、子どもが実家に居座り続けることでメリットがあるのか?というと、そんなにないかもしれない。でも、実家に住み続けると、金銭的に得なので、貧困に陥りづらいです。つまり、犯罪を起こす確率が減りますし、生活保護などを受給して税金を使う必要性も低いです。あとは、家族が一緒に住むことで、地球環境に優しいって言われていますね。世帯でまとまることで電化製品の使用量とかが減るのです。つまり、特定の相手に対してではないが、世の中の全体に対してメリットを提供しているわけです。

 

世の中的には生活保護を受給するのは悪いみたいなイメージになっているみたいだけど、だったら一人暮らしなんかをしたら、そのリスクが高まるのだから、生活保護の受給がよくないが正しいならば、一人暮らしなんかやめるべきだ!という発想になるべきなのに、何で世の中はこうして平気で矛盾することを言うのだろう?と、半ばあきれ気味に私はこの記事を書いている。実家暮らしが自立してないっていうのも、嫉妬やむかつくという感情から、とってつけた反論だとは思う。いかに実家暮らしの人間を悪者にするか?を考えたときに、自立してないって言葉は、多くの人にとってなんとなく共感ができそうなワードですから。確かにそうかも・・・って思える人もいると思うんだけど、別に自立してない人は他にもたくさんいるというか、全員だろうと容易く反論ができるわけだが。実家暮らしは自立できないという意見に関してもすでに述べた通り、実家を出ても自立はできません。そもそも自立してないって状態が悪いことであるって誰が決めたの?って話ですけどね。自立してない状況を悪く思ってしまう人が世の中に多くいるというだけであり、それだけで自立してない状態が悪くなるわけじゃないですし。自立してない状況が悪ならば、世の中の人間は全員悪ですよ。実家暮らしを情けないとか、恥ずかしいとか思ってしまう人もいるようだし、実家暮らしがむかつくという人もいるのだろうが、そういう思考をしている時点で、私から見たら全員不幸にしか見えないから、そういうモノの見方はやめるべきだと思う。そして、実家暮らしの人は間違いなく世の中に大きく貢献しているので、むしろ推奨すべきだと思いますがね。

 

 

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