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玉川大学と日東駒専や大東亜帝国はどっちが上?頭いい?偏差値やレベルの違いとイメージや雰囲気の比較について

東京都町田市にキャンパスがある玉川大学というと、なんとなく教育学部がすごいイメージというのが先行している人も多いかもしれません。玉川大学教育学部というイメージは色濃く残っています。玉川大学では教育学部以外にも多くの学部を備えているのですが、玉川大学の評判で言えば、全体的には教育学部が人気なのです。偏差値も高いですし、教育学部とそれ以外では偏差値に差があるので、そういった部分から、教育学部とそれ以外では大学のランクが違うという評価もされることがあります。玉川大学は頭いいと言われることもあると思いますけど、教育学部とそれ以外では人々の印象が異なるので、教育学部だけに頭いいと言っているのか?全体として頭いいと言っているのか?は割れるところでしょう。したがって、玉川大学のレベルに関して他の有名な大学群と比較をしていきたいと思います。

 

玉川大学のレベルは具体的にどのくらい?

玉川大学のレベルを他の大学群と比較したいと思いますが、教育学部とそれ以外の学部でまずは比較をしていきましょう。玉川大学で頭いいイメージがある教育学部河合塾の偏差値は52.5~55.0程度となっています。学科というか、専攻が複数ありますけど、概ねこういった範囲になっています。やはり教育学部のレベルは玉川大学の中でも高いです。こういった状態があるので、玉川大学のイメージと言えば、教育学部という部分があるのでしょう。玉川大学の中では教育学部は抜けているので、そこと他の大学群を比較していきますけど、大東亜帝国は確実に超えているはずです。日東駒専に関しても超えているというか、少なくとも同等以上ではあるでしょう。日東駒専の上位レベルが日大や東洋大学の文系で、52.5~55.0くらいなのです。だから、玉川大学教育学部日本大学東洋大学の文系学部のレベルには匹敵しています。駒澤大学専修大学と比べたら、基本的には上と言えるのではないか?と思います。だから、玉川大学教育学部大東亜帝国とどっちが上か?と言えば、玉川大学教育学部ですし、日東駒専とどっちが上か?というと、同じくらい、平均レベルで言えば超えていると思うので、玉川大学教育学部の方が上ということになるかもしれません。そして、教育学部以外の比較もしていきましょうか?玉川大学のレベルはどのくらいなのか?大東亜帝国日東駒専と比べて頭いいのはどっちか?ということですが、教育学部以外は数字がそれぞれの学部で異なっており、ちょっと比較が難しいです。

 

教育学部以外でレベルがそれなりに高いのは観光学部です。そこそこマイナーな学部ではありますけど、玉川大学ではレベルが比較的高いです。50~52.5となっており、ここも日東駒専のレベルと言えると思います。文学部は45.0~52.5となっており、学科ごとにかなり差があります。学科によっては日東駒専レベルで、学科によっては大東亜帝国レベルと評価できると思います。そして、それ以外の経営学部、芸術学部リベラルアーツ学部は40~47.5くらいなので、大東亜帝国レベルと言える気がします。理系の工学部と農学部は評価が難しいです。日東駒専は日大以外は理系がそんなに充実していませんし、大東亜帝国東海大学帝京大学くらいですか?さらに工学部と農学部は学科ごとに偏差値がバラバラなので、文学部と同じで大東亜帝国レベルが多いが、一部で日東駒専のレベルに近いという評価になると思います。玉川大学大東亜帝国ではどっちが上か?というと、さすがに玉川大学かな?と思いますが、玉川大学日東駒専はどっちが上か?というと、意外といい勝負になる学部もあります。教育学部以外でも観光学部も結構レベルは近いです。玉川大学だと教育学部と観光学部は頭いいと言われる可能性がありそうです。

 

玉川大学の雰囲気はどんな感じ?

玉川大学の雰囲気はキャンパスの立地の影響を受けていると思います。メインキャンパスは東京都町田市で、工学部と農学部以外の学生はここで学びます。したがって、多くの学生は町田市に通うわけです。東京都町田市というのは23区外で、都心からは離れています。ただ、町田駅の周辺はかなり栄えており、渋谷駅の周辺に近いイメージです。だから、玉川大学のキャンパスの周辺の雰囲気としてはそれなりに栄えているのです。都心ではないけど、都会みたいな雰囲気があるわけです。玉川大学は町田周辺で遊べるので、それなりに充実したキャンパスライフを送ることができるのではないか?と思います。玉川大学のキャンパスの周辺の雰囲気はそれなりに充実しているので、楽しいと感じる人も多いと思います。町田駅は飲食店や娯楽施設、ファッション関連のお店が本当に多いのです。飲み会とかもしやすいと思いますし。町田という街は都心からは距離がありますが、都心のような雰囲気にも近いのです。神奈川県相模原市にも近いので、都心のはずれのというイメージも強いかもしれないですけど、八王子とか、多摩地域などと比べたら、町田の方が都会のイメージが強いと思います。

 

玉川大学の雰囲気を知りたい人は町田まで行ってみる、キャンパスまで行ってみるということをすると良いと思います。すると、よりイメージや雰囲気が掴みやすいでしょう。玉川大学日東駒専大東亜帝国の比較とは別に、玉川大学自体がどういう大学なのか?という点は気になる人もいると思います。玉川大学日東駒専大東亜帝国とは異なり、スポーツがそこまで有名ではないので、その点においては雰囲気はちょっと違うと思います。メディアの露出度も少ないですし。日東駒専大東亜帝国と比べたら、地味な部分はあるかもしれないです。でも、大学のレベルは近いのでそういったところの共通点はあると思います。玉川大学は良い大学だと思いますけど、詳しい部分について自分なりに調べないといけないところもあるでしょうから、そういった視点も持っておいてほしいです。

 

 

玉川大学 (2019年版大学入試シリーズ)

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失礼な発言や悪口を都合が悪いときには平気でスルーするのが日本人である

日本人って、マジで説得力ねーよなwwwと思うことが多々あるのだが、その1つが今回紹介することです。厳密に言えば日本人だけに限らないと思うが、いわゆる「失礼」にあたることを発言するのはよくないという風潮があると思うのです。しかし、私が見ている限り、失礼をよくないこととしている日本人は、日常的に平気で失礼なことを言いまくっているようなと思うのだ。恐らく本人は気付いていないだけだと思うけどね。特にそれを感じたのが先日行われた、女子バレーの世界大会の日本とセルビアの一戦の日本勝利を伝える記事です。見出しになんて書いてあったか?っていうと、「大金星」っていう言葉が使われていたのです。金星という言葉は、平幕の力士が横綱に勝利したときに使われる用語で、転じて「大きな手柄」を意味する。日本がセルビアに勝ったという事実はそもそも金星なのか?という疑問がまずある。女子バレーの世界ランクは日本が6位で、セルビアが3位であり、言うほど差はないし、私は今まで女子バレーの試合をちょいちょい見てきたけど、セルビアに勝ったシーンは何度かあったと思うし、負けたときも惨敗ってケースはまずなかったと思う。実力はそんなに違いはないのでは?と思う。

 

つまり、金星どころか、大金星という表現を使っているが、そんなに大げさなことかね?と思う。ただ、問題はそこじゃない。日本がセルビアに勝利したことに関して、大金星と伝えたということは、セルビアと比較したときの日本に実力が相当下であるということを言っているのと同じなのだ。つまり、普通にやったら勝てない相手だということであり、セルビアと比べて日本がかなり弱いと言っているのと同じである。この時点で確実に失礼な発言ですけどね。それに日本がセルビア以外に勝ったときには、大金星なんて言われてなかったわけだから、セルビア以外の相手は日本から見たときに、そんな大したことない相手ということを言っているのと同じであると。日本の女子バレーの選手やそれ以外の国の選手をみくびっていると評価できるわけだが、この見出しに異を唱える人はほとんどいないんだろうから、多くの人は失礼な発言でもスルーなんでしょう。要するに「馬鹿」とか、「不細工」とか、分かりやすい失礼な発言はスルーせずに食いつくけど、ちょっと頭をひねらないと言っていることの本質的な部分に気付けないような言葉はみんなスルーするんですよ。気付く力がないか、気付いているがあえてスルーしているのかのどちらかだろうね。本質的には失礼なのだが、自分はそうは思わない、感じないと思った発言などは都合よくスルーするんですよ。人間ってそんなもんです。失礼な発言というか、悪口を言われるのは嫌いだが、自分たちが言うのは大好きな民族なんでしょう。

 

もう1つ別の例を挙げれば、数年前にこのブログでも書いた記憶があるけど、大阪府の機動隊が抗議活動かなんかをしていた沖縄県民を土人呼ばわりしたことがニュースになったと思う。沖縄蔑視とかもっともらしい批判を展開していた人もいたが、土人発言が否定された理由も、要するにいわゆる「失礼」にあたるからだと思うのです。言われた方の気分が悪いから、だから失礼な発言は否定されるのでしょう。しかしね、当時も私は指摘した覚えがあるが、土人とは言っていないが、モンスター〇〇という言葉を平気でマスコミとか、一般市民が使っているわけです。今でも使っている人はいるけど、モンスター〇〇も土人と意味は大して変わらないのよ。どちらも「野蛮」という意味が含まれており、土人に怒るくせに、こいつらは人を平気でモンスター呼ばわりするわけですよ。日本人って、ほんとクソだなwwwと、私は当時から思っていましたが、今でも思っていますよ。土人発言は全国的に否定されていたが、モンスターペアレントとか、モンスタークレーマーなどの発言は全国的に使われていると思います。ネットで調べればよく見るし、マスコミもよく使っています。でも、そのモンスター発言を否定する人はほとんどいませんね。なぜならば、その発言に共感できるからでしょう。モンスター呼ばわりされている対象の人物はモンスター呼ばわりされてもしょうがないという、謎の主観的な理屈を持ってくるのよこいつらはwww

 

主観的な理屈で、モンスター呼ばわりされてもしょうがないという謎の判断をするわけだけど、主観的な判断で良いならば、土人発言をした人間の言ったことも正しくなりますがね(笑)特定の人間が主観で判断したことが正しいと主張した時点で、別の人間が主観で主張する、相手を覆す主張も当然正しくなるわけです。頭がおかしな日本人にこんなことを言っても理解はできないかもしれないが、一言で言えば、自己中そのもの。自分がされたくないことを人に平気でするという態度が余裕でみてとれるわけですな。海外の人も同じような面は多分あるだろうけど、日本に住んで日本人を長く観察すると、日本人には少なくともこういう面があるよなーというのは、本当に感じる。頭がおかしいと私は思っていますけど、当の本人はそれが正しいと思っているのでしょうから、マジで日本人って野蛮だなと思います。西村博之氏は日本がかつてやっていた神風特攻隊を例に題して、日本人は相当狂っていると以前言っていた。神風特攻隊が成立するのは日本(アジアの国)以外はありえないというのが彼の意見なのだ。

 

自分の命を犠牲にする命令に従ってしまうような人間はマジで狂っていると。さらに言えば、神風特攻隊の作戦を成立させられる優秀なパイロットを死なせる非合理な作戦を平気でとれる時点で、当時の日本軍は頭が悪いと、日本には勝ち目はなかったというのが彼の意見みたいです。実際、飛行機は何台も作ることができるとしても、それに乗るパイロットを1人育成するための時間とお金を考えたら、確かに非合理っちゃあ、非合理な気がしてくる。選ばれているのはパイロットの中でもかなり有能な人間みたいなので、そういう人間からどんどん死んでいくわけだから、神風特攻隊を実行すればそれだけで勝敗を決することができるならばともかく、そうじゃないならば、仮に一時的に戦況はよくなくっても、長期的に見たら空軍の戦力が削がれていくだけ。時間が経てば戦況は悪化するだろうと。彼はそれを引き合いに出して現代の労働者を皮肉っているのだ。短期的に見たら生活するだけのお金を得ることは重要かもしれないが、長期的に見たらブラック企業ホワイト企業を駆逐し、労働環境はさらに悪化していくだけだし、現代でもいるような会社の違法な命令に従って命を削って働く労働者も狂っていると。ちょっと話はそれたけど、西村氏が言う日本人がいろいろな意味で狂っているというのは私も同意なのだ。

 

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同志社社会学部の偏差値や難易度と評判は?倍率やボーダーラインはどうなっている?

同志社大学社会学部は同志社大学の中でも上位の偏差値を誇っています。河合塾の偏差値でだいたい60.0~62.5となっています。したがって、かなり難しいと言えます。同志社大学がまず難しい大学ですけど、その中で社会学部の難易度は高いのです。学科が多様化していて、それによって評判が良いということも言えると思います。同志社大学社会学部の難易度は非常に高いですけど、学科ごとに難易度はちょっと違います。学科ごとにどれくらいの偏差値なのか?というのは知っておくと良いと思います。同志社大学社会学部を受験する際には学科を選ばないといけませんし、それぞれの難易度から受験する学科を選ぶというのも良いでしょう。学科ごとの違いも知っておかないといけませんが。

 

同志社大学社会学部の学科ごとの偏差値は?

同志社大学社会学部の偏差値は5つの学科ごとにやや異なっています。社会学科、社会福祉学科、メディア学科が62.5で、産業関係学科、教育文化学科が60.0となっています。それぞれの学科で難易度が少し違うのです。個別日程の偏差値になりますけど、全体的にレベルが高いですが、産業関係学科と教育文化学科に関してはやや偏差値は低いと言えます。学科選びをするときには偏差値を見ながら、それぞれの学科の特色を調べておいた方が良いと思います。同志社大学社会学部のレベルをまずは認識しておいてほしいですが、そのためには偏差値違いの要素も知っておきましょう。特に重要なのは倍率になります。同志社大学社会学部の倍率に関しては全体的に高いです。近年は首都圏や関西の有名私大が合格者数を減らす措置をとっていますが、同志社大学も例外ではないのです。ここ数年は段階的に倍率を上げており、今後どうなるか?という点も含めて注目ということです。同志社大学社会学部の倍率はここ数年あがってきているので、それによって偏差値も高まっているという評価ができると思います。偏差値の高さを見ると、同志社大学社会学部は評判が高く、学生に人気であると言えると思います。本当に全体的に難易度が高いです。

 

同志社大学社会学部の倍率の詳細について

同志社大学社会学部の倍率に関しては、学科ごとに違いはありますが、数字としては高いです。全学部日程は5~7倍くらいですが、個別日程に関しては社会学科が7倍、社会福祉学科が6倍、メディア学科が10倍、産業関係学科が6倍、教育文化学科あ4倍程度となっています。全学部日程の倍率もそれなりに高いですけど、個別日程の倍率も十分に高いです。特に10倍近くある学科もあるので、そういったところから同志社大学社会学部の中でも特に難易度が高いと言えます。メディア学科は特に倍率が高いので、同志社大学社会学部でも評判が特に良いと言える可能性もあります。ただ、どの学部も倍率はそれなりにあるので、同志社大学社会学部を含めてすべての学部が評判が良いと言えると思います。それ以外の学科もそれなりに倍率があるので、同志社大学社会学部の偏差値の数字以上に難しいと感じる可能性があります。今の時代は難関大学に受かるのが本当に難しくなっており、浪人して再度挑戦する人が増えたり、例年以上に併願の数を増やして1つでも受かるように確率を高めたりという策を多くが講じており、自然と各有名大学の倍率は上がります。同志社大学も例外ではなく、例年以上に近年は難易度が上がってきているのです。同志社大学社会学部のレベルは倍率を見ると認識しやすいかもしれないです。

 

同志社大学社会学部のセンター利用のボーダーラインは?

同志社大学社会学部のセンター利用のボーダーラインの得点率は学科ごとに結構差があります。パスナビの数字を紹介していきますけど、社会学科が85%、社会福祉学科が83%、メディア学科が77%、産業関係学科が73%、教育文化学科が82%となっています。産業関係学科の得点率がやや低いので、同志社大学社会学部のセンター利用のボーダーラインにおいてはここが狙い目になるでしょう。センター利用入試で受験ができるので、センター試験の過去問を解いて、その結果によってはセンター利用入試を受験しても良いでしょう。そのためには目安となるボーダーラインの数字が重要になります。センター利用入試の入試科目を調べて、この得点率を超えられるか?どうかをセンター試験の過去問で確かめておきましょう。同志社大学社会学部の難易度に関して重要な情報になります。あと合格最低点も重要です。一般入試の同志社大学社会学部の合格最低点についても理解をしておきましょう。同志社大学社会学部の合格最低点は全学部と個別の違いよりも、学科ごとに違いはあるものの、同じ学科であれば全学部と個別の合格最低点はほぼ同じです。一般入試の合格最低点は学科の偏差値に多少比例しています。パスナビの数字を見ると、社会学科が385点、社会福祉学科が365点、メディア学科が387点、産業関係学科が370点、教育文化学科が374点となっています。いずれも500点満点中ですが、全学部と個別の違いはほぼありません。学科ごとにそれぞれの入試方式ごとの同志社大学社会学部の合格最低点はほぼ同じと思っておきましょう。でも、合格最低点は毎年変化するので、目安として参考程度に考えておきましょう。

 

同志社大学社会学部の学生の口コミは?

同志社大学社会学部の評判について、最後に知っておきましょう。学生の口コミからどういった学びをするのか?について軽く知っておくと同志社大学社会学部の魅力なども理解できますから。同志社大学社会学部の評判として特徴的な面を知っておいてほしいですけど、厳密に言えば学科ごとに詳しい学びは変わります。今回は社会学部全体として言われている口コミについて紹介していきます。同志社大学社会学部の口コミとしては、基本的には真面目に授業を受けていれば単位が取れる授業が多く、難しいと感じる授業は少ないようです。社会科学系の学部でも数学を使うことがほぼないと思うので、そういった部分でも楽に感じるのかもしれないです。ゼミに関しては3年次からとなっていますが、1,2年次もゼミに似た少人数の授業が行われるようです。3年次のゼミは事前に行われるゼミの説明会に参加し、そこでの話を聞いて希望のゼミを選び応募しますが、人気のゼミは希望が通りにくいようです。そして、ゼミでは卒論が必須のようなので、ゼミに入れば卒論は絶対に書かないと卒業ができないのです。社会学部は学科が5に細分化されているので、それぞれの学科ごとに学生数は多くなく、全体的に少人数の濃い教育が実施されており、学びの環境としては評判が良いです。同志社大学社会学部の評判に関してはこういった感じで簡単に紹介してみましたが、学科ごとに違いを明確に認識して、どの学科を志望するか?考えていきましょう。

 

 

同志社大学(社会学部−学部個別日程) (2019年版大学入試シリーズ)

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結婚は人生の墓場、人生の終わり、不幸の始まりは正しい?←正しい気がしてくる

結婚は人生の墓場とも言われることがあります。個人的にはそれは正しいとしか思えない。私は結婚願望が全くないし、むしろ結婚というものを嫌悪している。そもそも結婚は不幸の始まりだと思うのだから、私には結婚願望が生まれないわけだが。結婚をして子供を産むとなれば、その不幸の度合いはさらに強まる。結婚をして子供を産んで家庭を築くというのが、幸せの理想とされている風潮はあるが、そんなものは思考停止状態の多くの人間が、世の中の多数派の人生こそが正しいという訳の分からない先入観に踊らされているだけにしか思えない。いわゆる同調欲求ですよ。多数派に従うことこそが幸せなんだと思い込まされている。この状況のどこが幸せなの?と私は思うのです。結婚をするという時点で、そもそも世の中の多数派に寄り添って生きたいという願望が見える。その時点で、その人は世の中に「普通」に固執しているのだから、普通からそれている部分に不幸を感じる。つまり、結婚をしたい、子どもを産んで育てたいという姿勢が見えた時点で、その人の思考は不幸のスパイラルにはまっているのだ。分かりやすく言えば、向上心を持っているがゆえに、その人は満足を得ようと常に行動するから、満足を得られなければ不幸を感じるし、結果的に満足を得られたとしても、満足を得るために常に多くの手間をかけないといけない、努力を続けないといけない。

 

そこが私が結婚すると不幸の始まりと考えるの1つの理由である。結婚したいという願望を持っている状態がすでに不幸なのだ。向上心は不幸の産物だと思っていますからね。結婚をしたいという向上心もまさに不幸の始まりなのだ。そのうえで結婚をするとどうなるか?好きな人への愛情は基本的には薄れる。付き合う前の状態と付き合った後の状態で、どっちが彼女、彼氏への愛情が高いか?と言えば、基本的には付き合う前だろう。付き合った後は慣れが生じるので、付き合う前に感じていたドキドキ感のようなものは感じづらくなる。この人と一緒にいるのが当たり前の状況が続くので、日常になっている時点で愛情は薄まる。だから、別れる人がいるわけです。愛情が薄まらなかったら、別れる、離婚をするケースなんか1組たりとも生まれないと思うのです。もちろん、別れていない、離婚をしていないカップルの中にも、愛情が大分薄れているケースがあるはずで、世間体のために、子どものために離婚をしないケースなども多々あるはず。好きだった人が好きじゃなくなる。というのは、どう考えても不幸だと思うのだ。祭りの当日よりも祭りの準備をしている方が楽しいみたいな話もあるけれども、好きな人を手に入れた後よりも、好きな人を好きだと思っている状況の方が、私は幸せだと思うのですよね。

 

さらに言えば、結婚をすると明らかに自分の負担が増えます。結婚が人生の墓場だと思える理由にはここが実は大きい。独身であれば、自分1人を養う収入さえあれば良い。極端な話で言えば、生活保護でも良いわけですよ。でも、結婚をしていると生活保護での生活は事実上厳しい。なぜならば、世間体の問題があるし、生活保護の収入で家族を養えるか?という問題もある。この選択肢がとれない。仮に普通に働いて収入を得るにしても、独身のときと比べて得ないといけない収入の最低ラインは増えるだろう。子どもがいたら尚更だ。独身だったら年収300万円くらいあれば全然余裕で暮らせるだろうが、結婚していて子供がいたらかなりカツカツだと思います。結婚した人間は独身の人間と比べて、間違いなく社畜化し、過労死のリスクが増えると思う。結婚をしたら多くは子どもを産むのだろうから、結婚をすると自分自身の負担は間違いなく増える。特に男性の場合は特にそうだ。さらに言えば、結婚をすると不安が増えるんですよね。相手が浮気しないか?自分に他に好きな人ができないか?仲が悪くなるんじゃないか?子どもが危険な目に遭わないか?ちゃんとまともに育つか?など、私が結婚した後の状況を想像したら、不安だらけです。だから、私にとって結婚というのは不幸になることと同義なのです。安息な毎日を送るには、何も変わらないのが1番で、結婚や子供を産むという変化は新たな不安を意図的に作っている状況に近い。結婚をすると不幸になるということが言えると思うが、その中身は結婚相手への愛情が薄れる、お金がかかり、手間もかかり、不安も増える。良いことは何なんだろう?と思うのです。強いて言えば、世間体ですよ。ただ、世間体を気にしている時点で、生き方に制限が加わるわけだから、その時点で不幸だと思いますけどね。私みたいに平日の昼間から私服で外を歩くとかできないでしょうし、実家暮らしもしづらいでしょうね。実家暮らしができる人とできない人では、稼がないといけない収入の最低ラインが変わるわけだから、この手段がとれる、とれないの差は大きいですよ。

 

結婚をすると人生の終わりとまではいかないとしても、人生においてプラスに働いている部分がほとんどない気がするのです。結婚は人生の終わりと実感している人もいるみたいで、その人がじゃあ何で結婚前にそれに気付けなかったのか?といえば、洗脳による同調欲求を持ってしまったためでしょう。みんなと同じ生き方をすること正しいのだという学校での幼いころからの洗脳によって、結婚は人生の終わりではなく、むしろ幸せな理想的な状況なんだと思い込まされている。結婚が理想の幸せな生き方であると思い込んでいる人間にとってみれば、それが実現している状況は、確かに幸せと思えるかもしれない。途中で結婚は不幸になるということに気付く人もいるみたいだけど。仮にそれに気付かない人がいたとしても、それは錯覚にしか思えないのです。中身を見ると幸せの要素はそんなにないのだが、そこまで考えないで、結婚=幸せという定義しか頭の中にないまま生活している人が多くて、それは世間に騙されている状態とも言えるだろうか?正確に言えば、国がそのような風潮を作った、国に利用されている状況と同じ気がしてきます。働くのが偉いとか思っている人もいると思うんだけど、まさにこれと同じ。そういう風潮を作って、良いように利用されているだけの気がします。

 

結婚は不幸の始まりだという認識がある人からすれば、結婚願望は持てないでしょう。ただでさえ現在は経済的な問題から結婚できないと考えている人が増えている。それはお互いにとって、生まれてくる子供にとって不幸だからという認識なんでしょう。つまり、暮らしが充実しないだろうというビジョンからそういう結婚しないという選択をとるケースがあるわけだが、暮らしが充実しない可能性は他にもあるわけですから。男性にとっては、背負うプレッシャーが増えて、今まで以上に仕事を頑張らないといけない、社畜化する可能性は高まります。自分以外に守らないといけない人間ができると、その人のために生きないといけない=自分の時間を犠牲にしないといけないわけだが、それが幸せな状況には到底思えないのですよね。結婚は不幸の始まりという考えには、結婚をした時点でこういった生き方をほぼ全員が強いられるという部分が含まれていると思います。結婚は人生の墓場という言葉が、私はよく理解できてしまうのです。

 

実際、「夫の6割が「結婚は不幸」!?何がそんなに不満なのか聞いてみた | 女子SPA!」では、既婚男性の63%が結婚すると不幸になると回答しているわけです。6割強の人間が不幸になっているという一応のデータがあるのだが、結婚をしようとする男性は常に大量にいる。昔よりは減ったとは思うけど。自分は不幸にならない自信があるのか?知らないが、データから言えば結婚をするのは男性にとっては損する確率が高いと言えてしまうわけです。歴史に学ぶことができる人ならば、結婚するのは損する確率が高いと言う判断ができるのでしょう。それに結婚をしても子供を産まない夫婦が増えているという理由の中には、こんな時代に生まれる子供がかわいそうという意見が結構あるようなのだが、私はこれはその通りにしか思えない。まさに私がこの日本で今生きている状況が幸せか?といえば、別に幸せとは思えないです。不幸とも思わないけど。というか、人間は向上心を持ってしまう生き物なので、どの時代に、どの国に生まれても不幸な人は不幸ですよ。重要なのは場所や時代ではなく、発想の仕方です。私みたいに向上心を捨てつつある人間からすれば、不幸は感じづらいのです。その代わり幸せも感じづらいかな?幸せを感じづらいっていうか、満足した生活がただ続くだけなので。それが普通になっているので、傍から見れば幸せそうに見える生き方が、本人にとっては普通の生き方にしかなっていないとでも言えるだろうか?普通の生き方に満足しているので、別に不満がないという意味では幸せとも言えるかもしれないがね。

 

結婚や出産というのは今までの生き方の根本を変える出来事であり、その変化が生む状況は基本的に同調欲求による満足感の瞬間的な上昇であると言えます。結婚したら、子どもが生まれたら幸せだろうなというのは、想像の中にはあるものの、それは実現していない瞬間だから思い描けることなのですよ。手に入れてないから、慣れが生じてないから、そのように思えるだけであって、実際にそういう日常を手に入れたり、慣れが生じたら、結婚をした、子どもを産んだ直後に感じていた満足感のピークはどんどん下がり続ける。その結果が、6割強の不幸な人間を生んでいるという現状なのです。結婚は人生の墓場という言い方が適当か?はともかく、結婚をすると不幸に向かってまっしぐらな人は実際いると思います。結婚した後の個人の感覚の部分は人によって違うので、例外も大いにあるとは思うが、結婚前に抱いていた満足感の高い生活が、結婚後も同じように継続するんあんてありえないと思った方が良いでしょう。結婚に対する満足のピークは結婚をしたいという欲求を持って、それが実現できると決まった瞬間であり、結婚生活が実際に始まってからはどんどん下がり続けます。これは結婚だけじゃなく、人間が手に入れようとするもの全てに言えることではあるが。結婚は不幸の始まりというのはその中の1つの例でしかないが、現実を踏まえると私は正しいよなと思えてしまうのです。

 

結婚は人生の墓場か? (集英社文庫)

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しつけとの線引きは?体罰にうるさい大げさな輩が傷害や犯罪だと主張する理屈が謎すぎる・・・

Naverまとめで見たんだけどさ、体罰を犯罪だと考える人が6割いるってニュースがあったらしいね。そのNaverまとめには体罰を犯罪と考える人の意見が載っていたのだが、想定内のアホばっかりwこの人たちは羞恥心がないのか?これがガチで正しい意見だと思っているくらいに頭が悪いのか?はまず気になった。体罰を犯罪って捉えるのは大げさどころの話じゃないのだが、体罰を大げさにとらえる人って確かにいるよなーといううのは感じる。何でもかんでも体罰だと言っている人は確かに多くいそう。それに日本人って生産性のない無駄な議論が本当に好きだなと思うんだけど、これもその1つ。わざわざTwitterとかで、そういう自分の考えを述べてるんだけど、考えを述べるのは良いと思うのだが、なぜこれが正しいと思ったのかね?と、目を疑うほどの謎の理屈ばかりが並べられている。基本的に体罰が犯罪に当たるか?どうかというのは、正解はないんですよ。というのも、「体罰」という言葉の定義がはっきりしない。体罰ってのは総称であって、具体的な行為の名前じゃないから。例えば「殴る」っていうのは具体的な行為だが、殴る程度にも違いがあるわけ。強弱があるし、素手なのか?道具を使うのか?など、殴るという具体的な行為1つにしても、実は結構抽象的なのです。その抽象的な殴るという行為をさらに抽象化させたのが体罰という言葉であって、体罰には殴る行為以外にもいろいろな行為が含まれるはず。そのとんでもなく抽象的な言葉をめぐって、犯罪に当たるか?を真面目に考えている連中って、私の頭では到底理解ができないことをしているのです。

 

体罰はおかしいと考える人は多いのだろうが、おかしいか?どうかは単なる感想の域なので、どうでも良いと思っているけど、犯罪にあたるか?ってのはちゃんと定義があるものなんです。だから、適当なことは言うべきではないと思いますけど、私が見た意見はこいつら適当に考えただけだろwとしか思えないものばかり。中には何でもかんでも体罰と扱う風潮がうるさいとか、そういう感情の人もいるようなのです。確かにパワハラとか、セクハラもそうだけど、私もそれは思いますよ。確かに体罰ってうるさい人は多くいる印象だ。体罰が犯罪に当たると言っている連中にまず聞きたい。「犯罪」ってなんだろう?って。非常に根本的な部分だけど、「犯罪」の定義を理解しているのかな?と思う。犯罪の定義は狭義では刑法上の罪を犯すことであり、広義には社会にとって悪影響がある行為ことらしいのだが、狭義の定義で言えば、体罰は刑法上の用語ではない。もちろん体罰の内容によっては暴行、傷害などの刑法上の違反行為になることもあるのだが、そうじゃない場合も多分に含まれる。そして、体罰は禁止されているが、それは学校教育法であり、刑法ではない。つまり、体罰という概念が刑法上のものでない以上、そもそも体罰を犯罪と結びつけるのは無理があるのだ。

 

体罰には結果的に犯罪に当たる行為が含まれるというのは正しいが、体罰は犯罪行為やそうじゃないものも両方含まれるのだから、体罰全体を基準にして、犯罪にあたるか?なんて考えている連中は頭が悪すぎる。それこそ結果的に犯罪にあたる行為が含まれていればいいならば、例えば、「サラリーマンは犯罪者である」という考え自体も正しくなります。サラリーマンの中に犯罪者は間違いなくいると思います。だから、彼らの理屈を使うと、これも正しくなります。どう考えてもおかしい理屈を平気で使う人たちがいるのだが、本当に理解できません。さらに言えば、体罰としつけの線引きもよく分からないし。体罰としつけの線引きはどこにあるんだろうね?しつけって結果的に暴力行為が含まれることが多分にあると思うのだが、しつけは犯罪って言われないのはなぜ?しつけという言葉のイメージが、体罰よりも良いからでしょう。あとはしつけというのは自ら行っている自覚がある人が多いだろうというのもある。親になればしつけをしている自覚はほぼ全員にあるだろうから、そのしつけが犯罪と同じだなんて言われたらたまったもんじゃない。だから、都合の悪い部分はスルーなんでしょう。自分が犯罪者にならないために。しつけと体罰の線引きは私も分かりません。それはしつけという言葉も体罰同様に定義がはっきりしないからです。

 

体罰の方がより暴力的なイメージはあるかもしれないが、だからといって体罰が悪いことか?かは全然別の話であり、体罰だと思われる行為が犯罪にならないケースは多分にあるだろう。体罰という言葉の定義を広くしすぎると、何でもかんでも体罰だとうるさい連中が増えるだろうから、そういう輩も個人的にはウザいが、体罰という言葉を使うのには大げさと思われるケースすらもまずあるはずなのです。それこそ体罰を犯罪と同一視する人が多くいるわけだから、体罰という言葉を都合のいいように解釈して使う人も多くいると思います。そもそも体罰という言葉が犯罪とは別にある時点で、体罰と犯罪を同一視する人は、その2つの言葉の違いとかを考えないのかね?と思うけど。中には「体罰は傷害と同じなんだから、傷害である以上犯罪に決まっている」とか、とんでも理屈を持ってくるバカもいるけど、これも同じなのです。体罰と傷害が同じならば、同じ意味の2つの言葉が存在する意味がないわけで、なぜこの2つ言葉があるか?という意味を一切考えないんですよ。当然ながら、体罰と傷害は別個の概念である。傷害は問答無用で犯罪だが、体罰は犯罪になるものとならないものが含まれている。これを同じと捉える人って、どういう頭をしているの?とマジで心配するレベルなんですが、仮にこれが正常な状態で考え出された結論ならば、私の想像を絶する人間がいたことになる。

 

学校教育法が捉えている体罰に当たるとしても、それが=傷害などの犯罪に当たるとは言えないわけだから、体罰と犯罪の関係性について、体罰は傷害などの犯罪であるか?否か?の2者択一で考えている人って本当に理解できない。当然ながら、犯罪には当たらないと思っている人も同じなのです。正確に言えば、暴行や傷害などの犯罪に当たる行為とそうじゃない行為が含まれた概念なので、「ケースバイケースによる」とか、そういう回答ならば正解だと思うが、犯罪に該当する、該当しないのどちらを選んでも、この2つの回答をした人は、この質問に対して答えるうえでの適切な前提知識が完全に不足している。こんなんだから体罰がなくならないんだろうなーとも思うけど。それに体罰っていう言葉が悪い。いじめって言葉も同様だけど、いじめだって客観的に悪いとは言い難い行為まで悪いことにされている気がするのだ。例えば、無視とか。無視をする権利はどう考えても認められている。人の問いかけに常に応えないといけない義務をどうやって説明するのか?体罰だって、その人のさじ加減で定義が勝手に決められがちなのだから、大げさなケースなどもあるだろう。体罰が当たり前のように悪いことであるという認識の人も多いかもしれないけど、体罰=犯罪ではないし、体罰の程度はケースバイケースで全く違う。体罰だと言われるが大げさにとらえただけで、何ら問題ねーだろと、大勢に思われることだってあるだろうし、体罰という言葉が大げさな概念を大いに含んでいると思われる。体罰は当たり前と言う人もいるのだろうが、それが学校教育法が禁止する範囲だとしたら、一応悪いことだと言えるかもしれないが、結局その範囲もはっきりしないので、体罰が当たり前ということ言う人がいても間違いか?どうかも何とも言えない。体罰の定義が各自で異なるということは、学校教育法の考えていることとも異なる可能性があるので、そういうことなのだ。

 

体罰としつけの線引きもよく分からないし、体罰それ自体の線引きもよく分からない。そういうよく分からない前提条件のもとで、真面目に体罰が犯罪に当たるか?なんて考えている人は何が目的なんだろう?その先に何が待っているんだろう?と思う。定義がそもそもはっきりしない言葉に関して、別の定義に当てはまるか?どうかを真剣に考えている人って、本当に何がしたいの???と心配になるレベルなんですよ。無駄な時間の使い方にしか思えないのですが。私の予想では、そもそも「犯罪」という言葉の定義も正確に理解している人は少ないと思いますよ。体罰という言葉の定義もそうだが、犯罪という言葉の定義をなんとなく自己流で考えている人も多いと思う。広義の定義だと、社会的に迷惑な行為が該当するらしいのだが、仮にそっちの定義を使っているとしたら、誰でも迷惑を感じている行為や存在を犯罪、または犯罪者にできるので、体罰=犯罪なんて考えをしている連中も、私にとってはウザいので、彼らも犯罪者で良いですか?と問うだけです。広義の定義を使うならば、当然これも正しくなりますよ。各自が主観で社会的な迷惑にあたるか?どうかを考えているならな、私も主観で同様に考えました。というだけなので。それこそ多くの親が家庭でやっているしつけも犯罪にできますよ。だから、こういったアバウトな定義で人や物事を否定するのはいい加減にやめた方がいいんじゃ?と思うけど、大衆に言っても無駄でしょうね。そういう無駄が好きな国民性なのだろうから、生産性がここまで低いのだろうし。

 

 

 

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聖学院大学の偏差値や難易度と評判は?倍率や合格最低点はどうなっているのか?

埼玉県にある聖学院大学は福祉系の学部が有名で、それなりに規模があります。聖学院大学では福祉系の学部が2つあって、これが注目みたいな感じになっていると思いますけど、それ以外にも人文学部政治経済学部があります。聖学院大学の難易度は全体的にそんなに高いわけではないと思いますが、偏差値を知っておくと良いと思います。聖学院大学に入りたい人はまずは学部ごとの偏差値を知っておいてほしいですが、聖学院大学の偏差値は学部が変わっても、あまり数字は変わりません。一応それぞれごとに把握しておきましょう。聖学院大学の偏差値はどういった感じになっているのでしょうか?

 

聖学院大学の学部ごとの偏差値は?

聖学院大学の偏差値は人文学部政治経済学部、心理福祉学部、人間福祉学部いずれもおよそ35.0となっており、河合塾の偏差値を見ると高くはないです。聖学院大学の難易度は全体としてはそういった感じになりますが、油断はしないで対策をしてほしいと思います。一般入試で受ける人もいれば、そうじゃない人もいると思いますけど、埼玉県内ではそこそこ大きい私立大学だと思いますし、聖学院大学の評判は良いと思うので、しっかりと難易度を把握して対策をしてほしいのですが、そのためには入試科目について知っておかないといけません。学部ごとに複数の入試方式があって、それぞれで聖学院大学の入試科目が異なっている可能性があります。聖学院大学の偏差値も重要ですが、そういった情報も早めに入手しておいてほしいと思います。聖学院大学ではセンター利用入試をやっていないようなので、一般入試における聖学院大学の入試科目を調べておくと良いと思います。聖学院大学の偏差値はそこまで高いわけではないものの、入試の情報はしっかりと調べておきましょう。

 

聖学院大学の入試の倍率はどうなっている?

聖学院大学の入試の倍率も重要な情報で、こちらも入試の難易度に関係します。聖学院大学の一般入試の倍率についてチェックしておいてほしいですけど、聖学院大学の入試方式はA~E日程まであります。学部学科によってはE日程がない場合もありますが、聖学院大学では多様な入試方式が用意されているのが特徴と言えるのです。ただ、学部学科や入試方式ごとで倍率がそこまで異なるという状況にはなっていません。聖学院大学の倍率はどの学部学科、入試方式においても1~2倍程度です。ほとんどは1.5倍未満になっており、過去の倍率をチェックすると、聖学院大学の倍率は低いと言えると思います。全体的にはこのような倍率と言えるので、聖学院大学の難易度はそういった感じで捉えておくと良いと思います。聖学院大学の倍率は全体的には高くはないです。特定の学部が抜けているということもないので、傾向としては特定の学部の評判や人気が高いということではないですし、全体的に同じくらいの難易度と評価できるでしょう。聖学院大学の偏差値も学部ごとにそんなに変わりませんし、倍率を見ても同じくらいの難易度と言えると思います。

 

後は合格最低点などの情報も知っておいてほしいのですが、聖学院大学では合格最低点は公開していないようです。入試のボーダーラインの数字は気になると思いますし、過去問を解く機会があれば、そのときに聖学院大学の合格最低点は情報として必要になります。しかし、ネット上では見つからないので、聖学院大学の入試のボーダーラインは載っていないと思っておいた方が良いでしょう。入試のボーダーラインを公開していないところは割と多いですから、合格最低点などが分からないのは普通ということも言えると思いますが。聖学院大学に受かりたいならば入試科目などの情報をしっかりと調べて、過去問などを解きながら出題傾向に慣れていくということが重要になります。聖学院大学の難易度は高いとは言えませんが、油断しないで対策をしていきましょう。聖学院大学は福祉系の分野に関して評判が良いと言えると思いますが、それ以外の学部も毎年多くの受験生が入学しているので、それなりに評判は良いとは思います。しかし、大学全体としての評判も気になると思います。聖学院大学の偏差値などの情報も重要ですけど、キャンパスライフに関する情報もしっておいてほしいです。聖学院大学の学生の口コミからキャンパスに関する評判を紹介していきます。キャンパスの立地条件や雰囲気などに関して書いていきたいと思います。

 

聖学院大学のキャンパスの学生の口コミは?

聖学院大学は全ての学部が1つのキャンパスで就学するようです。最寄り駅はJR高崎線宮原駅、JR埼京線川越線の日進駅、西大宮駅となっています。聖学院大学の学生の口コミを見ると、最寄り駅からはいずれも20分程度歩くので、ちょっと遠い感覚を持つでしょう。バスもありますけど、毎回お金がかかるので、利用しない人もいるようです。大宮駅が非常に近いので、そういった意味では遊べる場所は割と最近にあるということで、これは学生の評判として良いです。聖学院大学のキャンパスの周辺は買い物を楽しむ場所もあり、それなりに栄えているようですが、人によっては田舎に感じると言う口コミもあり、都心と比べると辛いですけど、埼玉県内ならば結構いい場所なんじゃないか?と思います。キャンパスの中に関してはあまり広くないみたいですが、その分授業間の移動がしやすいという口コミもあります。あと学食は複数あるようで、日替わりで利用する場所を変える人もいます。あとは周辺のコンビニで買って食べるという人もいるようです。建物は全体的に古いという口コミがありますけど、チャペルはかなり立派という声もあります。恐らくこのキャンパスのシンボル的な存在だと思います。こういった感じで聖学院大学の学生の口コミを載せてみましたが、キャンパスの雰囲気や立地条件などは実際に見学に行った方が分かりやすいです。聖学院大学のキャンパスの評判はこういった口コミと自分自身で確かめた際の感覚を総合して、判断すると良いのではないか?と思います。

 

聖学院大学の大学案内が無料で請求できる!

聖学院大学を受験したいと思っている人、受験する可能性がある人はスタディサプリ進路から資料請求ができるので知っておいてほしいです。ここで請求できるのは聖学院大学の大学案内になりますが、入試情報や学生生活の情報が特に満載となっています。入試情報に関しては、聖学院大学の学部別、入試方式別に必要な科目、配点、募集人数、日程について分かりやすく丁寧にまとめてくれています。また、過去の入試データから倍率や合格最低点なども載っている可能性があるので、かなり貴重な資料と言えます。学生生活の情報については、聖学院大学の学生が普段どんな授業を受けて何を学んでいるのか?ゼミやサークルはどんな雰囲気なのか?卒業後はどんな進路を歩むのか?就職率や就職実績はどうなっている?といったことについて、学部学科別に詳しく紹介されています。これを読めば、聖学院大学に自分が入学したらどういう四年間を過ごすのか?が想像しやすいですし、今まで気付かなかった聖学院大学の魅力などを知ることができると思います。スタディサプリ進路のトップページの検索窓に「聖学院大学」と入れて検索をして、「パンフを請求する」というリンクをクリックすると必要事項を記入するページがあります。そこに氏名や住所などを入力して送信すると自宅に届きます。無料で請求できるので、良かったら参考にしてほしいと思います。

《高校生注目》スタディサプリ進路で学校パンフをまとめて請求

 

大学受験勉強法 受かるのはどっち?

大学受験勉強法 受かるのはどっち?

 

 

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現代のマスコミと大衆は無実の人間に自白を強要し、悪者に仕立て上げる存在

戦後から高度経済成長期にかけて、日本では冤罪が非常に多く発生していたはずだ。それは警察が容疑者の自白を強要していたから。現代は容疑者の自供以外での証拠がなければ有罪にできなかったと思うが、当時はそうでなかったため、自白こそが最大の証拠であるとされていたのです。それによって警察はいかに容疑者に自白をさせるか?に躍起になり、それが後に世間に明るみになり、問題視されるようになる。自白さえあれば有罪にできるならば、警察がそれを強いるのは目に見えると思うのだが、当時の人間はそんな予想もつなかったのだろうか?というのは疑問である。そういう実態は現代ではだいぶ減ったとは思うけど、残っている。残っているというのは警察内部にというよりも、日本社会そのものに残っているのだ。それがマスコミと大衆の存在だ。現代日本では、マスコミと大衆により、同じようなことが行われている。無実の人間がなぜか悪者にされてしまうという構造が存在し、その原因を作っているのはマスコミと大衆である。

 

具体例を挙げると分かりやすいかもしれないが、何年か前に話題になった次長課長河本準一さんの生活保護の問題が特にそれである。当時は彼の母親が生活保護を受給しており、それなりに高収入を得ていた河本さんがいるのに、なぜ母親は生活保護を受けるのか?という疑問がまずあり、「タダならばもらっておけばいい」という発言もあり、世間的に河本バッシングが加速したのだ。その結果、彼はなぜか謝罪会見を開くという顛末です。今更ながら私はあきれている。戦後に日本に存在した警察組織と一切変わらない状況がここにあるのだ。調べれば簡単に情報は見つかるが、当時の河本さんの対応に不備は一切ない。感情的に許せないとか問題はともかく、制度上の不備はなく、河本さんの母親は不正受給でもなく、河本さんの対応自体も問題はないとなっている。つまり、客観的に何も悪事を働いていない人間が、最終的に「自分のしたことは悪いことだ」ということを認めさせ、謝罪までさせられている。これはまさにマスコミと大衆が完全に原因になっています。マスコミが報道をし、それに食いつき、感情的に叩きまくる大衆がいたからだ。結果、無実の河本さんはなぜか悪いことをした人間みたいな状況になってしまったのだ。謝罪会見にまで追い込んだわけだから、大衆は「ざまあみろ」と思っていたかもしれないけど、これはまさに自白の強要(自分が悪いことをしたと認めさせる)行為に他ならない。当時の警察は暴力行為をなどを働いていたため、容疑者も苦痛から逃れるために自白をしていたのだが、この例では世間の過度なバッシングに耐えかねたために、さらには事態を収拾しないと仕事に影響が大きくなりすぎるという懸念があったために、同じく苦痛から逃れるために謝ってしまった方が良いだろうという気持ちになったと思われる。構造はほぼ同じです。

 

タダならば貰っておけばいいという発言に関しても、それは当然事実でしょう。タダでもらえる(受給資格をちゃんと満たしている)ならば、貰って何が悪いんでしょう?と、私も思います。ルールに則って生活保護を利用している以上、その利用者に文句を言うのは筋違いだ。制度に文句を言うならばわかるが、大衆は頭が悪いからそんなことはできない。むかつく人間がいたら、その本人を叩くのだ。そのむかつく人間がそもそも生まれた原因は別のところにあるのに。本当に理解できない行動を平気でしますよね。実際、昔の警察がやっていたことは真実を捻じ曲げる行為なわけです。真犯人か?どうかも分からない人間を有罪にしようとして、警察のメンツを保とうしていたのだから。現代のマスコミや大衆がやっているのも同じ、悪くない人間を悪者に仕立て上げた時点で、完全に真実がねじ曲がっています。悪くない人間に、自分が悪かったと自供させた点も同様だ。これが大衆は正義だと思っているのでしょう?真実を捻じ曲げて、無実の人間を悪者に仕立て上げる。これが日本人は正しいと思っているわけです。全員が河本叩きをしていたわけではないが、結構多くの人が叩いていたと思われる。その結果、何も悪くない人間が好感度が下がったという理由で、テレビなどからしばらく姿を消しました。テレビ局の対応はいじめそのものにしか見えないが、利益を優先するならば腫れものを隠しても良いってことなんでしょうね。

 

マスコミが報道をするのは、そういうネタに大衆が食いつくと予想ができるからだろう。マスコミにとっては真実がどうであろうが知ったこっちゃないのだろうが、真実を捻じ曲げる原因になっているのは間違いない。マスコミで働いている人の頭もそういうことなんだろう。直接の原因はそのネタに飛びつき、知識もない人間が感情論で、無実の人間を叩いたことだけどね。だから、こういうことが起きる原因のうち、大きいのはやはり大衆の方です。大衆は常に頭が悪いから、そういう論理的整合性がとれないようなことを平気でするのは私も予想ができる。マスコミも当然分かっているだろうね。ってことは、そういうことが起きても構わないというのがマスコミの姿勢なんだろう。大衆にこういう情報を提供する時点で、こういうことが起きるのが目に見えている。あとはネットの存在も大きいだろう。ネットの存在により、特定の人間を叩くのが容易にできてしまう。大衆にネットを与えるのは、人を殺そうとしている人に包丁を与えるのと同じだと思った方が良い。その頭のおかしい人の割合が大衆の中で非常に高いってこと。だから、こういうことが起きる。現状、個々人のネットの使用を規制することはできないのだが、マジでネットは大衆が利用すると凶器になる。さらに言えば、スマイリーきくちさんの事件とか、舛添知事の一件も同様だけど、結局のところ的外れなバッシングをして、特定の誰かを叩いていた人間が、一切制裁を受けていないというのもこういうのが継続する理由だろうと思う。つまり、そういう人間が放置され、増殖するのは、そういう目に遭った人がある種の原因になっている面もあると言えるのかもしれない。被害に遭った側が制裁を課すことをしないってのは間違いなく原因になっている。

 

原因はともかく、日本人の多くは客観的なものではなく、主観的理由で善悪を決めつける。主観的な理由で良いならば、批判された側も主観的な理由で、別に良いだろ?と返すことも容易なのだが。客観的に悪だと言える理由を問うても、普通はこうだろ?とか、お前にはまともな人間じゃないとか、論点ずらしに走る人間が多いだろうと想像できる。河本バッシングに関しても、自分が高収入ならば自分で面倒を見るのが普通であり、生活保護を頼るのはおかしいという感情的に理由が多かっただろう。感情的な理由で善悪を決められたらたまったものではない。事実上、法律上が存在しないということだ。そもそも自分の感情に照らしておかしいと感じることを批判する人は、自分の思い通りに全て世の中が進むべきとでも思っているのかな?いや、そんなことはない!と言うかもしれないけど、そんなことないってことは自分の感情に反する行動の中で叩かないものがあるってことになるけど、その叩く、叩かない基準は何なの?その基準を決めることの正当性は?という質問をして、すぐに答えられなければ、その人は適当なことを言っているだけとなるだろう。基準なんかないわけだから、本能的に判断しているだけなのだ。つまり、適当なことをぬかしているだけとなる。自分の感覚のみで善悪を判断される社会っていうのは、無実なのに悪者にされてしまう人間を大量に生産するわけだが、日本人は、大衆はそれが正しいということなんでしょう。もう付き合いきれない。だから、私もう日本人にはかかわらないようにしている。頭が悪いというよりも、頭がおかしい、狂ってるという評価がお似合いだろう。日本には紅林麻雄みたいな人間が大量にいるのだろうから。それだけとんでもなく危険な国ってことなんですよ。

 

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