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不倫はなぜいけないのか?肯定論も少しはは解る気がする

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不倫はなぜいけないのか?ダメなのか?「不倫肯定論」なるものがネット上で噴出し、話題になっている。不倫をする人は非常に多くいるようだが、いわゆる不倫を悪だと断じるのは、人間の世界だけなんだろうと思う。それは血のつながりを大切にし、家族が一生の付き合いを果たすものだから。という前提もありそう。私は詳しいわけではないが、他の動物はそうではないでしょう。ある年齢からは親と子は完全に別の人生を歩む。つまり、互いにかかわらない。だから、こういう場合は倫理的な不倫の悪というものは浮き彫りになりづらい。不倫を肯定する側の意見は、社会に迷惑をかけていない!だから批判される謂れはないというもの。確かに、家庭内の問題だから、社会には迷惑をかけていないようにも見えます。強いて言うなら、文句を言われるとしたら家庭内からか。ただ、これには社内から不倫をしている社員が出れば、会社のイメージダウンにもつながる。という意見もあります。これが社会に迷惑をかけているという例なんでしょう。

 

一見、正しそうにも見えるが、社内で迷惑をかける人はいくらでもいそうな気がしてくる。また、例えばある化粧品のCMに出ている芸能人が不倫をしたとしよう。その後、その化粧品の売り上げが急激に落ちたとしたら、この芸能人のせいにされてしまうのか?因果関係は確実とはいえないが、時期から言って不倫が原因になっているのが間違いないとして、不倫をしていたから、仮に化粧品の売り上げが下がったとしても、その全責任をその芸能人に押し付けるのが正しいとは思えない。例えば、会社の従業員が、車で事故を起こしたとしよう。この場合、車の損失代や相手、またはその他物品の損害賠償は本人のみではなく、会社も行わないといけない。ということが多い。これは会社は、従業員を雇って、利益を挙げているのだから、従業員が損失を起こした場合にはそれを補填しないといけない。という公平性の理屈からきていると思う。搾取するだけじゃなくて、いざというときは損害分も受け入れろという話でしょう。そうなるとね、不倫だけに限らないが、有名人が何かしら不始末をしたら、その火の粉は起用している会社にくることは当然予想できるし、また有名な人を起用している以上、そこから利益が大幅に発生していると見るのが自然です。つまり、先ほど自動車事故と同様で、有名人を起用して大幅な利益を得ているならば、その起用によって損失が生まれた場合もそれは受け入れるべきだろう。という話になる。

 

つまり、ハイリスクハイリターンを狙うか?ローリスクローリターンで行くか?の違いです。有名人を起用すれば、何かしらのスキャンダルで、会社にも打撃が起きる可能性がある。ただ、無名のタレントなどを起用すれば、その人が不倫してもニュースにならない。つまり、会社への打撃はほとんどない。その代わり、利益も少ないかもしれない。どっちをとるか?という話です。利益をたくさん求めるならば、その損失の大きさも受け入れるべきだ。というのが過去の判例にあるのだから、法律論的に言えば、不倫によって会社イメージを損ねたとしても、雇った会社が悪いと言える部分も大いにあるのです。だいたいね、CMに出ている芸能人が不倫をしたくらいで化粧品が売れなくなるっていうのは、明らかに化粧品に魅力がないからだと思うのです。優れたものならば、そんなニュースがあったくらいで使用をやめないと思うんだが。使用をやめて他に乗り換えるというのは、代わりは他にあるということになってしまう。この場合、不倫をした芸能人と同じくらいに、商品自体の魅力のなさが客離れの原因になっているような気がする。

 

話はちょっと逸れたかもしれないが、不倫が社会に迷惑をかけたとしても、それは迷惑をかけるかもしれない存在を雇っている企業にだって責任はあるだろう。という話です。従業員に迷惑をかけられるのが嫌ならば、雇わなければ良い。会社を興さなければ良い。従業員は会社に貢献だけして、一切迷惑をかけるな。というのは、まさに今蔓延っている社畜養成のための理屈に思えてならない。貢献だけして、迷惑をかけるなって、都合が良すぎるだろ。私は迷惑をかけるのが良いと言うつもりはないが、迷惑をかけているだけで非難するのは違うだろうと思う。だいたい、社会に迷惑をかけている理論を持ち出したら、もはや何もできない。例えば、あるお洒落なブランドの洋服を、お洒落とは無縁な人が着ていて、そのブランドイメージが下がるとか言われたら、これも社会(洋服のメーカーやデザイナー)に迷惑をかけていると言えると思うが、これもいけないのだろうか?その人が有名人でテレビに出ていたら、先ほどの不倫と同様に、買う人が減るかもしれない。

 

不倫がいけないか?というのは、倫理面からしかほとんど言えないでしょう。今の世界中で当たり前になっている、家族形態や家族の成り立ちの理屈からすると、望ましくないというのが一般的な意見というのは否定しないし、私自身も不倫を肯定する気にはなれない。ただ、第3者が不倫をしていたとして、別に文句を言うつもりはない。その家庭の問題だと思っているから、いちいち口を挟む気にはなれないのです。不倫がいけないとされているのは、不倫をすること自体がマイノリティだから。というのが1番の理由だと思うけどね。要は一夫多妻制などを法的に認めて、それが実際に多く起これば、不倫は一般化する。というか、不倫なんて言葉は使われなくなる。そして、その光景に誰も違和感を覚えなくなると思います。珍しいだけ叩かれるわけではないが、珍しいとか、少数派という理由は割合として多いと思うけどね。赤信号を渡るのも同時によくない行為だろうが、赤信号を渡っている人を見て、いちいち非難する人の方が少数派だと思う。赤信号を渡る人よりも、赤信号を渡っている人を注意する人の方が少ないと思うのだ。それは赤信号を平気で渡る人があまりにも多いから。彼らが多数派か?どうかは分からないが、少なくとも少数派ではないでしょう。多数派ならば、いけないことも正当化しやすい力が生まれる。だから、赤信号を平気で渡る人が多く、それに対して注意をする人が少ないのです。

 

不倫が非難されている理由も、ここが大きいと思いますよ。不倫をする人が少数派だから。そして、不倫をする気持が多くに理解されないから。そこですよね。不倫肯定論の中には「多様性を認めるべき」という理由もあるみたいだが、それはここにきているのかもしれない。同じいけないことでも、赤信号を渡るのは非難されづらく、不倫は非難されまくる。この差はなんなんだ?赤信号を渡る人という多様性は認められつつあるのに、不倫は認められない。不倫をいけないと罵っている人の中にも赤信号を故意に渡った経験のある人は多くいそうだが。あまり説得力はない気がする。世の中は常に多数派の都合の良いように操作されているとする、分かりやすい例じゃないでしょうかね?不倫をしたい人が今後急増すれば、不倫が叩かれることはなくなり、不倫を当たり前のものとして国民が受け入れて、それによって傷つく人はいなくなるかもしれない。私は赤信号を渡ることはないから、言わせてもらいたいが、今のところは不倫を肯定する気はない。ただ、赤信号を渡る人も肯定する気はない。そして、赤信号を渡っている人を見ても注意する気もない。

 

不倫の恋で苦しむ男たち (新潮文庫)

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