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歩きスマホに規制や罰則を設けるなら、酒や車を禁止が先だろう

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飲酒運転をなくしてほしいという声が、飲酒運転をするたびに聞こえてくる。以前話題になった危険ドラッグについては、危険ドラッグ絡みの交通事故が何度か起きたことから、規制されているが、効果はどれくらいあったのか?はワカラナイ。危険ドラッグ絡みの交通事故は、危険ドラッグを規制すれば(それを国民が守れば)減るだろうし、撲滅も可能かもしれない。ただ、飲酒運転はどうだろうか?酒は相変わらず規制はされない。酒を規制すれば、飲酒運転は減るだろうし、撲滅ももしかしたら、可能かもしれない。酒を禁止にしても、どうせ密造する奴らがいるという声も聞くが、それは危険ドラッグも一緒でしょう。密造する奴らがいるから規制しても意味ない。ということはないだろう。それは0にはならないだけ減りはするから。0を目指している人間、0が現実的に可能だという人間は恐らくいないのではないか?と思います。

 

酒を禁止にすれば、飲酒運転の件数は間違いなく減る。かなり減ると思うが、それを主張する人間はあまり少ない。酒を禁止にすれば、理論上は0も可能だが、飲酒運転の事故に遭った被害者の遺族などは、誰もそのことは言わない。言わないということは、0にはならなくても良いということになる。少しは起きてしまってもしょうがないということなのか。世の中の風潮として、酒は大衆に受け入れられてしまっているから、公の場で酒を禁止にしてほしいとは言えないという事情もあれば、本人も酒を嗜んでいるから、とても言えないという事情もあるかもしれない。でも、危険ドラッグはいとも簡単に規制された。危険ドラッグは、それだけ運転能力への支障の度合いが大きく、事故発生率が高いということを意味するでしょう。それが理由としては大きいのかもしれない。また、酒を仮に規制したところで、交通事故はなくならないから、意味がないわけじゃないが、問題の根本的解決にはならないというのもある。

 

要は車を運転する人間がいる限りは、事故が起こる。酒を規制しても、それ以外で事故を誘発するものを全て規制しないと納得しない人もいるのではないでしょうか?例えば、ラジオ、ステレオとか、カーナビとかもそうかもしれない。話は変わるが、以前歩きスマホを規制したほうが良いという声も聞いたことがあります。歩きスマホは、人にぶつかることで迷惑をかけることも多いのだろうが、はっきり言ってその程度で済む分には個人的にはどうでも良いと思っている。それも結局スマホを歩きながら見ている人が、全員そういう人間というわけでもないし、さっきと同じで、マンガを読みながら、友達と話しながら、音楽を聴きながら、考え事をしながら、道案内を見ながら、など要は同じようなことを起こす恐れのある行為は全部禁止にしないといけない。個人的に思うのは、歩きスマホで人が死ぬことは通常ありえない。また、ありえたとしても、それは歩きスマホしていた本人でしょう。だから、歩きスマホを規制するというならば、間違いなく酒が先だろう。こっちは、本当に人の生き死にがかかった問題ですから。

 

歩きスマホを規制したほうが良いと言っている人は、それなりの割合いるようだが、恐らくその中には酒を飲む人間もいるはずだし、車を人間も多くいるはずだ。自らが日常生活の中で他人を殺すかもしれない危険な行為をしている。にもかかわらず、歩きスマホを規制しろというのは、訳が分からない。歩きスマホはダメで、酒飲んだり、車を運転するのは良いの?どう考えても後者の方が場合にっては迷惑度合いが大きいと思うのだが。よくスマホを規制しろと言えるものだなと思う。酒が禁止されないで、危険ドラッグが禁止される理由も恐らくそこだろう。そこは納得しないわけでもない。ただ、危険ドラッグが規制されて、酒は規制されないことに納得している人間が、歩きスマホを規制しろと言っているのは、随分都合が良い主張に思えてくる。人間は本当にそういう生き物だと思っているし、私もそういうところがないわけじゃない(できるだけそうならないように努力しているが)から、そこに留めておくが、スマホを規制する必要があるか?ないか?という問いには、私の答えはない。ただ、歩きスマホを仮に規制するなら、もっと規制するものがあるだろうと思っている。

 

世の中には便利なものがたくさんあるが、それはプラスの面ではなく、マイナスの面も持ち合わせている。車を運転すれば人が死ぬかもしれない。それは避けられない。みんなそれだけは避けようと努力はしているが、そもそも努力をすれば100%回避できる方法は存在しない。だからこそ、毎年のように交通事故は起きてしまう。それははっきり言ってドライバー全員が認識しているよね。人間はミスをするものだ。過去にミスをして事故を起こした人もいるし、今までには起こしたことはないが、今後起こすかもしれないし、運よく生涯にわたって起こさない人もいる。どう転ぶかは?分からない。ミスは確実には避けられないから、結果的に1度もミスをしない人もいるし、ミスはするが、致命的には至らないケースもあるし、致命的なミスをして重大な結果を起こすかもしれない。ドライバーがこれだけ多くいれば、それら全部が一定割合ずつ起きるのでしょう。これは避けられないですよね。現実的に。つまり、車社会が存在している時点で、一部の人間が犠牲になったとしても、大勢の利便性を優先して良いじゃないか?という社会が存在していることになる。酒が存在している理由もそこでしか説明ができないと思います。そして、同時にスマホも。スマホの場合は、犠牲って言っても大した犠牲じゃないわけだが。その大したことない犠牲に文句を言う人間がいて、多大な犠牲を払わせるかもしれない行為は黙認している人間が多くいるってことですよね。自分が迷惑をかけるかもしれない行為をしておきながら(結果的に迷惑をかけることになるか?はワカラナイ)、同じ行為をして、結果的に迷惑をかけている人が叩かれる状況もよく分からない。自分もその行為をしているってことは、その行為の結果、最悪なケースとして、他人に迷惑がかかっても良いじゃん?しょうがないという認識であるということが客観的に証明されてしまうのに。

 

 

 

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