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テロはなくならない、テロを防ぐにはテロリストに理解を示すしかない

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クレヨンしんちゃんの野原ひろしの言葉(実は野原ひろしではないという説もあるらしいが)に「正義の反対は悪じゃない。また別の正義なんだよ」というものがある。この言葉を私は「いやいや、それはさすがに違うだろう。正義の反対は悪だろうwww」と思っていたが、ようやく勘違いに気付いた。正義の反対はまた別の正義で間違いないと思えるようになった。別に何かの出来事をきっかけにしたわけではないが、「正義」なんて言葉は非常に胡散臭い、自らの、自分たちの正当性を証明するときに使われる、都合の良い言葉でしかない。それが何故正義と言えるのか?の証明なんかはできない。お前がそう持っているだけだろうとしか言いようがない。1番身近な例だと、選挙とかがそうなのかな?自民党を支持している人たちは民主党を毛嫌いしているだろう。恐らく相当罵ってきたはずだ。ただ、現実的には民主党を支持する人間もいる。それは民主党を支持したほうが有利だと思う人間がいるからですね。他の政党も同様です。

 

支持する割合は少なくても、その共産党維新の党などが理想の政治だと、自分たちにとっての正義だと考える。それぞれ理想とする日本の姿が違うからこそ、考えが分かれる。つまり、支持政党が異なる。極端な例になると、人を殺す者とそれを非難する者が挙げられるかもしれない。人を殺すのは悪いことか?というと、どうでしょうか?悪いことと断言できる根拠は恐らく存在しない。根拠を挙げることはできても、それらは別の反論によって矛盾を指摘されるだろうと思う。人を殺しても良いという真理、人を殺してはいけないという真理、どちらも存在しない。人を殺してはいけないと断じる人間の方が圧倒的に多いから、そういう空気になっているだけ。そう断じている人が、今後人を殺さない保証はないが。また、人を殺すのがいけないならば、間接的に人を殺しかねない酒は何故禁止されないのか?酒を飲んでいる人が全員飲酒を運転しているわけじゃないから。だから、酒がいくら飲酒運転を引き起こし、結果人を死なせる結果を導いたとしても、酒を禁止するのはやりすぎだ。という主張がくるかもしれない。

 

しかし、それはつまり少数のものが飲酒運転の事故の犠牲になっても、酒を飲みたい人たちの都合を優先させろ。ということにもなってしまう。資本主義社会こその考え方も言えるかもしれない。酒が存在する限り飲酒運転がなくなることはないだろう。そして、結果起きてしまう事故も0にはならない。酒を禁止すれば事故がなくなるわけではないが、確実に事故に巻き込まれる人間は減る。事故を確実に0にするには、車自体を廃止にするしかないが、それも一応意見としては存在しても構わないだろう。ただ、現実的に先ほどの酒と同じで、車を禁止されたら困る人間が増える。車がなくても困らない社会は存在するはずなのだが、車がある前提で発展してきた社会だから、その前提を崩されたら、今ある社会はもろくも崩壊するでしょう。そういった理由で、車を禁止すれば、死ぬ人を相当削減できるはずだが、それは困るという都合のもと、今日も大勢の人たちを危険にさらしながら、車は走り続けている。

 

結局、人を死なせるかもしれない車が存在できている理由も、事故を起こすドライバーなんて一部なんだから、そんな奴らのために何故禁止されなければならないのか?という理屈があると思う。つまり、ここでも少数の犠牲に目を瞑ってみんなが助かるんだったらそれで良いじゃないか?という思想が存在しているということになる。それが良いか?悪いか?を論じるつもりはない。私なりの意見はあるが、それは私の意見であって、正解ではないと思う。しかし、少数の者を犠牲にしても多数のものが得をすれば良いというのであれば、じゃあ例えば金持ちから全財産を奪って、それを貧困で困っている大勢の人たちで分配したらどうなる?これも少数の犠牲によって、多数を助けるやり方だが、これは「犯罪」として扱われている。さあ、何故だろうか?先ほどとの違いは何か?というと、さほどあるようには思えない。むしろ、先ほどの例は人の命が直接かかわっているが、こちらは金銭的な損失のみ。車の例は正義だが、こちらの例は悪として扱われている理由は簡単だ。被害に遭う可能性の問題だと思う。

 

後者の行為は一般的には「窃盗」と表現される。それを窃盗として犯罪に設定したのは国です。前者の車の例は、車社会を是認すれば自分もその被害に遭う可能性は一応ある。一応あるが、限りなく少ない。それは誰もが認めるところでしょう。ただ、金持ちからお金を奪って貧困者に分配しても良いということが罷り通れば、間違いなく自分が狙われる可能性が高い。政治家は一般人と比べたら金は持っているだろうし、テレビにも顔出ししているし、いろいろな意見を言ってきた経緯から、反感を買っている可能性すらある。つまり、それを許せば自分が困るし、自分たちにとってメリットがそもそもない。一方、車の運転を許しても、自分たちにとってもメリットがあるし、被害に遭う可能性も相当少ない。だから、認めてしまっても良いだろうということ。車を運転することは正義だが、窃盗を働くことは悪とするのはその辺の事情もありそうだ。

 

フランスで起きたテロとかもテロを許さないという正義もあれば、テロによってフランス国民や政府に打撃を与えても構わないという正義があるんだろう。人を殺すことが正義というよりは、人を殺してまでも実現しないといけない正義があるといった方が正しいだろうか。だから、彼らに自分たちの基準から来る正義を盾にして「卑劣だ」なんて言っても無駄なんだよ。子供の喧嘩かよ。と思う。国のトップの人間がする対応か?と思う。安倍首相がやっているのは他人の喧嘩を煽って、火に油を注いでいるだけだ。つまり、日本を含めた世界中での今後のテロ発生可能性を高めただけです。元フジテレビの元アナウンサーの長谷川豊氏も、自身のブログで語っていたが、「テロは許されないといっている人間は物事の本質が掴めてない。大切なのは何故テロが起きたのか?という分析だ」と言っていたが、私の意見もこれに近いかな?安倍首相とかも何を考えているのか?よく分からない。結局、実現したいのは何なんだ?平和なのか?テロを起こしたグループを挑発するような発言をしたり、フランス支援を明言して、軍事的協力をしていくということは、平和とは最も遠い位置にある対応に思えるが。店の中で喧嘩している連中に加勢して、店で飲んでいるその他大勢の客に迷惑をかけている状況にしか見えない。これが正義と言えてしまうのならば、正直言って、テロを起こす側の正義がそれだけ正当化されてしまう結果になると思うがね。

 

テロを本当になくしたいなら、テロを現実的になくすには、テロリストの主張を理解し、歩みよる姿勢をするしかないと思う。彼らは自爆テロとかもやってくるんだから、死ぬことへの未練がない。死にたくないと思っているような、テロとは対極に位置する人間、つまり私たちと比べて明らかに立場が強いんだ。だから、彼らの逆鱗に触れれば平気で人を殺してくるでしょう。そこの差があるから、普通に対応してもダメなんです。だからこそ、こんな強硬なやり方をする政府や「テロは許されない」と言っている、彼らの思想を真っ向から否定する人間の思想は、めぐりめぐって、結局罪のない人たちを殺す結果を生んでいるのです。本当にテロが起きて欲しくないなら、テロリストへの理解を進めるべきだと思う。テロは許されないという思想は一般的には受け入れられているものであるがゆえに、少数派の怒りを買いやすい。多数が少数を弾圧するとこういう結果になるというのが、分かりやすく教えてくれている気がする。だから、自分の信念を正義だとは思わないこと。自分の信念もあれば、それとは対極の信念もあるということへの理解が進み、お互いがいい意味で妥協、または譲歩ができれば、テロは少しずつなくなる気がする。

 

 

「テロに屈するな!」に屈するな (岩波ブックレット)

「テロに屈するな!」に屈するな (岩波ブックレット)

 

 

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