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勉強しない学生に対する林修氏の意見が正論と話題だが、そうは思えない件

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Spotlightとかに掲載されているけど、東進の予備校講師でタレント活動も行っている林修氏が、勉強しない大学生への言葉が名言として世間で扱われているようだが、個人的にはあまりしっくりこない。というのも、林氏の言っていることは、ただの理想論であって、現実的な話ではないから。「「やる気がないならやめなさい」勉強しない生徒に対する林先生の言葉が深い」に詳しいことが書いてあるが、まずはそちらを読んでいただきたいと思います。

 

>もともとは林先生が大学時代にゼミの先生が語っていたというこの「いやならやめなさい」という言葉。

このことについて、林先生は、世界中には勉強をしたくても、貧しさから働かなくてはいけない子どもたちが沢山いることについて言及する一方で、両親から面倒をみてもらい、学校に行かせてもらい、高い授業料を払ってもらえることがどれだけ恵まれているかについて指摘。

それだけ恵まれた環境にいながら「やる気がおきない」という生徒について林先生は「自分がいかに恵まれているかわからないような人間が勉強したって意味ないだろう。だったらもうやめなさい」と語っています。

 

子どもの貧困が社会問題として取り上げられることが多くなってきた現在。日本でもやる気と能力があるのにも関わらず経済的な事情から進学を選択しない人たちも存在しています。

そんななか今回の放送で林先生の語った言葉はTwitterでも拡散され「こういうこと言う林先生大好き」「誰かのお蔭って理解する事の大切さ」など多くの賛同の声が寄せられているようです。

 

 

私はそもそも現代文を教える講師は人として基本的に信用できない。私はいろいろな理由から現代文が嫌いだ。その理由に関しては「現代文は感情論の集大成!役に立たない、やる意味がないどころか害悪な存在である - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」に載せているので、興味のある人は読んでください。私が林氏を好きじゃない理由は、彼が現代文を教えているという部分も少なからずある。私は基本的に林氏はあまり頭が良いとは思っていない。論理的に考えないといけない前提の現代文はそもそも上記の記事で書いているけど、感情論で解かざるを得ないんですよ。というか、出題者や現代文を解説する側の人間の言っていることは、基本的にすべて感情論です。感情論を使わないと、答えを1つに決められないからだ。そして、これから話す内容に関しても、林氏は感情論がほぼ全てだと思っている。思い込みとか、勘違いみたいな部分が多くて、やっぱりこの人頭悪いなと、自分で書いていても思えてくるのだ。論理的思考ができる人間とは到底思えないのです。

 

そもそも林修氏は親に授業料を払ってもらっている状況は恵まれていて、その恵まれている状況に気付けない人間は勉強したって意味がないと結論づけているが、恵まれている状況に気付けない=どうして勉強することが意味ないって結論になるの?そこに因果関係は一切ないよね?(笑)現代文の講師をやっている人間が、特定の結論に至るまでの明確な根拠を提示しないって、大問題だと思いますけど???勉強する意味がないっていうのは、こういう人のことを言うんじゃないですかね?現代文や数学ををどれだけ勉強しても論理的に考えられないんだから。日本人に多いパターンだけどね。そもそも「意味がない」って言葉も漠然としている。勉強が身に付かないことなのか?仮にそうだとすると、恵まれている状況に気付けないことと勉強が身に付かないってことにやっぱり因果関係はありませんわな。ここで林修氏が勉強しない子供たちに放った言葉は、彼らをやる気にさせるための方便なのかもしれないが、すでに話したようにそもそも言っている内容がめちゃくちゃで、支離滅裂なので、聞いている人からしたら。は?って感じで、全く心に響かないのではないか?と思う。実際は響いている人もたくさんいるみたいだが、そうなると日本人の頭ってそのレベルなんだ?と思えてくる。騙されるってこういうことを言うんでしょうね。

 

本題に入るけど、まず絶対に言っておきたいのは、「自分が恵まれている環境にいるか?分からない(ry」っていう認識がそもそも違うと思います。勉強は贅沢って言われてもね、貧しい国の人たちは学校に行きたくても行けない。しかし、日本の子どもたちはたいていは学校に行けるし、行っている。その状況を見て林修氏は日本の子達の方が恵まれていると言っているが、それはおかしい。なぜならば、日本で学校に通っている子たちは望んで通っているとは言えないからだ。私も学校通ってましたけど、私がどうして学校に当時通っていたか?と言えば、小学校から高校までは行かないといけないもの(行かないとマズイもの)だと思っていたから。小中は特にそうだね。行かないと親に怒られるからとか、そんなしょうもない理由ですよ。高校と大学に関しては行かないと人生プラン的にマズイだろうと思ったから。つまり、積極的に行きたい理由があったわけではなく、行かないと何かヤバイという消極的な理由、特定の状況を回避するために仕方なく行っていた状況でした。

 

貧しい国の人たちは学校に行きたいけど行けないかもしれないが、日本の人たちは事実上学校に行きたくなくても行かないといけない状況があるわけです。つまり、どっちも自分たちの望みが達成されない状況なので、別に日本の方が恵まれているとは言えません。学校に行けない人と比べて、行ける人が恵まれているなんて発想は見た目のイメージのみで全てを判断する頭の悪い人がやることです。林修氏が言った「勉強は贅沢」という言葉を名言として捉えている人もいるけど、マジで呆れますよ。それぞれが置かれた状況というものが全く異なり、それによって両者の学校に対する気持ちも違うのだが、そこへの配慮をする発想が全くない。人の気持ちは状況によって異なるのにね。日本人にありがちな特定の価値観しか認めないっていう同調圧力なんでしょう。その洗脳にこの人もかかっているんじゃないですか?上記で紹介した現代文という科目の批判記事でも書いているけど、特定の価値観しか認められない脳内構造をしているから、現代文の講師なんかやっているのでしょう。特定の価値観に依拠しないと、現代文の正解なんか作れませんからね。

 

そもそも学校に通いたいと思っている発展途上国の子供たちは、学校の現状を知らないからそんな幻想を抱くんだと思いますけどね。学校に通って何の意味があるんですか?あんなところクソでしかないでしょう。私は小中高大と通ってきましたけど、生まれ変わったら学校なんて絶対に行かないだろうなーと思います。行く理由がないもんね。学校に子供を通わせる親は多分何も考えていないんでしょう。常識に沿って子育てをすればそれが正解だと思っているのでしょう。学校ってのは考える力のない教師が、脅迫手段を用いて、子供たちを洗脳する場(家庭では親がこれをやっている)で、はっきり言って悪影響が強い。そして、得られるものは特にない。得られるものがあったとしても、それは学校以外で代替が利くものが多い。勉強は贅沢って言うけど、お金なんかかけないで勉強できるツールはインターネットがあるのだから、それで十分ですよ。発展途上国の子たちだって、学校を建てるのが難しいから勉強する機会が得られないかもしれないが、ネットを与えればそっちの方が最小限の予算で済むのにね。学校に通えば、将来的に役に立たないことばかり教えられて、かつ本人も学ぶ意欲を大して持てないから級力効率も悪く、結果的に時間の無駄です。ネットを与えれば自分にとって興味のあること、必要だと思えることを優先的に取捨選択して、必要なときに必要なものを得ることができるんですよ。学校は結果的に無駄が多すぎる。そんなに勉強をしたいならば学校に通う必要なんかないんだよ。多大な時間と金を費やす価値はない。私が学校に通って得た唯一のことは「学校がいかにクソか?」という知識のみです。マジで私の人生の黒歴史は小中高の12年間ですね。大学は自由が大きいからまだマシだったけどね。

 

しかし、考える力がない子供は親や教師の脅迫に屈して、学校に通わざるを得ない。そして、校則などに代表される不合理な意味のないルールを強制的に守らされる。日本では不登校に対して悪いイメージも多いし、学校に行かないお先真っ暗という現実がある。現実的には学校に通っても、将来はほとんどが社畜コースなわけで、それもお先真っ暗だけどね。ただ、そういった未来予測が働きづらい子供にとっては、学校に通わないとなんとなくマズイんだろうという漠然とした不安があるから通い続けるだけなのです。つまり、学校に行きたくないと思っている子でも、事実上行かざるを得ない状況が存在するのです。学校に行っている、行っていないでその後の人生になんの差も生まれないとしたら、高校や大学に進学する人はかなり減ると思います。現実は特に高校や大学に行っている、行っていないで人生に差が出るため、または高校や大学に行っている、行っていない差が生まれないような生き方をする方法を知らない、その発想がないため、行きたくないとしても進学することを選択している家庭が多いと思います。

 

理想は学校なんかに行かないで、自力で金を稼ぐ手段を子供の頃から考えさせるべきだと思うが、親がまずその発想にならないから、多くの子供は将来的に社畜になるしかない。同調圧力が強いといわれる日本においては仲間はずれになることは一大事です。とりあえず仲間はずれにならないために学校に行くという選択を無意識にしている人多数いると思います。同調圧力なんてくだらない産物は無視すれば良いんだけど、多くの子供は学校や家庭の洗脳によって、常識こそが正しい、非常識は悪いことだと教え込まれ、社会性(笑)や協調性(笑)を持つ人間になってしまう。その結果、多くの子供は多くの大人が歩む生き方しか視野になく、社畜になると。学校なんかに通わせるから子供たちは不幸になっているのね。その現状に誰も気づかない。気付いているのはホリエモンとか、落合陽一氏などの常識を疑い、ちゃんと自分の頭で考えられる人たちだけ。特に社会性(笑)、協調性(笑)なんてものを学校や家庭の洗脳で身に付けさせるから、卒業したらみんな就活以外の選択肢が思い浮かばず、結果多くが就職を果たし、労働市場の供給が需要に比べて多くなり、会社にとってみれば労働者の代わりが多くいる状況ができて、既存の労働者は会社の無理難題を受け入れざるを得なくなり、結果ブラック企業が増えるという状況になっているのにね。過労死とかが起きる原因、ブラック企業が起きる原因は社会性(笑)や協調性(笑)なんかを教え込むからですよ。諸悪の根源はここなのよ。

 

あと、親から面倒を見てもらい、学校に行かせてもらって、高い授業料を払ってもらってという点に関して、個人的には当たり前の話だと思うのです。逆に面倒を見ない、学校に通わせない、学費を払わない親がいて良いのだろうか?自分が産んだ子なのに、その子が上記で書いたように人生において致命的なハンデを背負うことを正当化できるのだろうか?本当は学校なんかに通わないで、親が子供を一生養うか、子どもに金を稼ぐための勉強をさせるのがベストだと思うが、この国では非常識を悪いことと考えている人が多いみたいなので、その理屈で言うと高校までは通わせる家庭がほとんどなわけだから、高校までは通わせるのが親の務めとして常識であり、日本においてはそれが恵まれているなんて表現するのはちゃんちゃらおかしな話です。普通の対応でしょう。常識を正しいこととして捉えている日本人なのであれば、林修氏の勉強は贅沢だ発言に賛同するのはおかしいのですよ。それに他国と比較して恵まれている状況があればその時点で贅沢になるならば、パンツしか着るものがない家庭でも、世の中にパンツすら履けない人たちもいるわけだから、その子はパンツが履けるだけ贅沢であり、文句なんか言うべきじゃないってことですよね。日本だと外も歩けないですけど。

 

あとは世の中には仕事がない人もいるのだから、ブラック企業で働けているだけであなたは贅沢だというのも正しくなりますよね。そもそも仕事をしている人は好きで働いている人は少ないでしょう。理想を言うならば、働かないで生活したい人がほとんどでしょうけど、働くのが当たり前の国でそんな主張をしても現実的に達成されないから、仕方なく嫌々働いているんですよ。つまり、働いているという状況はその人が望んだわけじゃない。働けないよりはマシな部分もある(世間体や収入面)というだけ。もちろん、働くことのマイナス面(過労死リスクの上昇や労働者数の増加により社会全体でのブラック企業増加の原因になるなど)もあるから、どっちが恵まれているか?なんて判断はできるわけがない(林修氏は判断するかもしれない)けどね。でも、林修氏の理屈を使うとブラック企業でも働けている奴は’働けない人と比べて贅沢だ!って結論になりますよね。日本でこんな話が通用するわけがないのだが、そんなとんでも理論を話してしまうくらいに頭がおかしいんですよこの人は。そのとんでも理論に賛同する日本人も大量にいるのも問題だろうけどさ。日本人は同調圧力が強く、常識に縛られる人間が多い、または常識を正しいものと思っている人が多いならば、この時点で、日本人は子どもを高校まで通わせるのは常識なわけだから、日本人が大好きな常識とやらを根拠にすると、高校まで通わせるのは当然の義務です。常識を正しいものを考えている人が、これを恵まれているラインとして考えるとしたら大いなる矛盾を抱えることになります。つまり、日本人が抱えている非常識は悪で、常識は正しいという理屈を使っても、他国との比較で優れている部分を贅沢として捉える理屈を使っても、林修氏の言っていることは完全に破綻します。

 

そもそも今の学生が勉強しない理由ってやる気の問題なんですか?そうじゃないと思うんですよね。やる気がないから勉強しないというよりは、そもそも勉強をするために学校入学しているわけじゃない。これが答えだと思うのです。勉強する必要性がないからしないんですよ。そして、そもそもガチで勉強したい人が、学校に入学する意味が分からないのです。勉強をする気があるなら、逆に学校なんか入る必要なんかないと思っています。学校って、仰るとおり学費高いですよね。つまり、それだけの学費を払う価値があるとすれば、それは学校に入らないと達成できないことをするときだけだと思います。勉強って、学校に入らなくてもできるじゃないですか?受験勉強だって、受験サプリとかのネットのツールが充実しているし、お金もかからない。市販の参考書も豊富だし、高いお金払って塾や予備校に通う価値も正直どこまであるか?って感じですよ。学校での教わる勉強だって、あそこまで高いお金を払ってまで受ける価値のあるものですか?ggればわかることしかほぼ教えないでしょう。他に選択肢は皆無ですか?そんなことないですよね。Youtubeとか使えば、学校の勉強なんてタダで学べるし、ネットには大量の情報があるので、それを使った方が早いです。学校の勉強なんか基本的に役に立たない時間の無駄な作業としか思っていませんけど、どうしても勉強したいならば、そういったツールを使えばいい。公務員である教師から教えられるよりも、金稼ぎに奔走しているYoutuberなどの授業の方が、ちゃんとわかりやすく教えるというモチベーションが絶対にあるので、良いと思いますけどね。

 

大学とかになると本当に勉強以外の部分で入学しているという理由が顕著でしょう。大学に入る理由が、大学に入らないと達成できないものならば、もしかしたら多額の入学金や授業料を払う価値があるのかもしれない。それが学歴ですよ。以前も別の記事で同じようなこと書いたけど、東京大学に入って卒業すれば、大卒という学歴と東大卒という肩書きが手に入ります。これは東大に入らないと絶対に得られないものです。入学金や授業料の金額が東大という肩書きを得るのに妥当な金額か?どうかは分からないが、それを目当てに大学に入ってくる人間は、少なくとも勉強をしたいから大学に入る人間よりは、まだ合理性があると思います。勉強したい人は、大学に入る以外の選択肢もあるのに、あえて1番お金がかかりそうで、かつ不自由な環境を選んでいるわけです。東大という肩書きが欲しい人は、他に選択肢がありません。東大に入るしかないわけですよね。文系ならば勉強は大学に入らなくてもできます。東大という学歴は東京大学に入らないと得られないので、勉強したくて大学に入る人よりも、東大という学歴が欲しいというだけで勉強する気なんかさらさらない(卒業できる程度にはやる)って理由で入る人の方が、よっぽど納得いきますよ。

 

で、ドラゴン桜でも東大=人生におけるプラチナチケットという言い方をしていたけど、東大という肩書きを持っている人間と持っていない人間では人生が180度変わる可能性もある。東大という肩書きを目当てに、大して勉強する気はないが、東大に入学する人も毎年それなりにいると思いますよ。しかし、大学側だって、指定校推薦やスポーツ・フロンティア入試などで、勉強を真面目にするか?どうかも分からないような学生を多く採っているわけですよ。それは経営のためです。または広告塔として明らかに機能しそうな有名人を続々入学させているところもある。そういったところは、教育のためではなくて、どちらかというと経営のために学生を入れているわけだ。つまり、学生だけじゃなくて、大学の方も教育とは別の観点を優先して、学生を採っているわけだから、そこはお互い様じゃないの?と思っていて、そういう事態を多くの親も知っているだろうと思いますよ。そもそも自分の子供がガチで勉強したくて大学進学を望んでいる。そのうえで学費を出してあげているというケースは限りなく少ない気がするのです。大学に行く理由が勉強そのものでないことは、親自身も認識しているケースが多いと思う。特にFランク大学に進学する子を持つ親が、わが子が大学で真面目に勉強をしてくれそうだと思っているとは思えないのです。大学で真面目に勉強するならば、受験勉強を何で真面目にやらなかったの?となります。そして、親もかつてはそうだった(大学で真面目に勉強しなかった)から。という理由もあるかもしれない。

 

高校を例にした方が分かりやすいかもしれない。中学3年生になって、「あんた高校行くの?」とか、「高校行って良い?」みたいな会話はまず聞かれない。なかなかありえない。「高校どこにするの?」とか、「どこの高校が良いかな?」みたいな会話は割と自然だと思います。つまりだ、親も子も高校に行くことは当然あり、疑う余地はない。そこで勉強をするか?しないか?かかわらず通って当然だという認識があると思います。それは教師もそうでしょう。中学の担任に「私は高校行きません!」って言ったら、え!?ってなると思いますよ。目的にかかわらず、高校に行くのがもはや常識になっているわけじゃないですか?で、中卒になったら人生ハードモードですよね。大卒で就職しても社畜だからハードモードだろうけど。そして、林先生は途上国とかの貧しい国を例に出しているが、そもそも日本と状況が明らかに違う国を出しても意味がないんですよ。それは途上国は、学校に行けないことが痛手にならないからです。みんな行けないから。行ければ有利になるかもしれない。日本は学校に行けないと間違いなく痛手になる。それはみんなが行くからです。学歴がないと社畜にすらなれないのですよ。就職して仕事をするという選択肢以外が思い浮かばないのがそもそも問題だが、仕事を得られないとしたら、それの方が社畜よりも問題と言える場合もあるでしょう。

 

そこを世間のみんなが認識している状況だからこそ、高卒までは絶対にならないといけない。と、子どもも親も思っているのです。高校までの進学率は90%台後半とかになっているわけ。親も子も学校側も、高校までは通って当然だ。通わせられないのは可哀想だという認識に近いのではないか?と思います。そうなるとね、学費を出している親だって、勉強をしてもらうために高校に通わせていると考えているケースは限りなく少ないと思うのです。勉強をしてくれればなお良いが、仮にしないとしても高校までは行ってくれないと子供の将来が不安で仕方ない。これが本音じゃないか?と思うんですけどね。つまり、親も子もお互いそれを認識している状態なわけじゃないでですか?学校というものの捉え方が昔と違うんだと思いますよ。子どもも親も高校までは行って当たり前だと無意識に思っているのですよ。勉強をにしに行く場所として、学校を捉えている人間自体が教育者以外では限りなく少なくなっているものだと思います。

 

今言ったことは少なからず大学にも共通している事柄な気がします。大学に通うのは当たり前とは言えないと思うが、大学側も学生も親も、現状の大学というのは勉強を真面目にやらない学生が多い傾向にある場だと、みんなそれぞれ認識して、認め合っている状態に近い気もするのです。現実社会の問題として、文系は大学で何を頑張ったか?ではなくて、どこの大学出身か?の方が重視されており、その現実を見据えるならば、勉強することよりも大学に入ることが優先されるのはもはや仕方ない。その現実社会の仕組みを変えた後じゃないと、林修氏のような勉強は贅沢という説教を学生にするのは酷だと思う。そういう社会の仕組みが存在しなければ、学歴や有名大卒という肩書きが一切社会で生きないような世の中になっていれば、勉強する気がない学生は大学にはほとんど進学していなかったと思います。そういう意味でいうと、勉強しない学生はただ現実的に、堅実的に生きているだけだと思うんですよね。賢いだけですよ。林修氏はその人たちに無意味なきれいごとを言っているだけにしか見えません。彼らのためになんか1ミリもなってないですよ。

 

それにね、大学でいくら一生懸命勉強しても大半のことは頭から消えてしまうと思うんですよ。私の場合、卒業後に大学での勉強は継続していない。せいぜい英語くらい。だから、95%くらいは完全に忘れている。林修氏も今は予備校講師&タレントだから、大学で学んだことを卒業後も継続的に勉強しているとは思えない。覚えているのは、身についているのはわずかじゃないですか?卒業から20~30年経っているから尚更でしょう。いずれ消えてしまう知識は、そもそも勉強しなかったことと変わらないじゃないですか?だったら、せっかく得た知識とかを卒業後に無にしてしまうような学生は、在学中に勉強しなかった学生と大して変わらないと思うんですよね。結局、継続的に勉強をしたり、知識を活用したりする人以外は、いくら在学中に勉強をしていても、起こる結果は勉強しなかった人と同じじゃないのかと。現実的に勉強しない学生が勉強したところで、彼らがおかれている状況は一切変わりません。何の解決にもなりません。勉強しない高校生に向かって、やる気がないなら辞めろ!と言って、彼は学校を辞めて中卒になりました。さて、彼は今後の人生どうするんですか?社畜にならない方法を伝授したうえで、そのうえで辞めろ!なら分かるが、林修氏が言っているのは単に辞めろだけ。彼らは辞めて何の意味があるのでしょうか?就職しかほとんど頭にない彼らに対して、こんなことを言っても、学校を辞める本人にとっても学歴に傷がつき、人生においてマイナス、辞められた学校側も授業料が以降入ってこなくなりマイナス、全体的に良いことなんか1つもない気がするのですが。林先生のこの発言は、誰を幸せにするのでしょうか?何も考えてないですよねこの人は。

 

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