読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

容姿を理由に人間を差別することはいけない?←区別と差別の定義が混在している

その他の話題
【スポンサードリンク】

差別はいけないんだろうか?と考えると、世の中には差別はたくさんある。それらの中で社会から糾弾される差別とそうじゃない差別があるはず。今回書いていく内容は、差別に関するものなんだけど、社会的に許容されるのか?されないのか?そこも気にある。そして、そもそもの根底にある「差別はいけないのか?」という問題もあります。ある大学でサークルの勧誘をしていたところ、ある女子大生が味わった屈辱が、波紋を読んでいるようで、「大学1年生の娘がサークル勧誘ビラ貰えず 母親の投書が大反響 - ライブドアニュース」に載っていました。

 

>投稿者は大阪府吹田市の主婦(54)。「娘よ、元気出して」とのタイトルで、2016年5月5日付の朝日新聞朝刊(大阪本社版)に掲載された。

文章によると、投稿者の娘はこの春、ある女子大の薬学部に進学した。入学式当日、駅から大学まで一緒に歩いていると、学生が花道を作ってサークル勧誘のビラを配っていたという。その多くは、近くの国立大の男子学生だったそうだ。いわゆる「インカレサークル」の勧誘なのだろう。

ところが、ビラは娘の手には渡らなかった。「誰もくれなかった。(可愛い子だけ)見極めているからと男の子たちが言ってた」と娘。母親がよく観察してみると、娘の頭越しに後ろの子にビラを渡していたこともあった。最初は怒っていた娘も、帰りの電車では涙を流していたという。

 

この事案は私は1週間くらい前にどこかの2ちゃんねるまとめブログで見たのだが、今更ニュースになったのかという感じでした。私に言わせれば、新聞で取り上げるほどのことか?とも思うし、大分時間が経ってからニュースにするほどのことにもあまり思えない。というか、こんなことはよくあるとしか言いようがないし、これの何がいけないのか?もさっぱりだから。そもそも容姿によってサークルのビラ配りをする、しないを分けていたのか?が真実かも分からない。仮にそうだとしても、別にしょうがないでしょう。サークルがどういう加入者を募るのか?はサークルの自由だ。露骨に可愛い子だけを集めていたりすると、それが悪評になって、サークル自体に人が集まらなくなるというリスクがあるくらいです。つまり、そのリスクを受け入れるならば、そういう集め方をしたって構わない。それを悪いと言える法的根拠、客観的根拠はない。

 

そもそも、このサークルがどういう人間の集まりなのか?知らないけど、仮にそういう女子大生だけを加入させたいという需要をサークルメンバーの男子全員が持っていた場合、容姿にすぐれないと判断された子を加入させても、サークルにとって、その子にとってもメリットはない。サークルのメンバーからすれば、その子がいても楽しめないだろうし、そんなサークルの雰囲気の中で加入した子も楽しめないだろう。つまり、お互いにとってのミスマッチを未然に防ぐために、サークルが事前に対応をしただけに過ぎない。記事にはサークルの対応を批判する声もあれば、『ネット上では「容姿判断」以外の理由もあったのではないか、との指摘も。中には「来てほしい人に渡して、来て欲しくない人には渡さないのは当たり前のこと」と、サークルの自由を主張する意見も出ている。』といったサークル擁護の声もある。はっきり言うと、サークルは加入者を選ぶ権利があるはずで、サークルが望んでいない子を断る権利は当然ある。それに対して良い印象を持たない人がいるのは事実だが、でもそれをやってはいけないと言う明確な根拠はなかなか提示できないでしょう。っていうか、同じようなことはどこかでみんなやっていると思うんですよね。

 

これは会社とかでは普通にやっているわけですよね。例えば、ある会社は20代の若手社員が不足しているため、20代に絞ってリクルート活動をやっていたとする。そうなると、その会社の求人には応募条件として20代ということが設定されるはず(男女雇用機会均等法の問題もあるが)で、すなわち30代以上は用なしってことになる。20代に対して需要があるからこそ30代以上は相手にされない。可愛い子だけが需要があるから、そうじゃない子は相手にされない。前者はおじさん、おばさんはいらないと言われていて、後者はブサイクはいらないと言われているわけだが、後者がショックを受けるならば、前者も当然ショックだろう。そして、前者に関しては当たり前のように多くの会社がやっている。実際、年配の人は書類選考ではじかれて面接にすら進めないということもあるし、新卒、既卒で差別されるケースもあれば、新卒の中でも学歴フィルターで差別されるケースもある。採用活動だけ見ても相当な差別が横行していると思う。でも、これらはあまり問題視されませんよね。

 

そうなると、差別の中にもやっていい差別とやってはいけない差別が混在していることになる。やっても良い差別とやってはいけない差別がある時点で、それ自体が差別にも思えてくるわけだが、私はそもそも差別をいけないと言うつもりはない。差別がなくなればそれに越したことはないだろうが、感情を抱える人間にはそれは不可能だ。みんながみんなお互いに好きじゃない人、条件にそぐわない人などを排除、否定する方向に動いているシーンはどこかであるんじゃないか?と思う。そもそも、区別と差別の違いはあまり認識されていない気がする。辞書によると、区別は「違いによって分けること」、差別は「差をつけて取り扱うこと」と書いてある。この2つの定義を踏まえて、今回のケースを見ると、容姿によってサークルのビラを配るか?どうかを分けている(決めている)わけだから、(容姿という)違いによって分ける行為をしているので、区別の定義は満たしているように思う。またサークルのビラを配る、配らないという取り扱いにも差があるから、差別の定義も満たしているように思う。こうなってしまうと、この事案は差別なのか?区別なのか?私にも判断ができない。また、先ほどの定義だと、Aは優秀でBは頭が悪いという指摘は区別だが、Aは1日中遊んでいても良いけど、Bは1日中勉強していなさいと言う、またはAは5、Bは3と成績に差をつけると、これらは差別になってしまいますよね。でも、こういうのって当たり前に行われているシーンにも思えてきます。だからこそ、誰も違和感を持たないわけだが。差別の問題を考えると、日常的に行われていることすらも差別になるんじゃないか?と思います。差別の話題はどうも「区別」との概念の棲み分けがはっきりしない状態で議論されているからこそ、差別が良いか?悪いか?以前に何が差別で、どれが区別なのか?というのがそもそも分からなくなってきている。差別という曖昧な言葉はあまり使わない方が良いのではないか?とも思えてきます。それくらい差別は日常的にいろいろなところで知らない間にみんなが行っている行為なんじゃないか?と思います。

 

差別原論―“わたし”のなかの権力とつきあう (平凡社新書)

差別原論―“わたし”のなかの権力とつきあう (平凡社新書)

 

 

あわせて読みたい記事