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日本はサービスの質が高い国?それを実現するための努力は多くが無駄のように思う

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日本はサービスの質が高いと言われることもある。日本に住んでいると、そんなことはあまり感じないかもしれないが、他国と比較するとそうなのかもしれない。サービスの質が高いってことは良いことか?っていうと、私はあまりそうは思わない。私は「おもてなし」って言葉が嫌いなのです。より高いサービスを供給し続ける意味って何なんだろうか?と思う。意味があるんだろうか?例えば、日本では電車が時刻表どおりに正確にくることが多い。これは日本で生活をしていれば当たり前の感覚として定着している人も多いかと思います。私自身も、正確に電車が来ることを当たり前のように感じてしまっているが、その当たり前のように感じてしまっていることが問題なのだ。電車が時刻表どおりに正確にくることを当たり前に感じているということは、じゃあ数分遅れたら、どう思うだろうか?不満が生まれるのではないか?と思う。全員がそうとは言わないけど、そういう気持ちになる人も結構いると思います。

 

外国人が日本に来ると、時刻表どおりに電車が来ることに驚き、そして賞賛をするという。それはその人の国では、電車が時刻表どおりに来ることの方が珍しいから、ダイヤが乱れることが当たり前だからでしょう。でも、その国で暮らす人は電車が時刻表どおりに来ないことにいちいち怒りますかね?ほとんど人は怒らないと思う。それは電車が時刻表どおりに来ないことが当たり前だからだ。当たり前に慣れると、当たり前からマイナスに逸れることは不満だが、当たり前が継続されることについては何とも思わないのが人間の感情ではないだろうか?するとだ、日本にみたいにサービスの質が高い国っていうのは、自らハードルを高く設定しているということになる。つまり、その次元を維持しないとすぐ不満になるわけだ。日本ではクレーマーの問題、モンスタークレーマーとかいわれたりもする。そういう問題がよく取り沙汰されているが、その根底の問題ってサービスの質の高さにあると思うんですよね。つまり、サービスが極限まで高いと、そこから感動を与えられる余地がほとんどなくなるわけ。例えば、10段階で9のレベルのサービスをずっと提供している会社は、9を最低でも維持しないと、すぐ不満を呼び、クレームにつながる可能性がある。その会社が感動を与えようとするならば、10を達成するしかないが、それは難しい。

 

しかし、10段階で5のレベルのサービスをずっと提供し続けてきた会社は下がる余地が相対的に少なく、上げられる余地も大きい。つまり、そういう会社はたまにキャンペーンとかをやって、サービスの質のレベルを引き上げれば、その都度感動を呼べるし、元のサービスの質が低ければ、そこから下がり、不満やクレームを発生させる確率が低い。そして、この場合、レベル9とレベル5のサービスを受けている消費者の満足度は違うか?どっちが高いか?っていうと、ほとんど同じだと思います。そのレベルに慣れてしまうと、どちらもそれが当然の感覚になり、当然の感覚しか得られないならば満足度合いはあまり変わらないだろうと。もっと具体的な例を挙げると、月給20万円のサラリーマンと月給100万円のサラリーマンがいたとするとする。この両者が同時に月給が5万円上がることが決定した。さて、より満足度が高いのはどちらか?といえば、絶対に前者でしょう。元が20万円の人が5万円アップってとんでもないくらいの喜びだと思います。しかし、100万円貰っていた人が5万円アップしても、飛び跳ねて喜ぶほどじゃないと思う。何でこういう差が生まれるか?っていうと、元のレベルが違うから。元の月給が少ない人の方が、さっきと同じように感動を与えられる余地が大きいってこと。逆に元の月給がすでに高い人はそこから同じ金額だけアップしても感動は少ない。

 

5万円という同じだけの月給アップなのに、現実的にはそれぞれで満足度が全然違うはず。現実のサービスにおいても、元の質の高さが違っても、どのレベルを当たり前に感じるか?によって、そこから生まれる感動や嬉しさ、満足度の度合いが違ってくる。そして、1番最初に例を出した電車の話だけど、毎回正確に電車が来る国と数分程度は毎回電車が遅れる国では、どちらが満足度が高いか?というと、同じだと思います。どちらもそれぞれの状況を当たり前に感じているからこそ、当たり前のことしか起きないならば満足度は変わらないだろうと。そして、電車が遅れる国では、遅れることを前提に全てが動くから支障が出るケースは少ない。逆に電車が正確に来る国ではそれを前提に動くから、少しでも遅刻をしたら怒られるとか、そういう弊害もある。ここまで述べてきてお分かりだろうか?サービスの質を上げて何か良いことがあるだろうか?サービスの質が低くても、それが当然のように感じられる国では不満なんか生まれない。むしろ、1度サービスの質を挙げた国では後戻りはできない。それを維持するしかない。どちらも現状を維持すれば同だけの満足度を与えられるが、もともとのサービスの質が高い国の方が現状を維持するのは難しいですよね。言ってしまえば、満足度に関して同じ結果を出すのに、より重い負担をしているのが他国と比べた日本になるわけ。しかし、与えられる感動はサービスの質が低い国と変わらない。強いて言うならば、サービスの質が低い国で生活していた人が日本に来たようなケースくらいしか、感動を与えられる余地がなかなかない。サービスの質が低い国と高い国が消費者に与えられる満足度が、本当にそんなに変わらないならば、その同じだけの満足度を与えるために、日本が他国よりも多く負担している分の努力は無駄とも言えるものではないのだろうか?それどころか、多くの会社がハードルを上げて、それを当たり前の状態に持っていったせいで、ほかの会社までそのレベルまで持っていかないと経営ができなくなるような状況が生まれる。その結果、全国でブラック企業が生まれて、本国の労働者は毎日疲弊している。サービスの質が高い国、おもてなしの文化の国の帰結がこれなわけだよ。

 

 

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