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就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

戦争はなぜ無くならないのか?無くすには?←そもそも戦争は悪なのか?

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戦争はなぜ無くならないのか?戦争を無くすにはどうしたら良いのか?ということがよく議論されるが、私はそういう議論に全く入っていけない。それはどうしてか?というと、そもそも私は戦争は悪だとは思っていないからです。だから、戦争を悪だと決めたうえでの議論には参加できないのだ。戦争は悪なのか?というと、私はそうは思っていないから、戦争を無くすにはどうしたら良いのか?なんて考えたことがないし、なくなるとも思っていない。ここでいう戦争は悪なのか?どうかっていうのは、結局客観的な目線と自分目線というのがある。自分目線っていうのは、自分の都合から判断したもので、自分にとって戦争が起きるメリットが何もない。むしろ、デメリットしかないとなれば、私は自分の都合から戦争は悪だと断じることもできるだろう。ただ、自分にとってデメリットしかないものを全部悪だと決め付けるのは、あまりしたくない。それは逆のことを自分もしているからという認識があるからでしょう。

 

自分がしている何かが、誰かにとってデメリットしかないようなことだってある。例えば、私はこのブログで有名人を名指しで批判したりもしているが、それもその有名人にとってみれば基本的にデメリットしかないと思う。しかし、そういう批判をしてはいけないか?というと、そうではないはずだ。誹謗中傷ではなく、批判ならば問題ないはず。戦争に関しても同様で、戦争によって私たちは基本的に損害を受ける可能性が高いだろうが、戦争はなんのために起こっているのか?といったら、そりゃ起こす側にメリットがあるからに違いない。戦争だけに限らない。何らかの事象は全員にメリットはもたらさない。それが世の中の仕組みでしかない。人が死ぬからダメとか言われることもあるが、それが戦争に反対する理由ならば、人が死ぬ可能性を含むものは全て禁止にならないとおかしいのではないか?とは思うのだが。例えば、なぜ自動車はOKなのだろうか?簡単な理由を挙げれば、世論がそれを許しているからだろう。自動車が存在すれば、当然人が死ぬだろう。それは誰にも予想がつく。しかし、今日において日本を含めて世界中で車が使われている。そして、また多くの人が死んでいる。

 

その死んでいる人が自分も日頃から自動車を使っているならば自業自得と論じることも可能なのかもしれない。誰かを殺すかもしれないリスクを自ら負っていて、そのリスクが自分に対して牙を向いたのだから。しかし、自動車に全く乗らない、運転しない、それどころか自動車の利用に反対するような人間がいて、その人が事故に巻き込まれて死んだたら、この人はよくニュースで使われるような「何の罪もない人」という表現がまさにしっくりくる気がする。戦争がNGで自動車はOKな理由は世論がそれを許しているからと言ったが、自動車がなぜ許されるか?といえば、大多数にとって利便性というメリットが存在するからだ。人が死ぬかもしれないというデメリットを凌駕するほどの利便性の向上というメリットが存在しているから。と言えるのではないでしょうか?戦争は大多数にとってメリットは恐らくない。または感じられない。だから、車とは真逆の状態なんでしょう。だから世論は反対すると。そういった事情により、戦争は悪なのか?というときに悪だと決め付ける人間が出てきてしまう。でも、マイノリティかもしれないけど、戦争をすることにメリットがある人間がいるんですよね。マジョリティが常に正義だという根拠もないが、仮にマジョリティは常に正義だとすると、マイノリティに配慮するような政策は悪になるのか?ということにもなる。

 

マイノリティって社会の中にはたくさんいるけど、例えば障がい者に対する支援は悪なのでしょうか?障がい者の支援をしたからといって、世の中の多数の人間にメリットがあるわけではないと思うのだが、障がい者支援を悪だと断じる人間はほとんどいないと思う。弱者を救済する政策は私も悪だと思っていないし、多くがそうは思わないはずですし、税金の無駄使いだ!なんて言う人は基本的にいないわけじゃないですか?そうなると、この時点でマジョリティが常に正義という理論は崩壊の兆しが見えるのですけどね。障害者支援に多くが賛成するという意味では、ある意味これはマジョリティになるけどね。そうなると、戦争が悪なのか?というときに、根拠としてマジョリティ理論を出すことはできないことになる。しかし、仮に障がい者を蔑ろにする国があったらどうなる?しかも、それが国民の合意によって起きていたとしたら?昔の人種差別みたいな状況が現代でも起きていたら?それが国民のマジョリティの賛成によって起きていたら、それは正義と言えてしまうのか?周辺国や私たちはそれに対してNOとは言えないのか?という非常に矛盾を感じる状況もないとは言えないです。それこそある会社の中でみんなサービス残業に耐えている中、1人だけ残業代が出ないことに対して文句を言い出したら、同僚ににらまれるみたいな状況があるかもしれない。というか、ありそうですよね。この場合も会社内で見たら、残業代を請求する人間はマイノリティになってしまい、残業代をもらえないことを糾弾する社員の方が悪になるのか?という問題になります。結局、マイノリティやマジョリティの違いで、正義か?悪か?を論じるのは難しいと思うのです。

 

戦争がなぜ無くならないのか?と言えば、無くならないでしょうね。戦争を無くすには?ということを考える人は多くいると思うのだけど、すでに話してきたことを元にすると、そもそも戦争が仮に無くなった状態っていうのは本当に理想なのか?という疑問符がつく。多数にとっては理想だと思うよ。ただ、全員ではないでしょう。さっきも言ったけど戦争を起こすことにメリットを感じられる人たちがいるわけ。すると、戦争を起こせないとしたら、それは彼らにとってはデメリットになる。それを良しとしてしまうと、障がい者が社会の中で蔑ろにされている国があったとして、それを放置し続けるのが正義という状況と変わらないわけ。戦争が起きないのではなく、起こしたいという気持ちに駆られる人間がいなくなったとしたら、それは戦争が起きないことが理想とも言える状況もかもしれない。ただ、それはあまり非現実的で、ありえなさすぎる状況かもしれないけど。でも、仮にそれが実現したとしたら、それは総意によって戦争が起こされないわけだから、全員にとってメリットがあると言えるでしょう。戦争を無くすには?を考えるときに、個人的に賛同できる手段としては、それが達成された場合に限りということが言えます。戦争が無くならない理由は、それ自体が達成困難というのもあるし、そもそも戦争を起こすメリットを抱えてしまう人間が世界中に多くいるからであって、それを根絶していかないといけないのだが、それは厳しいとしか言えない。

 

それは結局、戦争を起こす側が自らが正義だと思っているからですよね。戦争に反対する側もそれが正義だと当然思っている。戦争を戦っている当事者同士も、お互いがお互い正義だと思っているのが世の常であり、それこそが戦争が無くならないのか?というときに、無くならない最大の理由になる。戦争を無くすには戦争を起こす人たちがいなくなるしかないわけだが、常に人間は何かしらに不満を持っている。それは支配者と被支配者層に分かれてしまうからです。当然、支配される側は不満分子を持ちやすくなりますよね。不満を持ったからといって、武力に訴える人間は少ないけど、人間の怒りの沸点というのはそれぞれで違うので、当然同じことをされた場合の怒りの程度が違う。だから、結果戦争は起きてしまうと。しかし、支配する人間がいなくなれば、戦争は起きないか?というと、それも言えないと思います。支配する人間がいないとしても、絶対に特定の層に固まるからです。公式的な身分などが存在しないとしても、多数派と少数派に分かれるのは避けられない。価値観などを共にするグループは恐らくできる。結果、多数派が少数派を支配するような状況が生まれるんじゃないの?と考えられるわけです。スクールカーストが言い例ですよ。同じクラスの中での児童や生徒に身分の差なんかありません。でも、それが事実上存在しているわけじゃないですか?あれこそが自然発生的に生まれる支配層と被支配層になるわけです。だから、どうあがいても支配される側と支配される側は生まれます。

 

そうなると、さっき言ったように、支配される側の一部の怒りが臨界点を越えて、結果戦争になってしまうこともあるということが言えて、やっぱり戦争を回避するのは無理ということになってしまうのです。戦争は悪なのか?というと、支配する側はじゃあ悪じゃないのか?ということも同時に言えるわけです。戦争を悪とするには、戦争を引き起こすきっかけになる存在の方は正義じゃないといけない。つまり、戦争は悪なのかと断じるだめには戦争を起こされて被害に遭う人たちが日頃やってきたことが正義じゃないといけないけないが、それをどうやって証明するか?ということになる。戦争は人を蹂躙するものであるが、それは戦争に反対している政府がやっているのもそういう見方ができなくはないし、それに国民も無言で賛同しているような状況にも思う。客観的に見たらどっちもどっちという感じなので、個人的には戦争は悪と断じるのは難しいという結論に至るわけですね。戦争が起きる原因は多種多様であって、1つの原因のみを論じてもあまり意味はないかもしれないが。それに支配に対する怒りから戦争が起きるというのは、どちらというと現代での話ではないかもしれない。現代でそういう原因から起きるのはむしろ犯罪というレベルの話ではないでしょうか?ただ、そういう戦争が今後起きないとは言えないから、考えてみることは無駄ではないと思う。結局、犯罪と戦争って規模が違うだけで、起きていることの性質やメカニズムはそれほそ変わるものではないと思うから、一緒に考えてみるとも得策と言えるのではないでしょうか?

 

 

日本はそんなに悪い国なのか

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