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生き辛い国の象徴?ヌードルハラスメントに対して芸能界からも辛辣な意見・・・

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「ハラスメント」という言葉を聞くとイライラするのは私だけでしょうか?何でもかんでもハラスメントつけて否定すれば正当と思っている人がいるのかな?「ヌードルハラスメント」という言葉があるようだが、これは麺類をすすって食べるときに出る音が苦手な人たちが問題視しているものらしい。そういう人もいるだろうという想像は容易につくが、ヌードルハラスメントが苦手な人の中には外国人もいるらしい。外国人自身も麺をすする音に対して苦言を呈する場合もあるで、訪日する外国人が多くなってきているという現状を受けて、外国人に対するおもてなしとして、麺をすするのをやめよう!という声もあるようだが、こういった風潮に芸能界から批判も出ている。私が見た例だと、梅沢富美男さんは「よそ者が呼ばれもしないのに日本へやって来て、日本人の麺の食べ方にケチを付けるなら来なくてもいい」と発言したり、小倉智昭さんは「日本の食文化に対して外国人にとやかく言われる筋合いはない!なら日本のそば屋に入るな!」としているし、デーブ・スペクターさんは「食文化ですから配慮するのはおかしい。遠慮はやめた方がいい」と意見を言っています。

 

梅沢さんは私みたいに、何でもかんでもハラスメントつける風潮にも苛立っているみたいだが、結局ヌードルハラスメントという言葉がこうやって浸透しつつあるってことは、一定の層が麺をすするのを不快に感じているということなのでしょう。外国人のためにおもてなしという話題になると、小倉さんは「おもてなして、どんどん音を立ててやる」とも言っていたみたいだがね。私はそもそも、おもてなしという言葉が嫌いなので、おもてなすつもりも全くない。おもてなしはタダ働きと同義であり、結局のところは奴隷根性と変わらないと思っているから、そもそもおもてなしを日本の美徳みたいに語ってほしくない。サービス精神からくるおもてなしが真のおもてなしだと思うのだが、どうも日本で蔓延っているおもてなしは多くが圧力などによって強制されているものである気がしてならない。著名人は「日本の食文化」という言葉を持ち出して、ヌーハラを否定しているが、私は単純に音を立てて食べてはいけない義務がないという理由で否定しますね。

 

私自身は日頃からすすって食べるようなことはしない。これはちゃんと理由があって、音を立てることに配慮したことではない。スープが周りに飛びそうなんですよね。そこがひっかかるのです。音が不快っていうのは実害がないんだけど、スープが飛ぶっていうのは、洋服についたりすると実害があるので、そこは正直問題だと思う。だから、そこを気にして私はすすらない。音は出ていると思うが、そんなに大きな音ではないはず。でも、スープが飛ぶからという理由でヌードルハラスメントを主張するなら、私はある程度理解するが、音が嫌だからという理由ならば、ほとんど理解できないのです。というか、実害がない程度の不快感なので、あとは麺を食べている人の考え方の問題になってしまう。周りに配慮するならば麺をすすらないで食べれば良いし、そんなの関係ないならば、すすって食べても良いんじゃないの?と思います。結局、お店で食べる場合には、ラーメン屋とかが麺をすすって食べるのを禁止にしていることはまずないだろうと思います。禁止にしてないならば、客観的に麺をすすって食べてはいけない理由がなくなってしまうので、不快に思う側が我慢するか、そういうお店を利用しないか?耳栓でもするか?など手段をとるしかないのです。

 

ヌードルハラスメントとかもそうだけど、世の中で言われているハラスメントの多くが、それを問題視しないといけない理由が伴っていないものである気がする。つまり、主観的に問題視している人間がいるだけで、客観的に問題とは言い難いものが多い。例えば、スメルハラスメントとかもそうかな?聞いた話では、オフィスの中でカレーとかを食べていると、その匂いが嫌な人がいるみたいで、やめてほしいと思っている人もいるみたいだが、これも結局オフィスでカレーが禁止になっていない以上は、単なる個人的にな不満でしかないので、問題でも何でもないと思うのです。ハラスメントという言葉が濫用されるのも、日本の社会がいかに生き辛いか?を証明する側面のようにも思います。この先もさらに多くのハラスメントが増えていくんでしょうね。

 

 

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