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早稲田政経の数学必須の意図は意味不明だが、難易度は簡単で得意な人は有利になる?

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センター試験が廃止される頃に合わせて、早稲田大学政治経済学部では入試科目に数学を必須化するという話が出ています。早稲田大学政治経済学部の入試科目は国語、英語、選択科目(日本史、世界史、政治経済、数学)だったと思いますけど、数学が必須になるということでも、社会科などの選択科目は残るみたいだが。とにかく数学を絶対に受けないといけない状況になるらしいです。この早稲田大学政治経済学部の数学のレベルや難易度は気になりますね。ただ、この変更に関しては、評価している声も結構あるのです。数学必須化で、早稲田大学政治経済学部の数学の難易度はどうなるのか?は分かりませんが。今までは有利という声もありました。数学の方が簡単で有利だと。日本史や世界史などよりも難易度が下がるという評価なのかもしれないです。早稲田大学政治経済学部の数学で有利になる人はかなり少ないと思います。ただ、個人的に思うのは、早稲田大学政治経済学部が考えていることの意図が理解できないのです。世の中には短絡的な人も結構いて、経済学は数学を使うのだから、数学を必須化するのは当たり前だ!とか言っている人もいるのです。そういう人たちが、今回の早稲田大学政治経済学部の数学必須を称賛しているのだとしたら、この数学必須の改革は意味ねーな(笑)と思うわけです。経済学で数学を使うのは事実だ。でも、それを言ったら日本史や世界史、政治経済だって経済学に関係ありますよ???

 

政治経済という科目は言わずもがなだが、日本史や世界史も経済史とかが出てくるので、時代関係なく、全般的な部分で経済学には関連します。歴史から学ぶって結構重要ですからね。つまり、数学が経済学に関係するから数学を必須化することに賛成するならば、他の科目も同様なんだけど???って話なのです。数学だけ必須化する理由になりません。あと、ネットで調べたら以下のブログ(早稲田(政経)が数学必須に舵を切る | 難関国立大への壮大な実験 2024(旧・偏差値20台からの塾無し中学受験 2018年))が見つかったのですが、こちらでも早稲田政経の数学必須には賛成の立場のようで、理由が一応書かれています。

 

>よい流れだと思います。文系とはいえ、経済学は少し踏み込めば数学抜きには語れません。ノーベル経済学賞受賞者に数学者が名を連ねたり、かつて数学者を目指した人が多いのは経済が数学と切っても切れない関係だからです。

私は 「私大の経済学部の多くが受験科目に数学を入れないのはなぜだろう?」 と常々疑問に思っていました。

数字が嫌いだから私文に逃げたような子達が経済学を学んで何か身につくのでしょうか?実際、多くの学生は経済の入口も理解しないまま卒業しているのでしょうね。そりゃ、日本に偉大な経済学者が少ないはずです。

 

このブログに書かれていることは、恐らく一般論であり、賛同する人は多くいるんじゃないかな?と思っているが、私に言わせればめちゃくちゃなことを書いている。まず数学が嫌いだから私文に逃げているという部分だけども、そこは事実でしょう。私立文系はたいてい数学が嫌いです。それは相対的に数学が苦手だからです。でも、それって数学を選択した人も同じなんですよね。数学を選択した人は数学が得意だから選択したわけで、それって他の科目が相対的に苦手だから、相対的に得意な数学に逃げたわけでしょう?日本史や世界史を選択した人も相対的に得意なそういった科目に逃げているわけですが、それは現状の入試制度で数学を選択した人も同じです。まるで数学を捨てた人だけが逃げているみたいな表現を使っているけど、受験生はみんな逃げてますよ。それこそ東大受験生だって、選択科目があるのだから、選択できる余地がある以上、相対的な苦手科目から逃げるのは当たり前なのです。相対的に得意科目を選択するのは合理的な当たり前の行動なのです。受験に関係なく、人間はみんなやっています。つまり「逃げる」という行為は受験生(というか人間そのもの)が全員行っており、数学云々話じゃないので、それを特別に扱う意味がない話だと思います。あと、数学から逃げた人が経済学が身に付くのか?とか言ってるけど、経済学の中で数学を要する分野に関しては身に付かないだけの話です。経済学の領域なんて無茶苦茶広いです。

 

私はちなみに経済学部出身ですが、大学生時代に学んだ授業の中で最も印象に残っているのは労働経済の分野です。雇用とか、働き方に関しての授業だけど、この授業は一切数学を使いませんでした。ただ、私は結構真面目に勉強したので、この分野に関しては結構身に付いた自分で思っています。というか、そこで得た知識をもとにしてお金を稼いでいる面もあるのです。こういったことは普通にあると思うんだけど、数学ができない人だって、分野によってはちゃんと経済学は身に付くでしょうよ。何で数学ができないと経済学が身に付かないなんて発想に即なるか?全く理解できません。経済学は全てが数学によってできているという発想なのでしょうか?あとはそもそも「偉大な経済学者」って言い方しているけど、「偉大」の基準ってなんだよ?って突っ込みたいですよね。頭が悪い人ほど、曖昧ななんとでもとれるような用語を使いたがる傾向があると私はこれまでの人生で感じていますが、偉大っていうのはどこからが偉大なんだ?基準は何だ?って聞いても、多分この人は主観以外の説明はできません。つまり、この人は偉大な経済学者は日本にはいないと決めつけているけど、そんな証拠はどこにもない。だって、偉大という言葉の定義が確定しないんだもん。

 

あと、ノーベル経済学賞の話もしているが、数学者を目指した人が多いということとその受賞に何の因果関係があるのだろうか?数学と経済が切っても切れない関係とか言ってるけど、経済学の中で数学を活用する分野は一部分ですよ。数学とは無縁の分野も大量にあるのですよ。その状況で切っても切れないって発想は謎です。あと、数学者を目指す人が増えればノーベル経済学賞を日本の経済学者が受賞できる可能性が上がるとでも言いたいのですかね?だったら、その前にノーベル経済学賞の価値を論じてほしいですけどね。ノーベル賞だって、選考基準はかなり主観的なわけです。というか、基準を設定する段階で主観が入ってくるので、結局特定の成果や理論それ自体をどう評価するのが適切なのか?なんてのは正解はないのです。芥川賞直木賞も同じです。文学作品の良し悪しなんていうのは、1つの定型化された基準があるわけじゃない。売上金額や冊数など、数字を使って客観的に判定するならばまだしも、少数の選考委員が独断で決めたものが大賞になるわけだから、私に言わせればあれに何の価値があるのか?という話です。それをさもすごい賞のように捉えている人が多いけど、あの賞に何の価値があるのか?全く理解できません。ノーベル賞だって同様で、ノーベル経済学賞を受賞している、いないで、経済学者としての価値が違うというのは適切ではないでしょう。

 

つまり、芥川賞直木賞ノーベル賞も一種のブランド信仰によって成り立っているものであって、それ自体の価値を根本的に問うて、理解している人なんてほとんどいないと思います。数字のみで比較できるものならば、優劣を測ることはできるかもしれないが、そうじゃない部分で間違いなく比べてますよね。あと、ネットで調べると、ノーベル賞は政治的受賞が多すぎるとか、騒いでいるのは日本のマスコミだけとか、そもそもノーベル賞の価値に疑問を呈している人はすでに一定数いるみたいですが。つまり、話は大分逸れたが、ノーベル経済学賞の話を持ちだしてはいるが、それがなんなの?という話でしかないのです。

 

さらに早稲田大学政治経済学部の学部長が数学必須化についての狙いについて語っている記事(早稲田大学の政治経済学部長が語る「数学必須化」 狙いと変革 - ライブドアニュース)があったので紹介します。

 

>これまでの本学部の入試は、「ある部分を極端に多く勉強して受験するもの」だと誤解させてきた。私大文系では3科目入試が主流で、数学が苦手な受験生たちは国語、英語、社会を受けてきた。大学側としても3科目という少ない科目で合格者を選ぶので、点差をつけられるような詳細な知識を問う問題を作る必要があった。

その結果、特に世界史や日本史のような社会の科目では難度の高い問題が出される傾向が強くなっていた。このままでは高校生が高校時代に幅広く学ぶ機会を奪うのではないかと疑問を感じていた。

 

今の受験勉強が高校生が幅広く学ぶ機会を奪っているというのはそうかもしれない。しかし、それはいけないことだろうか?いけないこととして捉えているような文章に感じるのだが、狭く深く学ぶということと広く浅く学ぶということは、どっちがいい、悪いの問題ではないと思う。幅広く学ぶ機会を設けるということは、狭く深く学ぶことをしづらくなるということだ。なぜならば、時間は有限だから。幅広い分野を勉強すれば、その1つ1つはどうしても浅くなりがちだ。狭く深く勉強するとその逆のことが起きるというだけ。そして、どっちが望ましいという話ではないし、これはトレードオフの関係なので、幅広い勉強をすれば、それだけ特定の分野を深く勉強する機会は失われる。広く浅くと、狭く深くのどっちが良いか?は人による。そうなると、今までの狭く深くの勉強がおかしい理由にはならないのだ。つまり、幅広く学ぶ機会を奪っているとは言うものの、奪って何が悪い?という反論が容易なのです。狭く深く勉強することが嫌ならば、別の(受験勉強を幅広く学びながら行える)大学学部を受ければ良いだけ。この部分に関しては、早稲田大学側は受験生のことを思って発案したみたいなニュアンスに捉えられるけど、早稲田政経が受験生のことを思って改革に乗り出したというならば、狭く深く勉強したくない人は別の大学学部を受ければ済むので、それでいいんじゃないの?で終わりなんです。別に改革する理由がない。

 

>言い方を変えれば、政治学と経済学の両方を学ぶという昔の理念に立ち戻り、その理念を実現するための新しい方法を取り入れたカリキュラムだと言える。この新しい方法という点で、現代だとどうしても数学が入ってくる。これからはビッグデータの時代なのに、データに関する知識や数学に関する知識がないのは困る。だから、入試で数学を必須化した。

 

これも謎ですよね。ビッグデータの時代なのにデータに関する知識がないのは困るっていうのを早稲田大学が公式に認めている発言ならば、この時点で矛盾ですよ。なぜならば、早稲田大学ではビッグデータを全く扱わない、入試で数学が必要ない学部学科が多く存在するからだ。政治経済学部の学生はビッグデータを学ぶかもしれないが、他の学部の学生は学ばないで卒業する人が多いと思うんですよね。この政治経済学部長の発言を早稲田大学として正しいと認めない場合はともかく、正しいことを言っていると認めた場合には、じゃあ政治経済学部以外の学生はビッグデータを学ばないで卒業するカリキュラムになっているはずで、それは政治経済学部長が言う、「困る学生」という扱いになるわけだが、その存在を容認している状況なわけです。ビッグデータを知らないのは困るが正しいならば、早稲田大学政治経済学部以外の学生は多くがその「困る学生」に該当するわけだけど、早稲田大学はこれで良いの?困る学生を量産するシステムになっているわけじゃないですか?逆に他の学部の学生がビッグデータを対して知らずに卒業して困らないが正しくなると、政治経済学部長の言うことの妥当性はないってことです。

 

これが「(政治経済学部の学生として)困る)という意味合いで言っている可能性もあるけれども、政治経済学部を卒業する学生の大半は会社に就職し、社畜になってしまうわけで、それって他の文系学部の卒業生と特別変わる部分じゃないですよね。就職する業界は多少は違うかもしれないけど、営業職とかをやる人が多いのだろうし、必要となる知識などの部分はそんなに変わらないというか、人によって違うということは言えても、学部によって違うまでは言えないだろう。学部ごとの就職の傾向がそんなにはっきりするとは思えない。どの学部でもあまり変わらない状況なわけですよ。大学で学ぶことなんてほとんど仕事で役に立たないと思いますから。だから、このように考えると、政治経済学部として困るという言い方であっても、そんな言い方をする必要はないってことになります。政治経済学部でも、文学部や法学部でも、多くは卒業後同じような生き方にしかならないんだもん。あと、最後に重要なことを言っておきますけど、経済学部を学ぶ上で数学が必要になるというのは、特定の分野を学ぶにあたっては数学が必要になるということです。つまり、特定の分野を学ばない、他の分野の方が興味があるという人にとっては数学を勉強しないといけない必要性がないのです。早稲田大学政治経済学部の履修の仕組みやルールが分からないので、何とも言えない部分はありますけど、数学ができる人を採りたいならば、早稲田大学政治経済学部の入試科目で数学必須にするのではなくて、特定の授業を必修にすれば良いと思うのだが。そうすれば、その授業の単位を取らないと卒業ができませんから、嫌々ながらもみんな勉強するはずで、必要な範囲で勉強をします。

 

しかし、入試科目に設定すると必要ない範囲まで勉強する無駄が生じる可能性があります。また、数学ができる人が入っても、その人が数学分野(ビッグデータなどの統計に関する授業)の授業を取るか?は分かりません。そういう問題もあります。さらに言えば時間は有限なのだから、経済学における全範囲を在学中に学ぶのは不可能です。数学を使う分野について学べば、それ以外の分野を学ぶ時間がなくなるので、トレードオフなんですよ。経済学の分野ごとに優劣や価値の大きさが決まっているとは思えないので、どこを学ぶか?は学生が決めれば良いと思うのです。ビッグデータに関する授業が、それ以外の授業よりも価値が高いって何で言えるんですかね?ビッグデータに注目が集まっているのは事実だけれども、それは今まで注目されていなかったのが注目されてきたから話題になっているわけで、それ以外の分野の価値を超えたとなぜ言えるのでしょうか?それが言えないならば、ビッグデータを特別勉強しないといけない、身に付けないといけない理由はないです。

 

ビッグデータと同等の価値を有する分野が他にもあるならば、そっちを勉強したっていいわけですし、その中には数学的素養が必要ない分野も多数あると思いますが。数学を必要とする範囲を学びたいならば、それ以外の範囲を勉強する時間を犠牲にして、そこを学べば良いですし、その逆でも良いでしょう。数学を使う経済学を学ばないと経済を理解していないとか言う人もいるけど、それはその分野に関してはの話だと思いますけどね。経済学の中で数学を使わない分野の話も割合的には相当多いです。そっちを中心的に学んだって良いじゃん?だって、時間は有限なのだから。時間が有限な中で何を優先して学ぶか?は人それぞれで正解があって良いのです。時間が有限な中でバランスよく授業を取る学生、偏った範囲で取る学生どっちが良いのか?と言えば、どっちでも良いでしょうよ。早稲田大学政治経済学部の数学必須というのは、大学の意図もよく分からないけど、学生からすればメリットはほとんどなく、学びの仕方に単に制限がつけられてしまったというだけだと思うのです。

 

早稲田大学政治経済学部の数学の難易度は普通に難しいでしょう。簡単とは言えないでしょうから、そこまでの苦労を課す必要がそこまであんの?というのはやはり疑問です。ビッグデータにしろ、統計学にしろ、大学で真面目に学んだ人が、それを生かして仕事で活躍するとか、そういったビジョンはあまり見えませんけどね。学生時代にスポーツ万能だった人が、卒業後もスポーツの第一線で活躍するか?というと、まずないです。たいていサラリーマンになっているはずです。それと同じだと思うんですよね。大学で学んだことを卒業後生かせる部分というのはかなり限定的で、その限定的な教養とも表現できるような要素は、大学で学ばなくても意欲がある人ならば自然と勉強できますよ。大学に通う必要もなければ、ましてやそのために入試科目を制限して必死にやらせる必要もないと思います。卒業後、大半の人間は就職して働くというのは、それこそ統計で簡単に出せるものであり、大学で何を学んでも、それが生きる余地は限りなく狭いことも統計で出せるはずです。ビッグデータ統計学を大学でそれなり学んだとして、その学生がその後より良い人生を送れるのか?社会にとって特別重要な人間になれるのか?と言えば、そこまで関係するとは思えないのです。それこそビッグデータを学べば、その時間で別の何かを学べなくなるので、結局一緒なんですよね。ビッグデータと同等、それ以上に大切なものもあるんじゃないですか?それを学ぶことの機会損失でもあるわけです。これがトレードオフなんです。ビッグデータを含めて、特定の領域に固執する必要性が分からないのです。

 

早稲田大学政治経済学部での数学のレベルや難易度はとかはよく分かりません。受験した人の感想などを参考にするしかないと思います。元々レベルは高かったと思うのです。数学必須になった後も早稲田大学政治経済学部の数学のレベルは普通に高いでしょう。そのレベルをどの程度に感じるか?はそれぞれの学力や感覚にもよるのですが。従来は文系受験では数学は簡単というか、社会科よりは有利と言われる面もありました。ただ、早稲田大学政治経済学部の数学が簡単か?というと、そうは思えません。早稲田大学政治経済学部の数学は得意な人は有利になると言えるのか?も分かりません。数学ができる人からすれば、有利になると言える可能性はあるけど、これによって東大や一橋を受験する受験生の併願が増えれば、より数学に長けた人間が受けに来るので、むしろ不利になるかもしれないのです。早稲田大学政治経済学部の数学の難易度はどうか?有利になるのか?という部分は実際に受験してみないと分からないと思いますが、数学が苦手な人は厳しいと思います。そこから得意にできるなら良いですけど、模試とかで偏差値が65くらいはとれないと厳しいんじゃないですか?早稲田大学政治経済学部での数学必須の意図は全く理解できないが、多くの受験生はこのよく分からない意図のために数学受験に付き合わされることになります。看板学部なので人気でしょうし、どうしても早稲田政経に入りたい受験生は、数学が苦手な場合どうするんでしょうね?必死で勉強するのか?他の学部にシフトするのか?分かりませんが、普通に考えたら数学を必須にすると偏差値は下がるでしょうね。だから、定員を減らす策も同時にやるみたいですけど。

 

早稲田大学(政治経済学部) (2018年版大学入試シリーズ)

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