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日本人は善悪と利害の違いを知らない、区別ができない人が非常に多いと感じる

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日本人のものの考え方の欠陥というか、おかしな点というのは私が生きている中で相当見つけてきたつもりだが、その中で特徴的なものを紹介したい。それが善悪と利害を混同するということ。別の言い方をすれば、善悪と利害の違いを知らないということになります。善悪と利害を混同して考えている日本人は実に多い。具体例を挙げると分かりやすいと思うが、以前ちょっと触れたこともあるけど、選挙の際に自分の選挙権を売ることが日本では禁止されていると思うが、なぜダメなのか?という問いに対して、ネット上の回答を見ると、いろいろな回答があったものの、最も多数派、ほとんど全員が口にしていたのが「金持ちに有利な政治になるから」というものだったのです。この金持ちに有利な政治になるからという回答をしている人は、はっきり言って質問への回答になっていない。この質問は選挙権を売ることはどうしていけないのか?売ることがいけないという前提に立ったうえでなぜ悪と言えるのか?善悪の基準に関する理由を尋ねているのだろうが、それへの回答は単なる個人の利害の問題になっている。別の言い方をすると、これが質問への正しい回答になるならば、金持ちが有利な社会がなぜ悪なのか?を別途説明しないといけないということ。そこまでできれば、これは善悪としての回答になる。

 

しかし、私が見る限り、この回答をしていた人は全員そこまで考えていない。「金持ちに有利な政治になるから」という回答をなぜしたのか?と言えば、その人にとってそういう政治をされたら困るから。に他ならない。つまり、それってあなたが困る理由であって、ダメな理由になっていないですよね?(笑)ということなのです。あなたが困るものは全部悪なんですか?と思いましたけど、こういう考え方は実にいろいろなところで見られる。例を出したらキリがないけど、例えば推薦入試を廃止すべきとかいう人もいるわけで、そういう人は推薦入試を使わない人であって、推薦入試があると自分が受かる確率が下がる(枠が狭まるため)ために、そういうことをいうのでしょう。2ちゃんねるの大学受験サロン板などを見ていると、そういう短絡的な書き込みは随所に見られる。大学側と受験生側の需給の一致によって存在しているのに、第3者がいらないと回答するのは、謎でしかない。これも推薦入試をいらないと判断した理由は、自分がそれによって損をしているからだろう。この話は善悪とはちょっと違うかもしれないが、推薦入試がいるか?いらないか?の判断基準として、個人の利害のみが理由になってしまっている。利害は客観的な理由にはならない。なぜならば、正反対の利害を抱えている人がいるからだ。

 

さっきの話で言えば、金持ちに有利な政治をされると、金持ちじゃない人が困る。だから、選挙権を売るのは禁止なのだ。これが正しいとすると、金持ちに有利な政治になるのならば、金持ちにとって有利なので、金持ちは選挙権を売るのを正しいと主張しても、それは正しくなります。こちらも同じく利害を基準にしただけなので。利害を基準にするっていうのは、感情論の域を出ません。つまり、全く同じ理屈で正当性すら主張できます。日本で多数決をとれば金持ちを有利にする社会は反対の人が多いだろうが、シンガポールで同じ多数決をとれば真逆の結果になるだろう。つまり、利害なんて善悪の判断基準にならないのですよ。利害というのは理屈じゃなくて、主張する人の都合なので、誰に聞くか?で何もかもが変わる。大変不安定な根拠なのです。実際は金持ちに有利な政治になるとは到底思えませんけどね。金持ちを優遇する政党はまずどこなのか?ということになるし、金持ちを優遇されることが困るならば、選挙権は売らないだろうって話になるし、結果として金持ちが有利な社会になるとしたら、大半の人間が選挙権を売ったのだろうから、大半の人間がそういう社会を承認したことになる。それの何が問題?と思いますけどね。それに金持ちが有利な社会ってのは、とても漠然としているけど具体的にどんな社会なんだろうね?(笑)とも思いますよ。具体的な事例を挙げている人を見たことがない。ほとんどの人間は自分の想像でしか考えていないのです。

 

金持ちが自分たちが有利になる社会は貧乏人にとって不利なのか?というと、そうではないと思いますがね。西村博之氏はベーシックインカムを望んでいるわけです。彼は一般的に言えば金持ちだ。お金はほとんど使わないらしいが。ただ、金持ちにとってベーシックインカムは得する要素なんかないんじゃないの?と思うかもしれないけど、彼によれば、ベーシックインカムが実現すると、生活の心配をする必要がなくなり、嫌な仕事をしなくなる。個々人がやりたいことに時間を費やすことになり、結果として面白いコンテンツが増えやすくなる。彼はゲームやアニメ、映画などが趣味らしいが、そういったもので面白いものが増えるとしたら、それはメリットであるということらしいのだ。つまり、ベーシックインカムは弱者保護政策のように見えるかもしれないけど、金持ちにとってもメリットあるんですよね。ということになる。で、ベーシックインカムが導入されると、庶民レベルの人たちが損をするのか?というと、そうとは言えないだろう。制度設計やそれぞれの収入レベルによって変わると思うが、得をする人も多くいるはずだ。金持ちに有利な社会っていうのは、金持ち以外が損をする社会と決めつけるのはどうか?と思います。

 

今回の話はそこがメインではない。あくまでも善悪と利害をごっちゃにする人の話なので、そこに戻りたいけど、自分が困るから悪だと決めつける人は本当に多い。私が見る限りの話だけど、善悪の基準が自分たちの利害であるという人は本当に多いと感じる。利害を基準に物事を決めてはいけないということではない。物事を決めるときには感情論を持ち出さないと無理な場合がある。死刑の継続、廃止に関しても、どっちをとったって感情論でしか決めようがないから。ただ、それは=善悪ではないのだ。あくまでも物事を決定する必要性があり、感情論以外では決めようがないので、感情論を持ち出して決めているというだけの話であり、それはそのように決まっているということは言えても、それが善悪を決めつけるものではない。選挙権の売買に関しても同じです。だから、法律などについてもそれはベースとなっているのは感情論だが、そのように決まっている以上、法律はそのようになっている。これは正しい。しかし、法律は絶対に善であると言い切れないということだ。法律は善悪の基準というよりは、トラブルが起きたなどに解決する際の尺度でしかないということ。法律も基本的には国家や多数の国民にとっての利害を重視した結果、感情論によって決められている。そして、最初の話題で言えば、金持ちに有利な社会を否定するということは、金持ちじゃない人たちに有利な社会にしろ!ということであり、特定の人間に対して有利な社会が正しいならば、その対象が金持ちであってはいけない理由とは何ぞや?という疑問が当然浮かび上がるのです。当然ながら、それへの回答も善悪ではなく、利害になるでしょうけど。

 

 

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