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神風特攻隊はISの自爆テロと同じか?←こういう議論してさ、何がどう変わるの?

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西村博之氏が「戦時中の日本の神風特攻隊とISなどの自爆テロは世界で同じだと見なされている」という発言をしていたのをたまたま聞き、私は「へー、そうなんだ?」という感じで、ちょっとネットで調べてみたら、数年前の以下のような記事(「特攻とテロはまったく違う」 実行犯「kamikaze」仏報道に元隊員憤り:イザ!)が見つかった。

 

>パリで起きた同時多発テロ事件で、現地メディアが自爆テロ実行犯を「kamikaze」(カミカズ)=カミカゼの仏語風発音=と表現していることに、語源となった神風特攻隊の元隊員から憤りの声が上がっている。命をなげうち、祖国を守ろうとした特攻と、無辜(むこ)の民間人を犠牲にするテロを同一視するような報道に、元隊員は「国のために戦死した仲間は、テロリストとは全く異なる」と反発している。 

 「日本をなんとか救おうと、愛国心の一念から仲間は飛び立ち、命をささげた。テロと特攻を一緒にするのは戦友に対する侮辱であり、残念至極だ」

 

実際、西村氏の言っていることはある程度真実のようで、海外では神風特攻隊と自爆テロは同じである。という見方をしている人もいるのだ。ただ、それに怒っている人もいると。神風特攻隊と自爆テロを同一視されたのが気に食わなかったらしいが、申し訳ないけど、この怒っている元隊員というのは、本当に頭が悪いんだと思います。こんなものは「物は言いよう」の問題でしかない。同じに見ようと思えば見えるし、違うと言われれば違うように見える。フランスの現地メディアが同一視しているのはそうかもしれないけど、何を、どの部分を同一視しているの?と私なら思いますよ。つまりね、同一視といっても、この元隊員という人がいうように、行為の動機に着目した場合には違うということは言えなくはないと思う。私は自爆テロの方が悪質とは必ずしも言えないと思っていますが。どっちが悪質か?なんて曖昧な結論を出すつもりはないが、とりあえず両者は違うという点には納得する。ただ、現地メディアが同一視したのはそこじゃない可能性もあるわけでしょう?要するに客観的側面(外形から見えること)を同一視した可能性がある。その場合、どちらも自らの命をなげうって、誰かを殺そうとする行為という言い方ができてしまうと思うのです。この場合には同じといわれてもさほど違和感はないです。

 

だから、私であれば、彼らが何を、どの部分を見て同じだと思ったのか?について気になりますよね。ただ、この元隊員の人はそんな考えも及ばずに、衝動的に怒り、こういう発言をしたのだと思われます。相手の真意を全く理解しようとせず、いきなり侮辱であると言ってしまう。やべーなこいつwwwというのが、私のこの元隊員に対する本音ですね。あとはそもそも同一視しているって言ってるけど、自爆テロを「Kamikaze」と呼んでいるってだけであって、それを同一視と捉えるのも、私は理解ができませんよ。星座と同じじゃないの?と思うわけです。や座ってのがあるけど、矢に似ているからや座なわけでしょう?つまり、矢とや座は全く同じじゃないわけですよ。「や」という名称を星座につけたのは似ているからであり、「Kamikaze」だって、全く同じと思っているわけじゃないんじゃないの?と思えてきます。行為の外形がそっくり、似ているからそういう名前をつけただけかもしれないよね。ひどいクレーマーだな、私は思えて仕方ないですよ。この場合も、「同一視」の明確な定義がないから、こんなことを考えても無駄かもしれんけどね。

 

私ははっきり言って、こういう議論に何の興味もないんですよ。神風特攻隊が自爆テロと同じだとしたら、違ったとしたらなんなんですか?何か変わるんですか?同じか?違うか?なんてのは感覚の問題でしかないわけです。そんな議論して結論が出るわけがないし、仮に出たとしても、その結論が正しいなんて言える保証もないのだから、こういうことで熱くなる人の気持ちが全く理解できないのよね。単なるレッテル貼りなわけじゃないですか?自爆テロと同じか、同じじゃないか?が明らかになったところで、神風特攻隊がやったことの事実は何の変化もないのですよ。歴史は別に変りません。単なる殺人集団である事実は変わりません。本当に人殺しを正当化しようと必死だなと。元隊員以外でも違いを述べているような人たちっているわけだが、その違いっていうのは、特攻隊と自爆テロの相違点であり、別に特攻隊を正当化できるまたは自爆テロよりもマシであるという理由ではないんだよ。違いを述べて終わり。よくあるパターンです。それに違いが存在するってことは、最悪の場合、自爆テロよりも悪質という評価になることもある。実際、調べてみるとそういう意見(「特攻」は自爆テロより悪質 産経新聞は特攻を美化したいのか?: 清谷信一公式ブログ 清谷防衛経済研究所)の人もいるみたいだがね。人間って、本当にそういうの好きだよね。と思わずにはいられない。社会の評価が変わるという可能性はあるが、社会の評価は善悪とは無関係ですからね。社会は印象による多数決で善悪を決めたがるみたいですけどね。社会の評価は大衆の感想に近いので、特段重要視すべきには思えません。

 

強いてあげるならば、レッテル貼りというのは、ほぼマウントに近いですよね。あいつと俺は違うとか、あいつよりは俺の方が上だとか、そういうマウント合戦に近い。88歳にもなってさ、そんなことまだやってるの?と、少々呆れ気味なところもあるが、マウントってのは、基本的に誰かと比べて自分たちが優れていることを強調する行為であり、言ってしまえば対象とする相手を下に見ることであり、確実に侮辱なんですよ。侮辱で怒っている人が結果的に、現地メディアを侮辱しているわけで、何も考えてないんだなと思えてくる。結局、神風特攻隊は同じ人殺しでも、自爆テロよりは悪質じゃない!って言いたいんだろうけど、私には大した違いは見えませんし、少なくとも特攻隊が自爆テロよりマシとも思えてこない。そして、この元隊員は現地メディアを「侮辱するような人たち」であると捉えている。その時点で侮辱なんですよ。犯罪を犯した人に対して犯罪者と言うような状況ならばまだ理解できなくはない。したがって、その侮辱であるという指摘の中身が妥当性があるならまだいいのだが、すでに話したように、妥当性はない。同一視するのが正しい場合もあれば、そもそも同一視しているとは限らないと言えるのだから、この元隊員が言っていること自体が妥当性がないのだから、侮辱であるという結論も当然妥当性がない。

 

私が元隊員だったら、自爆テロと同一視されようがどうでもいいですよ。実際、私はほとんど同じだと思っているし、自爆テロと同じだったら何なの?という思いでいると思いますよ。戦争だけに限らないけど、人は生きながら社会に害悪をもたらすんですよ。そうしないと自らの利益は得られない。私は自分のことを善人とは思ってませんから、「お前悪人だろ!」って言われたら、「はい、そうですが?(笑)」とでも、返す準備はできてます。善人とか、悪人って言葉も所詮はレッテル貼りだから、そんなことを言われても別にどうでもいいです。好きに言えば良いさ、って感じ。そして、さっきも言ったけど、同じだろうが、違っていようが、神風特攻隊のやった行為は何も変わりません。自爆テロも神風特攻隊も被害者からすれば、完全に同じ扱いです。自分たちを殺そうとしてくる悪人でしかありません。それは日本人にとってのアメリカ兵士も同じですかがね。

 

動機がどうとか、殺される側にとっては関係ないですからね。祖国のためにとか言われても、相手国の兵士からすれば、そんなの知らんがなwでしかないでしょう。神風特攻隊の隊員に対して、だったら日本は滅びてくれよと、私がアメリカ兵士ならば思うでしょうね。祖国のためにと言われて、殺されることに納得する人いるんですか?祖国のために人殺しをする、させる、そんな危ない祖国はさっさと滅びろよと思うんじゃないですかね?この場合にはアメリカも同じことをしているから、アメリカ兵士は言い返しづらいとは思うが。それに自爆テロだってイスラム国のために、彼らにとっての祖国のためにやっているんだろうしね。同じか?同じじゃないか?それは見方による。万引きと大量殺人は違うか?行為の中身は違うように見えるが、どっちも「犯罪」というカテゴリーでとらえるのは間違っていない。どこを見るか?で変わってしまう、見方によって変わるものを、同じか?同じじゃないか?議論しても、時間の無駄でしかないと、やっぱり思います。

 

9.11人類が、正義という呪縛から 解き放たれるために

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