就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

反出生主義の考え方とテイルズオブベルセリアの世界観のつながり

テイルズオブベルセリアという作品は、私がずっと前からプレイしてみたかったものでした。これからはゲーミングPCを買って、それでゲームをしようと思っていたのだが、この作品はSTEAMなどではプレイできない。よって、PS3PS4、PS5のいずれかがないといけないわけだ。しかし、過去にも話したが、私は中学生以来ゲーム機を買っていなかったため、家にはPS2までしかない。そんなわけで私は一念発起してPS4を買ったわけです。PS5じゃないのか?と思うかもしれないけど、PS5を買う気は起きないんだよな。今のところソフトが大して充実していないという点が大きい。逆にPS3は今からお金を払ってまで買う気が起きない。これから新作ソフトは出ないし。よって、PS4の本体を駿河屋で中古で買いました。PS5の供給不足により、PS4の中古価格も上がってしまい、私は3万円くらい出して買いましたよ。新品とあまり変わらない値段なんですわ。

 

そんな前置きはどうでもいいとして、このテイルズオブベルセリアはちょっと変わったRPGである。というのも、立ち位置的に主人公とそのパーティーメンバーは悪役という状況だからだ。悪役が正義の味方を殺そうと立ち向かうストーリーになっており、そこは割と異色じゃないか?と思う。「君が君らしく生きるためのRPG」ですからね。主人公はかつて平穏な暮らしをしていたわけですが、義理の兄のある行為をきっかけにして、生活が一変します。そして、義理の兄はそのある行為を境に、世界の秩序を取り戻し、民衆から素晴らしいお方だと支持されるわけです。まさに正義のヒーロー、超人気者です。今や政治と軍事の両面の実権を握る存在として君臨しています。しかし、その世界の秩序を取り戻すにあたっては、実は圧倒的少数の犠牲が存在していました。その犠牲を被ったのがまさに主人公であり、主人公はその復讐のために義理の兄を殺そうと企むのです。主人公にとってはそれだけが生きる希望であり、その結果として世界がどうなろうか知ったこっちゃないというスタンスです。だから、その道中で邪魔をする人間は殺すし、事をスムーズに運ぶために街は破壊するし、船などの移動手段は略奪するし、弱みを握った人間は脅すし、とにかくやりたい放題という状況です。

 

主人公は終始暗い性格で、旅の途中で仲間になる存在に対しても、仲間という意識はほとんどなさそうです。あくまでも自分にとっての憎悪の対象を殺すために利用できる道具という認識に見えます。だから、自分にとって利があるならば、海賊などのアウトローな人間とも平気で手を組む。そして、用がなくなれば使い捨てればいいと考えます。ただ、旅をする中で人間性に若干変化はみられるわけだが。そういった残忍な面も含めて、ある意味悪役の鏡なのかもしれない。世界の秩序を壊しながら、歯向かう存在という意味では、テロリストを主人公にしたRPGと言える可能性があるでしょう。私は現実のテロリストを主役に据えて、何らかの映画とかを制作した場合には、それを見た人はテロリストに対して印象は大きく変わると思っています。テロリストがなぜテロを行うのか?彼らはどんな動機で、どういう思いで殺戮をしてきたのか?その真実が明らかになるというか、そっち視点で描いたときには、見た人は無意識に影響を受けてしまうと思うのです。さらに言えば、テロの被害者の過去の悪行部分などがクローズアップされたときには、そこは顕著となるでしょうね。罪のない人間が1人でもこの世にいるのか?と思えてくるんじゃないですか?人の印象はそんなもんだと思っています。テロがなぜ悪だとされているのか?それは人々が悪だと思い込むような伝え方しかしていないからでしょう。ある意味印象操作が行われています。私は正義とか、悪とか、そういうレッテルに関心はないため、テロリストが悪か?悪じゃないか?はどうでもいいと思っていますけど。

 

圧倒的少数を犠牲にして、多数が得をしている状況というのは現実でも普通にありそうだ。ただ、例えを出そうとするとちょっと難しいなと感じたわけだが。強いて言うならば、反出生主義が当てはまりそうだ。この世界では生まれてきたことに関して反感を持っている人間がいる。この反出生主義という考えに賛同する人間は今のところかなり少数派に見える。ということは、大多数は人が人を勝手に生み続ける行為そのものは問題視していない。しかし、生まれた子供が全員満足に生きることができるか?と言えば、そうではない。実際に少数の犠牲になっている人間だけが反出生主義者になっているとは言い切れないものの、少数の人間が犠牲になっている状況を問題視している人間は少なからず存在する。ただ、国としては人口を維持しないといけないので、特に制限もなく、子供を産む権利を全員に付与している。殺人鬼も聖者も凡人も好き勝手に子供を産めるのだ。そして、多くの人たちは子供が欲しいという欲求のもと、生まれてくる子供の都合なんかほぼ考慮せずに、悪びれる様子もなく、今日もたくさんの子供が生まれる。その中の一定割合が生まれてきたことを後悔したり、親に対して憎しみの気持ちを抱えるのだ。この一定割合の犠牲は不可避と言ってもいい。国の都合と子供を産みたい親の都合によって振り回された被害者だ。反出生主義の概念を国民全員が知ったときにはどうなるか分からないが、現状で言えば反出生主義の考え方は少数だけが支持していると言えるだろう。

 

現実において、生まれてきたことを恨んでいる人間が親とかを殺したりするケースはほぼ起きないと思うけど、親を怨む子供という層が実際に存在する状況は徐々に広まってきていますよね。圧倒的多数が得をするならば、圧倒的少数が犠牲になってもやむを得ないと考える人は多くいると思います。反出生主義の話題でも、この考え方に対する反論として、そういうことを言う人は過去にそこそこいました。一部が不幸になっているかもしれないけど、多数が幸せなら誰もが子供を産める状況は正当化されるんだと。私はそういう人がいたときには「じゃあ、あなたの全財産を渡してください。私が責任をもって多くの人たちに配りますから。あなただけが犠牲になることで、多くの人たちが得をするので、もちろん許容してくれますよね?」と言ってみることが多いのだが、99%はそこで相手の返信が止まる。この言い回しは完全にテンプレと化しており、同様の場面では思考停止状態でこれを言うことが多い。

 

過去に1人だけ「なんで全財産なんだよ?」と返してきた人がいましたが、その人に対しては「全財産である方が、配ることができる金額が増えるため、より多くの人が得をすることができます。この状況で全財産である必要はない、もっと少ない金額でいいはずだと主張するのであれば、必ずしも多数が得をする状況をよしとしてはいないことが証明されちゃいますけど?だって、得する人間が100人よりも90人、90人よりも80人で構わないという言い方をするならば、できるだけ多数を目指す必要がないってことですからね(笑)多数が得をするという前提が崩れる主張をあなたはしているわけですよね?」と返すと、結局返信が来なくなりました。もしかしたら何も言い返せない状況になってしまったので、呆れたことにして逃げたのかもしれませんけど(笑)多数が得をするならば、少数の犠牲はやむを得ないと主張する人は、結局はその少数派に自分が入っていないことが条件なんでしょうね(笑)本当にずいぶん卑怯なスタンスだなと思いましたが。

 

最大限多数を目指すというスタンスならともかく、都合のいいところで打ち止めするようなスタンスなのであれば、まさにその人の都合が理由なのですから、理由に客観性が担保できず、多数が得をすれば、少数が犠牲になっても構わないというのは、要するに「個人の感想ね(笑)」という言葉で一蹴できます。テイルズオブベルセリアの主人公はそんな理屈で行動しているわけではなく、個人的感情で動いているわけだが、理屈で説得できないこの主人公を止める術はない。最終的にストーリーがどう収束するのか?主人公はどのような人生の終着点を見つけるのか?そこがみどころになりそうです。ちなみに主人公が恨んでいる義理の兄は、主人公とは違い、感情を捨てて理屈で行動するようなタイプです。私にとっては、本来はこの義理の兄の方が好感が持てそうなキャラに思えるものの、ゲームをやっていると必ずしもそうではない。それは主人公視点でこのゲームが描かれているからです。これが印象操作というものです。私は感情論が嫌いだから、主人公に対して嫌悪感を抱いても不思議じゃないけど、そのような部分は特にない。まあ、これがフィクションだからってのが特に大きいとは思うけどね。

 

 

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楽しかった、懐かしいと感じる時代に戻りたいって人の気持ちが理解できないんだけど

先日、なぜか不意に小学校のときの卒業文章が目に留まったから開いてみたのです。その卒業文集には表紙に「2000年」と書いてありまして、もうそんな昔なんだ?と思いつつも、小学生最後の年がミレニアムだったことを思い出しました。ちなみに卒業したのは翌2001年3月ですが。異様に分厚いなと思って中を見たら、同じ学年の人たち全員分載っているのね(笑)てっきりクラスだけかと思ったけど。5クラス分全員載ってて驚いた。とりあえず同じクラスの人たちのページをざーっと見てみたら、そういえばこんな子もいたわ!とか、懐かしい思い出に浸ることもできました。で、文集だから、当時の児童1人1人の文章が載っているわけ。でも、それとは別に自由記入欄みたいなのがあって、そこには1人1人オリジナルで表現してあるんだけど、プロフィールみたいなのを載せている人が多かった。私もその1人で、20年以上前に自分が何を書いたか?ってのはほとんど覚えていなかったのだが、自分のプロフィールを当時書いていたみたいです。

 

自分のプロフィールには、例えば好きなテレビ番組って欄があって、伊東家の食卓、人気者で行こう、遊戯王って書いてありました。で、同じクラスの他の子たちのプロフィールにも同様に好きなテレビ番組という欄があって、たいてい遊戯王って書いてあるんだよな。半分くらいは遊戯王だ。それかワンピースって感じ。遊戯王は好きなゲームの項目に書いている人もいた。それ以外だとファイナルファンタジーが多かった。そんな感じで、ずいぶんいい暇つぶしになりながら、自分が小学生だった頃を思い出しまして、当時の楽しい記憶などが一部蘇ってきたわけです。世の中にはそういった懐かしい、楽しかった過去に戻りたいって思っている人もいるらしい。しかし、私はあまりそういう気持ちはないですね。というか、そういう風に思える人の気持ちが理解できないくらいです。そもそも私の場合、リアルタイムで楽しいという感情を覚えた記憶がほとんどない。たいていは後から振り返ってみて、(今と比べたら)あのときは楽しかったのかな?と感じるくらいです。

 

リアルタイムで自分がすごい楽しいというか、充実感を覚えていたのって、多分2回くらい。1つは中学校3年生の3学期です。なぜかこの時期は楽しかったんだよな。この時期って、後に進学することになる高校が決まる時期でもあり、授業に出ない日がそこそこあったんですよ。私は私立高校を推薦で受けたのだが、同じく推薦で私立高校を受ける人たちは、同じ日に一斉にそれぞれが受験する高校まで、電車とか使って願書を持って提出しに行きました。郵送でええやん?って今なら思うけど、授業をサボることができたので、今振り返ってもそんなに不満はない。あとは実際に面接と作文を受けに行った日、合格発表を見に行った日は学校に行ったけど、午後から登校とか、そんな感じだったと思う。あとは百人一首大会、球技大会、卒業式の練習とかもあったし、公立高校を受験する人や一般入試で私立高校を受験しに行く人が今度は授業を休んだりして、普段よりも教室の人数から少なく、卒業まであと少しということで、ほとんど遊びみたいな授業も増えた気がするのです。あとは学校の帰りに家が近い同級生らで誰かの家に集まって、遊ぶ機会も多かったと思います。そんな感じで、とにかくこの中学校3年生の3学期は、それまでと比べて毎日の生活が楽だった。そういう意味で充実感を味わっていた。

 

もう1つに関しては、今度は高校3年生の3学期~春休みです。3学期はほとんど学校に行った記憶がない。3学期って、始業式の日、センター試験の翌日(採点とセンターリサーチの提出のためだけに登校)、卒業式の前日、そして卒業式の当日の4回だけじゃね?って思う。記憶が正しければ。私は大学受験は一般入試組だったから、学校がなくても家で勉強していたんだけど。とはいっても、勉強は大嫌いなので、1日3時間くらいが限度だった気がするが。そんな感じで、こちらも普段の面倒な授業がないという点が個人的には大きかったわけです。そして、3月1日が卒業式だった気がするから、その後大学の入学式まで1か月近く春休みがあったのですが、そのときの充実感は特にヤバかったね。大学受験の勉強から解放されて、大学の入学式までの1か月間、適当に遊びながら、ダラダラ過ごしていた記憶があります。でも、卒業式を終えて以降、高校時代の友達と会いづらく寂しさは多少ありましたけど。自分としてはそれなりに希望の大学に受かったという点も理由の1つだが、大学ってすごい楽なイメージがあったんですよ。だから、これからは高校までのような、早寝早起きや満員電車のような大変な毎日を送る必要がないという想像ができる部分は、むちゃくちゃ魅力的に感じていました。休みの期間でいえば、高校卒業後の春休みよりも高校在学中の夏休みの方が長いけど、夏休みの場合にはそれが終われば、また早寝早起きして満員電車で高校に通う生活に逆戻りです。でも、高校を卒業してしまえば、それは(当分)ないって思えるわけじゃないですか?少なくとも4年間は楽な毎日が続くなんだろうなーと思えたのです。実際、大学に通ってからは1限に出る機会なんてたまにであり、たいていは早い日でも9時くらいに起きて10時過ぎに家を出るという生活をしていました。いやー、大学生のときってマジで楽だったねー(笑)

 

ここまで長々と自分語りをしてきましたが、こうやって改めて振り返ると、私にとっての楽しさというのは、いかに楽な生活をするか?という点に集約される。友達とかと遊んで楽しかったとか、そういうのもあるんだけど、それはあくまでも今になって振り返るとそう感じられるという点が強く、当時の記憶としてそんなに楽しかったのかな?という思いに駆られてしまう。また、主に学生時代に楽しい思い出があったというのは事実だが、それは楽しい思い出が印象的だったというだけで、トータルで評価したときには、結局毎日の生活は大変でしたし、辛かったですよ。大学生のときを除いてね。早起きして、連続して授業に出て、その後部活もやって、習い事もやってみたいな状況があったわけですから。そして、ここからが本題なんだが、私はリアルタイムで楽しいという感情を感じにくいのでは?と思うので、今になって思えば楽しかったと言える過去に戻ったところで、何の解決にもならないと思います。私が今になって楽しかったと思える時期は、リアルタイムで言えばどちらかというと辛いと感じていた時期であり、そんな時期に戻ったところで、まるで逆効果なわけだ。

 

強制的に過去に戻らないといけないなれば話は別だけど、戻れるなら戻れますよ?という状況ならば、私は拒否すると思う。強いて言うならば、大学生だったらギリギリありかもしれない。自分としては大学受験が結構大変だったので、それ以前に戻ってもう1度大学受験をする気は起きない。しかもそれなりの希望の大学に受かった事実を踏まえると、今度受けてまた受かる保証もないからね。逆に今度は第一志望に受かりたいという気持ちもゼロではないが。ただ、大学4年間はそこそこ楽でいいとしても、卒業後は大変だったなと思えて仕方ないな。就活もやったけど、嫌になってやめちゃったし。その後、公務員試験も受けたけど、就活と同じで、面接が嫌いでやる気がなくなってしまって。その後、私は世間の常識的な価値観を捨てることに無事成功し、悠々自適な生活を送っていますが。すでに述べた通り、私は今と比べたら学生時代の方が良かったと思える面が少なからずあったので、それを思い出す機会はたまにあります。戻りたいとは思わないけど、思い出は今でも大切なものとして、私の記憶に残っているんでしょうな。

 

私は今でも実家に住み続けているが、学生時代と同じで地元にいるわけだ。たまに自分の通っていた小学校や中学校の周りを歩いたり、習い事で通っていた塾やスイミングスクールの近くを通ったりする。無意識のうちにそういうことをしており、私にとって過去は決して切り離すことができない大切な存在になってしまっている状況を、今改めて実感します。私は30過ぎだから、学生時代の友達のほとんどは今はもう地元にいないんじゃないかな?昔よく遊んでいた友達の家の近くを通ることもあるけど、そこにあの人たちもういないんだろうと思えてくると、やっぱりちょっと寂しい。あと、昔のテレビ番組とか見ちゃうんだよな。でも、DVDとかが世に存在している時代だから、映像が普通に綺麗で15年前とかの番組には全然見えない(笑)過去にこだわっているということは、今に不満があるという証にもなる気がするけど、それは正直言って否定しない。ただ、私が思い出す過去において、その当時不満はなかったのか?と言えば、絶対にあった。そして、過去においてもそれ以前の過去を同じく思い出していた、懐かしいと感じていた記憶はある。つまり、人生はその繰り返しなのかな?と思いますね。

 

戻りたい過去なんてあらへん

 

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東北大と神戸大のレベルはどっちが上で頭いい?イメージや雰囲気の比較と就職の違い

東北大学神戸大学の偏差値やレベルはどっちが上か?実際、両者の難易度の違いについて気になる人もいると思います。どちらも非常にレベルが高くて、一般的に頭いいというイメージがありそうな国立大学ですけど、難易度が全く同じではないので、その優劣に関してチェックしていきたいと思います。また、東北大学神戸大学ののイメージや雰囲気の違いも見ていきましょう。偏差値やレベルとは別に、それぞれの大学のキャンパスライフについての部分も理解したうえで、どっちがいいか?を考えていくといいと思うのです。

 

東北大学神戸大学の学部ごとの偏差値の違いは?

東北大学神戸大学の偏差値やレベルの違いを比較したうえで、どっちが上か?について考えていきたいと思います。今回は河合塾の偏差値を参考にしていきましょう。まずは文学部からです。東北大学が60.0で、神戸大学が62.5です。文学部については神戸大学の方が偏差値は上です。次は法学部ですけど、東北大学が62.5で、神戸大学が62.5~67.5です。法学部に関しては、両者同じくらいの難易度と言えます。経済学部はどうか?というと、60.0~67.5で、神戸大学が62.5~65.0です。経済学部についても同じくらいのレベルと言えるでしょう。文系はこういった感じです。東北大学神戸大学はどっちが上か?と言えば、文系においては同じくらいの偏差値です。でも、若干神戸大学の方が難しいかもしれません。

 

では、理系についても偏差値やレベルの違いをチェックしていきます。まずは理学部です。東北大学が57.5~67.5で、神戸大学が55.0~65.0です。理学部は東北大学の方が難しいと評価できます。工学部はどうか?と言えば、東北大学が60.0で、神戸大学が57.5~65.0です。工学部は神戸大学の方が偏差値は高いと言えると思います。そして、農学部に関して見ていくと、東北大学が57.5で、神戸大学が57.5~62.5です。農学部については神戸大学の方が難易度は上です。最後に医学部ですが、東北大学が52.5~67.5で、神戸大学が55.0~67.5です。医学部に関しても神戸大学の方がレベルは高いでしょう。こんな感じで、理系に関しては全体的に神戸大学の方が難しいと言えそうです。東北大学神戸大学はどっちが上か?と言えば、全体的には神戸大学になるかもしれないです。でも、大きな差ではないと思いますけど。東北大学神戸大学はともに頭いい大学と言えるでしょうから。ただ、偏差値やレベルのみではなくて、イメージや雰囲気の違いもちゃんと調べておきましょう。

 

東北大学神戸大学のイメージや雰囲気の違いは?

東北大学神戸大学のイメージや雰囲気の違いをチェックしていきますけど、特にキャンパスの立地条件の差は把握しておきましょう。普段のキャンパスライフの雰囲気に大きく関係してきますから。まず東北大学については宮城県仙台市にあります。複数のキャンパスがあるものの、いずれのキャンパスも宮城県仙台市であり、それぞれはかなり近いです。だから、学部別に分かれているのですが、自分が通っていないキャンパスでも身近に感じやすい可能性があります。また、仙台市内なので、東北地方においては都会的な部分があるでしょう。一方の神戸大学については、兵庫県神戸市にキャンパスがあり、いずれのキャンパスもこのエリア内にあるので、東北大学と同じような状況です。神戸市内となれば、こちらも割と都会的ですが、国際的な雰囲気もさらに感じやすいでしょう。あとは関西と東北という部分の違いは特に大きいので、そこに関して理解しておくといいと思うのです。こういった部分も含めて、東北大学神戸大学はどっちがいいか?を考えていくといいです。

 

東北大学神戸大学では就職に違いはある?

東北大学神戸大学において、就職の違いはあるのか?と言えば、あまり差はないでしょう。両者の偏差値やレベルの差は非常に微妙であり、同じような状況に見えなくもないです。そのため、東北大学神戸大学はともに頭いい大学として見られ、明確な違いを見出す企業はほぼないのではないか?と思われます。東北地方や関西圏で就活をする場合はともかくとしても、それ以外の場所で就活をするのであれば、評価における違いは生じづらいと思うので、就職に関して東北大学神戸大学はどっちがいいか?と言えば、どちらでも構わないと言えそうです。就職においては、これといった違いはないと言えるならば、それ以外を重視して選んでいくしかないでしょう。こだわりと言える部分を見出しながら、自分に合う方を選択していくといいと思います。この2つの大学で悩む人はそれなりにいる可能性があります。実際に悩んだときには、何かしら1つの軸を決めて、それをもとにどっちがいいか?自分にとって望ましいか?を考えていきましょう。

 

 

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日本では他人を侮辱してお金を稼ぐ「誹謗中傷ヤー」の職業が根付きつつある

日本では近年、ずっと前からそうかもしれないが、特定の存在を悪く言うことでお金を稼ぐ層がいる。それを私は「誹謗中傷ヤー」と呼んでいるのだが。これは世間に普及している言葉ではないと思うけど、今後普及したら私が生みの親であると言えるだろうか?(笑)誹謗中傷ヤーというのは、いかにも安易なネーミングだけど、転売ヤーとか見てるとそんな感じで名付けた方が分かりやすいだろうと思ったので。この誹謗中傷ヤーはその名の通り、特定の存在を誹謗中傷することが仕事である人たち、またはそういう手段でお金を稼いでいる職業という意味合いで使っています。主にYoutubeなどの動画投稿サイトにおいて、多くの再生数が見込まれるような誹謗中傷ジャンルの動画を投稿し、広告収入を得ることをしています。そういう意味では、Youtuberの1ジャンルとも言えるか。ただ、同じようなことはYoutube以外でもやろうと思えばできる。例えば、ブログとかでもね。私が見る限りでは、特定のジャンルにおいてこの誹謗中傷がむちゃくちゃ刺さるんですよ。日本人の心には、むかつく奴らをけなしてやれ!という精神が根付いているため、特定の動画はものすごい再生数を叩き出すことができる。

 

具体例をあげると、最近の例で言えば、プロ野球の白井球審千葉ロッテの佐々木投手の態度に怒って詰め寄ったという部分が悪い意味で話題になっていたけど、そのニュースが出たその日の夜から翌日にかけて、この白井球審の過去の誤審集のような動画が大量にYoutubeにアップされていました。で、そういう動画は多くが数万から数十万の再生数を稼いでいたのです。いじめ大国と言われる日本では、こういうのは過去に何度もあったから私は別に驚きませんでした。多分こうなるだろうなと思っていましたし。こういうのを平気でするのが日本人なわけです。悪く言えば、むちゃくちゃ陰湿で救いようがない人間性、よく言えば稼げるチャンスを逃さないビジネスマンとしての鑑です。そんな状況なわけです。

 

特定の個人などを対象にした場合、侮辱や名誉毀損と言えるような内容の動画もあるが、恐らくYoutubeの運営側はそういう内容はお咎めなしなのだろう。本人などが抗議した場合はともかくとしても、そういう動画が存在すること自体は問題視していないと思われる。試しに運営にいわゆる通報を何度かしてみたことがあるのだが、当該動画が消える気配は全くない。通報している時点でそういう動画があることは認識しているはず。つまり、Youtube側としても誹謗中傷でお金稼ぎをすることを容認している状況なので、この状況は今後ますます活性化すると思います。後述するヤフーもそうだけど、Youtube(もっと言えばGoogle)などの企業は特定の個人、または層を傷つけることを容認する姿勢なのです。

 

日本では誹謗中傷を憎み、根絶しようとする層がいるが、はっきり言って時間の無駄です。日本から誹謗中傷が消えることは不老不死を実現させることよりも難しい。それどころか、減らすことすら無理だと私は思う。誹謗中傷はまず犯罪ではない。結果的に犯罪になる場合もあるが、誹謗中傷と言われている段階では犯罪にはなりようがないのだ。つまり、割と気軽に行えてしまう。そのうえで私が名付けた誹謗中傷ヤーのような存在は今後どんどん増えると思います。誹謗中傷やいじめはエンタメであり、コンテンツの一種なのです。人々を楽しませることができます。また、ヤフーなどは悪びれることもなく、トップページに芸能人の不倫の話題とか、名誉毀損に該当するニュースとか出しますよね。こういう大企業が平気でそういう記事を転載するわけだから、日本ではある意味それが普通なんですよ。日本人って、そういう人種なんですよ。躊躇なくそういうことできちゃうんですよ。その状況に疑問を持つ人の方が圧倒的に少ないと思います。日本人はというか、大衆は当たり前に存在している日常を疑うことができないからです。そして、誹謗中傷ヤーが当たり前の存在になれば、その状況を疑う人もいない。誹謗中傷でお金を稼ぐ人は珍しくても、誹謗中傷自体は至るところで見られるので、すでに日常だと思いますけどね。そのうえで誹謗中傷が収入をあげる手段にもなるとなれば、積極的にやる理由はあっても、やめる理由は特にないです。

 

そもそもの話をすれば、誹謗中傷はなぜ悪いように言われるのか?という問題があります。日本人の場合、世の中の空気的に誹謗中傷はよくないこととされているため、深く考えずにその風潮に従っている、妄信している人が多いだけな気がしますけどね。つまり、なんとなく悪いって感じになっているが、本来は悪い理由はありません。人を殺してはいけない理由がないのと同じです。多くの人々がそのように思っている、信じているという事実があるだけです。私はいいとか、悪いとか、そういう評価に興味がないので、誹謗中傷に対してそういう評価はしません。誹謗中傷は「人々をエンタメによって幸せにできる一方で、当事者を傷つける作用を持ったもの」という事実としての評価しかしません。そして、世の中の多くものってメリットとデメリットがあるから、それと同じだよなとも思っています。私も誹謗中傷というか、ネット上で悪く言われたことはありますが、私はそれ自体を嫌悪する気はありません。私はホリエモンの言う「バカはタダで拡散してくれる」という言葉に共感する人間なんで、むしろ好意的に見ています。

 

誹謗中傷ヤーの場合、それ自体が社会で問題視される可能性はかなり低いと思います。というのも、すでに話したように、彼らがターゲットにするのは社会的に悪い存在だと、むかつく奴らだと思われている人たちだからです。つまり、悪い奴らを悪く言って何が悪いんだ?という、犯罪者顔負けの理屈を持っている人がかなり多いと思うんですよね。この国では政治家ですら「悪夢のような民主党政権」と誹謗中傷したこともあるし(それを受けて、一般人から「地獄のような自民党政権」と揶揄されている面もあるのだが)、みんな何らかの誹謗中傷は日常的にやってんじゃないですか?(笑)そのため、そういう誹謗中傷は社会でむしろ支持されるんじゃないかな?だからこそ、そういう職業が否定される可能性はかなり低く、そういう稼ぎ方に気付いた人たちは積極的に始める可能性があり、やはり増えることはあっても、減ることは想像しづらいです。

 

そうなると、誹謗中傷は消えない、減らない、増え続けるという前提で生活をするのが賢明ですよね。誹謗中傷を否定している人たちもその時点で、ある意味誹謗中傷をしている人を誹謗中傷しているとも言えるので、私に言わせれば、世の中では誹謗中傷を肯定している人しかいないんじゃ?と思えてきます。過去に「「誹謗中傷」の本質的な問題って、誹謗中傷が根絶されても何も解決しないでしょ - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事では、誹謗中傷がこの世から消えても、何の解決にもなっていないという事実を書きましたが、誹謗中傷に関しては問題として捉える、議論するなどの状況が無意味なんだと思います。それを肯定して生きていった方が、私みたいにウェルカムの姿勢でいた方が合理的だと思うんですよね。でも、そのためには大衆の常識的な感覚から抜け出さないといけません。常識的な感覚が根付いているうちは、自分に対する誹謗中傷に関して、無意識のうちに嫌悪してしまうからです。大衆感覚を持ちながらの人生は不幸まっしぐらなのです。

 

 

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プロゲーマーの差別発言で騒ぐ連中って、マジで障害者の人たちを悲しませたよね

プロゲーマーの障害者への差別発言とやらが、数日前のヤフーニュースのトップに載ってて、いろいろな人たちがバッシングしたり、騒いでるけど、私はこのニュースを見て、彼らは何に怒っているのか?が意味不明なんですよね。そもそも差別発言ってなんだよwwwってのがまずあるんですが。差別発言って言葉は辞書には載っていないみたい。要するに、誰かが作ったんだろうな。世間一般で使われている感じでは、特定の個人や層を侮辱する発言という意味なんじゃないか?と思われる。だったら、誹謗中傷とかでいいとおもうんだけどな(笑)「差別」って言葉をわざわざ使う理由ってなんなん?特定の層に限定している時点で、そりゃ差別的だよねとは言えるものの、そもそも差別って悪い意味だけじゃないからねえ。特定の人たちを称賛するのも、その人たちを差別的に扱っているわけだから、差別発言ですよ。私は過去に何度も言っているが、人間は差別をしないと生きられないので、差別=NGと考えている人はバカです。

 

でまあ、ここからが本題なんだけど、当たり前だけどさ、今回の発言に目くじら立てている人たちって、障害を抱えている人じゃないと思うんですよ。つまり、自分たちが侮辱されたとかではないわけ。じゃあ、彼らは何で怒っているのか?と言えば、赤の他人であっても、誰かが侮辱されている光景を快く思えない、許せないといった感情があるからなんでしょう。でも、犯罪者とかが侮辱されていても、怒らない人は多いと思うんだよね。じゃあ、何で障害者の場合には怒るの?ある意味この時点で、彼らは差別的な行為をしているわけですがね。「障害者は犯罪者と違って、社会に害悪な行為はしていない、つまり悪くない存在だから」みたいな回答が予想されるが、犯罪に該当する行為をしていなくても、社会に迷惑をかけている障害者はいるでしょう。これは健常者も同じですけど。人間が迷惑をかけないなんてありえないですから。犯罪に該当する迷惑はダメで、そうじゃない迷惑はOKが謎というのは、1つの前の記事でも書いたばかりですが。害悪な行為の中で犯罪だけ目の敵にしないといけない理由は、その人が卑怯者だからです。

 

それに障害者と犯罪者は二者択一の状態じゃなく、相容れない概念ではありません。障碍者の中にも過去に犯罪を犯している人はいるかもしれないです。また、犯罪者の中にも過去に素晴らしいことをしている人がいるかもしれません。障害者と犯罪者という概念はそれぞれ障害を抱えている、犯罪を犯したことがあるという事実のみしか示されていません。彼らがそれ以外でどんな人間か?なんて分かるはずがないんですよ。つまり、犯罪者が障害者よりも社会において迷惑な存在であるとは断言できないというのが、私からすれば当然の結論だと思うのですが、恐らく日本国民の多くは、障碍者と犯罪者を比較するときには、誰もが知ることができる情報のみ(この場合は障害を抱えている点と犯罪を犯したことがある点)で比較をしちゃうんでしょうなあ。だから、障碍者と犯罪者という異なる層を比較すると、障碍者の方が善良であると思い込んでしまうのです。実際は個々人によるでしょうけど。障碍者にもいろいろな人がいるし、犯罪者にもいろいろな人がいるわけです。

 

それにさあ、こういう発言で騒げば騒ぐほど、侮辱されている障害者の人たちに届きやすくなっちゃいますよ?この発言がリアルな会話の中で出たのか?ネット上で出たのか?は分からないけれども、誰かが拡散したからここまで広まって、私の目にも飛び込んだわけです。私はヤフーニュースのトップで見たので、ヤフーが拡散した事実は相当大きいです。誰も騒がなければ、ヤフーが拡散しなければ、障害者の多くはこの発言を知らずに済んだかもしれないが、こんな事態になったことで、この発言を知ってしまった障害者の人たちって、相当多いんじゃ?と思えてきます。要するに、この問題に関して言及している人(私もその1人だが)は、障害者の人たちを悲しませる行動をしているわけですよね。これってさ、最初に発言したプロゲーマーと何が違うの?って思えるんですけど。このプロゲーマーの発言をバッシングする正当性があるとすれば、「特定の層を傷つける発言だったから」くらいしかないと思うんだけど、それを自ら率先してやっている人たちばかりですよね。

 

実際、ツイッター上で特定の個人を悪く言ったツイートをリツイートした人が名誉毀損罪で有罪になった判例があったみたいです。裁判所の判断によると、元の発言をした人のみならず、その発言を拡散した人も同じくらい悪質であると認めたわけですな。だからなんだ?って話ではあるのだが、同じような行為が犯罪になっているケースがあるということは、それだけ世間一般において、悪質な行為と言えてしまう可能性があるわけです。私を含めてこの事実にいちいち言及している人、拡散している人はそれだけ悪人なんですよ。特定の層を悪く言っている人を叩いた結果、その層の人たちが悲しむ可能性を高めているならば、彼らがバッシングする正当性はまず存在しないでしょう。つまり、放置プレイが正解ってことになります。このプロゲーマーが何を意図してそういう発言をしたのか?は分からないが、誰かを悪くなんて言うことはみんなやってますよ。それこそ犯罪者を悪く言うなんて事態は珍しいことでもない。自分が叩きたい、悪く言いたいと思った層を実際に悪く言う行為は、私が見る限りでは常識のように行われており、それが仮に許容される行為ならば、プロゲーマーの発言が許容されない理由はよく分かりません。その理由があるとしたら、すでに話したような感じで、「障害者という層は世間の常識的に叩かれるべき存在ではないから」になるんじゃないですか?私には到底理解できない感想に見えますけど。

 

 

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私たちが暮らしている現代の日本は、テロリストたちが作り上げた国と言っても過言ではない

今の日本は基本的にはかつてのテロリストが作り上げた土台を基本に成立している。特に政府はそうだね。今の日本政府は明治時代に根本が作られ、江戸時代とは一線を画すようになった。江戸時代までは将軍が政治の実権を握っており、江戸時代の末期には幕末の志士と称される人物が倒幕を企て、結果的に国内のいろいろな場所で内戦が勃発し、江戸幕府は倒れた。そんな日本史を知っている人は多くいると思うけど、ここで重要なのは討幕を企てた幕末の志士とやらは、現代の言葉で言い換えれば「テロリスト」であるということ。政治的な目的を達成するために暴力による脅迫を用いるという主義自体をテロリズムと呼び、その実行者がテロリストになる。教科書とかでは詳しくは語られていないけど、倒幕に至る過程では多くの人たちが死んでいます。江戸幕府にかかわる人物も含めて。だから、明治維新の立役者とされている人物はほぼもれなくテロリストです。テロリストが=極悪人ならば、彼らも極悪人です。一般的にそういうイメージはないかもしれないけど、例えば坂本龍馬=テロリスト=極悪人という構図になります。福山雅治さんが大河ドラマで演じていたのはこのテロリスト、極悪人と言われるような人物なわけです。

 

今の日本の政治システムはそんなテロリスト連中が作り上げたものであり、それを今でも踏襲しています。つまり、当時の政治システムがほぼそのまま現代でも受け継がれたままだとしたら、別の言い方をすれば、現代において当時の倒幕のような動きが見られないならば、彼らは当時のテロリストのやり方に共感した、当時のテロリストの存在に意義を見出したということだろう。現代の政治システムを否定し、それを壊そうとすれば、彼らもまたテロリストということになるが、当時のテロリストを一応否定したことになる。しかし、当時のテロリストを否定しない現代の政治家連中は、一応テロリストではないものの、テロリストの存在自体を否定しない(姿勢を見せる)人間になる。

 

日本では幕末の志士って人気というか、好きな人はそれなりにいるらしいですけど、そういう彼らが好きな人たちもテロリストに共感しているって状況なんでしょう。私たちが当時の彼らについて正確に知ることはできない。あくまでも教科書に載るような情報しかほぼ知らないわけで、特定の人物を総合的に評価することはできない。多くの人たちは総合的に評価するという発想すらないだろうけど。実際、多くの日本人は与えられた情報のみで特定の人間の人間性などを評価するんじゃないか?と思う。特定のエピソードだけ見て、こいつはいい奴だ!悪い奴だ!と判断するのが日本人でしょう。ヒトラーとか、典型的なケースでしょうね(笑)ヒトラーがどんなに素晴らしいことをしていても、それを勘案するという発想を持てる人はほぼいないと思います。

 

世間一般において、国民の味方に思える人間は悪く言われないし、扱われません。その国民の味方とやらが政府に対して暴力を伴って体制を変えようとしたとしても。テロリストだとしても。明治維新の後、日本はいくつかの戦争を経験したが、最終的には太平洋戦争で敗れ、連合国に占領されることとなる。戦争もテロ行為と大差ないと思うが、連合国が占領中に行ったこともテロの延長だろうし、GHQはテロリスト集団と扱って構わないと思う。そして、占領下において行われた政策の中にもいまだに踏襲されているものがあるのだから、戦後日本においても日本はテロリストによる支配を受け、その状況を肯定(容認)していると思われる。他国も同様の面はあるのだろうが、結局日本ではテロリストが培ったものを今でも受け継いで、伝統として続けているのです。

 

テロリストの考えに賛同しているというか、特に違和感を覚えていない状況があるわけですな。日本でも「テロに屈しない!」というバカ丸出しの発言をした人たちはいるけど、過去にはテロに屈しまくっている、その屈する状況が今もなお続いているのが日本という国なんだけどね。私は何度もレッテル自体の無意味さを説いているが、テロとか、テロリストってのは典型だと思います。テロやテロリストはあくまでもそういう内容の手段やそれを使う人たちの総称であり、それ以外の何物でもない。別の言い方をすれば、なぜか人って特定のレッテルをいいか?悪いか?で評価したがる。レッテル自体も無意味だが、いいか?悪いか?という評価も私は無意味だと思っている。何かしらの出来事に何かが原因になっている、なっていないという判断は客観的にできるとは思うものの、その善悪の判断はむちゃくちゃ主観的ですよ。

 

例えば、テロを起こせば人が死ぬが、その人が死ぬ原因を作ったテロやテロリストに対する善か?悪か?という判断は私は無意味だと思っています。つまり、私に言わせればテロリストは政治的目的の達成のために人が死ぬ原因を作った人たちという言い方で終わり。彼らが善人か?悪人か?はたまたそれ以外か?という判断はしません。裁判ではまさにその判断をやっているんだけど、私は裁判なんかいらない派の人間なんで。裁判がない世の中はメリットもデメリットも両方あります。また、人が人を裁く行為が悪いという見方もできるわけだが、その可能性なんか大半の人は無視でしょ?(笑)裁判ってのは、悪人が悪人を裁いている滑稽な光景である可能性もあるわけだが、国も国民の多くも自分たちが正しいと思っていることは、決して間違っているとは認めない。間違っている可能性すら考慮しない。それをする能力がない。これが現実です。

 

強いて言うならば、原因になっている人をすべて漏れなく裁くってならまだ納得してあげますよ。でも、そんなことをすると、裁かれる人は超大量に生まれちゃうんでしょうけどね。その状況はかなり国にとって不都合なんでしょうな。例えば、特定の人間が悪さをした場合、その人間を生んだ親は間違いなく原因になってしまい、誰か犯罪者が出るたびに連帯責任のような形で両親が有罪になるわけですからね。特定の犯罪者はその親が産まなければ100%存在せず、その犯罪も起きようがなかったというのは事実なので、親が産んだことは間違いなくその犯罪の発生原因です。でも、この原因は基本的に責められないのですよ。子供が独自で行った犯罪であるなら尚更だ。それは親である層が社会の中で非常に多いから、そんなことをすると日本が犯罪者だらけになってしまう。体面的によくないと思うのでしょう。また、子供が悪さをしたら常に親が責められる立場になると、少子化が一気に加速するので、それも不都合なんでしょう。少子化が進んでこの国が滅亡に向かっているとして、それを止めないといけない理由を説明することは不可能だと思いますが。でも、なんとなーくの感じで国が滅ぶのはよくないでしょ?って思ってる人が多いんだと思います。理由なんか考えないで、直感でそう判断しているのでしょう。

 

実際あったケースで言えば、以前5chで「犯罪者から人権を取り上げるべき」みたいなスレッドがあって、そのスレ主の人に質問をしてみたんですよ。「なんで犯罪者に限定したの?」と。すると、「あら?気に障った?w」みたいな返信が返ってきたんですけど、私は「いや、害悪な行為って犯罪以外にもたくさんあるのに、なんで犯罪に限定したのかな?って(笑)あなたは害悪な行為をしている自覚があるけど、犯罪は犯したことがないから、そういう都合のいい線引きをしたのかな?あなたは自分が該当する害悪な行為は許容して、そうじゃない都合の悪い害悪な行為をする層だけを排除しようとする卑怯者なのかな?(笑)」と煽り気味に返信したら、もう何も返ってきませんでした。この人は最初の時点では、私が犯罪を犯したことがある人だと認識し、だからこそ犯罪者に限定しているスレタイを踏まえて、こういうレスをしたんだと思うが、その後まさか何も言い返せない反論を食らうとは思ってもなかっただろうね。何も言い返せないのを誤魔化すために、呆れたことにして逃げたのかもしれないですけど。別にそういう卑怯な意図を持って犯罪者に限定したとしても、別にそれが悪いこととは思いませんけど。というか、いい、悪いの判断はしないというのが私の今のスタンスなんでね。単に頭の悪そうなことを言ってる人間をおちょくるのが私の趣味なだけです。

 

こんな感じで、害悪な行為ですらも都合のいいものとそうじゃないものに分けて、扱いを変える、差別をするというのが人類の常識と言えるでしょう。犯罪という言葉は、そういうことをする人間が使う表現なのです。特に刑事裁判は何らかの悪事の原因を作った人が裁かれる前提だとしても、国や大半の国民にとって不都合になりうる原因、正確には不都合とは言い切れなくても、国や国民の多くが不都合であると思い込んでいるような原因はお咎めなしなんです。あとは世間一般の常識による恣意的な線引きで、これは問題のない原因である(多数が当てはまってしまうと思われる原因は特にそう)と認定されたものもお咎めなしです。こんな欺瞞が存在している中で、誰が悪い、悪くないを決めて何の意味があるんですか?という点を改めて問いたいです。そして、テロやテロリストは絶対に悪なんでしょうか?そのような判断はあえて必要なんでしょうか?ここも考えてみてほしいです。

 

 

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時代は完全に携帯ゲーム機であり、その要素が皆無なPS5はどんどんオワコンになるしかない

近年の日本、世界のゲーム事情を見ていると、完全に携帯ゲーム機全盛期という感じがする。代表的なのは任天堂のSwitchで、これはテレビモード、テーブルモード、携帯モードの3つが可能であり、うち携帯モードが割と人気らしい。そして、携帯モードに特化したSwitch Liteも同じく人気となっています。さらにはスマホゲームもここにきてタイトルがすごい充実している印象だ。さらに割と最近有名になっているのがSteam Deckという新たな刺客です。これはパソコンでソフトをダウンロードして、プレイするタイプのゲームのプラットフォームであるSteamの携帯ゲーム機になります。正確にはゲーミングPCの携帯機という位置づけみたいです。だから、パソコンとしても使えます。また、専用のドッグを買えば、モニターなどに映してSwitchのテレビモードといった形で遊ぶこともできます。Steamは通常はパソコンでプレイするのですが、そのSteamのタイトルが携帯ゲーム機でできるという、非常に画期的な製品になります。

 

これは今年に入って欧米で発売され、今年中に日本でも発売予定みたいです。Steamというのは主にPlayStationXBOXのタイトル、そしてインディーズゲームがプレイ可能であり、そういったものが外出先などでも遊べるとして、海外では一応好評らしい。一応というのは、未発売である日本では否定的な意見が割と見られるからだ。特にサイズがでかいという点は顕著です。確かに携帯ゲーム機としては相当でかいなと思うのです。例えば、横幅で言えば30cm程度あります。でも、これも慣れじゃないのかな?と思うのです。私が子供の頃にはゲームボーイとかで遊んでいたわけですが、例えばSwitch Liteなどと比較すると、画面がめちゃくちゃ小さいです。今になって思えば、よくこれでポケモンとか遊んでたなと思います。でも、当時は画面が小さいなんて思っていませんでした。それが普通だったから。Steam Deckに関しても、これが普及していけば、ある程度普通といった感じになるんじゃないかな?と思いますし、使っていくうちに慣れるでしょう。

 

こういう状況を見ると、完全に流れは携帯ゲーム機なんですよ。据え置き型ゲーム機の人気は相対的に落ちているのかな?という気がしています。据え置き型ゲームの場合、家じゃないとできない、テレビなどにつながないとできないというデメリットがありますが、そこが1つ問題になっていると思うのです。なぜなら、テレビが家にない家庭が増えているからです。テレビなんか見ないって若者が増えており、特に一人暮らしをしているケースでは、家にテレビがないケースが増え、テレビでゲームをするという発想が起きづらいです。ゲームのためだけにテレビやモニターを買うというのがバカバカしいと感じる層、つまりそこまでコアではないゲーマー層にとっては、携帯ゲーム機の利便性を存分に味わうことが可能でしょう。今後テレビが復権する状況は想像できないため、テレビでゲームをするという文化はどんどん廃れていくでしょう。ということで、テレビやモニターがある前提でプレイする据え置きゲーム機に関しては、どんどんオワコンになっていくんじゃないかな?

 

代表的なのはPS5だが、これはテレビやモニターを必要とする代表的な据え置き型ゲーム機です。ただでさえ手に入らないものではあるものの、そもそも需要がどれだけあるのか?は謎です。実は転売ヤーだけでほぼ回されているんじゃないか?なんて、個人的に思っていますが。一定の需要はあったものの、今ではPS5は見捨てられて、ゲーミングPCに多くが移行しているという記事を見たことがある。実際、Steamにおいて、日本語が8位にランクインしたという記事がありました。Steamは全世界で利用されているものの、日本人の利用者数がかなり上位にランクインしているということです。日本は世界で見ても、ゲーミングPCの普及率が低い方と言われているのですが、そんな日本が8位です。いかにプレイステーションが見限られているか?がよく分かります。でも、SteamなどはSwitchとは競合しないですから、Switchの売り上げにはあまり影響しないのです。Swicthはライトゲーマー層が多いので。また、Steamでは遊べない人気タイトルがSwitchには多くあります。例えば、マリオ、ポケモンゼルダの伝説ドンキーコング星のカービィスマブラなどなど。一方でゲーミングPCやPS5を買う層って、コアゲーマー層ですからね。そして、PS5とSteamなどは確実に競合するので、Steamなどのプラットフォームが人気になればなるほど、PS5はどんどんオワコンになってしまうということです。それに追い打ちをかけるのがSteam Deckになるでしょう。

 

ゲーミングPCって、本来はかなりハードルが高いと思うんですけど、1度買ってしまえば、次以降は購入はしやすいです。PS5と比較すると、明らかに値段が高いものの、パソコンとしての機能もあるので、パソコン自体がそもそも必要な人にとっては、値段が高い部分は大した問題ではないのです。PS5はほぼ娯楽品だけど、パソコンは生活必需品に近い存在だと思うので。そんなゲーミングPCが日本で、世界で広まれば、プレイステーションを購入する理由はどんどんなくなります。結局、日本ではハードルが高かった、大して普及していなかった、ゲーミングPCを多くが購入するきっかけを作ってしまったことが最大の失策でしょう。それは大量生産ができなかったことです。Switchは普通に家電量販店で売っていますし、定価で買えます。それはゲーミングPCも同じです。PS5は家電量販店で見つけることは難しく、たいていは抽選販売か、転売ヤーから高値で買うしかありません。何でSwitchは普通に買えるの?と思うかもしれませんが、使っている半導体が違うからです。PS5の品薄の根本原因は半導体不足と言われていますが、Switchで使われている半導体は容易に手に入るのに、PS5ではそうはならない。要するにPS5の性能が高すぎるわけだ。SwitchはPS3PS4くらいの性能と言われているので、そこが大きいわけです。性能を高め過ぎた結果、たくさん製造できない、売れないという悪循環にはまってしまったのです。かつてドリームキャストで見た光景ですな。

 

PS5はどんどん世界からオワコン扱いされていくと思いますけど、この状況をSIEやソニーがどのように捉えているのか?は不明です。想定内なのか?想定外なのか?は分からない。でも、仮に想定内だったとしても、長期的に見たらプレイステーションというブランド自体がどんどん廃れていくと思う。世界的には家庭用ゲーム機のSwitch(またはその後継機)とゲーミングPCの2強状態になっていくと思われる。XBOXプレイステーション同様の状況になるかもしれないが、少なくともプレイステーションはユーザー数がどんどん減少していく一方な気がする。この状況を食い止める術があるとすれば、新しい携帯用ゲーム機の発売しかないと思います。ネット上でもかなり見られるのは、PSVITAの後継機を作ってくれ!という声です。ここからもユーザーは携帯ゲーム機を求めているのが分かる。でも、仮にPSVITAの後継機ができるとしても、PSVITA専用のソフトじゃダメなんですよ。SwitchもSteam Deckもテレビモード(パソコン)でできるソフトと同じものが携帯機でもできるので、そこが重要なのです。

 

PS5は転売ヤーに多く買われ、ユーザーのもとに行き渡りづらくなっているみたいだが、これはもう自業自得でしょう。例えば、Steam Deckは予約販売という形式をとっている。小売店に販売を任せるのではなく、公式サイトで予約をして、順次購入者のもとに発送する形だ。つまり、いつ自分のもとに届くか?は不明なものの、いずれはちゃんと買えるし、定価で買えます。PS5は何で予約販売をしないのか?は分からないけれども、転売ヤーが容易に購入できる形を作ってんだから、そりゃそうなるわなwという話でしかない。その結果、多くのユーザーに見限られたんだわ。

 

でも、PS5がこういう売り方をしている状況は、小売店にとってはありがたいでしょうね。PS5の抽選の情報とか、転売対策の情報とかがネットでニュースになるわけだが、そのたびに小売店の名前がタダでメディアに登場します。PS5を取り扱うだけで、タダで宣伝をすることができます。転売対策なんか特にそうで、普通に考えたら手間とコストがかかるだけで、店側がそんなことをやるメリットはなかなかないが、それをやることで結果的にタダで宣伝できるので、メリットむちゃくちゃあるんですよ。小売店が転売対策をやる最大の理由はそこです。結局中身は転売ヤーと変わらないのよ。儲け至上主義なのよ。中にはすごい斬新なやり方のケースもあるじゃん?あれも目立ってナンボだからです。実際、転売対策は結構ニュースになって、その記事を見て、5chとかで騒いで、まとめブログに載って、みんなが知って、みたいな流れですよね。そんな感じで、PS5が品薄な限りは、小売店はタダで宣伝を続けられてウハウハでしょう。私は転売ヤーもそういう魂胆でいる小売店も全く悪いとは思いませんが。いいとか、悪いというレッテル自体興味もないですけど。PS5は転売ヤーと小売店が儲けるためのアイテムとしての価値が強くなってしまったわけで、そういう意味でもオワコン扱いされるのです。

 

 

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