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正義面している、自分を善人と思っているバカが実は悪人だったというのはよくあること

>2019年7月16日の「とくダネ!」で放送された、タレントの堀ちえみさん(52)に対する脅迫事件が話題だ。

この日の番組では、北海道に住む50代の主婦が1月から2月にかけて、堀さんへブログのコメント欄を通じて「死ね消えろ嘘ばっかり」といった脅迫メッセージを複数回行ったとして6月18日に書類送検されていたと報道。併せて、番組スタッフが主婦を直撃取材し、犯行に至るまでの動機を聞き出す様子などが放送された。

主婦は自宅でスタッフの取材に応じていたが、VTR中では主婦の口からは、 「警察の人に脅迫だって言われたんで、『ああ、そうなんですか』って」
「それだって何百回としたわけじゃないんですよ? 10回かそこらですよ?」
「だって私、土地勘ないですから東京自体に。『殺しに行く』『殺すぞ』だったら脅迫って分かるんですけど、『死ね』でも脅迫になるんですね」    と、耳を疑う言葉が次々と飛び出した。

(中略)    

およそ罪の意識が感じられない、実にあっけらかんとしたしゃべり口に、番組司会の小倉智昭さん(72)ら出演者はあきれ顔。また、放送を見た視聴者からも、「罪の意識がなさすぎて怖すぎる」といった声が相次いだ。

 

このニュース記事(有名人に「死ね」と、気軽に書き込んでしまう人たち あなたも「そうならない」ためには、どうすれば? : J-CASTニュース)を見て、また日本人のバカがバレた瞬間だな(笑)と、私は思った。そもそもなんで私がこんな話題を持ってきたのか?というと、「ネットの誹謗中傷」とか、そういうテーマだったかもしれないが、あるニコ生を見ていたときに出演者の津田大介氏が「死ねばいいのにって、法律的にどうなんだろう?」みたいなことを言っていたのをたまたま思い出し、私も気になって調べてみたら、上記の記事が見つかったわけです。「死ねばいいのに」とか、シンプルに「死ね」という言葉はネット上を見ていると結構見つかります。それを直接本人に言ってしまうと、こうやって大ごとになることもあると。ただ、私が疑問なのは、記事にもあるように、なぜ「死ね」が脅迫に当たるのか?ということです。だから、この書類送検された主婦に完全に同意です。私もなぜ脅迫に当たると解されるのか?が分からない。「死ね」、または「死ねばいいのに」ってのは、別の言い方をすれば「あなたが死ぬことが私にとっての理想です」であり、端的に言えば「死んでほしい」ってことだと思うのよ。つまり、お前を死に追いやってやるぞ?という気持ちはほとんどなく、「お前が死ぬことを俺は(私は)望んでいる」という、単なる願望の表明だと思うんですよ。これがどうやって脅迫と捉えられるの???

 

記事には「死ね」が脅迫に当たるなんて信じられないと言っている主婦に対して、「耳を疑う」とか書いてあるけどさ、お前らはじゃあ説明できるわけ?(笑)脅迫に該当する論理的な、法律的な説明をさ。できるわけないよね。耳を疑うってのはさ、こういう人間に対して使う言葉だと思うんだよな。ろくに説明もせずに、否定だけはする。ガキがやることだろ。大の大人がガキみたいなことしか言えない。こっちの方がよっぽど耳を疑うよ。頭のレベルが低すぎる。「死ね」が脅迫であるという説明をしている人は少なくともこの番組の中では誰もいない。そして、「罪の意識がなさ過ぎて怖い」という視聴者の意見は完全に論点ずらし。単なる卑怯者です。つまり、脅迫にあたるという説明ができないにもかかわらず、脅迫でないと言い張る主婦に対して相当な嫌悪感を抱いているのでしょう。ただ、自身で主婦の主張が間違っているという説明ができないから、論点をずらして、主婦の人間性の否定をするわけです。当初の論点では主婦を否定できないから、論点をずらすわけだ。このパターンはよく見られるものです。当初の論点で否定できなくなると、最終的には「お前って最低の人間だな」みたいに、相手の人間性の否定をする日本人って、私が見る限り結構いると思いました。これは本当に卑怯者だなと思うんですよ。とくダネの小倉智昭とか、視聴者でこの主婦をおかしいと思っている人は、私から見れば善人とは全く思えないです。論理的に否定できないから、感情に任せた悪口を言うような人間がまともなんですか?恐らく彼らは自分のことを真っ当な人間だと思っているに違いないとは思いますけど。呆れるってこっちのセリフですよね。

 

「脅迫罪」に関して解説をしているサイト(https://www.bengo4.com/c_1009/guides/96/)には以下のような説明があります。

 

刑法の条文(第222条)では、脅迫罪を次のように規定しています。

  • 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
  • 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。

脅迫罪の判断で難しいのは、この「害を加える旨を告知」という部分で、どの程度で「害」とみなすのかがポイントとなります。 なお、「害を加える旨を告知」はよく「害悪の告知」と言われます。

 

「害悪」に該当するには、次の二つに該当しなければなりません。

  • 一般的(客観的)に恐怖を感じるもの
  • 加害者の関与によって引き起こすことできると感じられるもの

一つ目に関しては、被害者が恐怖心を抱くか否かに関わらず、客観的に見て恐怖を感じる内容であれば脅迫に当たります。裏を返せば、たとえ被害者本人が恐怖心を抱いても、一般的には恐怖につながる内容でないのであれば、脅迫罪と認められないのです。 一般的に恐怖を感じる内容とは、「殺す」「殴る」「バラす」といった具体的な行為だけでなく、「どうなってもいいんだな?」といった抽象的であっても、危害を加えるととれる内容であれば脅迫罪に当たります。 一方で、単に一部の言動だけをもって恐怖に値するかの判断はできません。例えば、「殺す」という言葉は冗談で使われることも多いのですが、そのような状況下では恐怖には値しないため、脅迫罪とはなりません。

 

一つ目が重要なので、二つ目は省略しましたが、ここで重要なのは脅迫罪に該当するには、一般的に恐怖を感じる内容じゃないといけないということです。「死ね」と言われて恐怖を感じるか?というと、私は感じないと思うのですが。だって、さっきも言った通り、これって死んでほしいことの願望の表明なわけですよ。病気や事故、自分以外の人間に殺される、何でもいいから死んでほしいという願望の表明でしょう。「死ね」と言った相手が、殺しに来るとか、そういう想像はまずしないと思うのですよ。殺し来るのだとしたら、「死ね」じゃなくて、「殺すぞ」とかになると思うから。死んでほしい願望を表明しただけ。それってつまり、「私はあなたのことがものすごい嫌いなんです」ってことの表明なんですよね。死んでほしいと思うくらいに、私はあなたが嫌いだ。これって完全に「侮辱罪」の話なんですよ。どこをどう解釈したら、脅迫になるのだろうか?本当に分からない(笑)だから、「死ね」が脅迫罪に当たるというのならば、私は弁護士や裁判官とマジで話がしたい。

 

別のケースになるけど、小学校の教師が児童に対して「デスノートに名前書くぞ?」と発言し、問題になったことがあったらしいです。このケースでは相手が児童の場合はともかく、一般的な大人であれば脅迫罪は成立しないとされています。それはデスノートなるものは現実に存在せず、仮にデスノートなるものを作ったとして、そこに名前を書いても、名前を書かれた本人に死が訪れるということを科学的に説明できないから。つまり、全く因果関係がないから。ということが理由らしいです。結論としてはそれでいいと思うのですよ。ただ、デスノートに名前を書くぞ?というのは、その設定上で言えば、お前を殺すぞ?に近いわけです。因果関係は存在しないが、デスノートに名前を書くぞ?はセリフとしては、お前を殺すぞ?と同一視できます。実際死なないですけど。つまり、表面上は相手を殺すセリフに見えるが、実際は殺す気は感じられないというケースなんですよね。「死ね」はまさにこのパターンだと思うのですが。「死ね」の場合には単なる願望の表明なので、表面上も殺すセリフには見えませんが。

 

このデスノートに似たケースでさ、「罰が当たる」って言葉がありますよね。私はこっちの方がよっぽど脅迫罪だと思っています。デスノートのケースでは、完全に空想の話なので、そんなの嘘っぱちだと思える人が多いと思うのです。「罰が当たる」っていうのも、現実的には科学的に根拠を見出すことができない事象だと思います。でも、これは影響される人ってかなり多いと思うのです。というのも、面白い事象があって、ポイ捨てが頻繁に行われているある地域の対策として、そのポイ捨てが多発している場所に神社の鳥居を設置したのです。そしたら、ポイ捨てが激減したんだそうです。つまり、神様が見ているという状況を作ったわけです。こういう状況も科学的な証明はできませんが、一般的な感覚で言えば、神様が見ている前では悪いことができないという意識が芽生えるってことなのでしょう。自分に何か悪いことが起きるのではないか?という恐怖心から、ポイ捨てをやめたということです。罰が当たるって発想はまさにそれだと思うのです。このポイ捨てのケースを見る限りでは、神様の存在を出すことによって、多くは畏怖を感じるということが言えるわけです。天罰とか、そういう概念だってまさにそれなのよ。神様という存在を出されると、どうも委縮してしまう傾向が人間にはあるんですよ。だったら、「罰が当たる」は因果関係が存在しないとしても、私は法律的には脅迫罪が成立すべきだと思いますがね。だって、脅迫罪の成立のためには、一般的に恐怖を感じることが重要なのだから、実際、罰が当たるって言葉により、一般的に多くの人が(特定の行動を遠慮してしまうほどの)恐怖を覚えていると思います。「客観的に」って部分が微妙かもしれないけど、恐怖を感じている人が多くいる(数字として多くいることが証明できる)という状況があれば、それは客観的と言えると思います。ポイ捨てが激減したってのが根拠の1つですが、同じようなケースは探せば結構あると思います。私からすれば「罰が当たる」って言葉を使っている人は犯罪者にしか見えないってことです。

 

法律に詳しい人がいて、論理的に説明ができるならば、ぜひ教えてもらいたいがね。法律家であればきちんと説明ができるかもしれないが、さっき出した番組の出演者や視聴者のアホな連中は何か根拠があって言っているわけじゃないと思うので、バカ確定です。卑怯者でもあります。侮辱よりも脅迫の方が重いから、なぜそう言えるのか?根拠は特に説明できないけど、むかつくやつを脅迫罪に該当していることにしたいのでしょう。小倉智昭ら含め、こういう都合のいい考えを押し通すために、現実の理屈を無視しようとする連中って、考え方が犯罪者そのものだと思うけどね。絶対にかかわりたくないよねこういう人たちって。頭がヤバいのが目に見えて分かるんだよ。この人たちは自分たちがまともな人間だと思ってるんでしょうね(笑)こんな害悪で稚拙な頭をしておきながら。引用にある「罪の意識がなさすぎて怖すぎる」って言葉をそっくりそのままこのバカどもに返したいですよ。頭が悪すぎる意識がなさすぎて怖すぎますよ。この人たちがまともだったら、脅迫罪て捕まった主婦もまともにしか思えませんがね(笑)だから、テレビはバカが観るものと言われてしまうのだろうか?私からすればこの主婦って被害者に見えてきますよ。何か可哀想に見えてくる。この人の言い分はある意味最もなのよ。バカな連中にかかわるとろくなことがない。バカは自分でバカとは気付けないから、周りが教えてあげるしかないんですよ。

 

法律上の話は別にあるわけだが、一般的な感覚とやらを使えば、「死ね」で恐怖を感じる人がそんなにいるとは思えない。仮にいるとしたら、「死ね」という言葉の意味を正しく捉えられない相当頭が悪い人なんだなと思うだろう。そういう頭の悪い人がうじゃうじゃいることを想定して法律を作って、運用した結果がこれっていうならば、まだ合点はいくかもしれませんがね。ただ、頭が悪い人に合わせないといけないのか?って疑問は残りますよ。ましてやネット上のコメント欄に書いてきたわけでしょう?5chであれば、そんな類のコメントは山ほどあると思うのよ。つまり、「死ね」なんてのはもはや口癖に近いと思うのです。だから、言われた方が傷つくのは良いとしても、なぜそれを脅迫と捉えるのだろうか?日本には殺そうとかかる連中が山ほどいるってこと?そもそも殺すって表現だって、本当に殺す気がある人間がわざわざ予告なんかするかね?と思うのですよ。警戒されて失敗する確率が上がるわけじゃん?全部がそうとは言わないけど、予告をあえてするような連中は、殺す気なんかないケースが多いと思うのです。世の中に頭の悪い人もいますから、殺す気があるのに予告をしてしまう人もケースもあるでしょうけど。それにちゃんと考えたうえで、必要性のうえで予告をしている人もいるのかもしれないけどね。いまだ未解決の3億円事件はまさにその予告によって、先入観を持たせて、まんまと大金を盗んだ事件みたいですし。ただ、一般的なケースをあげれば、予告をするメリットは本当に薄いと思います。以上のような感じで、私は「死ね」、または「死ねばいいのに」が脅迫になる理由がさっぱり理解できません(笑)

 

バカとつき合うな

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