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「数学を勉強すると論理的に考える癖がつく」という、論理性の欠片も感じさせない主張

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先日、ある数学の問題に関して、個人的な疑問を取り上げましたが、私が数学に対して抱いている疑問は他にもあり、それが「数学は論理的に考える癖をつけるために必要」という言葉がきっかけでした。これはある番組内で、「文系に数学が必要なのか?」というテーマの中である人が話したものなんだけど、この言葉を聞いた瞬間、「この人はまず論理的に考えられなくね?」と思えて仕方なかった。というのも、だってこの人は理由を言わないんだもん。この人とは別に、自身の経験談として、数学を勉強したことで考える力が身に付いたと話している人も別にいたのだが、その人も理由は言わない。マジかこれ・・・と思いましたよ。この前の記事でも、2人の子供問題の答えが1/3になると考えている人が、その解き方が正しい理由を誰も話さない疑問を書いたのだが、同じような状況で驚いてしまった。

 

数学って、確かに論理的に考えることで正解にたどり着けるケースが往々にしてあると私も感じているのだが、それが何で考える癖につながるの???とマジで思う。というのも、数学って論理的に考えないと正解できないようになっているわけじゃん?暗記で対応できる部分は暗記で対応しますと。しかし、そうじゃない問題は確かに暗記した知識をもとにして、論理的に考えることを必要とするわけだが、言ってしまえばそれ自体が知識なのよ。この場合、論理的に考えるという行為は数学を目の前にしたときに無意識にやっている行為だと思う。これは数学が得意、苦手は関係ない。要するに、これって条件反射なんですよ。それは数学の問題は論理的に考えないと解けないという経験を過去にしており、知識として知っているがために、無意識に反応できる。ただ、それだけだと思います。でも、数学における条件反射が、他の部分まで同じであるとなんで断言できるの?断言できる根拠がないと、数学で身に付けた考える力が、他のシーンでも発揮されるなんて言えないよね?

 

実際、私が目の当たりにした光景では、数学は論理的に考える癖をつけるために必要という結論だけしか言えない人がいたわけだが、この人は当然数学を一生懸命勉強した側の人なんだけど、根拠がない時点で発言自体に論理性を感じることができない。癖ついてないじゃん!(笑)感情論の癖から脱却できてないじゃん!(笑)私に言わせれば、数学を学べば論理的思考が身に付くと考えている時点で、思考停止だと思っています。私は数学を学ぶことと論理的思考の習熟に関して、因果関係を見出すことができません。したがって、思考できない人がそういう結論に行き着くんだろうなと思っています。

 

世の中で数学を学べば論理的思考が身に付くという言説や風潮はあるように感じるが、彼らはそんな常識を妄信するしか能がないのでは?と思えて仕方なかった。数学を学んでも考える力が身に付くとは言い切れない、そんな貴重なサンプルだなと思いましたよ(笑)思考してないから、因果関係を見出せない結論になるんだろうと。そもそも論理を使う科目って数学だけじゃないし(笑)と思うのよ。どの科目だって論理性は問われるのよ。要するに、暗記で対応できない問題は、無意識に頭で考えないといけないわけだ。日本史や世界史などの暗記科目と言われているものだってそう。問題を解く際に論理的に考える必要性がある科目を一生懸命勉強すれば、論理的に考える癖がつくと言うならば、なぜこの人たちは数学だけにこだわるの???ここも意味不明です。

 

暗記で対応できない問題、覚えたことだけで対処できない問題は、覚えたことをもとにして、ヒントにして、正解に近づくための思考を始める。これが論理的に考えている状態であり、それは日本史や世界史でもやるはずだ。どうせ解けないと、早々に諦める人もいるかもしれないけど、それは数学だって同じだろう。だから、問題を解くプロセスの部分で、数学とそれ以外の暗記科目と言われているもので、特段違いがあるとは私は思えない。実際、「数学を勉強すると、論理的思考が身に付く」と話す人と私が話す機会があれば、その際に彼らが本当に論理的に考えられているのか?の実態が分かりそうですが。今のところ、そういう機会がないんですよね。ぜひ理由を聞いてみたいです。数学を勉強することと論理的に考える癖がつくと言える因果関係の部分を。

 

数学を一生懸命勉強しても、しなくても、数学は暗記では解けない問題があり、そういう問題を目にしたときには、早々に諦めるという選択を除けば、論理的思考を誰もが始めるはずだ。その論理的思考の程度には差があるだろうし、結果的に正解できるか?という部分でも違いはあるだろうけど、数学における論理的思考は、勉強をどれだけやるか?にかかわらず、みんなやってますよ。私は数学が大嫌いで、真面目に勉強した記憶もないのだが、問題を解く機会がこれからあったとしたら、持ちうる知識を使って論理的に考えるでしょうね(笑)それはそうしないと解けないようになっている事実を知識として知っているから。でも、数学以外の分野、特に学校の勉強以外の分野において、論理的に考えないと正解にたどり着けません!なんて前提があるんですか?そもそも正解がない問題、議題っていうのも世の中には山ほどあると思うのですが。正解が1つに決まる前提の問題が、世の中にいくつあるんだろうね?と思います。

 

そもそもを言えば、私は論理的に考えられない方が人は幸せだと思っています。論理的に考えられる力が身に付いた方が良いに決まっていると、彼らは恐らく思っているのだろうが、私はそこも疑問なんで、そこもぜひ問いたい。論理的に考えないといけない必要性を。論理的に考えられると、いらない部分まで頭の浮かんできてしまうことがある。論理的に考えられない方が幸せという点については、話せばすごい長くなるので、別の機会で書きたいと思います。私は本当に幸せになりたいならば、人はバカでい続けるべきだと思うのです。頭が良くなる状況は、不幸になる確率を高めていると、私は断言したい。次の記事とかで、ここに関して書きたいと思います。

 

話は戻りますが、そんな状況の中で、なぜ数学において身に付いた論理的思考の癖が、他の分野でも同様に発揮されると言えるのか?の理由は本当に気になる。彼らが理由を考えられるような頭をしているのか?という部分も含めて。この話に関して言えば、私は「論理的に考える癖が身に付くわけがない」とは言っておらず、身に付く根拠が見当たらない(身に付くとは言えない可能性がある)という主張なんで、身に付かない可能性が1ミリでもあれば間違っていない状況なんですよ。そんな私の主張に反論をするならば、相手はその逆の状況、つまり、身に付かない可能性が1ミリもあってはいけない状況なので、まず議論では負けないでしょうけどね。冒頭で話した彼らに関して言えば、数学を勉強する、しない以前に、論理だてて話す癖をぜひつけてもらいたいなと思います。そう言い切れる根拠がなくていいならば、どんなめちゃくちゃなことだって言えちゃうんですよ?(笑)

 

それこそちょっと前に話題になった、「アビガンときのこの山は、コロナウイルスに対して効果を発揮する確率は全く同じ」という状況に近いかもしれない。きのこの山コロナウイルスに対して効果があるという因果関係は全く見つかりませんが、それはアビガンも同じであったと。これに関して言えば、「そんなわけないだろ!」と反論する人は多くいたが、彼らの全員が、アビガンの方が期待できるという根拠を何1つ提示できなかったのが面白い。実際、このブログでも取り上げたけど、専門家がアビガンときのこの山コロナウイルスに対する効果への期待度は、その当時の時点で全く同じであるというツイートをしていましたからね。コロナウイルスに対しての効果に関して、アビガンときのこの山が同じなわけがない!と考えた人は、自分の感覚で思ったことが正しい、根拠なんかなくても。ってタイプなんでしょう。あなたの感覚にどこに信頼できる余地があるのか?教えてほしいですが。「数学を勉強すると論理的に考える癖がつく」なんてことを言っている人たちも、同類だと思っています。

 

 

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